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明治期の日本にとって朝鮮半島はいかなる存在であったか

前回の記事で、陸奥宗光外相らの努力により日清戦争の始まる直前に、英国との間に治外法権を撤廃する条約改正が成就したことを書いた。
150px-1st_Earl_of_Kimberley.png

キンバレー英外相は「この条約は、日本にとっては、清国の大兵を敗走させたよりも、はるかに大きい意義がある」と述べたのだそうだが、この言葉の意味を理解するためには当時の朝鮮半島のことを知る必要がある。

征韓論

以前このブログで「征韓論争」のことを書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-161.html

大院君

明治政府は欧米諸国が朝鮮半島に進出することを警戒し、鎖国政策を採っていた李氏朝鮮に強く開国を迫ったのだが、当時の同国の実権は国王(高宗)の父・大院君によって握られていて、その外交方針は「鎖国攘夷政策」であり、欧米の先進文化の受容に努めていたわが国も西洋と同様に「攘夷」の対象とされていたようだ。そのため、同国にわが国が使節を送っても、侮辱され威嚇されて国外に追いだされたという
しかし当時の李氏朝鮮はあまりにも弱体であった。もしこの国がこのまま鎖国を続けていては、いずれ朝鮮半島はいずれ欧米の植民地となり、そうなればわが国の独立をも脅かされることになってしまう。そう考えて、西郷隆盛や板垣退助が武力を用いてでもこの国を開国させようと政府部内で「征韓論」を唱えたとされ、明治6年(1873)に欧米視察から帰国した岩倉具視・大久保利通らは国内改革の優先を主張してこれに反対し、議論に敗れた西郷らは政府を去ったというのが通説になっている。

雲揚艦兵士朝鮮江華島之図・錦絵

しかし、西郷らを退けた大久保らを中心とする明治政府は、明治7年(1874)には台湾に出兵し、明治8年(1875)には李氏朝鮮に向かって公然と武力挑発に出た(江華島事件)うえに、不平等条約(日朝修好条規)締結を強要している。教科書などで記述されているように、大久保ら欧米視察組は「国内改革を優先」しようとしたという内容を鵜呑みにしてはならないのだと思う。

明治政府が朝鮮に対して出力挑発をし、不平等条約を締結したことについて、西郷隆盛が政府を厳しく非難している文章が残されている。
勝岡寛次氏の『抹殺された大東亜戦争』に、明治8年(1875)10月8日付けで篠原冬一郎に宛てた西郷の書簡が紹介されているので引用しておきたい。

「…全く交際これなく人事尽し難き国と同様の戦端を開き候議、誠に遺憾千万に御座候。(中略)
一向[ひたすら]彼[朝鮮]を蔑視し、発砲いたし候故(ゆえ)応報に及び候と申すものにては、是迄(これまで)の交誼上実に天理において恥ずべきの所為に御座候。(中略)
何分にも道を尽さず只弱きを慢(あなど)り強きを恐れ候 心底(しんてい)より起り候ものと察せられ申し候。」(『抹殺された大東亜戦争』p.142)
西郷は、大久保らの明治政府がやったことは、日本に開国を迫ったペリーやハリスと同じやり口であり「天理において恥ずべき所為」だと書いているのである。

西郷の考え方が変わったわけではない。もともと西郷は政府にいた時も、西郷は、武力を用いて朝鮮を開国させよとは言っていないようなのだ。
明治6年(1873)6月12日に初めて朝鮮問題が閣議に諮られた時に、板垣退助の「居留民保護の為に軍隊派遣した後に修好条約の談判にかけるべきだ」という発言に対し、西郷は真っ向から反対したという。
次のURLに閣議における西郷の発言が口語訳されているが、西郷は軍隊派遣を明確に否定し、朝鮮には礼を尽くして全権大使を派遣すべきであるとし、その全権大使に自分を任命してもらいたいと主張したのである
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syougai11.htm

西郷の考えは内容的には「征韓論」ではなく、「遣韓大使派遣論」「遣韓論」と呼ぶべきとする説があるが、その説の方が正しいのだと思う。
征韓論争で「現状は国力涵養第一。征韓など無策、無為である。」と主張して西郷らを退けておきながら、その数カ月後には台湾に出兵しさらに翌年には江華島事件で朝鮮に武力挑発勝利した岩倉や大久保を「内治派」と呼ぶことに違和感を覚えるのだが、歴史叙述というものはいつの時代もどこの国でも、為政者にとって都合の良いように叙述されるものであり、敗者や死者には理不尽なレッテルが貼られるものであると考えるしかない。

