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「さくら道」を走って、織田信長が天下布武を宣言した岐阜に向かう

前回は荘川桜のことを書いたが、この荘川桜の移植に興味を持ち、その一部始終をカメラに収めた佐藤良二という人がいた。佐藤氏は当時国鉄バスの名古屋から金沢を結ぶ「名金線」の運転手だったのだが、移植2年後の春に再び彼が荘川桜を見に来ると、お花見の最中に老婆が立ち上がり、桜の太い枝を抱えて突然声を上げて泣き出したのだそうだ。

ryoji.jpg

この出来事は佐藤氏の心に強く焼き付いて、彼は自分の走る沿線266kmを桜並木で結ぶことを決意したという。昭和41年頃から私費で桜を植え始め、12年間で約2000本の桜を植樹したのだそうだが、残念ながら若くして亡くなられたようだ。この佐藤氏の人生は小説にもなり映画にもなった。

荘川桜を見たあと白山信仰の聖地である白山中居神社に行こうとしたのだが、土砂降りになったので山道を走るのを諦め、午後の目的地である岐阜城を目指すことに変更した。
荘川桜からはずっと飛騨街道(国道156号線)を南に走っていたが、この道は佐藤氏が桜を植え続けた道で「さくら道」と親しみを込めて呼ばれているようだ。

さくら

途中で雨脚が強くなったので郡上市白鳥町あたりで早目の昼食をとることにした。このあたりはたまたま桜を植え続けた佐藤良二氏の生まれ故郷であり、飛び込んだレストランも「さくら」という店だった。

雨が小降りになったのでドライブを再開し、東海北陸道を通ってまず岐阜城に向かった。
1時間程度で岐阜公園の駐車場に到着し、金華山ロープウェイで金華山の頂上にある岐阜城に向かう。駐車場の地図は次のURLが参考になる。
http://www.city.gifu.lg.jp/8416.htm

ロープウェイの往復1080円はやや高いが、JAFの会員なら100円の割引がある。歩いて登る人もいるようだが45分はかかるし、かなりの急坂を覚悟しなければならないことは、ロープウェイからの景色でわかる。ロープウェイの山頂駅から天守閣に続く道も、坂が続いて結構きつかった。

Gifujyou11.jpg

岐阜城はかつて稲葉山城と称し、戦国時代は斉藤利政(道三)の居城であったが、天文23年(1554)に嫡子の斎藤義龍に城と家督を譲り、また永禄4年(1561)に義龍が急死し、斉藤龍興が13歳で家督を継いで城主となっている。
そして永禄10年(1567)に、かねてから美濃攻略を狙っていた織田信長が稲葉山城の戦いで勝利し、本拠地を小牧山城からこの城に移転し、古代中国で周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで城と町の名を「岐阜」と改めている。この頃から信長は「天下布武」の朱印を用いるようになり、天下統一を目指すようになったとされる
信長が安土に移ると、城は長男信忠に与えられ、その後3男信孝、池田輝政、豊臣秀勝らが城主となったが文禄元年(1592)からは信長の孫の織田秀信が城主となった。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの前哨戦で、織田秀信が石田三成方の西軍に属していたことから東軍の福島正則や池田輝政に攻められて落城し、翌慶長6年(1601)に徳川家康は岐阜城の廃城を決め、この城は解体されてしまったいう。

岐阜城

現在の岐阜城は昭和31年(1956)に完成したコンクリート造りの建物で、内部は展示場と展望台になっている。

天守閣の最上階に登ると、信長政権を支えた濃尾平野が眺望できる。中央に流れる川は長良川で、近くに見える橋が長良橋だ。なかなか素晴らしい眺めで、織田信長はこの景色をみて、天下を志したのである。

岐阜城から観た景色

ロープウェイで山麓駅に戻って、岐阜公園を散策する。山麓駅の近くにシートで覆われた場所がいくつかあったが、織田信長の居館の発掘調査が行われているようだ。

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イエズス会宣教師のルイス・フロイスが自著に、1569年にこの居館で織田信長に謁見した記録を残しているが、これを読むと、かなり大規模な宮殿であったことがわかる。

