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『軍国主義者』や『青年将校』は『右翼』だったのか

前回まで、わが国が連合軍に占領されていた時期から朝鮮戦争までの歴史を追ってみた。
ウィロビー回想録の文章を引用しながら当時の雑誌などの記事をいくつか紹介してきたが、これらを読んでいくと、今までわが国の教科書やマスコミなどで広められてきた現代史の知識はかなり一面的なもので、一番重要なソ連の関与には全く言及していないことに気づくことになる。

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以前このブログで1928年のコミンテルン第6回大会で採択された決議内容のことを書いたが、再び引用させていただく。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-223.html

帝国主義相互間の戦争に際しては、その国のプロレタリアートは各々自国政府の失敗と、この戦争を反ブルジョワ的内乱戦たらしめることを主要目的としなければならない。…

帝国主義戦争が勃発した場合における共産主義者の政治綱領は、
(1) 自国政府の敗北を助成すること
(2) 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること

(3) 民主的な方法による正義の平和は到底不可能であるが故に、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること

… 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめることは、大衆の革命的前進を意味するものなるが故に、この革命的前進を阻止する所謂「戦争防止」運動は之を拒否しなければならない
…大衆の軍隊化は『エンゲルス』に従へばブルジョワの軍隊を内部から崩壊せしめる力となるものである。この故に共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない。…」(三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』p.38-40)

このような考え方はレーニンが最初に考えた『敗戦革命論』と呼ばれているものだが、共産主義者は革命を成功させるために進んで軍隊に入隊し、国家を内部から崩壊せしめる力とし、自国政府の敗北を導けという考え方である。
その考え方だけでも恐ろしいのだが、その方法については、レーニンはこう記している。
「『政治闘争に於いては逃口上や嘘言も必要である』… 『共産主義者は、いかなる犠牲も辞さない覚悟がなければならない。――あらゆる種類の詐欺、手管、および策略を用いて非合法方法を活用し、真実をごまかしかつ隠蔽しても差し支えない。』…
『党はブルジョア陣営内の小競り合い、衝突、不和に乗じ、事情の如何によって、不意に急速に闘争形態を変えることが出来なければならない
共産主義者は、ブルジョア合法性に依存すべきではない。公然たる組織と並んで、革命の際非常に役立つ秘密の機関を到るところに作らねばならない。』」(同上書 p.41-42)

要するに、国家を内部崩壊させて共産革命に導くための手段は問わない。非合法行為もかまわないし、真実を隠蔽しても良いと言っているのだ。
この時代においては、このような恐ろしいレーニンの思想がインテリ層や若い世代を中心に全世界に拡がっていて、わが国もマルクス・エンゲルスやレーニンなどの全集が飛ぶように売れていたのである。

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『軍国主義』『青年将校』というと、私も長い間『極右』をイメージしてきたのだが、上記のコミンテルン第6回大会から4年後の昭和7年(1932)5月15日に青年将校が首相官邸に乱入し、犬養毅首相を殺害する事件が起こった。この五・一五事件の首謀者が書いた檄文を数年前に読んで、私の青年将校に対する認識が一変した。
次のURLにこの時の檄文の全文が出ているが、最後の部分だけ引用させていただく。
http://mid.parfe.jp/kannyo/itinichikai/siryou/H19-5-31-515/top.htm

「… 国民諸君よ!
 天皇の御名に於て君側の奸を屠れ!
 国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!
 横暴極まる官憲を膺懲せよ!
 奸賊、特権階級を抹殺せよ!
 農民よ、労働者よ、全国民よ
! 
 祖国日本を守れ
 而して
 陛下聖明の下、建国の精神に帰り国民自治の大精神に徹して人材を登用して朗らかな維新日本を建設せよ
 民衆よ!
 此の建設を念願しつつ先づ○○(不明)だ!
 凡ての現存する醜悪なる制度をぶち壊せ 盛大なる建設の前には徹底的な破壊を要す
 吾等は日本の現象を哭(こく)して赤手世に魁(さきが)けて諸君と共に昭和維新の炬火を点ぜんとするもの 素より現存する左傾右傾の何れの団体にも属せぬ
 日本の興亡は吾等(国民前衛隊)決行の成否に非ずして吾等の精神を持して続起する国民諸君の実行力如何に懸る
 起て!
 起つて真の日本を建設せよ!
 昭和七年五月十五日    陸海軍青年将校」

