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播磨の古刹を訪ねて~~~聖徳太子ゆかりの斑鳩寺と随願寺

前回の記事で、わが国で仏教が拡がったのは、敏達天皇13年(584)に蘇我馬子が播磨の国(兵庫県南西部)にいた恵便(えべん)という僧を師としたことから始まることが『日本書紀』に記されていることを紹介し、恵便ゆかりの寺として加古川市の鶴林寺を訪れたことを書いた。

実は7年ほど前にこの鶴林寺を訪れたことがあった。宝物館で貴重な展示物を見て、「凄い」とは思ったが、当時は「法隆寺よりも古い寺が兵庫県に在るはずがない」という考えに染まっていたので、寺の由来に後世の脚色がかなりあって信じ難いとの印象を受けた。
この寺をもう一度訪れたくなったのは、読者の方から中小路駿逸氏の「『日本書紀』の書名の『書』の字について」という論文を教えて頂いたことがきっかけである。次のURLに、この論文の全文が掲載されている。
http://yourehazauei.at.webry.info/201208/article_7.html

その論文の中で中小路氏は、こう記しておられる。
「『日本書紀』に、仏教が播磨から伝わった事件が、たんに『仏法の初め』とのみしるされていることは、何を意味するか。
明らかである。
六世紀後半の敏達朝において、わが王権は、まだ播磨をも領せざる一地域権力であった。当然、播磨は、“我が国”とは別国、ないし別国に属する地であった。――そう『日本書紀』の問題の本文は告げている。――このことを意味する。
仏法が別の国からわが国に伝わって、僧(尼)の供養が行われはじめたときをもって『仏法の初め』と称する。『日本書紀』の記述ぶりは、まことに正常ではないか
。」(p.13-14)

中小路氏はその論文で、仏教が拡がりはじめた6世紀の終わりごろは、わが国はまだ統一国家ではなかったことを立証しておられるのだが、中小路氏の主張が正しいことは中国の正史である『隋書倭国伝』の前回記事で引用した部分を読めばわかることである。
この頃の播磨の地は、大陸からの渡来人が多く移り住んでいて、そのなかに仏教の僧侶を経験した恵便(えべん)のような人物がいた。その恵便を蘇我馬子が仏法の師とし、さらに聖徳太子が訪ねて鶴林寺の前身である四天王聖霊院が建てられたということなのだろう。
そして播磨には、ほかにも聖徳太子時代の寺院があるのである

「斑鳩(いかるが)」というと、誰しも奈良県の法隆寺のあるあたりを連想するところだか、兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)に「斑鳩寺」というお寺がある。鶴林寺の次は、この寺を訪れることにした。「太子町」という町名は、もちろん聖徳太子にちなんだ名前だ。

斑鳩寺山門

斑鳩寺の案内板にはこう書かれている。
聖徳太子がご開創になった霊刹である
推古天皇14年(606)秋7月、天皇は大使に請うて、勝鬘経(しょうまんきょう)を講ぜしめられた。そこで太子は豊浦宮でこれを講ぜられること三日で終った。その夜仏天が感応し給いて、蓮華の花が講演の地に降りしいたと伝えられる。この年又大使は法華経を岡本宮で講ぜられた。
天皇はその妙味を叡感され、播磨国揖保の郡に於いて、水田百町を太子に賜った。よって太子はこの地を鵤荘と名づけられ、一つの伽藍を営ませられた。これがすなわち当寺である。往古には七堂伽藍、数十の坊院がいらかを並べ、真に華麗を極めていたが、天文10年(1541)尼子政久の播磨侵入後の混乱の中惜しくも堂塔尽く焼失した。…
当寺は太子ご創建から1千年間は大和法隆寺の末寺的存在であったが、火災再建後天台宗となる。」

