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大迫力の閻魔大王像に魅せられて~~水無瀬から大山崎歴史散歩3

水無瀬の滝と東大寺春日神社の後はサントリー山崎蒸留所に向かう。本当は予約が必要なのだろうが、当日でも時間待ちをすれば、サントリーウィスキー「山崎」の仕込から発酵、蒸留、熟成までの製造工程の見学ができ、さらにおつまみ付きで「山崎」や「白州」の試飲もできるし、時間の制約があるものの、おかわりも自由だ。

サントリー山崎蒸留所

結構歩いて汗をかいたあとにウィスキーを飲んで疲れをいやすという目的があったことは言うまでもないが、ここを訪問したもう一つの目的は、この山崎蒸留所の敷地内に、むかし西観音寺という大きなお寺があって、その痕跡が残っているのを確認したかったからである。

以前このブログで「大山崎美術館と宝積寺(ほうしゃくじ)」という記事を書いた。そのなかで、宝積寺に素晴らしい閻魔大王像があることを紹介したが、じつは宝積寺の閻魔像は、もともとは西観音寺にあったのである。

では西観音寺という寺はどんな寺で、閻魔大王像がなぜ宝積寺に移ったのかを記しておきたい。

西観音寺

上の図は寛政8-10年(1796-1798)に刊行された『摂津名所図会』における西観音寺の絵図である。
中央に描かれている参道は今では舗装されて公道となっており、右側にサントリー山崎蒸留所の「ウイスキー館」が建ち、左側に「仕込・発酵室」「蒸留室」「貯蔵室」が建っている、と考えれば良い。

この『摂津名所図会』が、大正8年に大日本名所図会刊行会から刊行されていて、国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で自宅のパソコンで読むことができることはありがたい。そこには西観音寺についてこう記されている。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959908/376

「山崎の西にあり。慈悲尾山信善谷(じひをさんしんぜんだに)といふ。天台宗。

御集
水無瀬山 木の葉まばらになるままに 尾上の鐘の声ぞちかづく  後鳥羽院

本尊十一面千手観音 閻浮檀金像(えんぶだごんぞう)。長一寸八分。脇士 左不動尊・右毘沙門。当山に三つの谷あり。いはゆる大谷・中谷・閼伽谷等なり。故に世に谷の観音と称す)
鎮守 天照大神・八幡宮・春日・山王大宮・八王子を祭る。
閻魔堂 当寺の入口にあり。小野篁ここに来たり、閻魔王および十王の像を彫刻し、日本三所に安置す。いはゆる第一は越中中野郷、第二は当山、第三は筑後古津郡なり
それこの観音寺は旧地これより西南の山間にして、むかし聖武帝天平十八年*大僧正行基、勅(みことのり)をうけて草創し、本尊はかの帝の御念持仏なり。その後、役小角苦修錬行し、天下の名嶽・霊窟に分け入って残す事なし。一日ここに巡行して高嶺に登り石上に坐し、呪術をもって閼伽**(あか)を湛へたまふ。今の閼伽谷(あかたに)これなり。その流れ潺々(さんさん)として堂前の滝となる。ここに石像の不動尊を安(やすん)ず。また山頭に弁財天祠(ほこら)あり。これも役行者の勧請とかや。台嶺の伝教大師もこの山に入りて練行し給ひ、後鳥羽上皇 水無瀬よりここに駕をめぐらし木尊大悲を尊信したまふ。」
*天平18年:西暦746年
**閼伽:仏教において仏前などに供養される水のこと

『摂津名所図会』に解説され、後鳥羽上皇が行幸され、歌まで残しておられるのだから、西観音寺がかなりの有名寺院であったことは間違いない。
ではなぜ、この寺が消えたのだろうか。その理由は、このブログで何度か書いた明治の「廃仏毀釈」なのである。

nisikannonji_5.jpg

『摂津名所図会』の絵は雲で隠れている部分が多いので建物が分りにくいのだが、『山崎通分間延絵図』には稚拙な絵ながらわかりやすく描かれている。
参道の途中に橘園院、円修院、宝泉院、明王院などがあり総門の近くに閻魔堂がある。また絵の下の方に離宮八幡宮があるが、西観音寺の僧は離宮八幡宮の社僧であり、その八幡宮の祭祀を仏式で行っていたのだそうだ。

s_minagaさんのサイトに西観音寺の廃仏毀釈の経緯がまとめられているので、引用させていただく。慶応4年というのは西暦1868年で、この年の9月8日にその年の1月1日に遡って、新元号「明治」が適用されている。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/hoso_ooyama.htm