ではなぜ、当時のわが国で朝鮮半島が重要視されたのか。この点については、菊池寛の次の文章が分かりやすい。
日本列島

朝鮮半島はその地形上、日本列島に対して短刀を擬したような恰好をしている。もし、この地が支那やロシアに占領されたとしたら、その時の日本はどうであろう。脇腹に匕首(あいくち)を当てられたようなもので、たえずその生存を脅威されるであろう。
 朝鮮問題が明治史のほとんど全部を通じて、終始重大問題を孕んだのは、実にこの日本国家の生存という根本に触れたためであって、日清戦争も日露戦争も、全く朝鮮問題を中心として惹起されたのである
。」(『大衆明治史』p.155)

この地政学上の問題は、秀吉の時代も同じことが言えるし、現在のわが国の安全保障についても絡んでくる話であるのだが、この時期の李氏朝鮮は弱体でかつ王朝内部に開国派と攘夷派との対立が深く、ある時は清に靡き、ある時は南下するロシアに屈服するといった状態であったのだ。

もっとも李氏朝鮮に自国を守れるだけの国力があれば明治政府はそれほど深刻に考えなかったのだろうが、当時のこの国はあまりに弱体で、もし清国やロシアが攻め入ったら、簡単に滅ぼされていたことは確実だ。
次のURLに当時の李氏朝鮮の写真が紹介されているが、このいくつかを見ればこの国がいかに貧しかったかが瞬時に理解できる。
http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/cyousenrekishi.html

ソウル

イギリスの旅行家・イザベラ・バードが1894年から1897年にかけて4度にわたり朝鮮を旅行し、首都ソウルについてこのように記している。
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民はおもに迷路のような横町の『地べた』で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。悪臭ぷんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。…」(『朝鮮紀行』講談社学術文庫p.59)

1888年ソウル南大門大通り

明治政府がそんな李氏朝鮮と締結した日朝修好通商条規の第一款には「朝鮮は自主の国であり、日本と平等の権利を有する国家と認める」とあるのだが、その後もこの国は独立国だという気力も実力もなく、清国は相変わらずその宗主権を主張して隷属国視していたのである

閔妃

李氏朝鮮では1873年に大院君が失脚し、以降、国王(高宗)と皇后(閔妃[びんぴ])が国王親政の名のもとに一族とともに政治の実権を握っていた。後に初代内閣総理大臣となった金弘集(きんこうしゅう)は、明治13年(1880)に修信使として来日して開国の必要性を認識し、国王に日朝支が連携すべきであると進言してそれが閔妃一派に採用され、朝鮮もようやく積極的開国に転じるようになる。翌年には日本から軍事顧問を招き、新式の陸軍を編成するとともに、日本に大規模な使節団を派遣している。金玉均(きんぎょくきん) はその使節団のメンバーであったのだそうだ。
ところが1882年(明治15)7月23日に大院君によるクーデターが勃発し、日本公使館は焼き討ちされ、日本人軍事顧問や公使館員が多数殺害されている。(壬午[じんご]事変)
清国は、閔妃の頼みを受けて乱を鎮圧し、大院君を拉致・監禁することでクーデターは失敗に終わったのだが、以後朝鮮には清国に阿(おもね)る「事大党」が跋扈するようになり、清国はこの事件をきっかけに対朝鮮干渉を強化した
ソウルに3000名の清国軍を駐留させたまま袁世凱に指揮を執らせ、ソウルを軍事制圧下に置き、不平等条約を締結し、条文には朝鮮が清国の属国である事が明記されていたという。そのために、わが国が江華島事件の後で締結した日朝修好条規の効果が吹き飛んでしまうのだ。

呉善花さんの『韓国併合への道』を読むと、この清国の駐留軍がソウルで随分乱暴狼藉を働いたことが書かれている。
駐留清国軍は、ソウル各所で略奪、暴行を働き、多くのソウル市民がその被害にあうことになってしまったのである。清国の軍兵たちが集団で富豪の家を襲い、女性を凌辱し、酒肴の相手をさせ、あげくのはては金銭財貨を奪うなどの乱暴狼藉が日常のごとく行なわれたのである。…
中国には伝統的に、軍隊は略奪を一種の戦利行為として許されるという習慣があったから、将官はそうした兵士の乱暴狼藉は見て見ないふりをするのが常だった。…
清国兵士たちの暴状は際限なくエスカレートしていくばかりであった。さすがの清国軍総司令官の呉長慶もそれを放っておくことができなくなり、ついに特別風紀隊を編成して自国軍兵士たちの取締りを行なったほどである。」(『韓国併合への道』p.69-70)

