HOME   »  地方の歴史と文化を訪ねて   »  三重県  »  伊勢神宮内宮の別宮・月讀宮、神宮徴古館、金剛證寺などを訪ねて

伊勢神宮内宮の別宮・月讀宮、神宮徴古館、金剛證寺などを訪ねて

前回は伊勢神宮の式年遷宮を復活させた慶光院という尼寺のこと中心に書いたが、今回は伊勢旅行の続きを書くことにする。

慶光院からおはらい町通りを歩いて猿田彦神社の近くの駐車場に戻り、次の目的地である月讀宮(つきよみのみや)に向かう。

月讀宮は伊勢神宮内宮の別宮で祭神は「月讀尊(つきよみのみこと)」で、外宮別宮の月夜見宮の祭神「月夜見尊」は本別宮と同じ神だとされている。
宮域には同じく内宮別宮の、月讀尊の魂を祭神とする月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祭神とする伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祭神とする伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の3社がある。

月読宮

4つの神明造の社殿が真横に並ぶ景色は実に壮観で、内宮に来られた方には立ち寄られることをお勧めしたい。
観光客は僅かだったので、古代にタイムスリップしたような写真が撮れた。

この4つの社殿は今年の10月に遷御の儀が行われる予定になっており、その頃になれば真新しい社殿を目当てに多くの観光客が訪れるのだろうが、こういう古めかしい社殿も味わいがあって良い。
それぞれの参拝を済ませて、次の目的地である神宮徴古館、神宮農業館に向かう。

220px-Katayama-Tokuma.jpg

神宮徴古館の建物は赤坂離宮(現在の迎賓館)を手掛けた片山東熊(とうくま)が設計し、明治42年(1909)に完成したルネッサンス式の洋風建築で、日本最初の私立博物館として開館したのだが、昭和20年(1945)の米軍の空襲により建物と収蔵品の大部分を焼失してしまったそうだ。今の建物は、昭和28年(1953)の復旧工事の際に、外壁をそのままにして2階建てに改築されたものなのだが、明治期の建築物の特徴が復元されていて、平成10年に国の登録有形文化財となっている。

神宮徴古館2

中に入ると、遷宮の行事に実際に使われた装束や道具類、内宮正宮の精密な模型や文書類などが多数展示されていて結構見ごたえがあった。

神宮農業館

神宮農業館も片山東熊の設計による和洋折衷の木造建築で、伊勢神宮と農業に係る資料や、昭和天皇、香淳皇后の下賜品などが展示されている。
この建物も、平成10年に国の登録有形文化財となっていて、たまたま桜が満開で、こういうレトロな建物をバックに桜が撮れてラッキーだった。

神宮美術館

すぐ近くに平成5年に開館した神宮美術館もあるので、ついでに立ち寄った。
文化勲章受章者・文化功労者・日本芸術院会員といった当代を代表する作家が、式年遷宮を奉賛して伊勢神宮奉納した作品を収蔵展示している。神宮だけあって日本画の秀作が多く、結構楽しむことができた。

宿は答志島で予約していたので船に乗り遅れないように早めに切り上げて鳥羽港に進む。
佐田浜第一駐車場に車を停めて、桃取行の船に乗った。

10年ほど前に伊勢を旅行した時は伊勢市内のホテルに泊まり、夕食はアワビのステーキがメインディッシュでなんだか物足りなかった。
今回は、せっかく伊勢にいくのだからアワビだけではなく伊勢エビも食べたいと思って、ネットで宿泊場所を探して、価格もリーゾナブルな松家という宿を予約していたのだが正解だった。

海賊焼き

夕食は伊勢エビの刺身とアワビの刺身とタイの生け造りと、伊勢エビ、アワビ、サザエ、大あさり、クルマエビの海賊焼きと、メバルの煮つけ、たこのしゃぶしゃぶなど、桃取港で水揚げされたばかりの新鮮な魚介類が調理されて次から次へと出てくる。海賊焼きでは伊勢エビやアワビが生きているので網の上で動き回る。
新鮮な魚介類は食べればすぐにその違いがわかる。臭みが全くないので、醤油などをかけなくとも素材の味そのままでおいしく戴ける。

