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条約改正が成功する寸前で大隈重信の脚を引っ張ったのは誰か

前回および前々回の記事で、わが国に英商人が阿片を持ち込んだ事件や、コレラが流行国からわが国へ直航してきた独船がわが国の検疫要請を無視し横浜入港を強行した事件や、英貨物船が座礁し船長ら白人たちは現場を離れ、日本人乗客が全員溺死した事件を紹介した。
最近の教科書にはこのような事件についてはほとんど書かれていないのだが、もしこのような事件が起こらなかったら、わが国で「条約改正」を要望する世論の沸騰はなかっただろう。そして、このような世論の高まりがなかったならば、明治政府は「条約改正」をなしえなかったのではないか。

広重 東海道53次 袋井

いきなりたとえ話で恐縮だが、凧は強い風があれば高く上がるし、凧が高く上がっていれば強い風があることが分かる。政治家と世論との関係は凧と風との関係のようものではないか。強い世論の支援があってこそ、相手国に強く主張することが出来るし、風がなければ政治家は重たい外交交渉は難しいし、逆に相手から舐められることになる。

そのことは戦後のわが国を見ればわかる。北方領土問題や尖閣諸島、竹島問題などの領土問題は長い間先送りされ続けてきたし、慰安婦問題もあいまいな対応を続けてきたことがかえって問題を大きくしてしまった。これらの問題のいくつかは、初期の段階で事実を示して反論していれば、早期に解決していた可能性が高かっただろう。しかしながら当時の政治家が正論を訴えて早期解決の手を打たなかったのは、解決の志を持つ政治家を支えるだけの世論の高まりがなかったからとしか言いようがない。
今でこそ、ネットにおける言論が大きな力になる可能性が出てきたが、それまではマスコミが主に世論を誘導してきたと思う。そして特に外交問題に関する問題については、少なくとも戦後においては、マスコミは国益のために動こうとする政治家の足を引っ張ることの方に熱心ではなかったか。

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今では多くの国民が認識するようになったが、今の大手マスコミには反日勢力や外国勢力に繋がる者が幹部に少なからずおり、報道内容は公平中立とはとても言い難い。
ネットで探すといろんな勢力がマスコミに影響を与えていると主張するサイトがいくつもあるが、上記の相関図以外にもいろんな国や組織が影響を与えていると私は考えている。

政治家が重たい外交交渉を成す場合は、余程大きな世論がバックになければ相手国に対して強く出ることができないことを述べたが、戦後の大手マスコミは、その様な外交交渉を有利に導くために必要な世論が高まらないようにコントロールし、むしろ外国の国益になることに世論を誘導することが少なくなかった。
領土問題や慰安婦問題や拉致事件などの重要問題が長い時間をかけても解決が出来なかったのは、勿論政治家にも責任があることなのだが、諸外国に対して政治家が正論で立ち向かう事を封じ続け、志のある政治家の足を引っ張り続けた大手マスコミの責任も重大ではないのか。

話を明治時代に戻そう。
わが国が明治時代に「不平等条約改正」という難しい問題を解決できたのは、この世論の高まりが重要だということが言いたいのだが、なぜこの時期に「条約改正」の気運が盛り上がっていったかを振り返ると、薩長の藩閥政治に対抗して大物が野に下って自由民権運動が盛り上がり、民権派の勢力が強くなって新聞の論調も政府に批判的となり、そこに不平等条約の問題点が浮き彫りになるような事件が相次いだ上に、欧化政策を推進してきた外務卿・井上馨の国辱的な条約改正案の内容が伝わって、政府内外からの批判が噴出するという流れであった。
わかりやすくいえば、自由民権論者が「条約改正問題」を政府批判の格好の材料にしたことが、この問題の早期解決を望む世論を高めるきっかけになったということだ。

条約改正に失敗した井上は職を辞し、次いで大隈重信に白羽の矢が立った。

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菊池寛の『大衆明治史』はこう述べている。
寺島(宗則)、井上(馨)と相次いで失敗し、薩長の政治家中、もはや条約改正の難業を担当する人物は一人もいなくなってしまったのだ。
 ここにおいて、衆目は往年の名外交家、大隈重信に集まり、大隈を除いてこの難業を成就する者はないということになったのである

 大隈は明治14年の政変で、薩長の総攻撃を受けて廟堂を逐(お)われたが、今や再び外相の印綬を帯びて、枢機に参ずることになった。明治21年2月のことである。」(『大衆明治史』p.145)

