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尾崎・ゾルゲらの一斉検挙とその後

前回の記事で、北林トモの供述に基づき宮城与徳が逮捕されたのち、宮城は仲間のこと等について固く口を閉ざしていたことを書いた。では何がきっかけで、宮城が供述を始めることになったのか。
宮下氏の著書にはこう書かれている。

特高の回想

「で、宮城は取調べで、スパイであることは認めざるを得なかったのだが、しかし仲間については口を割らない。言わなければならないときは死のうと申し合わせをしていた、とあとになって言っていたが、宮城は築地警察署で取調べを受けているとき、二階から飛び降りて自殺しようとした。柘植警部補と酒井という巡査が二人で取調べていたのですが、どちらも屈強な体格というわけではないし、とっさのことで、あわてて組みついたが止めきれなかった。宮城は窓から飛び降りたが、樹にひっかかってほとんど怪我しなかったけれども、宮城を追って飛び降りた酒井巡査は大腿部骨折で大怪我をしました

 この自殺未遂のあと、宮城はすっかり心境の変化をきたしたのでしょうね。自分は死のうと決心して飛び降りたのだが、警察官はそうではないだろう。それが、自分を追って飛び降りた。日本の警察官は生命がけで職務にあたっている、自分は考え直しました、と自白しはじめた。

  尾崎秀実とわかる人物も、太ったドイツ人とか、大きなドイツ人とかも出てくる。外事課には外人のリストがありますから、そこで宮城の供述に出てくるそれらしい外人をあたって、写真で宮城に確認させる。ブーケリッチもクラウゼンもゾルゲも、そうして割り出していったわけです。宮城は、尾崎の家には尾崎の娘の絵の先生として行っていることもしゃべった。」(宮下弘特高の回想』p.209-210)

このように、ゾルゲ事件は特高がゾルゲ周辺に網を張っていて、その供述を得て一斉検挙になったわけではなかったのである。
もし伊藤律が、アメリカのスパイだと思っていた北林トモの名前を出さなければ、もし北林トモが麻布六本木署でしゃべらなければ、また宮城が取調べ中に飛び降りて巡査が大怪我をするようなことがなければ、おそらく解明されることはなかった事件だったのだ


かくして、この事件が大がかりなスパイ事件である事がはっきりしてきたのだが、尾崎は近衛文麿首相の側近で内閣の嘱託であったし、ゾルゲもオット駐日ドイツ大使に信頼され、大使館情報官に任命されていた。ドイツは日本の同盟国であり、一斉検挙をするとなると内閣だけでなく、わが国とドイツとの友好関係にも重大な影響を与えることになる。
宮下氏は、こう記している。
「…これを一斉検挙でやってよいか、それはわたしの一存ではいかない、とは考えていました。

 それでも、ぐずぐずしていれば、戦争の命運にも関わる大事件をやりそこなうだろう。だから、まず尾崎をやってみて、そこで確かめてからゾルゲをやる、ということにした。尾崎のほうだけなら、まえに論文で引っぱってはどうか、ということもあったんだし、警視庁から逮捕するといえば、すぐ令状は出したでしょう。だから尾崎を検挙するのは、近衛内閣だったからといって、そう苦労したとはおもえない。問題はやっぱりドイツだったですね

 それで、外人をふくむ一斉検挙はダメになりました。あせったですよ。取調べだけからでは証拠が出てこないでしょうし、ゾルゲにドイツ大使館に逃げ込まれたら、ちょっと手が出せないですからね。ゾルゲはナチスの在日代表だったし、大使よりも実力者だった。けっきょく、尾崎を検挙することになったわけです。」(同上書 p.213)

尾崎を検挙したのは10月15日だが、その日に尾崎がスパイを認め自供したことは前々回の記事で書いたので繰り返さない。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-280.html

ところが、尾崎が自供してすぐにでもゾルゲを逮捕したかったにもかかわらず、なかなか逮捕令状が出なかった。宮下氏はこう記している。

「宮城の供述でゾルゲが浮かんだとき、逃亡されるおそれがある、すぐにも彼を逮捕しようとやっきになったのですが、検事局の方では、宮城の供述だけではあぶない、もうひとり、というので尾崎を検挙して取調べを急いだわけですから

  が翌日になっても、なかなか令状が出ない。たまりかねて、わたしは中村登音夫検事に電話で怒ったんです。ぐずぐずしていると、これはせっかくの事件を台なしにしてしまいますよ。ゾルゲの検挙は、一日も早く、一時間も早く、やらなければダメです。中村思想部長検事相手に電話でガンガンやっていたら、近衛内閣が総辞職です。これが10月16日ですね。司法大臣も誰に代わるかわからないから、令状など出せない、ということで、つまづきました。こちらは、内閣が代わる、司法大臣が誰に代わる代わらない、という以上に、日本の命運に関わっている問題なんだ、と激しくやりあっていたら、司法大臣は留任ということになって、令状をやっと出してくれました。それ! というので、16日にゾルゲを検挙した。東条内閣の発足は18日だったのですから。」(同上書 p.217)