漁師町のなかにある古い一軒宿で、旅館と言っても民宿並みの施設で、近くに店らしい店もなく、食事の後は風呂に入って寝るだけなのだが、都会では味わえないような新鮮な魚介類を腹いっぱい食べることができて大満足だった。

翌朝、8時半の船に乗って鳥羽港に戻り、伊勢志摩スカイラインを走って金剛證寺(こんごうしょうじ)を目指す。
伊勢志摩スカイラインは大した距離でもないのだが通行料が1250円もする。ETC割引はなく、入口で通行料を支払うことになるが、次のURLに2割引きの割引券があるので、旅行される前には用意されると良い。
http://www.iseshimaskyline.com/waribiki.pdf

伊勢志摩スカイライン展望台

朝熊山の展望台からは宿泊した答志島が良く見えた。画像の中央にある比較的大きな島が答志島で、その右奥に小さく霞んで見える三角形の島が、三島由紀夫の『潮騒』の舞台となった神島である。その向こうには渥美半島が見え、天気の良い時には富士山も見えることがあるのだそうだ。

金剛證寺仁王門

この展望台のすぐ近くに金剛證寺の駐車場がある。すぐに仁王門がある。
この寺は6世紀半ばに欽明天皇が僧・暁台に命じて明星堂を建てたのが初めとされているが、定かではない。天長2年(825)に弘法大師が真言密教の道場として当寺を中興したとも言われているが、以降衰微して、応永年間(1394~1427)に仏地禅師が臨済宗建長寺派の寺院として再興し、17世紀の初めには臨済宗南禅寺派に変わったのだそうだ。

この寺が伊勢神宮の丑寅(北東)に位置することから、室町時代には「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として信仰を集め、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、伊勢志摩最大の寺となったという。

金剛證寺本堂

堂宇のいくつかが文化元年(1804)に焼失してしまったが、本堂は焼けずに残ったようだ。
この本堂は慶長14年(1609)に姫路藩主・池田輝政が寄進し、元禄14年(1701)に5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院が修理したとされ、現在国の重要文化財に指定されている。ちなみに伊勢市の江戸時代以前の建物で国指定重要文化財は旧慶光院客殿と、金剛證寺の本堂の2つだけだ。

朝熊金剛證寺 

『伊勢参宮名所図会』に文化元年の火災で一部の堂宇が焼失する前の金剛證寺の境内が描かれている。随分多くの参拝客が描かれており、境内の中に神々を祀る社がいくつかあったことが確認できる。

時間の都合で行かなかったが、金剛證寺の境内から15分ほど歩くと朝熊山経塚群(国史跡)という埋経(まいきょう)遣跡があるという。
埋経というのは、後世に伝えるために経文などを経筒に入れて地中に埋めることをいうのだが、この朝熊山経塚群から平安時代末期の平治元年(1159)や承安3年(1173)の銘のある経筒が発見されて現在国宝に指定され、金剛證寺の宝物館にあるのだそうだ。
その経筒の銘には伊勢神宮の神官であった荒木田家、度会家の名前が書かれていて、この時代は末法思想の広まりにより、神官も埋経を行なっていたことがわかり、興味深い。昔は伊勢神宮も神仏習合で、今とは随分異なる世界であったようだ。
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/bunkazai/da/daItemDetail?mngnum=730443&pageCur=5

前回の記事で明治初期の伊勢の廃仏毀釈のことを書いたが、この時に廃仏毀釈の対象となったのは宮川と五十鈴川に挟まれた地域にある寺院で、五十鈴川よりも東にある金剛證寺は対象にはなっていなかったと思われるのだが、度会府の橋本實梁(さねやな)知事は、この寺にも圧力をかけた記録がある。
前回紹介した羽根田文明氏の『仏教遭難史論』にこんな記述がある。
「古来、当地方の習俗に、死亡者の頭髪を、朝熊山の金剛證寺に納めたが、府知事は、なおこれをも禁止し、もし犯す者は、罰科に処する旨を布令した。かくのごとく、府知事は、様々な方法を以て、仏教に迫害を加え、様々な手段を施して、僧徒を困苦せしめた…」(p.148-149)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983346/86