「…彼は自らの栄華を示すために他のすべてに優ろうと欲しています。それゆえにこそ、彼は多額の金子を費やし、自らの慰安、娯楽としてこの宮殿を建築しようと決意したのであります。宮殿は非常に高いある山の麓にあり、その山頂に彼の主城があります。驚くベき大きさの裁断されない石の壁がそれを取り囲んでいます。 第一の内庭には、劇とか公の祝祭を催すための素晴しい材木でできた劇場ふうの建物があり、その両側には、 二本の大きい影を投ずる果樹があります。広い石段を登りますと、ゴアのサバヨ(宮殿)のそれより大きい広間に入りますが、前廊と歩廊がついていて、 そこから市の一部が望まれます。
…私たちは、広間の第一の廊下から、すべて絵画と塗金した屏風で飾られた約二十の部屋に入るのであり、…これらの部屋の周囲には、きわめて上等な材木でできた珍しい前廊が走り、その厚板地は燦然と輝き、あたかも鏡のようでありました。円形を保った前廊の壁は、金地にシナや日本の物語の絵を描いたもので一面満されていました。この前廊の外に、 庭と称するきわめて新鮮な四つ五つの庭園があり、その完全さは日本においてはなはだ稀有なものであます。それらの幾つかには、1パルモ(約20cm)の深さの池があり、その底には入念に選ばれた小石や眼にも眩い白砂があり、その中には泳いでいる各種の美しい魚がおりました。…
二階には婦人部屋があり、…三階は山と同じ高さで、 一種の茶室が付いた廊下があります。それは特に精選されたはなはだ静かな場所で、なんら人々の騒音や雑踏を見ることなく、 静寂で非常に優雅であります。三、四階の前廊からは全市を展望することができます。」(中公文庫『完訳フロイス日本史2』p.205-207)

最近の発掘調査の成果を岐阜市教育委員会が次のURLでまとめているが、この図を見ると、フロイスが二階、三階などと書いているのは、平地に四階建ての建物があったのではなく、緩やかな山の斜面に建物が配置され、登り廊下で繋がっていたようだ。
http://www.nobunaga-kyokan.jp/siryou/sj_gensetsu_h25.pdf

信長宮殿金箔瓦

この居館の発掘調査で花をかたどった瓦がいくつか出土し、当時は金箔が貼られていたことも判明しているのだそうだ。最初に金箔瓦が用いられたのは安土城だとされてきたが、岐阜城でより早く用いられていた可能性があるのだという。今後の発掘調査の結果が楽しみである。

板垣退助像

以前このブログで、板垣退助が岐阜で暴漢に襲われて『板垣死すとも自由は死せず』という言葉を発したとされる話を記したが、その現場である中教院の跡地が今の岐阜公園の中にあったようだ。公園の中に立派な板垣退助像が建てられている。

岐阜公園

岐阜公園は結構広く、金華山の山頂には岐阜城が見え、岐阜市歴史博物館や名和昆虫博物館など、レトロな建物が建っていてなかなか雰囲気が良い。岐阜市民にとっては素晴らしい憩いの場だ。

いろいろ岐阜市の旧市街を歩いても良かったのだが、歩き疲れて足も重たく、夜には「長良川の鵜飼」を見る旅程で天気も心配だったので、宿に近い「長良川うかいミュージアム」(058-210-1555)に行くことにした。

鵜匠の薪

宿泊先の「ホテル石金」の駐車場に車を預けて、「うかいミュージアム」まで歩いたのだが、その近くには鵜匠が住んでおられるようで、鵜飼に使う篝火用の薪などが積んであった。

長良川うかいミュージアム

このミュージアムは2年前にオープンしたばかりだが、以前は「長良川ホテル」本館があったようだ。入館料は大人500円、小人250円だが、JAFの会員はそれぞれ50円、20円の割引特典がある。

鵜飼の歴史や文化に関する様々な展示物があるが、鵜飼については知らないことばかりだったので、色々と勉強になった。
鵜飼は鵜を使い魚を獲る漁法で、わが国ではかなり古くから行なわれてきたことは『隋書倭国伝』や『古事記』、『日本書紀』などの記録にあるようだが、長良川で行われていた記録では、美濃国では大宝2年(702)の各務郡中里(かがみごうりなかざと)の戸籍に『鵜養部目都良売(うかいべめづらめ)』の記述があることから、長良川の鵜飼には1300年以上の歴史があることがわかるという。
織田信長や徳川家康など時の権力者の保護を受け、松尾芭蕉も鵜飼を観賞して、
「おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな」
とう句を残しているそうだ。

木曽路名所図会 長良川鵜飼船

上の画像は江戸時代に出版された『木曽路名所図会』巻之二にある「長良川鵜飼船」の挿絵だ。この絵は国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で誰でも見ることが出来る。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952771/130

しかし明治維新で鵜匠の特権が廃止され、長良川で自由に漁をする人が増えて、魚の数も乱獲のために減ってしまったという。
ところが明治11年1878)に明治天皇が岐阜で鵜飼を見物されたことから、長良川の鵜飼がクローズアップされるようになり、明治23年(1890)には禁猟区の「御料場(ごりょうば)」が設置され、鵜匠には宮内庁の管轄下に身を置く「宮内庁式部職」という肩書が与えられたのだそうだ。意外な事なのだが、現在6人おられる長良川の鵜匠はいまも宮内庁に所属する国家公務員で、代々世襲なのだそうだ