大隈に対し数度にわたり入閣を懇請したのは伊藤博文だが、当時大隈重信は立憲改進党の党首であった。そのために立憲改進党は党首不在のまま帝国議会の開設を迎えることになったのだが、では、仲間を裏切ってまでして入閣した大隈の仕事ぶりはどのようなものであったのだろう。

菊池寛は入閣した頃の大隈の活躍を、こう記している。(原文は旧字旧かな)
入閣した大隈は非常の抱負と自身の中に、条約改正に邁進した。伊藤や井上が条約改正の手段として、欧化政策を採ったため、外国からは却って軽蔑され国内からは非難されたという前例に鑑みて、大隈はその反対を往って、排外政策を採った。彼は今まで黙認されていた外人の居留地外の家屋所有や、自由旅行をピシピシ取締って、現行条約励行と称して、その反省を促したのである。
 しかも自分の手腕をあくまで信じている大隈は、談判を外国駐在の日本公使に一任せず、なるべく東京に於いて外国公使と折衝する方針をとった。しかも各国別に比較的に楽な方から片づけていくといった風である。
 そこで列国の中、最も人種的の偏見を持たないメキシコを相手にまず交渉を開始して、22年2月には新条約の批准を完了し、その成功の第1歩を踏み出したのである
。これには駐米公使、陸奥宗光の隠れたる功績があったのである。
これに勇気を得た大隈は、同月米国との間に、新条約を結び、6月には駐独公使西園寺公望はベルリンにおいて、日独条約を調印し、8月、大隈は外務省に於いて露国公使との間に日露条約を締結、その目的に向かって着々と効果を収めて行ったのである。
この間、ひとり英国だけは、頑強にその特権を固執して、反対の意思を表示してやまなかった。」(『大衆明治史』p.145-146)

当時の英国駐日公使はフレザーという人物で、日本の申し出に対して頑強に反対し続けたという。このフレザーとの駆け引きが面白い。今のわが国の政治家にこんな芸当のできる人物がいるのだろうか。

「一筋縄ではゆかぬと見た大隈は、がらりと態度を変えて、今度は強硬に出たのである。
 加藤高明の話によると、この時大隈はフレザーに対して、一種の威嚇を示し、東洋における日本の武力の侮るべからざることを説いて、次のように言ったそうである。
日本は東洋におけるイギリスである。陸には6万の常備軍がある。海には30余艘の軍艦がある。この武力を擁して東洋に雄飛する日本を敵に回すことは、イギリスにとって不利であろう。シャムを見られよ。朝鮮を見られよ。東洋に於いて屹然として独立を保っているのは日本と支那だけである。この辺を、イギリスのために篤と考慮すべきであろう
 と、高飛車に出たというが、如何にも大隈のやりそうな芸当である。当時の日本の国力としては、随分思い切ったことを言ったものだ。
 これに対して、フレザー公使は、暫く黙考していたが、
『お話の件は、頗る重大事ですから、よく熟考致しましょう』
 と答えて、去ったという。
 案外におとなしい英国の態度に、大隈は一層勇気を得て、駐英大使岡部長職を督励して、尚も強硬に我が権利を主張させたところ、英政府の意向も漸く動いてきた。
 こうして、宿望の条約改正は成功の曙光を見るに至ったかに見えたが、茲にはしなくも憲法違反問題が起こって、大隈のこの努力も水泡に帰すことになった。強烈な反対の声は、外国から出たのではなく、実に日本内部に萌していた諸々の矛盾が、表面に爆発することによって、打倒大隈の声は旋風のように巻き起こったのである。」(同上書 p.147-148)

今の政治家が大隈のような発言をすれば、今のマスコミから『軍国主義者』『右翼』などと叩かれることは確実だと思うのだが、一方的に相手国に非がある場合の外交交渉は、それぐらいの覚悟をしてこちらが本気であることを相手に示してこそ、相手がようやく動きだすのである。大隈は世論を味方に付けながらそのスタンスでいいところまで行ったのだが、あと少しというところで国内から反対の声が上がって、結局失敗に終わってしまった。では、大隈案のどこに問題があったのか。