右翼が一般の労働者に対して、体制の破壊のために蹶起を促すことはあり得ないことだ。この檄文は、彼ら青年将校の中心人物の中に、マルクスやレーニンの影響を受けていた者が少なからずいたことを物語っている。彼らの多くはレーニンの言う『敗戦革命』を実現させるべく、自国政府を敗北に導くために進んで入隊したのではなかったか

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以前このブログでも書いたが、昭和20年になって昭和天皇が終戦を決意され、いよいよ8月15日に国民に向かって「終戦の詔勅」を放送される直前の8月14日深夜から15日にかけて、天皇陛下が吹き込まれた玉音放送のレコード盤を奪い取って終戦を阻止しようとした陸軍の将校らのメンバーがいた。彼らは近衛第一師団長森赳中将を殺害し、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠したのだ。(宮城事件)
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-208.html
そもそもわが国の軍人でありながら、大日本帝国憲法下で最高権力者である天皇陛下のご聖断に従おうとしないメンバーが右翼であるはずがないだろう
彼らの一部は上官の命に従っただけの者もいただろうが、リーダー格には共産主義者が少なからずいて、レーニンの『敗戦革命論』を実践してわが国の体制を徹底的に破壊して共産革命に導こうとしたと考えて初めて腑に落ちるのである。
ソ連は8月9日に対日宣戦布告を行ない、満州国、樺太南部、朝鮮半島、千島列島に侵攻を開始したのだが、共産主義者からすれば、ソ連軍が日本列島の主要な部分を占領できないままに戦争を終わらせてしまっては困るのである。だから彼らは宮城を占拠して、玉音放送のレコード盤を奪い取り、戦争を長引かせようとしたのではないのか。

近衛文麿

以前このブログで、日中戦争勃発時から開戦直前まで首相を務めた近衛文麿が終戦の年(昭和20年[1945])の2月に昭和天皇に上奏し、戦争の早期終結を唱えた『近衛上奏文』という文書を紹介した。
この上奏文の中で近衛はわが国の左翼分子が我が国を第二次世界大戦に突入させたことを明確に書いている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-208.html

「…翻(ひるがえ)つて国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件日々具備せられ行く観有之候。即ち生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵愾心昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、之に便乗する所謂新官僚の運動及び之を背後から操る左翼分子の暗躍等々に御座候
 右の内特に憂慮すべきは、軍部内一味の革新運動に有之候。少壮軍人の多数は、我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにありと存候。…

 抑も(そもそも)満洲事変、支那事変を起し、之を拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、是等軍部一味の意識的計画なりし事今や明瞭なりと存候。満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座候。支那事変当時も、「事変は永引くがよろし、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心人物に御座候。是等軍部内一味の者の革新論の狙ひは、必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼と云ふも可、左翼と云ふも可なり。所謂(いわゆる)右翼は国体の衣を着けたる共産主義なり)は、意識的に共産革命に迄引きずらんとする意図を包蔵し居り、無知単純なる軍人、之に躍らされたりと見て大過なしと存候。…

昨今戦局の危急を告ぐると共に、一億玉砕を叫ぶ声次第に勢を加へつつありと存候。かかる主張をなす者はいわゆる右翼者流なるも、背後より之を煽動しつつあるは、之によりて国内を混乱に陥れ、遂に革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居り候。…」

近衛文麿は学生時代から社会主義思想に深く共鳴した人物で、昭和8年(1933)に「昭和研究会」という政治・経済・社会に関する研究会を発足させ、その中心メンバーが後に近衛のブレーンとして彼の内閣を支えることになったのだが、その中にはのちにゾルゲ事件の首謀者として昭和19年に絞首刑となった尾崎秀実や、左翼活動の嫌疑により治安維持法違反で検挙起訴された人物が少なからずいたのである。
そして第一次近衛内閣の時に日中戦争に引き摺り込まれて戦線を拡大し、第二次近衛内閣の時には日独伊三国同盟を締結し日ソ中立条約を結び、第三近衛内閣の時には日米交渉が不調に終わり政権を投げ出した。