これに対する反動で、1884年(明治17)に甲申事変(こうしんじへん)が起き、再び多数の日本人が犠牲になっている。菊池寛の文章を引用する。

「今度の変は、日本政府の援助を過信した、朝鮮開化党の軽挙に原因しそれに乗じた、支那の駐屯兵と朝鮮軍隊の暴動によって、日本人男女四十余人の惨殺という犠牲を出したのである。
 時の公使、竹添進一郎は直ちに居留民を公使館に集めて、悲壮な演説をして、避難を決行することになった。
 村上中隊長の率いる百四十余名の守備隊と四十余名の警官隊、それが公使館員、家族、居留民百三十名を中央に挟み、三百名の総員が死を決して、城内から脱出しようというのである

…城内光化門にさしかかると、朝鮮兵営から、大砲を二発打って来た。幸い目標は外れ、これに対して日本軍の前衛は一斉射撃を以て応じて、これを沈黙させた。
西大門に達すると、門は堅く閉ざされ、鉄索でごていねいにも封じられてある。
竹添公使はかねてこのことを予想して、大工に斧を持たせてあったので、これを以て打ち破って城外に出で、麻浦から八艘の船に分乗して、川に張った薄氷を砕きながら、仁川に向かって避難して行ったのである。
振り返って京城(ソウル)の空を見ると、黒煙濛々と上り、爆音しきりに起って、凄愴極まりない。これは一行が立退いた後、暴徒が日本公使館に火を放ったのである。
この公使館は、十五万円を投じて前月やっと落成したばかりのもので、京城における最初の洋風2階建ての建築だったのである。」(『大衆明治史』p.160-161)

金玉均

少し補足すると、2年前の壬午事変以降、閔氏一族は親日派政策から清への事大政策へと方向転換していたのだが、それでは朝鮮の近代化は難しいと考えた金玉均らがクーデターを計画して、守旧派の一掃を企てたのがこの甲申事変である。

日本兵は150名だけで1300名の清軍と戦わざるを得なくなったため、形勢は次第に不利となり、竹添公使は撤退の意志を固めて、金玉均らとともに脱出を図った。菊池寛の文章は、その脱出の場面である。
日本公使館は2年前の壬午事変で焼かれて、建て替えたばかりであったのにまた焼かれてしまったのだ。

Wikipedia「甲申政変」に、この時日本公使館に逃げ込まなかった日本人居留民は、特に婦女子30余名は清兵に凌辱され虐殺されたと書かれている。初めて知ったことなので、近代デジタルライブラリーで調べると、たとえば明治43年(1910) に菊池謙譲氏が著した『大院君伝 : 朝鮮最近外交史 附王妃の一生』(日韓書房)のp.132-133にこのような記録がある。(コマ番号91/207)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994464

「…日本居留民の一官舎に逃げ込みし四十余名は或は銃殺せられ石打せられ竹槍にて惨殺せられ、婦人は悉く強姦せられて尚…より竹貫して殺されたるあり、…を斬剥して殺されたるあり、二三の小児と一婦人を除くの外三十九名は清兵の汚辱の為に殺さる。」

このような猟奇的な虐殺の手口は、この事件の53年後に冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)によって日本人居留民の223名が惨殺された通州事件と酷似している。
このような史実を知らずして、なぜ日清戦争が起こったかを真に理解することは難しいと思うのだが、このような史実が日本人にあまり知らされないのは何故なのかを良く考えておく必要がある。

伊藤博文

年が明けた明治18年(1885)、わが国は伊藤博文を全権大使に任じて清国の全権大使・李鴻章と天津で談判し、4月に調印された天津条約では
・日清両国とも4か月以内に朝鮮より撤兵すること
・日清両国とも、朝鮮軍を指導するために軍事顧問は派遣しないこと
・将来朝鮮に重大変乱があり、日清両国において派兵の必要ある時は、まず互いに報告し合うこと
を取り決めている。

