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薩英戦争で英国の砲艦外交は薩摩藩には通用しなかった

前回は生麦事件における江戸幕府の対応を書いたが、今回は薩摩藩の対応を書くことにする。

イギリスは江戸幕府から、得意の砲艦外交により10万ポンドの賠償金の獲得に成功し、次いで鹿児島の錦江湾に7艘の大艦隊を回航せしめ、薩摩藩からも2万5千ポンドの賠償金を獲ろうと企てたのだが、薩摩藩は一歩も引かなかったのである。

国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で、薩英戦争に関する記述がありそうな本を探す。「薩英戦争」で検索すると、ネットで閲覧可能な26冊の古書がヒットする。
昭和16年に出版された『維新史第3巻』(維新史料編纂事務局)を読むと、薩摩藩がこの日の来ることを想定して、周到な準備をしていたことがわかる。次のURLにその該当部分がある。(原文は旧字旧かな。以下同じ)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1242358/265

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「…生麦事件勃発以後は、早晩英国艦隊の鹿児島来襲を予想し、外夷屠(ほふ)らずんば已まずという意気を以て、愈々(いよいよ)武備を厳重にした。或は砲台を増築し、備砲を強化し、或は遠見番所、狼火(のろし)台を各地に設け、弾薬の製造を盛んにし、兵糧の貯蔵に力めた。英艦来襲を想定した模擬戦もまたしばしば行われ、藩主茂久はみずからこれを瞥し、一藩を挙げて日夜英艦撃攘の訓練を怠らなかった。されば6月27日、英国の大艦隊が鹿児島に迫るや、予(かね)てその事あるを期待していた事なれば、沿岸の狼火台は直ちに合図の狼火を打ち揚げ、警報は八方に伝えられて、各砲台守衛の士はもとより、城下の士卒はそれぞれ迅速に部署に就いた。」

薩英戦争の砲弾

薩摩藩の砲台は先代の島津斉彬の時代より錦江湾沿岸の要所に設置されたものだが、薩摩藩の大砲は砲弾が円くて、細長いイギリス艦隊のアームストロング砲と比べると射程距離が短く、破壊力も劣っていた。

徳富蘇峰の『近世日本国民史〔第50〕』に薩摩藩の砲台をみた英国側の記録が引用されている。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1228685/121

「鹿児島付近の西岸、ならびに島嶼には砲台を構え、その砲台の多数は市街の前面に連接し、専ら市街防御を為し、守備頗る厳重だ。市街付近の高所には、陣地を卜(ぼく)し、柵を繞(めぐ)らし、薩藩の旗章を翻し、その周囲には、多数の兵士立ち並び、扇子を扇ぎて、艦隊の進航に注目するの挙動を察するに、必定一発の相図(あいず)あらば、一斉に砲火を開くもののごとし。」

薩摩藩主島津忠義は、軍役奉行折田平八らを旗艦に遣わし、その来意を問わしめている。
英国は折田らに国書を手交した。
かなり長文だが、その要求している内容は、生麦事件の犯人を捕らえて、英国将校12名の目前で死刑に処することと、2万5千ポンドの支払うことの2点であるが、「之を拒まば、その他軍艦の到着を待ちて、直ちに戦端を開くべし。」といった脅しの文句がいくつも書かれている。徳富蘇峰の前掲書に、英国の国書の全文が紹介されている。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1228685/124

まず薩摩藩は、書面の往復は談判に不便であるとし代表者の上陸を求めたのだが、『近世日本国民史〔第50〕』の続きを読めば、次々と繰り出す薩摩藩の奇策に、多くの日本人は驚くことだと思う。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1118156/138

「『(ニール代理公使等が)上陸せば、城内の釣橋を引き揚げて彼等を捕虜となす可き設計は準備せられた。此れは確定せられた内議であった。若し此の奸計成功し、而して英艦より発砲するが如きことあらば、此の俘虜を斬首すべき旨を、艦隊に通告し、而して霧島の堅固なる牢屋に幽閉せられたであろう。』
と7月13日横浜発行の英字新聞に公表せられた。それは余りにも穿ちすぎたる想像説ではあるが、その実薩摩でも、若し代理公使、水師提督等が、藩の請求に応ぜざるに於いては、彼等を御春屋内に幽閉し、同所を焼き討ちする計画であったと言う。[男爵本田親雄談話]」