かくしてゾルゲは16日に検挙されたのだが、この日に近衛文麿が政権を投げ出すことになるとは特高にとっては想定外のことであったろう。もし司法大臣の留任が決定していなければとてもスピード検挙は不可能であったし、東條内閣の発足を待っていては、ゾルゲは安全な場所に身を移していたことだろう。

img20130904235545756.jpg

ゾルゲの取調べは特高の外事課が担当したので、どういうやり取りがあったかはあまり書かれていないが、ゾルゲがスパイであることを認めた瞬間について、宮下氏はこう書いている。

「…ゾルゲがおちたときは、なかなか劇的だったといいますからね。着ていた上衣を脱いで、椅子に叩きつけて、敗けた、日本の警察にはじめて敗けた、と。それからぜんぶ供述した。そういう報告が外事課から刻々にきて、やった、勝った、ということですね。当時流行していたナントカ節ふうの歌詞をわたしがつくって、振付を中村課長がやって、外事課と合同の祝宴の席で歌って踊りましたよ。
『…やおらゾルゲは立ち上がり、ナチの上着を投げ捨てて、なかは真赤だ、敗北だ、日本警察、勝ちました…』」
 わたしは神や仏にたよったり、こじつけたりするのは性格的にきらいですが、しかし、このゾルゲ事件は、そもそも最初の糸口から全力で取り組み、これを勝利的に終結させることが出来たのは、神の加護であった、とおもいました。まあ特高冥利に尽きる、ということですね

 東条首相が、これは金鵄勲章ものだ、と言ったと聞きましたが、そう聞いただけで、金鵄勲章もなにももらわなかった(笑)。わたしは内務大臣から呼ばれて話を聞かれて、百円もらいましたが。それだけです。」(同上書p.229)

金鵄勲章も何も貰わなかったと述べた後に宮下氏が笑っているのは、終戦直後の昭和20年(1945)10月4日に治安維持法とともに特高が廃止され、在籍者全員が罷免されたことを知る必要がある。
ゾルゲ事件の時に宮下氏の上司であった中村特高課長は、終戦当時は厚生省に勤務していたためにその時点では職を失うことはなかったがが、後にゾルゲ事件に関連した者として公職追放されたという。

以前このブログで、終戦直後から3年間にわたりGHQの中でわが国の占領政策の中心を担っていたのは民生局(GS)という部署であり、ここにはニューディーラーと呼ばれる左派系の人物がかなりいて、日本共産党が占領軍を「解放軍」とよび、次々と繰り出すGHQの施策を歓迎していた時代である。宮下氏らが苦労して捕えたゾルゲ事件の残党や日本共産党の幹部は終戦直後に釈放され、一方公職追放で政官財の有力者を中心に20万人以上が追放されて、特に教育機関やマスコミ、言論などの業界で、いわゆる『左派』勢力や共産主義のシンパが大幅に伸長することとなり、今もその影響を少なからず引き摺っていると考えられる。この公職追放を推進した中心人物はハーバート・ノーマンだとされているが、この人物はソ連のスパイであったという説が今では有力である。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-246.html

話を宮下弘氏の話題に戻そう。
宮下氏は終戦当時富山の特高課長だったが、職場を去っても退職金も恩給もなかったという。職を失って東京に戻ると家は空襲で全焼しており、本や資料を預けておいた親戚の家も焼けていた。しかたなく夫人の実家の静岡県磐田郡豊浜村で生活しようとしたが悲惨な生活だったようだ。

「豊浜村にも、戦時中から伝手をたよった疎開者がずいぶん入っていましてね。疎開者というのは嫌われるんですよ。百姓をしている家内の兄貴の家の納屋のような小屋を借りました。わたしも家内も子供たちも、みんな足を皮癬(ひぜん:疥癬)でやられていた。あれは栄養分をとらないと癒らないんです。顔は栄養失調で黄色くむくんでいる。…若干の貯金があったのでやっとくいつないだけれども、そのうち預金封鎖で、五百円生活です。
 百姓しようにも、農地改革だというので、よそ者に耕地を貸してくれるような者はいない。漁師は漁業組合で鑑札を出していて、やっぱりよそ者は締め出す。役場なんていったって、何人も働いているわけじゃない。小さな村には、はいりこみようがないんです。」(同上書p.261)

仕方なく家族を豊浜村に残して、単身で東京に戻って鉄道電気工事の仕事に就く。宮下氏は敗戦後も絶対にヤミ物資を買わないという主義だったので、その頃は栄養失調で、歯もぜんぶガタガタになって、痩せこけていたという

そして昭和24年(1949)の4月ごろに宮下氏のところに占領軍のある部署の者が訪ねてきた。どうやらゾルゲ事件について協力がほしいとのことだった。当時の上司であった中村課長も呼ばれていた。

宮下氏はこう述べたという。
わたしは特高警察官として長い間働いていたために、あなたがたの命令で罷免されて、以後、政治には絶対タッチしてはならぬことになっている。おたずねのことに答えるのは、これは政治にタッチすることになるとおもうのでお断りする。」(同上書p.231)
あまり意地を張らないで教えてほしいと頼まれて、何が知りたいのだと聞くと、どうやら彼らはゾルゲや尾崎とスメドレー(アメリカ人ジャーナリストで中国共産党軍に従軍して取材活動をした社会主義者)との関係について調べているようだったので、宮下氏は参考になりそうな人物を一人教えたという。