この2つの壬午事変甲申事変が起こってから、高宗も閔妃も日清両国の干渉に耐えられなくなり、次第にロシアに近づくようになっていった。
それを察知した李鴻章は、清国に軟禁していた大院君を、朝鮮に国賓待遇をもって帰国させている。そのことがまた新たな火種となっていくのである。

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Comment
No title
ほんとうに知らないことばかりで恥ずかしい思いです。西郷隆盛像と征韓論という言葉の齟齬には違和感を感じていました。
Re: No title
このあたりの教科書の歴史は、事実の羅列だけで面白くもなんともなく、私もただ教科書の記述どおりを鵜呑みしていただけでこういうことは知りませんでした。
日本人に知らされていないことを知らないことは恥でもなんでもありません。多くの人が知らされていない歴史に触れることが、これからますます重要になるのだと思います。

明治政府は壬午事変の日本人居留者を靖国神社に合祀しましたが、西南戦争で犠牲になった西郷は靖国に合祀されませんでした。国家に反逆した人物として扱われ、歴史叙述においてもそのような扱いを受けていると思います。
当時のロシアという国…
しばやんさんへ

歴史にIFはないのでしょうが、多分…やがて朝鮮半島はロシアの領土または支配下になっていたでしょうね!?

日本の幕末の開国はアメリカのペリーが注目されますが…それ以前からもっと脅威だったのは実はロシアの方ですね。

朝鮮半島がロシアの領土・支配下に置かれると、日本と直接(対馬海峡がありますが…)対峙することになる。ロシアという国柄からして日本国家・独立の危機です。

いい意味でも、悪い意味でも、朝鮮半島は日本にとってロシアとの「緩衝地帯」になってもらわないと日本の独立が危ない可能性が…どれ程かは分かりませんがあったはずです。政府首脳だけでなく、ちょっとした「知識階級」なら、簡単に分かることです。

それから、西郷隆盛の「征韓論」VS[「遣韓論」については、どの教科書等も「征韓論」と記載されています。(多分) 鹿児島生まれの鹿児島育ちの私としては…貴ブログのとおりだと思います。

西郷さんが最後になって、韓国への使節(大使)就任が“流れそう”になったとき、「私(西郷)がかの国で殺されたとき、(軍事行動?)をすればよい…」と言ったかどうかという資料があるようですが、…この辺りは、(「士族の救済」ということもあり)よく分かりません。
確かに、大久保らは「征韓論」をつぶしておきながら、その後、矛盾することをやっていますね。(結果的に…)

折も折、現在ロシアがウクライナのクリミア半島の件で、“剛腕”を発揮しています。話は現在に飛びますが、このことが戦闘・戦争等にならないことを願っています。人類の知恵が進んでいるとは思いますが…。


Re: 当時のロシアという国…
アメリカは南北戦争が起こったためにしばらく海外侵略行為をしていない時期がありましたが、1898年のハワイ併合あたりから再び動き出しています。我が国にとっては、ロシアの南下政策が大問題であったはずです。

征韓論については、れんだいこさんが詳しく調べています。
大久保が10.14-15日の閣議でこのような発言をしたようです。

「西郷が朝鮮に行けば、戦争になるかもしれない、今の政府の状態では外国と戦争をする力がないので、朝鮮使節派遣は延期するのが良い。世界の情勢を考えれば、何よりもまず内治 を整えて国力の充実をはかり、然る後に外征に及ぶのが順序であります。これは三歳の童子にも明らかな道理であります。新政府の基礎はまだ固まらず、地租改正や徴兵令を めぐる一揆が頻発している。財政も貿易も赤字で、戦争となれば国内産業は衰え、艦船や武器弾薬の輸入は増えて、国家財政は破綻する。英国には5百万両もの外債があるが、これが返済できなくなると、インドの二の舞になって独立を失いかねない」
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/meijiishico/saigoco/seikanronronsoco.htm

しかし、西郷自身は戦争にするためではなく、戦争しないために遣韓大使にせよと言っているのです。

クリミアの問題は、テキサスやハワイやフィリピンなどで同様のことを過去アメリカがやってきたことですし、国際法をアメリカは何度も違反してきています。アメリカが強く主張すればするほど、ロシアはアメリカの歴史を追及していずれアメリカは何も言えなくなるような気がします。国連ではロシアは拒否権を発動するので決まりません。我が国が平和のために何らかの役割を果たす好機だと思うのですが、安倍首相はどう動くのでしょうか。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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