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郡上一揆と白山信仰のゆかりの地を訪ね、白川郷の合掌造りの民宿で泊まる

前回の記事で郡上八幡城の歴史について、「金森頼錦(よりかね)の藩主の時代に、農民の困窮甚だしく宝暦義民の一揆がおこり、そのために金森家は改易され、代わって丹後国宮津城主の青山幸道が城主となり、その後の藩政は安定した」と書いた。

「宝暦義民の一揆」とは「郡上藩宝暦騒動」とも「郡上一揆」とも呼ばれているが、この一揆が原因で、郡上藩主金森家が改易処分となっただけでなく、幕府高官も大量処分されたという大事件で、郡上市のあちこちに義民の顕彰碑や記念碑が建立されている。

郡上義民顕彰碑

最初に訪れた郡上八幡城にも敷地内に「郡上義民顕彰碑」がある。石碑に円形の図形が掘られているが、これは傘連判状(からかされんぱんじょう)を表したものである。百姓一揆の主謀者が誰かを隠すために、誰が最初に署名したかが分からないよう、このような円形の連判状が良く用いられたようだ。

最初に「郡上一揆」のあらましを記しておこう。

江戸時代も後半に入った宝暦4年(1754)、美濃国郡上藩主の金森頼錦(よりかね)は、税収を増やすために、毎年の年貢額が一定である定免(じょうめん)法を改め、年ごとに稲の実り具合を検査して年貢の額を決める検見(けみ)法に切り替え、さらに農民らが新たに開発していた切添田畑を洗い出して新規課税を計画した。

同年7月20日に郡上藩は各村の庄屋を藩役所に呼び出し、検見法を申し渡ししたのだが、村々では一同が相談の上、大幅な増税になるので受けられない旨の判を捺して庄屋方に差し出し、庄屋たちは藩役人に交渉して検見法を断ろうとしたが聞いてもらえず、以後は農民たちが団結して藩役人と交渉することとなった。

8月10日に郡上藩の千人ほどの農民たちが八幡城の城下に集まり、御蔵会所におしかけて検見法廃止願いなど16か条の願書を差出し、驚いた家老たちは、この時は農民たちの要求を認めたのだが、この問題はこれでは終わらなかった。

検見法をあきらめない江戸の金森藩邸は、重役たちが幕府の老中本多正珍(ほんだまさやす)らに内談し、幕府からの命令ということで農民たちに検見法を納得させようと工作したのである。
宝暦5年(1755)7月21日、庄屋たちが笠松代官所に呼び出され、長老の庄屋が検見法を断ると、足軽たちが棒で打ちすえるという態度に出て、検見法の実行を強引に承諾させてしまう。
そのことを知った農民たちは各村々で傘連判状を作り、8月13日に農民の代表40人が郡上を出発し、江戸の金森屋敷に訴えに向かったのだが、藩は郡上から来た農民たちを全員監禁してしまったのである。

藩への訴えでは要求が通らないことを知った農民たちは、当時厳しく禁じられていた幕府への直接の訴えを行なうことを決意し、11月26日に5人の農民代表が江戸城大手門前で、駕籠で出勤途上の老中酒井忠寄の行列に願書を以て飛び込むという駕籠訴(かごそ)を決行した。これが受理されたことにより郡上一揆は法廷で審理されることになったのだが、その審理がなかなか進まなかった。

宝暦8年(1758)4月2日には、評定所門前に置かれた目安箱に訴状をいれる「箱訴(はこそ)」を決行し、老中酒井忠寄はようやく事態を重く見て新たな5人の詮議掛(裁判官)を任命し、この事件を評定所で再吟味することを決断した。
幕府役人、郡上藩主・金森頼錦ほか郡上藩関係者、郡上農民らが取調べを受け、江戸時代の裁判の中では例がないほど大がかりなものになり、江戸でも「金森裁判」と呼ばれて評判になったのだそうだ。
そして、10月29日にまず幕府役人らに対して判決が下されている。
老中本田正珍をはじめ若年寄、勘定奉行、笠松代官らは免職。藩主金森頼錦は領地没収、お家断絶となり、ほかにも多くの幕府や藩の役人が処罰されたという。
しかし12月25日に出された農民たちに対する判決は、それ以上に厳しかった。14人が死刑の判決を受け、裁判中に拷問と寒さで牢死したものも19人もいたという。