菊地寛

菊池寛はこう解説している。
「大隈は条約改正の談判に於いて、その内容が事前に洩れることを恐れて、極秘の中に、進行していったが、その成功の直前、すなわち明治22年4月19日のロンドン・タイムスはこの新条約の内容を大要発表し、それが東京の諸新聞に記載されるに至って、事態は急激に険悪になった。
 問題となった点は、改正案の中の『大審院に外国法律家若干名を任用する』という宣言であった
 憲法第19条に『日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格に応ジ均ク文武官ニ任セラレ、及ビ其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得』と規定してあるが、これは日本人の特権を規定したものであって、外国人はこの公権を日本臣民と同様に享有することが出来ない、というのが、法理論からする有力な反対論の趣旨であった。
 領事裁判の撤廃は良いが、大審院に外国人を加えるとは何事かというのが、谷干城や三浦梧櫻などの国粋主義の人達の言い分であった。
 この他に、大隈の改進党に対して、政敵として対立する自由党の面々、また大隈に条約改正の功を奪われるのを快しとしない連中など一斉に起って、囂々と大隈非難の声を放ったのである。
 この際において、大隈を無理やりに内閣に引張りだした、伊藤や井上馨の態度こそ見物であった。
 伊藤は初めから大隈の改正案の内容を知っており、賛成もして、中途まではこれに助力を与えていたのである。ところが、天下を挙げての反対気勢を知ると、世論に敏感な伊藤は大隈に黙って、アッサリと枢密院議長の辞表を出してしまった
。これでは百難を排して新条約断行の意気に燃えていた黒田も大隈も、意気阻喪せざるを得なかった。
井上馨も…当然賛成でなければならぬが、いつの間にか大隈に対して嫉妬の念を抱くようになった。とにかく世論の沸騰するにつれ、伊藤も井上も、なるべく火の粉が飛びかからぬよう、韜晦*しだしているのである。」(同上書 p.148-150)
*韜晦(とうかい):姿を隠すこと

大日本帝国憲法

少し補足しておく。
大日本帝国憲法は伊藤博文、井上毅らが検討を重ねて枢密院の信義を明治22年(1889)1月に結了し、国民に公布されたのはその年の2月11日である。[施行は明治23年(1890)11月29日]
そして大隈がロンドン・タイムズに新条約の大要を発表したのは、憲法公布から2ヶ月を過ぎた明治22年(1889)4月19日のことであったが、憲法制定と条約改正は同時並行で行われていたものの相互に没交渉であったという。そのために憲法が制定される状況下で、憲法違反の条約改正が進むという矛盾を生じてしまった
大隈の条約案で非難の的となった大審院に外人判事を任用する点については、12年後には廃止されることになっていて、大隈にすれば、現実に居留地や治外法権という憲法に規定されていない事態が継続している以上、その問題を解決するためにはある程度憲法上の例外が生じても問題にならないという考えだったようだが、世論は大隈を非難した。その中で最後まで大隈を支持したのは首相の黒田清隆と文相の榎本武揚だけであったという。
榎本は「今日まで大隈に少なからず骨を折らせておいて、事が捗(はかど)ってから、かれこれ嘴(くちばし)を入れて破壊するが如き、真に国家を憂うる者の仕方ではない」と書き送って、大隈を激励したそうだ。榎本が批難しているのは伊藤博文や井上馨あたりだろうが、この2人は大隈が簡単に条約改正を成し遂げてしまっては都合が悪いと考えたのではないか。

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そんな矢先に大隈に事件が起こる。
その年の10月18日、閣議を終えた大隈が官邸に戻る途中で国家主義組織玄洋社の一員である来島恒喜に爆弾による襲撃を受けて右脚の切断を余儀なくされる。
Wikipediaによると、その翌日に黒田首相は明治天皇に拝謁して条約改正延期を伝え、10月21日に入院中の大隈が不在のまま閣議は条約改正中止を決定し、米・独・露3国とのあいだの調印済の条約にもその延期を申し入れ、その責任をとって内閣は総辞職したとある。
かくして大隈の努力はすべて水泡に帰し、安政時代の条約に戻ってしまったのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A1%E7%B4%84%E6%94%B9%E6%AD%A3

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首相として大隈を支えた黒田清隆は、条約改正案に反対した井上馨への鬱積から、酒に酔ったまま井上邸内に忍び込むという事件を明治22年に起こしたというが、大隈を文字通り「失脚」させた背景には、かなりドロドロしたものがありそうである。

菊池寛は条約改正を最後にこう纏めている。
「…この後、陸奥宗光、小村寿太郎などの決死の奮闘によって、条約改正のことが一応完成したのは、その後10年も経った、明治32年7月のことである。この時治外法権は撤廃され、居留地はすべて、わが地方組織の中に入った。そしてさらに明治44年に至って、最後に関税の自由権を完全に認めさせ、初めて日本の全面的な対外平等の要求が貫徹されたのであるから、ほとんど明治史の終焉に及んで、やっと日本の国際的平等権が確立したのである。」(同上書 p.154)
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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