慶応4年神仏分離令。
4月13日:離宮八幡宮から西観音寺役僧の呼び出しがあり、八幡宮への立入禁止の申渡しがある。
4月16日:再度呼び出しがり、別当社僧の還俗及び神勤もしくは立ち退きを申し渡す。
橘園院は谷司馬、園修院は谷東、宝仙院は谷古仙、明王院は谷靭負と改名・還俗。
6月18日:西京弁事務所より椎尾大明神の称号下附。
仏像仏器を撤去し、本堂は観音寺へ、閻魔堂は宝積寺へ、十王像は大念寺へ、鐘(康暦元年銘)は摂津正宣寺へ移管
される。
ここに天台宗西観音寺は完全に消滅し、想像も出来ない椎尾社という神社に変質する。

何も抵抗せず還俗した社僧や本山正覚院に対し、門前の農家18戸は抵抗したと伝える。
『(社僧達は)自元仏恩を忘却致し、自己口腹之為め方斗第一に心掛居候不当人に候』
『本寺(正覚院)に於いては今日迄も御出願(京都府へ)之御様子もこれ無くは恐れながら御等閑之儀と存じ奉り候』
と京都府や本山に存続を提訴したと伝える。
しかし明治5年椎尾神社は村社に列する。つまり西観音寺の存続は認められない結果となる。西観音寺は廃寺。」

廃仏毀釈は地域によって、また時期によって随分その温度差が異なっている。西観音寺は摂津の国だが、撤去した仏像・仏具を持ち込んだ先の観音寺、宝積寺、大念寺はいずれもすぐ近くにあるのだが山城の国の寺になる。また同じ山城の国でも、淀川の対岸にある石清水八幡宮寺は、翌年の明治2年に徹底的に破壊されてしまった。

西観音寺閻魔堂跡

サントリー山崎蒸留所の入場受付の近くに、ひっそりと「西観音寺閻魔堂址」と書かれた碑が建っているのだが、島本町教育委員会がその碑に記したこの文章が、私にはどうも気に入らない。
「天平十八年行基が聖武天皇の帰依仏である観音像を報じて建立した西観音寺(天台宗)の総門の外に閻魔堂があった。
明治五年本寺は椎尾神社となり閻魔堂は解体された
堂に安置してあった閻魔像(重要文化財)と十王像は小野篁の作と伝えられ、筑後古津、越中中野の像とともに有名である。」

廃仏毀釈」という言葉を全く使わず、また閻魔像を「宝積寺」に移したことにも触れなければ、重要な事を何も解説したことにはならないではないか
この西観音寺に限らず、「廃仏毀釈」で破壊された寺院を解説した文章は、いずれも同様の表現がなされているが、このような書き方では正しい歴史が伝わるとは到底思えない。わが国の幕末から明治にかけての歴史について、薩長にとって都合の良い歴史しか伝えない記述を、いったいいつまで続けるつもりなのか。

椎尾神社鳥居

この閻魔堂址から山に向かってまっすぐ伸びる道が、西観音寺の旧参道になる。その奥へ進むと鳥居があり、「椎尾神社」という神社があるのだが、この本殿のある場所に、以前は西観音寺の本堂があったのだという。要するに、明治新政府は西観音寺を破壊して、その跡地に「椎尾神社」という新しい神社を作ったのである。そして、この神社の境内には立派な石段と石垣が残されていて、これが西観音寺の唯一の遺構なのだという。

椎尾神社石垣

おおやまざき散策マップ

「おおやまざき散策マップ」という地図が大阪と京都の境界が描かれていてわかりやすいので、地図を参考に読んで頂ければありがたい。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/ofg/sansakumap.pdf