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近衛が政権を握っていた時代に実際に起こったことは、このブログでも何度か引用した昭和10年(1935)の第7回コミンテルン大会におけるスターリンの演説内容とぴったりと符合するのだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-210.html

ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。…」

近衛はソ連が世界の共産化のために工作を続け、軍部や官僚に多くの共産分子がいることに思い至り、この上奏文の中で「彼等の主張の背後に潜める意図を十分看取する能はざりしは、全く不明の致す所」と書いて昭和天皇に謝罪し、このまま勝利の見込みのない戦いを継続することは共産主義者の思うつぼとなるので一日も早くこの戦争を終結させるべきであると述べている。この上奏文の全文は次のURLで読むことが出来る。
原文     http://royallibrary.sakura.ne.jp/ww2/text/konoejousou.html
読み下し   http://www.geocities.jp/since7903/zibiki/ko.htm#konoezyousyoubun

スターリンの戦略は、資本主義国同士を戦わせて双方を疲弊させたのちに革命を仕掛けて共産陣営に組み込むことだった。そしてわが国やアメリカの政権の中枢部に、ソ連と繋がる人物が多数送り込まれていたということは、今では多くの史料で確認できるのである。
こういう話をすると、すぐに『陰謀論』と一笑に付して思考停止する専門家が多いのだが、本当に怪しいのは、共産国にとって都合の悪い史実を一切語らず、中韓が捏造した物語を充分な検証もせずに「正しい」と声高に叫び続ける連中の方ではないのか。
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Comment
ここかしこに当たり前のようにたくさんいたのでしょう
しばやんへ
たくさんいたことは間違いないでしょうね。ハーバート・ノーマン
を偲ぶ会、に高松宮、木戸、岩波、松方、などが出席しています。ルーズベルト政権並に何百人もほとんどの分野にいた。ただね、誰が悪い彼が悪いではなくて、「何故」を考えないともはや収集がつかないです。共産主義は宗教で、絶対的信念があったのでしょう。それと、彼らは共産主義と天皇制度が相反しないと信じていたとも、解せるところがある。昨日Money Diplomacyを読んでいて、欧米対日露、という場面がかなりありました。20世紀初頭の交渉においては、日露が所謂早くからの列強にはみごにされているようでした。同じ立場でいじめられたら親近感を持ってしまう。
レコード盤奪い取り事件に関しては、敗戦後の天皇陛下や日本の子女の身を案ずるばかりに日本男児としては、敗戦を認めるわけにはいかなかった、最後の最後までお守りしたかった、気持ちわかります。どちらともとれる場合は、ソ連のスパイと断定しないほうがいいかと。もしそうでなかった場合、あまりにも気の毒です。
GHQに於ける昭和天皇のご発言、Bonner Fellersの後年の記録を読む限り、最後の御前会議の様子、伝えられているものと少し違います。直読みは目に悪いので、いつかPrint Outできる機会があったら、これは貴重なので訳出してどこかに発表しようと思っています。単ににふと思っただけですが。
Re: ここかしこに当たり前のようにたくさんいたのでしょう
Bruxellesさん、

宮城事件の件は、首謀者がソ連のスパイであったと断言はできませんが、スパイではなくとも共産主義革命を夢見てソ連が日本を変えることを夢見た兵士は、近衛上奏文にも書かれているように、かなりいたと思います。私の学生時代ですら、我が国がソ連など社会主義国に支配されることを望んでいるものがいたくらいです。それほど共産主義思想は、人を惹きつけるものがあると思います。
当時は天皇主権を否定すれば治安維持法に引っ掛かるので、彼らは建て前として天皇制を肯定しただけだと考えています。彼らは天皇を守ることではなく、別の動機でレコード盤を奪おうとした可能性の方が高いと直感していますが、確実な史料が残されているわけではありません。