推古天皇が聖徳太子に播磨の国の水田百町を賜ったことは『日本書紀』巻第二十二にしっかり記されている。
原文では、
「秋七月、天皇請皇太子、令講勝鬘經。三日說竟之。是歲、皇太子亦講法華經於岡本宮。天皇大喜之、播磨國水田百町施于皇太子。因以納于斑鳩寺。」
となっており、聖徳太子はその播磨の土地を「斑鳩寺」に納めたとあるのだが、通説ではこの「斑鳩寺」をわざわざ「法隆寺」と読み替える。しかしながら『日本書紀』には巻第二十七天智天皇紀に「斑鳩寺」と「法隆寺」と両方の寺の名前が登場している。普通に考えれば『日本書紀』でわざわざ別の名前で書かれている「斑鳩寺」が「法隆寺」と同じ寺を意味するとは考えにくいところであり、もしかすると聖徳太子が推古天皇よりこの地を授けられたことにより、この播磨の地に斑鳩寺が創建されたということではないかと考えてみたりする。

斑鳩寺大講堂

仁王門を潜ると講堂が見えてくる。御本尊の釈迦如来、薬師如来、観世音菩薩の三尊はいずれも国の重要文化財に指定されているが、秘仏として御開帳となるのは毎年2月23~24日の太子忌の期間だけなのだそうだ。

斑鳩寺塔

そして右手には国の重要文化財に指定されている三重塔が聳え立つ。この塔は永禄8年(1565)に再建されたもので、この寺で現存する一番古い建物である。

斑鳩寺聖徳殿

左手には聖徳殿があり、御本尊として聖徳太子十六歳孝養像が祀られている。この孝養像の御衣は親王皇家からの御寄進によりお召替えされるそうで、現在の御衣は高松宮殿下のご寄進により昭和37年2月に御召替えされたものだという。

宝物殿も見せて頂いたが、日光・月光菩薩立像(国重文)、十二神将立像(国重文)、聖徳太子勝鬘経御講讃図(国重文)など貴重な仏像・仏画などが展示されている。

斑鳩寺三重塔

しかし、これだけの文化財があっても観光客は思いのほか少なく、これでは受付に人を置いたり、建物の修復や維持管理、境内の清掃にかかわるコストをとても賄いきれないのではないかと心配になってくる。観光収入で潤っているのは京都や奈良などのごく一部の有名寺社のみであり、このような高齢化が進む地方では寺社を支える人々が少なくなるばかりで、このような地域の文化財を後世に残していくためには、もっと観光客が多く来なければならないのだと思う。

斑鳩寺庫裏

斑鳩寺の境内の奥に兵庫県の文化財に指定されている庫裏があるが、建物が歪んできたのかつっかえ棒で横から支えられていた。文化財の修理は宮大工を使うためにかなりの修理費用がかかるため、本格修理を先延ばしにしたいのではないかと思ったが、これ以上建物が傷まないことを祈りたい。

少し前にこのブログで法隆寺再建論争のことを書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-10.html
『日本書紀』に法隆寺が全焼した(「災法隆寺 一屋無餘」)と書かれているのは、天智天皇9年(670)4月のことなのだが、どういうわけか今の法隆寺の西院伽藍の塔芯柱には594年頃に伐採された木が使われているという。常識的に考えてそんな古い木を使って再建されることはあり得ないし、またこんな早い時期には近畿には仏教は伝わっていなかったはずだから、法隆寺西院伽藍はどこかの建物を移築されたのだという説はかなり説得力がある
この説が正しいとすると、この時期に仏教が伝わっていた播磨以西から移築されたということになり、この斑鳩寺に注目している研究者もおられるようだ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tagen44/oogosi44.html

斑鳩寺の方から勧められた「寿しえびや」という、仁王門のすぐ東にあるお店で昼食をとって、次に目指したのは姫路市街北方の増位山の山上近くにある随願寺
寺伝によるとこの寺は、聖徳太子の命により高麗僧恵便が開基した増井寺が前身で、天平年間(729~749)に行基が中興した寺院だという。
平安時代には諸堂が整備され、山上に三十六坊もある大寺であったそうだが、天正元年(1573)に別所長治に攻められて全山を焼失し、天正13年に羽柴秀吉が再興したそうだ。

