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坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか~~その4

前回の記事で、龍馬を斬った人物とされる今井信郎の証言をもとに甲斐新聞の結城礼一郎記者が明治33年(1900)に「近畿評論第17号」に寄稿した記事の一部を紹介した。(下の画像は暗殺現場となった「近江屋」)

近江屋

前回記事では、今井信郎の他に京都見廻組の誰が加わり、誰からの指示で斬ったのかという部分を紹介できなかったが、「近畿評論第17号」で結城はこう書いている。

「それで11月15日の晩、今夜はぜひというので、桑名藩の渡辺吉太郎というのと、京都の與力で桂迅之助(桂早之助)というのと、他にもう一人、合計4人で出かけました。私は一番の年上で26歳、渡辺は24歳(実際は26)、桂は21(実際は28)だったと思います。」

  「渡辺ですが、松村とも言っておりました。なかなか胆の据わった男で、桂も若さに似合わぬ腕利きでありました。惜しいことに2人とも鳥羽で討ち死にしてしまいました。
(この時記者は他にもう一人というその一人は誰ですかと尋ねたところ今井氏は、それはまだ生きている人です。そして、その人が己の死ぬまでは決して己の名 前を口外してくれるな、とくれぐれも頼みましたから今も申し上げることはできませんと答え、しいて頼んだが、遂に口を開かなかった。
思うに、今なおある一 部の人の間に坂本を斬った者の中には意外な人物があるとの説が伝えられ、あるいは、その人物は今某の政府高官にあるといった風評があるのは、つまりこの辺りの事情によるものではないだろうか。
今井氏にして語らず、その人物が語らなければ、維新歴史のこの重要な事実は、遂にその幾分かを闇に葬り去ることにな り、惜しんでも惜しみきれないものである)」(引用終わり)

と、今井から出てきたのは戊辰戦争で死んだ2名の名前だけである。あと一人は、「生きている」ということしか言っていない。
しかし、結城が「坂本を斬った者の中には、…今某の政府高官にあるという風評がある」と書いている点に注目したい。事件から33年も経過したにもかかわらず、龍馬暗殺は明治政府の高官が関与していたという風評が存在したのである。

今井信郎

今井信郎は明治2年(1869)に函館戦争で新政府軍に捕らえられ、降伏人として兵部省の訊問を受け、その際に仲間とともに坂本龍馬殺害を自白したために翌年身柄を刑部省に移され取り調べを受けた。その調書によるとメンバーは7名で「佐々木唯三郎(明治元年没)を先頭に、後から直ぐに桂隼之助(明治元年鳥羽伏見の戦いで死亡)、渡辺吉太郎(同左)、高橋安次郞(同左)が2階へ上がり、土肥仲蔵(明治元年自刃)、桜井大三郎(明治元年鳥羽伏見の戦いで死亡)と私は下に控えていた二階に上がった」と書いてある。
メンバーの数が違うのが気になるが、この時も死んだ仲間の名前だけを出すことで生きている仲間を守る意図があったようにも読める。そもそも今井信郎の言っている事はどこまで信用できるのだろうか。

ところが、今井に関する「近畿評論」の記事が出てから15年後の大正4年(1915)に、元見廻組肝煎であった渡辺篤という人物が死に臨んで、弟安平と弟子飯田常太郎に、自分が坂本龍馬暗殺に関与したことを告白した。

渡辺篤

この渡辺篤という人物は、今井が口述した桑名藩の渡辺吉太郎とは別人である。

また渡辺篤は、自分の死後に『渡辺家由来緒暦代系図履暦書摘書』を公表するように、と遺言している。その記事が渡辺篤の死後に朝日新聞に掲載されたが、これは新聞記者の創作部分がかなり多いので省略する。

渡辺篤本人が書いた『渡辺家由来緒暦代系図履暦書摘書』という遺書は明治44年(1911)8月19日の日付となっており、「近畿評論」よりも11年後に書かれたということになるが、この原文は次のURLで読む事が出来る。
http://www.ryomadna.net/ryoma-ansatsu/20070907000007.php