江戸時代には全国で多くの百姓一揆が起っているのだが、一揆が原因で老中などの幕閣や藩主が免職あるいは改易となった事例はこの「郡上一揆」のみなのだそうだ。
郡上市の各地に残されている「義民顕彰碑」は、一揆で犠牲になった仲間たちのことを郷土の英雄として讃え、農民が藩や幕府を相手に戦った歴史を後世に永く伝えようとしたものである。

前回の記事で紹介した「郡上踊り」の10の曲目の中に「ヤッチク」という歌があるが、この歌詞を読むと「郡上一揆義民伝」になっている
http://senshoan.main.jp/minyou/gujoodori-word.htm

「○これは過ぎにしその物語 聞くも哀れな義民の話
時は宝暦五年の春よ 所は濃州郡上の藩に 
領地三万八千石の その名金森出雲の守は
時の幕府のお奏者役で 派手な勤めに其の身を忘れ 
すべて政治は家老に任せ 今日も明日もと栄華に耽る…」
からはじまり、藩主金森頼錦と重役たちが処罰され、駕籠訴や箱訴に訴えた農民たちが打ち首にされ、代わって丹後国宮津城主の青山幸道が城主となって郡上に平和が戻った経緯が3回に分けて詠われて、最後の締めくくりの歌詞はこうなっている。
共に忘るなその勲(いさお)しを 共に伝えん義民の誉れ

このように、今も郡上八幡の人々は毎年郡上踊りで「やっちく」を踊りながら、256年も前のこの一揆で犠牲になった人々に今も感謝し、その霊を慰めているのである。

郡上八幡をあとにして次の目的地である白山長滝神社(0575-85-2023)に向かった。
距離は27km程度だが、車で30分と少しで到着した。

白山長瀧神社

この神社は明治初年の神仏分離令までは神仏混淆の修験道場で、「白山中宮長滝寺」と称する、比叡山延暦寺の別院であったという。白山信仰の道場は美濃・越前・加賀の3箇所にあり、ここは美濃の白山信仰の中心地として繁栄をきわめたという。

nagataki_kozu.jpg

廃仏毀釈に詳しいminaga氏のサイトによると、
「明治元年:神仏分離で、長滝寺と白山神社に分離。
大講堂、薬師堂、弁天堂、鐘楼、経蔵などは長滝寺とし、
白山三社、拝殿を白山神社、左右末社、児御前、竈社、御鍬社を摂社として分離する。
明治2年(1869)には阿名院、経聞坊、一乗坊、蔵泉坊、宝幢坊、竹本坊、大日坊、大本坊、持善坊、明尭坊、等覚坊、真如坊(無住)、中之坊(無住)、大円坊(無住)の14坊、と執行坊(神主) の存在が知られる。
明治32年(1899)の火災でほとんどの堂宇が焼失する。」とある。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/hoso_nagataki.htm

越前・加賀にあった白山信仰の道場は明治の廃仏毀釈で仏教施設が破壊されてしまったが、この美濃の道場だけが廃寺を免れたのだそうだ。長滝寺は白山長滝神社の境内の中に今も堂々と存在し、明治以前の神仏習合の世界を彷彿とさせる。
しかしながらせっかく破壊を免れた長滝寺も、明治32年の白山長滝神社の火災時に長滝寺にあった高さ6.3mはあったという本尊大日如来像や脇座の釈迦如来坐像をはじめ多数の宝物を焼失させてしまうのだが、鎌倉時代後期制作の木造釈迦三尊像:国重文、木造四天王像:国重文などは、地域の人々の必死の努力により運び出されて焼失を免れ、境内にある瀧宝殿で今も観ることが出来るのはありがたいことである。