鵜匠は鵜飼に連れて行く鵜にはその日は餌をやらず空腹にさせておき、漁に出る前に鵜の首に「首結い」という縄を巻き、鵜が獲った小さい魚は喉を通っても大きい魚は喉に溜まるようにしておくのだという。
鵜飼が始まると、鵜匠は喉が膨らんだ鵜を見つけては手縄(たなわ)を引いて舟に上げて、くちばしを開いて喉をもみあげて魚を吐き出させて漁を行なうのだが、鵜が吐き出した鮎には鵜のくちばしの痕がつくのだという。鵜はくちばしで瞬時に鮎を殺すので、そのため鵜鮎は釣った鮎より新鮮でおいしいと言われている。
長良川鵜匠副代表の杉山雅彦さんが鵜飼が始まる前に、鵜飼を説明しておられる動画がある。鵜の首の中に10匹以上の魚が蓄えられるというのは驚きだ。


宿泊先のホテル「石金」に戻ると、雷が鳴り響いて凄い夕立になったが、幸いすぐに雨がやんだのでほっとした。夕刻からは鵜飼い観覧の屋形船に乗って食事をし、それから鵜飼を楽しむ旅程になる。

夕刻5時半ごろ、ホテルのマイクロバスに乗って観覧船乗り場に向かう。土曜日であったが、観覧船の多さと観光客の多さに驚いてしまった。観覧船は全部で40艘以上あったと思うが、昔ながらの木造の船で、岐阜市内にある鵜飼観覧船造船所で製造されたものだという。

観覧船に乗り込むと、1kmばかり上流の河川敷に進み、そこで屋形船が斜めに整列する。対岸には長良川うかいミュージアムが見える。

IMG_6686.jpg

その場所でしばらく食事とお酒を楽しみながら、暗くなるのを待つことになる。
上の画像は観覧船で戴いた弁当だが、食事を初めてしばらくしてから、ホテルの船が来て、アユの塩焼きが届いた。船の上で食事をするのもなかなか楽しいものである。
隣の船は団体さんで、随分盛り上がっていた。

長良川鵜飼いの観覧船

観覧船の中は禁煙なので、たばこを吸う人は河川敷に降りて一服して時を過ごす。トイレは、専用の船がいくつか係留されているので困ることはない。

花火が上がると、いよいよ鵜飼が開始となる。

最初は6艘の鵜舟が川を下りながら狩りをする「狩り下り」だが、この日は雨のあとで水量が多くて流れが速く、川の水も汚れていたのか鵜が鮎をつかまえるところや、鵜を船縁に上げて鮎を吐かせるような場面を見ることはできなかった。
それでも篝火を燃やした鵜舟が近づき、風折烏帽子に腰蓑姿の鵜匠が手縄で鵜を操る姿を見ると妙に興奮するものだ。

しばらくして鵜舟は再び上流に進む。そして6艘が横一列となって下りながら魚を追い込みながら漁をする「総がらみ」が始まる。これが長良川鵜飼いのクライマックスである。

長良川鵜飼2

何枚かシャッターを押したのだが、私の安物のデジカメでは夜の写真はなかなかうまく写らず、ほとんどが失敗作で終ってしまった。
岐阜市鵜飼観覧船事務所で入手した絵葉書の画像しか紹介できないのは残念だ。今度来るときはもっとうまく撮りたいものである。  <つづく>

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【ご参考】
このブログで、こんな記事を書いてきました。
良かったら覗いて見てください。

安土城を絶賛した宣教師の記録を読む
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-237.html

フランシスコザビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事~~その①
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-114.html

フランシスゴビエルがキリスト教を伝えた頃の日本の事~~その②
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-115.html

400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-116.html

秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その①
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-132.html

秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その②
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-133.html

秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その③
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-134.html

戦国時代に大量の寺社や仏像を破壊させたのは切支丹大名か、宣教師か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-135.html

永禄9年にあったわが国最初のクリスマス休戦のことなど
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-137.html

永禄10年に東大寺大仏殿に火をつけたのは誰なのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-136.html


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Comment
No title
鵜飼の文化史的な資料はなかなか興味深いものがありますね。
Re: No title
コメント、ありがとうございます。

鵜飼は結構奥深いものだと理解できました。あっという間に通り過ぎて行きましたが、観る価値はありますよ。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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