英国は薩摩の謀計を危惧してこの誘いには乗らなかったのだが、次に薩摩藩は決死隊を募り、1艘は返書を持参し、他は西瓜などを積んで売り込むように見せかけて艦隊にうまく乗り込み、合図とともに斬りこみをかけ、7艘の軍艦を奪い取ろうとしている
このことは、『維新史第3巻』や『近世日本国民史〔第50〕』にも書かれているが、その時に錦江湾の英軍艦に乗っていた通訳士のアーネスト・サトウの著書にも同様の記録を残している。これは、薩摩の使者に英国の要求書を手交した翌日の午後の出来事である。

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「…別の役人が数名旗艦へやってきて、回答の期限については何とも言明はできぬと言った。その際ニール大佐を訪れた重役の名前は伊地知正治といった。…この男とこれに従う40名の者が、イギリスの士官を急襲して重だった者を殺害せんものと、充分な計画の下に主君と別盃を酌みかわして来たのである。彼らは、こうした方法で、旗艦を奪取しようとしたのだ。それは大胆至極な考えではあったが、当方で前もって警戒していなかったら、あるいは成功したかもしれない。それらの者は2、3名しか提督の室に入ることを許されず、一方水兵たちは、後甲板に居残った者たちを警戒の目で中止していた。
 これらの日本人がまだ艦上にいる間に別の船が到着したが、それは援兵を乗せてきたものか、計画的殺戮の取消し命令を持ってきたものか、私には判断できなかった。」(岩波文庫『一外交官の見た明治維新(上)』p.105)

『近世日本国民史〔第50〕』によると、40名は船に上がることが出来たものの、銃剣を構えた英海兵隊が整列して監視していたために、何もできなかったようだ。

またWikipediaによると、薩摩藩は桜島と沖小島の間に地上管制式の水雷3発を敷設したとの記録も残っているという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E9%9B%B7%E6%88%A6

翌日薩摩藩はその回答書を届けている。その回答書は、かなり長文で挑戦的なものである。
内容については、犯人は捜しているが未だに捕まっていないことを記したうえで、生麦事件については薩摩には罪はない。このような国法があることを織り込まないまま条約を締結した幕府にこそ問題があると述べて、巧みに英国の要求を拒絶している。英国の砲艦外交は薩摩藩には全く通用しなかったのである
薩摩藩の回答書の原文は『近世日本国民史〔第50〕』に出ているが、英国をまるで相手にしていないような文章である。次のURLに回答書の原文とその解説があるが、回答の一部を紹介しておこう。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1118156/142

「…数年来頻りに探索すれども未だ捕獲せず。かつ人数も一人にあらずして、種々遁避の術を盡(つく)すと見えたり。固より江戸と京都を親睦のために往来する者にて、私意毛頭なければ、主人より命じたるにあらざるは疑いなかるべし。…」
「(貴国においても)我が国法の如く数多の従者を従えて往来する時は、兼て制禁あるにも拘(かかわ)らず、是を犯さば、衝き倒すか、または打ち殺すかせざれば其の国主の往来も成り難かるべし。…諸候を指揮せる江戸の政府にて、従来重き国法のことを条約に載せずして、猥りに諸候の過とするは、政府の不行届なるべし。」

薩摩藩はもちろん英人を斬った人物は分かっていたが、英国に差出す意思は全くなかった。
リチャードソンに最初に一太刀浴びせたのは奈良原喜左衛門で止めを刺したのは海江田信義であったとされているが、両名とも、7艘の英軍艦を奪い取ろうとした決死隊に志願したメンバーであったのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%BA%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
また、決死隊には、後に第二代の内閣総理大臣となった黒田清隆や陸軍大臣などを歴任した大山巌も参加していたようである。

アーネスト・サトウ22-23歳

もちろん英国はこんな回答で納得できるはずがない。アーネスト・サトウの著書で、英国側の反応が如何なるものであったかを述べている部分があるので引用したい。

「…(薩摩藩の)使者が到着したとき、わが方は使者に向かって、回答は不満足なものと考えられるから、もはや一戦を交えたあとでなければ日本人との交渉には断じて応じられぬと告げた。それから提督は、湾の上の方を暫時遊弋(ゆうよく)し、図面にあるウィルモット岬(訳注 大崎ノ鼻、図面省略)の沖合に投錨している外国製の汽船数隻を偵察し、また遥かかなたの湾頭で数回の測量を行なった。当方には砲台を即時攻撃するつもりはなかった。数隻の汽船を拿捕するという報復措置をとれば、薩摩人は前回持ってきたものよりも満足すべき回答を持参するに違いないと、提督は考えたようだ
 この計画にしたがって、…15日払暁(ふつぎょう:明けがた)汽船の拿捕を開始した。汽船に近づくにつれて、もちろん私たちは大いに興奮し、任務に従って各自忙しく立ち働いた。