宝暦義民碑

この広い境内の一角にここにも「宝暦義民碑」があるのでカメラに収めておいた。このあたりも郡上藩の領地で、近辺に犠牲になった農民の屋敷跡があり、もう少し南の白鳥神社などを会場として、郡上八幡と同様に7月から8月にかけて21夜も「白鳥踊り」が踊られ、8曲の曲目のうち「八ツ坂」という唄の歌詞は、郡上踊りの「やっちく」と同様な内容の「郡上義民伝」である。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tomozuri/ameno-gujougimin.html

若宮修古館

白山長滝神社から200mほど北上すると「若宮家住宅」(岐阜県指定文化財)がある。
若宮家は、神仏分離以前は白山中宮長滝寺の執行(宮司)を代々つとめていたが、神仏分離令以降は、長滝神社の社家となっている。母屋の北側に「若宮修古館」があり、古美術品などが展示されているはずなのだが、たまたま改修工事のために見学できなかった。

白山文化博物館

そこから国道156号線を隔てた東側の長滝自然公園内に「白山文化博物館(0575-85-2663)」がある。ここには長滝寺、長滝神社の白山信仰の宝物が収蔵・展示されているほか、宝暦騒動関係の史料も見ることが出来る。

旧遠山家民族館

長滝神社の駐車場に戻って、次の目的地である国の重要文化財である「旧遠山家民族館(05769-5-2062)」に向かう。
この建物の建築年代は文政10年(1827)頃で、能登の大工によって建てられたものだそうだ。

このあたりには合掌造りの建物はあまり残されていないので、14kmほど走って荻町地区の民宿に急ぐ。私は「十右エ門」という民宿に宿泊したが、白川郷の合掌造りの建物で宿泊が出来るところが他にも20件近くあるようだ。

宿に車を置いて、夕刻の白川郷・荻町地区を散策した。この地区には合掌造りの街並みが比較的良く残されている地域である。

白川郷明善寺

最初に入ったのは明善寺。上の画像は白川村指定重要文化財の本堂だが、この寺の庫裏と鐘楼門は岐阜県の指定重要文化財である。いずれも江戸時代末期に建築されたものだが、とても200年近い年月が建っているとは思えなかった。
庫裏は白川郷の五階建て合掌造りとしては最大のもので、階上には郷土の民具などが展示されている。

白川郷風景

白川郷の散策は楽しい。緑鮮やかな水田と合掌造りの茅葺の家がとても似合う。電線は地中に埋められていて、無粋な電柱がどこにも見当たらないのが良い。
水田の横の細い道を歩いていると、何度もカメラを向けたくなるような美しい光景に出合う。

白川郷和田家

国の重要文化財に指定されている和田家住宅。和田家は江戸時代に名主や番所役人を務め、焔硝(えんしょう:鉄砲に用いる火薬)の取引で栄えた家で、建物だけでなく庭の木も存在感がある。昔はこの建物に20人以上の家族が住んでいたのだそうだ。