そこで渡辺は
「…(慶応三年)11月15日、土佐藩の坂本龍馬、中岡慎太郎というものが、密かに徳川将軍を覆そうと謀り、その陰謀を四方にめぐらせていたので、見廻組頭取の佐々木只三郎の命により、自分をはじめ今井信郎と外3名の組の者(内1人は世良敏郎)と相談し、夕暮れ時に坂本の旅宿へ踏み込み、正面に座っていた龍馬を斬りつけ、 横に倒れたところを突き刺し、左右にいた両名も同時に討ち果たした。…」と書いており、現場に残されていた刀の鞘は世良敏郎のものだというのだ。

世良敏郎という人物は実在したようなのだが、渡辺は「書物は少し読むけれども武芸はあまり得意でないため、鞘を置き忘れる失態をおかした。日頃から剣術の鍛錬をしなかったこともあり、呼吸を切らし、歩くこともできない始末であった。自分は世良の腕を肩にかけ、鞘のない刀を袴の中へ縦に隠し入れて、世良を連れて引き上げた。」と書いている。

こんな人物が刺客として送り込まれたことにやや違和感があるが、実在の人物を語っている点は注目して良い。渡辺篤の言うとおり今井信郎、世良敏郎と自分の3名でやったことが正しければ、今井信郎の証言は、生きている者に影響が及ばないために戊辰戦争で死んだメンバーの名前を挙げて、渡辺篤と世良敏郎を秘匿したということになる。

こんなことを考えていろいろ調べていると、暗殺の時刻も本や史料でバラバラであることがわかった。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では事件が起きた時間を慶応3年(1867)11月15日の午後9時と書いている。これは通説に従ったのだろうが、この事件は龍馬が峰吉という書生にシャモを買いに行かせている間に起こっている。しかし、当時はほとんどの店舗が夕食時間の前に売りきって商売を終えていなければならない時代だった。常識的に考えて、冷蔵庫もなければ電気もないような時代に、いくら京都でもこんな時刻にシャモが買えるような場所があったのだろうか。

ところで今井信郎は「五ツ頃」と明治3年(1870)の「刑部省口書」で述べているが、江戸時代の刻(とき)では五ツとは午後8~9時頃を意味する。
http://www.viva-edo.com/toki.html
今井を取材して結城礼一郎が書いた明治33年(1900)の「近畿評論」の記事では「晩」とだけ書かれている。

また明治45年(1912)の谷干城の遺稿では、中岡が坂本を訪ねたのが「今夜」で、龍馬と話している最中に何者かが訪ねてきて二人を斬った。龍馬が死んだのは事件翌日の午前1~2時頃と書かれている。

渡辺篤は、先程引用した文章では龍馬の宿に踏み込んだ時刻を「夕暮れ時」と書いているが、渡辺篤の死後に渡辺の証言の記事を書いた朝日新聞では「未明」と書かれている。朝日の記者は渡辺についての記事を書きながら、何故渡辺の文書に書かれた時刻を無視したのだろうか。

ネットでいろいろ調べると、事件とは直接関係のない土佐藩士の寺村左膳という人物が坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺の件を日記に書き留めているのが見つかった。その日記に書かれている暗殺時間はやはり夕刻なのだ。
この日記には、「自分芝居見物始而也。(略)随分面白し夜五時ニ済、近喜迄帰る処留守より家来あわてたる様ニ而注進有、子細ハ坂本良馬当時変名才谷楳太郎ならびに石川清之助今夜五比両人四条河原町之下宿ニ罷在候処」暗殺されたとあり、寺村左膳は龍馬の暗殺された11月15日は昼から芝居見物をしており夕方五時頃に芝居が終わって帰ると、家来が両名の暗殺のことをあわてた様子で伝えたと記されている。
http://blog.goo.ne.jp/kagamigawa/e/d3a14b234de2ce9fe1a3f790c60d5230