西観音寺の僧侶が社僧であったという離宮八幡宮はサントリー山崎蒸留所の入口から歩いて5分程度なのだが、途中で摂津国・山城国の国境を超えることになる。
離宮八幡宮と、西観音寺の仏像仏具を持ち込んだ先である観音寺、宝積寺、大念寺はいずれも山城国にあり、いずれも『都名所図会』に一枚の絵で描かれている。(絵図で「宝寺」とあるのは宝積寺のこと)

km_01_04_067.jpg

しかし、ここに描かれている寺社は、宝積寺を除いて、いずれもが元治元年(1864)の禁門の変(蛤御門の変)に巻き込まれて焼失してしまっている。山崎の地が会津藩や新撰組の攻撃を受けて兵火に罹ってしまったのは、離宮八幡宮や大念寺、観音寺に長州藩が陣を張っていたからのようだ。明治新政府は、西観音寺を潰してその寺宝を分け与えることで焼失した寺社を補償しようとしたということではないだろうか。

離宮八幡宮

禁門の変についてはいずれ日を改めて書くことにして、離宮八幡宮に話を戻そう。
離宮八幡宮は摂津・山城の国境に近い西国街道沿いにあるのだが、『都名所図会』をよく見ると、神社でありながら寺院建築である多宝塔が描かれており、昔は神仏習合であったことがよくわかる。Wikipediaによると「社殿のすぐ西から大阪府に割譲し、さらに1871年(明治4年)に境内北側を国策による鉄道事業にささげ、境内はさらに縮小した」とあり、以前は相当大きい神社であったようだ。

ここから、閻魔大王像を観るために宝積寺に向かう。JRの踏切をすぎたあたりから、天王山の上り道になって、次第に坂がきつくなる。

途中で大念寺を通るが、この大念寺の本堂が、西観音寺の閻魔堂であったようだ。次のURLによると、大念寺の本尊などを安置すると「閻魔大王ほか四体の尊像は祀る場所がなかったので、宝積寺に引き取られました」とある。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/ofg/dainenji.htm

宝積寺もこれらの尊像を祀る場所が充分にあったわけでもなかったので、長い間これらの像は京都国立博物館に寄託されていて、2002年に宝積寺に閻魔堂が出来たので里帰りしたのだそうだ。

子供の頃に、「嘘をついたら閻魔さまに舌を抜かれる」という話を祖父や祖母からよく話を聞いていて、一度連れられてどこかの閻魔大王像を見に行ったことがある。それがおそらくこの閻魔大王像だったような気がするのだが、今にも怒りだしそうなものすごい表情に圧倒されて、恐怖を覚えた記憶がある。
5年前にこのブログで記事を書いたときに、宝積寺を訪ねてすでにこの像を拝観しているのだが、その際に身近に像を見て感激し、あれから4年たってまた見たくなるような、とにかくすごい迫力のある閻魔像なのである。

宝積寺仁王門

大念寺からもう少し坂道を登ると、宝積寺の仁王門に辿りつく。
この金剛力士像はいずれも鎌倉時代に制作されたもので、国の重要文化財に指定されている。

宝積寺三重塔

境内にある三重塔は桃山時代に建築されたもので、これも国の重要文化財だ。

宝積寺十一面観世音菩薩

拝観を申し込むと、まず本堂から案内いただいた。
前回来たときは、法事のために本堂に入ることが出来なかったが、本尊の十一面観音立像(国重要文化財)は、今も金箔が色鮮やかで、とても鎌倉時代の仏像だとは思えなかった。
画像はリーフレットのものだが、実物はもっと美しい。