われわれは、拿捕した船を艦の舷側につないで、桜島の下にある碇泊所へ帰った。…
しかし正午になると、突如一発の砲声が聞こえた。それと同時に、全砲台がわが艦隊に向かって火ぶたを切ったのである。」(岩波文庫『一外交官の見た明治維新(上)』p.106-107)

薩英戦争戦闘図

攘夷の薩摩藩が先に英国に戦争を仕掛けたというイメージがあったのだが、薩摩は英国の敵対行為を確認してから砲撃を開始していることは注目して良いと思う。

そもそも英国が、その武力を背景に高価な汽船を拿捕する根拠はどこにあるのだろうか。英国がやったことは、相手にライフル銃を突き付けて「金を出せ。出さないなら命はないぞ」と言っても相手が動かないので、近くにいた家族をつかまえて「こいつの命が惜しけりゃ、俺の言う通りにしろ。」と言っているようなものである。当時のイギリスは、このような野蛮な方法で世界の多くの国を植民地化していったのだろう。

このように、戦前の本を探せば同様の論調の書物は容易に見つけることが出来るのだが、戦後出版された書物に、欧米諸国の世界侵略の真実を詳しく書いているものがどれだけあるのだろうか。

このブログで何度も書いているのだが、歴史の叙述はいつの時代もどこの国でも勝者にとって都合の良いものに書きかえられるものである。
特にわが国においては、第二次世界大戦の戦勝国にとって都合の悪い真実は、わが国の教科書などにはほとんど伏せられているのが現実で、たとえば『もう一度読む 山川日本史』では、
「1862年(文久2年)には神奈川に近い生麦で、薩摩藩士がイギリス人を殺傷する生麦事件がおこり、翌年イギリス艦隊がその報復として鹿児島を砲撃するという事態に発展した(薩英戦争)」
と書かれているだけだ。
こんな文章を読めば、薩英戦争にイギリスに正義がなかったことを理解することは不可能だろうし、薩英戦争は攘夷事件を起こした薩摩藩に責任があり、薩摩は薩英戦争で英海軍の前に完敗したとしか読めないだろう。

では、薩英戦争は、薩摩軍はどのように戦い、結果はどうであったのか。
実際には薩摩藩はかなり善戦したのだが、その点については、次回に記すことにしたい。

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【ご参考】
このブログで、「戦勝国にとって都合の悪い真実」について多くの記事を書いてきました。
いくつか紹介しますので、良かったら覗いて見てください。

盧溝橋事件の後で、なぜ我が国は中国との戦いに巻き込まれたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-250.html

「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-251.html

アメリカはいかにしてスペインからフィリピンを手に入れたか~GHQが封印した歴史6
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-181.html

第一次大戦以降、中国の排日運動を背後から操ったのはどこの国だったのか~~その1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-238.html

カリフォルニア州の排日運動が、日露戦争後に急拡大した背景を考える~~米国排日1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-260.html

16世紀後半に日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇教書の関係~~その1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-191.html



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先に手を出させる!
しばやんさんが仰る通り、英国側が薩摩の汽船を拿捕したのを確認してから薩摩側が発砲したことは、後の横浜での戦後交渉を有利にしていることは間違いないようです。このことを理由に、英国が先に「手」を出したから、仕方なく薩摩側は発砲したのであって、戦争の責任は英国側にある…という論法のようです。

それにしても、拿捕された汽船は「大崎ノ鼻」の沖だっのですね。知りませんでした。地元鹿児島でもこのことはあまり知られていないと思います。

ここは、山からの稜線が鹿児島湾(錦江湾)に飛び出ているところで、現在は国道10号線が走っています。ここから見る桜島もまた美しいです。
Re: 先に手を出させる!
薩英戦争の講和交渉にあたったのが、先日コメント頂いた重野安繹という人物ですね。
重野安繹は、先に不法行為を行なったのは英国であると、一歩も引きませんでした。

拿捕された汽船には五代友厚や寺島宗則がいて、乗組員を安全に下船させることを条件に人質となったようですね。

旅行は大好きなのですが、鹿児島や宮崎や長崎はまだ一度も行ったことがありません。いずれ仕事から離れたら、日本全国を旅行してみたいと思っています。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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