金剛證寺奥の院

その習俗が今も続いているかどうかは分からないが、この寺は他の寺とは異なる風景を見ることが出来る。
ここは金剛證寺の奥の院だが、随分多くの人々が集まっているので何があるのかと観察していると、僧侶に塔婆を書いて頂く順番を待っておられるようであった。
Wikipediaによると、朝熊山付近では江戸期以降、宗派を問わず葬儀ののちに朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立て供養する「岳参り」「岳詣(たけもうで)」などと呼ばれる風習があるそうで、この奥の院に繋がる参道には巨大な塔婆が林立していた。

130209asama-4.jpg

普通の寺の塔婆は大きくても高さが2.0mまでで、厚さは1cmくらいだと思うのだが、この寺の塔婆は全てが柱のような角塔婆で、大きいものは高さ8mもあって、参道に巨大塔婆が建ち並んでいる光景は一見の価値がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E8%AD%89%E5%AF%BA

金剛證寺の観光を終えて、次に天長2年(875)に弘法大師が金剛證寺の奥の院として建立したと伝えられる庫蔵寺(こぞうじ)に向かう。
伊勢志摩スカイラインを出て地道を走るのだが、道路わきに桜が植えられていて綺麗な所が何箇所かある。鳥羽レストパークまでは問題なく走れるが、それから後はかなり細い山道になるので、車を降りて1キロばかり歩いて目的地に着いた。

庫蔵寺本堂

この寺は九鬼嘉隆が鳥羽城築城の地鎮と安全を命じたとされ、代々鳥羽藩の祈願所であったようだ。
本堂は永禄4年(1561)に建立と古く、国の重要文化財に指定されている。
本堂の裏の小高いところには鎮守堂があるが、この建物も慶長11年(1606)年建立と古い建物で、国の重要文化財だ。鎮守堂は文化財が傷まないように覆屋で覆われていた。
ついでに言うと、鳥羽市における国の重要文化財は、この庫蔵寺の本堂と鎮守堂の2件だけである。

庫蔵寺コツブガヤ

境内には国の天然記念物に指定されている樹高約25m、周囲4.15mのコツブガヤの大木がある。樹齢は約400年で、普通のカヤよりも種子が小粒なのだそうだ。全国でコツブガヤの成育が確記されているのは、宮城県白石市小原にある1本とこの木だけなのだそうである。
また庫蔵寺の周囲にはイスノキ樹叢があり、この樹叢は三重県の天然記念物に指定されているという。

観光客は他には誰も来ていなかったが、周囲に人家のない寂しい山寺で、住職や地域の人々は文化財を護ることに今までも大変な努力をされて来ただろうし、またこれからもご苦労が多いことだと思う。

地域の人口が減り高齢化が進んでは、地域の信仰の場を支える人々から得られる収入は先細りとならざるを得ず、いくら価値のある文化財であったとしても、これから先、その価値を維持していくことは容易ではないだろう。

地域の文化財や伝統文化は、その地域の人々の信仰と経済の豊かさによって代々支えられてきたのだが、景気対策としての様々な規制緩和施策によって、その地域の生産・流通に携わる人々が安価な海外製品や安価な原料を用いた代替品との競合を余儀なくされ、地元企業の多くは廃業し、そのために地域で働く場所の多くを失なって、若い世代が故郷を捨てて都会に定住したまま戻ってこない。この流れを放置したままで、素晴らしい地方の文化財や価値ある伝統文化をどうやって後世に残すことができるのだろうか。

前回の記事で、明治初年に度会(わたらい)府に橋本實梁知事が着任してすぐに伊勢神宮の御膝元の地で仏葬を禁止し、寺院が経済的に成り立たなくなるようにしてから、徹底的な廃仏毀釈を決行したことを書いた。
橋本知事のようにストレートに寺院の収入を減らすような施策ではないが、景気浮揚の目的でなされてきた施策の多くは、地方の文化財や伝統文化を支えてきた人々の経済基盤を徐々に破壊し、そのために若い世代が故郷を離れ、結果として寺院や神社の収入が先細りになっていった。
結果として、橋本知事が廃仏毀釈決行の前に寺院の収入を奪ったことと同様のことが、全国的に地域経済の収入源が失われていくことで、現在進行しているというのは言い過ぎだろうか。