ウィロビー

以前このブログで書いたが、GHQの参謀第二部(G2)は日本の司法省刑事局の『ゾルゲ事件資料』を押収していて、その資料に興味を抱いたウィロビー部長がそのレポートをきっかけにゾルゲ諜報団とアメリカとの関係を調査し、ワシントンにレポートを送付した。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-236.html
そのレポートの中でソ連のスパイであると書かれたスメドレー女史がこの内容に抗議し、マッカーサーを名誉棄損で告訴すると猛反発したのだが、宮下氏や中村課長ら特高メンバーの協力を得て、スメドレーの抗議は却下されたのだという。
その後、ウィロビーらの努力によりアメリカでもゾルゲ事件が知られるようになり、ゾルゲ・グループが極東におけるソ連の支配をその究極の目的にしていたことがようやく認識されるようになった。

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ソ連は終戦後19年間もゾルゲ諜報団の存在を否定していたのだが、スターリンを批判したフルシチョフが失脚した直後に、ソ連はゾルゲに対し最高の国家勲章を贈り、肖像入りの記念切手まで発行している。また、前回記したとおり、尾崎秀実にも宮城与徳にも勲章の授与が決定されている。
ソ連が勲章を与えた人物であるという事は、普通の日本人の立場からすれば自国をソ連に売ったことを意味するのだが、どういうわけかわが国で、ゾルゲや尾崎や宮城のことを「反戦平和の闘士」と書く人が少なからずおられるようだ。

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たとえば、東京都府中市の多磨霊園にはゾルゲの墓があり、そこには「戦争に反対し世界平和のために命を捧げた勇士ここに眠る」と刻まれていて、その横には尾崎や宮城ら同志の名前を記した碑があるという。
http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/h-sonota.htm#sorge

スパイ・ゾルゲ

また2003年にはゾルゲや尾崎を「反戦平和の英雄」として描いた映画「スパイ・ゾルゲ」(篠田正浩監督:東宝)が製作され全国で上映されている。

このように、わが国をソ連に売ろうとした人物を英雄扱いする日本人がいる一方、ソ連のスパイを苦労して摑まえて国を守ろうとがんばった人物が、戦後は犯罪者のように肩身の狭い思いをして生きなければならなかった現実があった。そこに戦後のわが国の病理がある。
世界の共産革命を夢見てわが国を中国との戦争に引き摺り込み、アメリカと戦わせてわが国を悲惨な敗戦に導いたゾルゲの仲間が、反戦平和の英雄だとか闘士だとどうして言えるのだろうか。

戦後68年が過ぎ、ソ連が崩壊してもそのような歴史観が続くのは、終戦直後のGHQによる公職追放のあとを埋めたのがどのような人々であったかということとおそらく関係があるのだろう。
教育界、言論界やマスコミや映画界などでは、渡部昇一氏の言う「敗戦利得者」の多くが、戦後取得した権益にしがみつき、時には外圧まで利用して、未だに国民を洗脳し続けているのではないのか。

わが国の教科書やマスコミなどで広められている近現代史は、つまるところ「戦勝国にとって都合の良い歴史」であり、その多くが「コミンテルンにとって都合の良い歴史」であると考えて良い。実際には、戦後GHQやわが国の「敗戦利得者」が隠し続けてきた「戦勝国やコミンテルンにとって都合の悪い史実」が数多く存在し、そのような史実を丹念に追っていかなければ、「本当は何があったかのか」が見えて来ないのだと思う。
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Agnes Smedley & Charles A. Willoughby
本来ならトラックバックすべきなのですが、うまく入らないようなのでコメント欄を使わせていただきます。
尾崎・ゾルゲらの一斉検挙、大変興味深く拝読いたしました。全く同感です。
Agnes SmedleyとCharles A. Willoughbyに関して少しだけこちらの情報を提供させていただきます。
Agnes Smedley;
http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/blog-entry-405.html
Charles A. Willoughby (3) G2:
http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/blog-entry-183.html
Re: Agnes Smedley & Charles A. Willoughby
Bruxelles さん、コメントありがとうございます。

トラックバックの件は、ブログの設定に問題があったのかもしれません。緩めておきましたので、良かったら再チャレンジしてみてください。

また、貴重な情報源を教えて頂きありがとうございます。

Bruxelles さんは英語が堪能なようで、羨ましい限りです。私も、英語の文献がもっと読めれば、また違う観方ができるのかもしれませんが、いつも訳文ばかりを探してしまっています。ガンジーの文章の訳文があればありがたいのですが…。

しかし、Bruxelles さんのブログはよく調べておられますね。お元気になられたら、是非再開していただきたいと思います。
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了することが決定しています。BLOGariの旧メインブログの「しばやんの日々」はその日以降はアクセスができなくなりますことをご承知おき下さい。

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