白川郷全景

途中から山道に入って、荻町城址展望台に向かう。ここから白川郷荻町地区の合掌集落を一望することが出来る。画像の左下にある大きな家が和田家住宅である。

この白川郷の美しい景観を守るために、これまでも多くの苦労があったと思うし、1995年に世界遺産の指定は受けたとはいえ、これから先もこの景観を維持することは容易な事ではないと思う。
観光客が増加しても観光バスでわずかの時間滞在をするだけの観光客が大半では、潤うのは幹線沿いのごく一部の施設にすぎないだろう。
この日本の原風景というべき景観を維持していくためには、この地で観光に直接携わっていない地元の人々も潤うようにしなければならないのだが、実際にはそうなっていないようだ。地元で茅葺の家を守っておられる多くの人は農業を営んでおられると思うのだが、よく見ると結構休耕地や空き地がある。休耕地や空地がこれ以上増えて駐車場に変わっていくようでは白川郷の魅力はいずれ失われていくことになるだろう。入場料をとるいくつかの家が残っても、その周囲が荒廃してしまえば、「日本の原風景」というべき景観は失われ、観光地としての魅力は激減してしまうのだ。次のURLを読めば、地元の人々の悩みがわかる。
http://doyano.sytes.net/inaka/hana/sira/sira.html

白川郷に限らずどこの観光地でも言えることであるが、田舎の観光地の魅力を残すためには、観光客の多くがその観光地で宿泊して、地元で獲れた米や野菜やきのこ類や魚を食べて、地元の人々に直接お金を落すことが一番なのだと思う。

白川郷民宿十右衛門

そんなことを考えながら、民宿「十右エ門」に戻った。
この民宿は荻町の中心部から少し離れた場所にあるのだが、とても静かな場所に建っているのが気に入った。建物は築300年近いのだそうだが、そんな歴史のある建物に宿泊できたのに1泊8千円台とは随分割安だ。

白川郷夕食

夕食は飛騨牛の陶板焼きやアマゴの甘露煮やら山菜やら白川郷豆腐屋やら、体によさそうな地元の新鮮な食材を頂けたのは嬉しかったし、朝食の「朴葉味噌」と自家製の白米のご飯がおいしくて、何杯もおかわりさせていただいた。
部屋にはテレビもクーラーもないのだが、白川郷にはそんなものはいらない。
江戸時代にタイムスリップしたつもりで、食事が終わってすぐに床に就くのもなかなかいいものだし、茅葺の建物は熱がこもらず、網戸から涼しい風が入ってきてとても心地よく眠ることが出来た。  <つづく>

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御柱祭の木落し坂から名所を訪ねて昼神温泉へ~~諏訪から南信州方面旅行2日目
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Comment
郡上一揆
しばやんさん、ご無沙汰しております。

郡上八幡、いいですねぇー。私も大学の専攻科時代に歴史地理学の講義で長良川の源流(大日岳)から下流域(河口堰)までを巡検する、といった講義に参加させられた際、立ち寄ったことがあります。
その折りは、肉桂(ニッキ)玉の生産地で有名としか先生から聴かされず、「へぇ、そうなんや~」との軽い印象でした。

その後、近江の天保一揆など義民一揆に興味を持った頃に「郡上一揆」という映画が上映されるのを知って観に行ったのが、きっかけでした。

色々と調べていたら、私の好きな田沼意次とも絡んでくるし、益々興味の度合いが深くなったんですよね。

ただ、それは文章というか紙の上での興味でしかないので、しばやんさんのように現地の息吹を感じられて羨ましく思います。
Re: 郡上一揆
御堂さん、御無沙汰です。

郡上八幡は今まで通り過ぎるばかりでしたが、郡上一揆のことを調べて、郡上踊りの囃子のなかに義民を讃える歌詞がある事を知って、旅程に入れました。とても綺麗な町で、行って良かったです。ニッキの生産地であることは初めて知りました。情報ありがとうございます。

「郡上一揆」という映画があるようですね。2000年に公開されたようですがその頃は余りに歴史に興味を持っていなかった時期のようです。前の職場で毎日遅くまで仕事をしていました。

郡上八幡に限らず、文化の香りの高い町や村がわが国には数多く存在しています。しかし、このまま高齢化が進んでいけば、地方の観光地の多くはその魅力を失う日がいずれ来るのではないかと危惧しています。
半日ぐらい滞在したぐらいではその土地の魅力の1割も書けていないと思いながらも、少しでも多くの人に日本の地方の魅力を伝えて、その地を訪れるきっかけになればと考えています。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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