長い年月をかけて地域の人々により守られ育まれてきた多くの素晴らしい文化財や伝統文化を、未来を生きる世代のために残すことは、現在を生きる者の務めではないのだろうか。

私ができることは、田舎に行っては時々社寺を巡ったり、地元の店舗で食事や買い物をしたり、産直があれば野菜を買い込んだり、ネットで田舎の生産者から旬の農産物や加工品を直接買うことぐらいだが、このような買い方をすると、スーパーなどで買う商品よりもはるかに新鮮で旨いものが安く手に入ることを多くの人に知ってほしいと思う。
生産者の話を聞くと、大手流通に商品を流すのと、直接消費者に販売するのとは収入のレベルが全然違うのだそうだ。大手流通が利幅を取り過ぎているということが、地方の衰退を招いた要因の一つなのだろう。

都会の消費者が、少しでも多くの食料品や加工品などを田舎の生産者や地元販売業者から直接買うようになれば、田舎の生産者がもっと元気になれる可能性を感じているのだが、そうすることで、地方の文化財や伝統文化や豊かな自然を、未来に生きる世代のために残すことに繋がってほしいものである。

**************************************************************
ブログパーツ

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
    ↓ ↓         

  

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ






関連記事
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
FC2カウンター
最近の記事プルダウン
全記事表示リンク
ブログ内検索
『しばやんの日々』のブログ内の記事をキーワードで検索できます。検索された全てのブログ記事と、記事の最初の文章が表示されます。
プロフィール

しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

***********************
Facebook、twitterなどで記事を拡散していただいたり、リンクしていただくことは大歓迎ですが、このブログ記事のURLとブログ名は明記していただくようよろしくお願い致します。

コメント、トラックバック共に歓迎しますが、記事内容とあまり関係ない内容を論拠を示さないまま一方的に自説を唱えたり、どこかの掲示板などの文章をまるまる引用しているだけのコメントは削除させていただくことがあります。

匿名のコメントや質問にはできるかぎり対応させていただきますが、回答する場合はこのブログのコメント欄でさせていただきます。

また、お叱りや反論もお受けしますが、論拠を示さないで一方的に批難するだけのものや、汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメントなど、不適切と思われるものぱ管理人の権限で削除させて頂く場合がありますので、予めご了承ください。
***********************

リンク
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
新しいカテゴリに移すなど、カテゴリを時々見直すことがありますので、記事をリンクされる方は、個別記事のURL(末尾が"/blog-entry-***.html")をご利用ください。
年別アーカイブ一覧
RSS登録er
タグクラウド

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
日本語→英語自動翻訳【星条旗】
このページを英訳したい人は この下のEnglishの部分をクリックすれば ある程度の英語の文章になるようです。
ブログランキング
下の応援ボタンをクリックして頂くと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

おきてがみ blogram
ブログランキングならblogram
文字を大きく・小さく
    月間人気記事ランキング
    個別記事への直接アクセス数の今月1日からの合計値です。毎月末にリセットされます。このブログのアクセスのうち6割以上は検索サイト経由、約2割は何らかのリンクを辿って、過去の記事のURLに直接アクセス頂いています。
    51位以降のランキングは、リンク集の「『しばやんの日々』今月の人気ページランキング (全)」をクリックしてください。
    人気ブログランキング 日本史
    「人気ブログランキング」に参加しているブログの1週間の応援ボタンのクリック件数を集計し、日本史部門でランキングを表示したもの。
    ブログ村ランキング 日本史
    にほんブログ村に参加しているブログの、1週間の応援ボタンのクリック件数を集計し、日本史部門でランキングを表示したもの。
    PINGOO! メモリーボード
    「しばやんの日々」記事を新しい順にタイル状に表示させ、目次のように一覧表示させるページです。各記事の出だしの文章・約80文字が読めます。 表示された記事をクリックすると直接対象のページにアクセスできます。
    ツイッタータイムラン
    逆アクセスランキング
    24時間の逆アクセスランキングです。表題の「アクセス解析研究所」をクリックすると、詳細な解析結果が分かります。
    ブロとも申請フォーム
    おすすめ商品
    旅館・ホテル