Bonner Fellersの記録やMoney Diplomacyについては何も知りません。これからもTEL QUEL JAPON
で情報発信をよろしくお願いします。


おはよう御座います
しばやん、おはよう御座います
昨日Bonner Fellersの記録を丁寧に読んでみました。いつか記事にするつもりです。ところで今朝起きてふと思い出したのですが、しばやんとのこの意見の相違、これは重要ですね。同感同意よりも意見の相違からの方が、何かが見えてくる気がします。
国体を守りぬくためのご聖断による、戦争の終結、だとしばやんは考えておられるのだと思います。ですから、レコード盤を奪おうとしたものを、これまでの研究の流れで、ソ連のスパイ、少なくとも共産主義者だと判断されたのだと思います。戦争続行派の最終目的は日本の共産化であると。これはご聖断という解釈に引きづられているのではないかと思います。昨日Fellersの文章を読んでいて、その見解はご聖断の見解で、軍部の邪魔、というしばやんと同じ解釈でした。しかし、この後付け視点をしばらく横に置いて考えてみました。和平派と戦争強行続行派という視点でなく、敗戦派、徹底抗戦勝利貫徹派、とみるのはどうでしょう。目の前の敗戦を考えるといてもたってもおれない。当然だと思います。ここが日本男児の意地のみせどころ、最後まで天皇陛下をお守りし、止むを得ぬ場合は一億j玉砕、それが当時の教育の行きどころではないでしょうか。あのね、敗戦派を和平派と称しています。和平派と戦争続行派、という言葉遣いが、目くらましなのだと昨日気づきました。和平派などではありません。敗戦選択派と徹底勝利追求派と見るほうが、当時のかれらの心境がよくわかります。
何故なら和平派こそ、ソ連の仲介に最後まで望みを託した人たちなのですから。ソ連に無条件で仲介を委託すると主張を続けているものこそが和平派なのです。つまり和平派こそが親ソで、最後にソ連に裏切られて、アメリカに降伏するのです。
和平派と呼ぶ呼称は、東京裁判および日本国憲法前文に歩調を合わせている、戦前国体徹底平和主義の戦略そのものだと思います。GHQの日本国解体がそこに潜んでいます。
Bruxellesさんへ
宮城事件に関して、ネットなどで読むことができる史料は少ないので、推測が入るのはやむを得ないところですが、この事件は近衛連隊2800名が決起した建軍以来の最大の反乱事件でした。

この反乱が、Bruxelles さんは「最後まで天皇陛下をお守りし、止むを得ぬ場合は一億玉砕、それが当時の教育の行きどころではないでしょうか」と解釈しておられますが、天皇陛下の意思に反して戦争を継続しようとし、天皇陛下を護っておられた森近衛師団長と白石中佐を殺害しその遺体を焼却までした連中が、ただ天皇陛下を護り国を護るために行動したとは、私には思えないのです。

「ソ連に無条件で仲介を委託すると主張を続けているものこそが和平派」というのはその通りですが、アメリカが2発の原爆を投下し、昭和天皇がすぐに敗戦を決意したのはソ連にとって完全に計算外だったと考えています。

ソ連は、スターリンの「砕氷船のテーゼ」のとおり、直ちに日ソ中立条約を破棄して、「火事場泥棒」的に日本領土を奪い取ろうと動きましたが、進軍が間に合わないので、レコード盤を奪い取り終戦を先延ばしさせようとしたのではないでしょうか。尾崎の手記にもありますが、革命のためにはもっとわが国の社会的体制が転換しなければならないと考えていた可能性もあります。

いずれこの問題は、私も気になるので、いろいろ調べていずれ書いて見たいテーマです。
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石原莞爾
石原莞爾も犯人では?

奴は一億玉砕を熱望していたようです

誤った日蓮思想を広めていた。
Re: 石原莞爾
コメントありがとうございます。

石原莞爾については不勉強なのでまだ何とも言えませんが、彼が「一億玉砕を熱望」していたというのは根拠があるのでしょうか。彼の文章で、そのような文章があればご教示下さい。
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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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