となると時刻は渡辺篤の遺書に書かれているのが正しいということになるのだが、この『渡辺家由来緒暦代系図履暦書摘書』は何故かあまり重視されていない。

もし夕刻の時刻が正しいのならば、京都の中心部で人通りも多く、旅館の主人も女中も宿の中にいたはずだから、もっと多くの証言が得られてもおかしくない。
しかし、同じく近江屋にいたはずの書生の証言もなければ、近江屋の主人や女中の証言すらないことが不思議であるが。そのような者の証言は、本で探してもネットで検索しても見当たらず、存在しない可能性が高そうだ。
当初から新撰組が夜に暗殺したことにストーリーを決めて、そのストーリーに合わない証言ははじめから取る意思がなく、関係者に緘口令を敷いたことは考えられないか。

最初に紹介した「近畿評論」で結城礼次郎がいみじくも書いているように、「坂本を斬った者の中には、…今某の政府高官にあるという風評」が明治33年頃にも根強くあったのであれば、もっと以前からそのような風評があったと考えるのが自然である。

もし武力討幕派あるいは明治政府の中に龍馬暗殺に関与する者がいたとしたら、谷干城はその風評を少しでも打ち消そうと考える立場だ。
坂本龍馬・中岡慎太郎が斬られたと聞いて真っ先に近江屋に駆け付けたのが谷であったのも何かひっかかる。谷は穏健派の龍馬と違い武力討幕派で中岡と同じ考え方だ。

谷干城2

谷干城が語った中岡慎太郎から聞いたという話は、倒幕派が疑われないために、かなり谷の創作がなされてはいないか。また本当に中岡慎太郎は一部始終を語れるような状態だったのだろうか。中岡の状態が話が出来るようなものであったとしても、その話を聞いたのが武力討幕派の数人であれば、いくらでも創作が可能であったはずだ。
以上の理由から、私には谷の言っている事は、一部真実が含まれるとしても、全体的にはあまり信用できないのではないかと考えている。

龍馬暗殺についての通説について、重要な部分で引っかかるところが他にもいくつかある。
ひとつは、龍馬や中岡が知らない人物を、何故、宿の中に入れてしまったのかという点。
今井信郎の証言では松代藩士、谷干城(中岡慎太郎)の証言では十津川藩士だが、素性のわからない人物は警戒して当たり前ではないのか。中に入れるとすれば、龍馬か中岡のいずれかが知っている人物しかあり得ないのではないか。

中岡慎太郎

その点に注目して、下手人は京都見廻組ではなく土佐藩や薩摩藩が直接やったという説もある。あるいは、中岡慎太郎が京都見廻組を呼び込んで龍馬暗殺に関わっていたという説もある。後者の場合は龍馬と中岡が斬りあったことになり、目撃者を消すために藤吉も斬られたということになる。

もう一つ引っかかるところは、もし京都見廻組が京都守護職の指示により龍馬や中岡を仕留めたのならば「暗殺」ではなく「公務」であり、記録に残っていないのはおかしくないかという点である。
だから、幕府方が関与したとする説は私にはピンとこないし、明治政府が新撰組を犯人として近藤勇を処刑したこともおかしなことである。

坂本龍馬2

結局前回書いたのと結論は同じだが、龍馬暗殺の黒幕は武力討幕派の中におり、おそらく大久保利通、岩倉具視あたりが中心メンバーにいるのではないかと考えている。確たる証拠はないが、証拠がないのはどの説をとっても同じことである。

武力討幕派は後の明治政府の中心勢力となり、谷干城もそのメンバーの一人である。 また今井信郎も新聞も、権力批判に繋がることは軽々には語れなかったし、書けなかった。 だから信頼できる資料が何も残らない状況になってしまった。
そのために、坂本龍馬の暗殺については様々な説が出ており、将来決着するとも思えない。しかしよくよく考えると、誰が犯人かがわからないような状況の方が、明治政府にとっては望ましかったのではなかったか。

もうすぐ「龍馬伝」が終了する。
天下のNHKが、通説を覆すようなストーリーを書くようなことはおそらくないだろう。 今井信郎は出てくるそうだが、黒幕については様々な可能性を匂わすようなナレーションが入る程度で終わるのではないだろうか。

小説やドラマで多くの人が歴史に関心を持つことは非常に素晴らしいことなのたが、小説やドラマで描かれるたびごとに、真実と異なる歴史が拡がって定着していくようなことはないようにして頂きたいものである。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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