宝積寺閻魔大王像

そして、いよいよ閻魔堂に案内される。
画像は宝積寺のリーフレットを写したものだが、写真ではこの迫力は到底伝わらない。

像高160.8cmの閻魔大王は、目を大きく見開き、ものすごい形相で睨み付けて、一瞬にして自分の心の中の弱い部分が読み取られ、すぐにも「地獄へ行け」と裁かれるのではないかと、恐怖心を覚えるような迫力がある。
堂内は撮影禁止だったのでネットで画像を捜してみたが、次のURLの写真はその雰囲気が少しばかり画像に出ている。しかし角度を変えると光の加減で表情も微妙に変化するので、拝観されていろんな角度から観られることをお勧めしたい。
http://www.sansyoutei.com/promenade/temple_housyaku/

temple-housyaku-03.jpg

右手に筆を持ち、左に木簡を持つ暗黒童子も、閻魔大王の裁きを記録しようと今にも筆が動き出しそうだ。
巻物を開いている倶生神も、その巻物の紙が自然に垂れ下がっているのだが、その巻物の、薄い紙の部分までもが1本の木を彫って造られていることに驚いてしまう。
また暗黒童子も倶生神も毛皮を敷いた交椅に腰を掛けているのだが、この毛皮も木で彫られており、それが実にリアルなのである。

鎌倉時代のわが国に、これだけの木像が彫れる仏師がわが国にいたということはすごいことである。おそらくこの時代には、世界を捜してもこのような像を彫れる人物は、ひょっとするとわが国にしかいなかったのかも知れない。そもそもイタリアでミケランジェロが活躍したのは、さらに3世紀もあとのことなのである。

これら5体の仏像は、すべてが国の重要文化財に指定されているが、この仏像を制作したのがだれなのかがよく分からないのだという。それがわかれば、これらの仏像は国宝に指定されてもおかしくなかったという説明であった。

先ほど紹介した『摂津名所図会』では小野篁(おののたかむら) が制作したと書かれていたが、この人物は平安時代の公卿であり、これらの像の制作年代とは合わない。小野篁は、夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説がある人物で、小野篁が彫ったとされる閻魔大王像は、それほど優れた出来栄えであると認識されていたという意味で理解しておけばよいと思う。そもそも宝積寺の像がわが国で最古級の閻魔大王像であり、小野篁のいた時代の閻魔像は残されていないか、はじめから存在しないかのいずれかである。
『都名所図会』では小野篁の制作した閻魔像3つの中の2番目にこの閻魔大王像が挙げられていたのだが、この文章の意味するところは、江戸時代に存在した閻魔像のなかでも、この像はわが国の1、2を争う優品であると人々に知られていたということだと私は理解している。

歴史散策の最後に宝積寺を選んだのは正解だった。これらの仏像を見ているだけで、自分の心の中にあるいい加減な気持ちがどこかへ吹き飛んで、凛と張りつめた気持ちになって半日の旅を終えることが出来た。
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このブログでこんな記事を書いています。
よかったら、覗いてみてください。

世界遺産の吉野山金峯山寺と特別公開中の秘仏・蔵王権現像
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奈良の白毫寺と消えた多宝塔の行方
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石清水八幡宮と松花堂弁当
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香住から但馬妙見山の紅葉と朱塗りの三重塔を訪ねて~~香住カニ旅行2
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Comment
No title
こんばんは。薩長に苛立ちつつ、拝見しました。普段は敢えてスルーしていますが…。
閻魔様に会いに行こうかなあ。宝積寺様、ゼミ合宿でお邪魔して以来ご無沙汰なのです。いつでも行けるから、と、放置してましたが、改めてお勉強させていただきありがとうございます。
Re: No title
つねまるさん、コメントありがとうございます。

幕末から明治にかけての歴史は、薩長にとって都合よく描かれて、都合の悪いことは書かれていないと思って良いでしょう。宝積寺にあのすばらしい閻魔像が残されているのは奇跡の様に思います。

私もいくつか閻魔像を観ましたが、宝積寺のものが一番好きです。誰が見てもすばらしいものだからこそ、多くの人が力を合わせて残そうとされたのだと思います。


No title
歴史考察と観光記事があって、読み応え十分ですね!
Re: No title
ありがとうございます。とても励みになります。

京都・大阪にかぎらず、地域に隠れた歴史が各地にあるのだと思いますが、そういう歴史を少しでもこのブログで掘り起こしていければと考えています。
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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