随願寺 開山堂

駐車場から少し歩くと、奥の院である開山堂(国重文)が見えてくる。この建物は江戸時代に播磨姫路藩主であった榊原忠次(1605~1665)により再建されたという。

IMG_2173.jpg

開山堂のすぐ近くに榊原忠次の墓所があり、この唐門も国の重要文化財に指定されている。

IMG_2174.jpg

更に進むと大きな本堂(国重文)が見えてくる。この本堂も榊原忠次の再建によるもので、本尊の薬師如来坐像は県の指定文化財だ。天井には狩野探幽の天井画があるのだそうだ。

IMG_2182.jpg

経堂も鐘楼も国の重要文化財で、収蔵庫には毘沙門天立像(国重文)と貴重な文化財がいくつもあるのだが、広い境内にお寺の方がどこにも見当たらなかったので、拝観できなかったのは残念だった。

随願寺 本堂

この寺のあたりは電柱や電線がほとんどなく、境内や参道に繋がる道を歩いていると、タイムスリップしたような気分になる。結構良い写真が撮れるので近くを歩かれることをお勧めしたい。

普段は観光客が少ない随願寺だが、毎年2月11日に「鬼追い」という行事が行われており、その時は多くの観光客が訪れるようだ。
この「鬼追い」の歴史は古く、寺伝によると乾元元年(1302)に後二条天皇の勅定により、修正会(しゅしょうえ)の最後の日(正月の7日)に追儺会(ついなえ)を行なったのが始まりで、700年以上続いているのだそうだ。明治になって太陽暦に代わってからは2月8日に行われるようになり、昭和45年頃から2月11日に行われているという。
http://kobe.travel.coocan.jp/himeji/zuiganji_goma.htm

修正会というのは仏教寺院において毎年1月に行われ、前年を反省し、新しい年の国家安泰、五穀豊穣を祈願する法会だが、寺院によっては追儺(ついな)という鬼払いの儀式が行われる。

047-11.jpg

ネットで多くの画像や動画を見ることが出来るが、随願寺の「鬼追い」は、なかなか特徴のある鬼の面である。
このような伝統行事を続けていくことは大変な事であるが、現在は随願寺愛存会 ・白国自治会・鬼の会などによって増位山随願寺修正会追儺会が維持されているのだそうだ。
http://hiroshi1950.fc2web.com/onioi2.htm

ところで来年の大河ドラマは「軍師官兵衛」で主人公が黒田官兵衛なのだが、この官兵衛の叔父・黒田高友は出家して休夢と称する僧侶となりこの随願寺の地蔵院に住んで、官兵衛に大きな影響を与えたと言われている。
また随願寺一帯は、別所長治と黒田方がたびたび戦火を交えた場所でもある。ドラマの中で黒田高友やこの随願寺が登場する場面があるのだろうか。
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Comment
匿名
何処かへ行ったついでに 寺や神社に参拝しても 仏像は、金網のなかだったりで 目が行きとどかないので泥棒が多いのではと思います。
宝物館も見せてくれないところが多くなりました。
最近 お寺や神社の仏像が、こんなところにという番組がテレビで放映されてましたけど 寺の住職が取り返すならこの値段でと提示された金額は、目の玉が飛び出るような金額でした。
寺の改築の時に信徒が黙って持ち出して その信徒も連絡とれなくなり困ってた時に骨董品屋で売られてる様子を放映してました。
お世話になった寺にすることでは、ないと思います。
重要文化財の100点以上が行方不明になっています
コメントありがとうございます。
11月2日の産経ニュースによると、によると国の重要文化財が、100点以上も所在不明になっているそうです。実際は無人の寺社もありますし、紛失しても報告していないケースや、紛失したことがわかっていないケースもあると思われます。実際はもっと多くの文化財が盗難されていると思われます。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131102/edc13110207580000-n1.htm

次のURLで盗難された仏像が紹介されていますが、かなり重要なものが失われていることがわかります。
http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/topics/tonan.html

地方を疲弊させ、地元では生活が成り立たないような経済施策を続けては、地方は高齢化するばかりで、お寺や神社を支える人が少なくなれば、文化財を守ることがますます難しくなってしまいます。

かといって、重要文化財が博物館で保管されるのでは、文化財は守れても、地方の文化や歴史的風土や建築物は守れなくなります。

一人でも多くの日本人が、地方の文化財に目を向けてくれることを願っています。
匿名
友人で 上野の国立博物館の展示会の前のプレミアによく行く人がいるので聞いたら有名な日本画を預けてあり1年に1回は、展示されるそうですけど自宅で保管すると盗難されたりの心配があるので博物館に預けたそうです。
友人は、売却も考えたそうですけど 外国に売られて行くより日本にあったほうが良いからと言ってました。
プレミアの招待の時は、軽い食事があったりします。
いつもよく調べてブログをやってらっしゃるのには、感心です。
コメントありがとうございます
ありがとうございます。とても励みになります。

個人で所有している場合は、預けるのがいいのでしょうね。
しかしお寺や神社は、それが信仰の対象である場合は難しいものがありますね。
実家には文化財級のものは何もないですが、あるところは大変です。
匿名
私の祖母も家系図があったけど 昔 修行の途中という坊さんを家に泊めたら持って行かれたと言ってました。
それから 何年後かに あなたの家の家系図を書いた本が出版されましたのでと葉書が来て その頃は、とても買えるような金額でなかったので買いませんでした。
個人宅は、盗難以外に狙われることは、多いので博物館に預けるのが一番安全でしょう。
寺社など最近は、金網越しや人気のないところには、くうどうもあり 以前よりは、保護に力を入れてるようです。

知り合いで 最近 京都の有名なお寺で 近衛家や細川家と同じ寺に墓地を作り 私の先祖代々のお寺だと言ってる人がいます。
まわりの人は、お布施をたくさんしてお墓を作ったんではと言ってます。
その お墓は、先祖代々と言ってますけど その家族だけしか来ないそうで 誰が聞いてもおかしな話で わざわざ 遠方にお墓を作るという趣味でしょうと話したことでした。
無住寺の維持
「無住寺院」文化財保全に力 姫路・光久寺、住民と市教委が収蔵品調査 あす本尊、不動明王を公開 /兵庫
 10月7日毎日新聞 兵庫 播磨・姫路版
https://mainichi.jp/articles/20171007/ddl/k28/040/506000c

無住になったお寺に関して、こんな記事があったそうです。
住民の方の危機感も、やはりあるのですね。
Re: 無住寺の維持
ラングドック・ラングドシャさん、コメントありがとうございます。

地方の文化財を訪ねていくと、あちこちの寺や神社が無住になっています。寂しい限りです。

若い世代が生活できないために地元を離れて、寺の檀家や神社の氏子は年寄りばかりでどんどん少なくなってきています。
これでは、いくら歴史のある寺社であっても、宗教家としての生活が成り立たないため、寺を離れるようになってしまいます。
こんな状況では、重要な文化財を守ることはできません。さらに言えば、今のような経済政策が進めば地方の疲弊が進み、国土面積の大半が壊死してしまいます。そうなると地方の治安やインフラや文化財などを維持するためのコストを、最後は都会の人間が支払うことになるのではないでしょうか。

経済効率優先の政策は、国全体にとっては決して最適な政策ではありません。地方で普通に働いて普通に生活できるよう、ある程度バランスを考えることが必要だと思います。





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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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