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熾烈を極めた「文永の役」の戦闘でよく闘った鎌倉武士たち~~元寇その2

前回は、蒙古軍が最初に日本を攻めてきた「文永の役」については、元や高麗の史料を見る限りでは「神風」が吹いて蒙古撤退させたとは考えにくく、最近の教科書では「神風」が出てこないことを紹介した。また当時の日本側の史料には「神風」が吹いて蒙古軍を撤退させたとする記録があるのは、幕府にとっても、また幕府の要請を受けて「蒙古退散」祈祷してきた寺社にとっても、「神風」があったことにした方が都合が良かったからではなかったか、ということを書いた。

いつから教科書の内容が変わったのかは良くわからないが、私も含めて、二度とも暴風雨が蒙古軍を退散させたと学んだ世代にとっては、元寇については大規模な戦闘は行われなかったし、わが国には大きな被害はなかったというイメージが強いのではないかと思う。

しかし「文永の役」に「神風」が吹かなかったことを知ってから、「元寇」のことをもう少し詳しく知りたくなって調べてみると、日本側の被害は結構大きかったし、鎌倉武士も良く戦ったことを知った。今回は、今の教科書にもほとんど書かれていない「元寇」の実態について書くことにしたい。

文永五年(1268)ジンギスカンの孫の世祖フビライ・ハンが高麗を通じて日本に国書を送ってきたが、当時17歳の執権北条時宗は国書の内容が無礼だとして黙殺し、その後も元は数年間にわたり何度か使者を送るも日本側が無視したため、怒ったフビライ・ハンは日本への武力進攻を命令する。

フビライ・ハンは高麗に命じて艦船を造らせ、この時高麗はわずか半年で大小900艘といわれる船を突貫工事で完成させたそうだ。

文永11年(1274)10月3日[旧暦:以下同じ]に、元・高麗連合軍は朝鮮半島の合浦(現在の大韓民国馬山)を出発した。連合軍の構成は『高麗史』によると蒙古・漢軍25千人、高麗軍8千人、高麗水夫6700人で総数は約4万人の規模であった。

文永の役ルート

連合軍は二日後の10月6日に対馬に上陸。対馬守護代宗資国は八十余騎で応戦するが討ち死にし、元・高麗連合軍は周辺の民家を焼き払って対馬全土を制圧した。対馬が襲われたことは、助国の郎等小太郎・兵衛次郎のニ人は急遽小舟を操って博多に渡りこの顛末を注進したという記録が残っている。

ついで連合軍は10月14日には壱岐に上陸した。守護代・平景隆は百騎で樋詰城に立て籠って応戦したが、翌日に攻め落とされて城内で自害した。

その後、10月16日から17日にかけて元軍は平戸・能古・鷹島を襲撃し、松浦党武士団を粉砕した。
これらの侵略地において、連合軍が暴行を働いた記録が残されている。

例えば日蓮宗の宗祖である日蓮の記録にはこう書かれている。
「去文永十一年大歳庚戌十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、対馬ノ者、カタメテ有シ總馬尉等逃ケレ ハ、百姓等ハ男ヲハ或ハ殺シ、或ハ生取ニシ、女ヲハ或ハ取集テ、手ヲトヲシテ船ニ結付、或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是、船オシ ヨセテ有ケルニハ、奉行入道豊前前司ハ逃テ落ヌ、松浦党ハ数百人打レ、或ハ生取ニセラレシカハ、寄タリケル浦々ノ百姓共、壱岐・対馬ノ如シ…」(「高祖遺文録」)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8071/genko/s_1/kamakuraibun_11896.html

元蒙古連合軍のために、百姓ら男は殺されたり生け捕りにされ、女は一箇所に集めて掌に穴をあけられ革ひもを通して船に結いつけられたり生け捕りにされて、一人も助からなかったと書かれているのだ。

この記述はわずかの生き残りの証言をもとにして書かれたものかどうかは不明だが、「掌に穴をあけて革ひもを通す」という行為については、「日本書紀」巻第二十七の天智天皇二年六月に「百済王豊璋(ほうしょう)は、福信に謀反の心あるのを疑って、掌をうがち革を通して縛った」という記録があり、大陸ではこのようなこと残虐行為が古くから行われていたということなのだろうか。

話を文永の役に戻そう。対馬、壱岐、平戸、能古、鷹島を襲撃したのち、元・高麗連合軍は、10月19日夕刻に大宰府を目指して博多湾に侵入した。

九州での戦いの概要はわが国の同時代の文書では『八幡愚童記』に記述されているそうだが、前回の記事で紹介した三池純正氏の『モンゴル襲来と神国日本』や『元史』『高麗史』を参考に纏めてみよう。

蒙古軍の銅鑼

日本軍の悠長な戦い方とは違い、先鋒を務めた高麗軍は集団戦法で「太鼓をたたき、銅鑼を撃って時を作」るというもので、集団で鳴らす太鼓や銅鑼の音に日本軍の馬は跳ね狂って使い物にならなかったようだ。
また、「蒙古の矢は短いとは云っても、矢の根っこに毒が塗られ」ており、その矢が間断なく発射され日本軍を苦しめた。

蒙古襲来絵詞

しかも、高麗軍らは「逃げる時は鉄砲を飛ばして暗くし、その音が高く鳴り響くので」日本軍は「心を迷わして肝を失って、目も耳も塞がれて茫然と」するばかりだったそうだ。
てっぱう

この「鉄砲」とは、上の画像のようなもので、中に火薬を詰めて点火した後に相手に投げつける武器で、鉄製と陶器製のものがあったそうだ。

このような武器を用いて、元・高麗連合軍が日本軍よりも強かったことは間違いない。『元史』では「日本を打ち破った」と書き、『高麗史』では「倭は却走し、伏屍は麻の如く、」と戦いに勝利したと書いており、日本軍は戦闘には負けていたようだ。

蒙古兵撃退す

しかし日本の武士もよくがんばった。
『八幡愚童記』には、肥後国の御家人菊地次郎が敵陣に必死に切り込んで、多数の敵の首を取って凱旋したことや、肥後国の御家人竹崎季長はたった5騎で敵軍に突撃したことなどが書かれている。
またいよいよ蒙古軍の大将らしき大男が十四五騎を引き連れて本陣まで迫ってきたとき、日本軍の大将小弐景資(しょうにかげすけ)は「馬に乗って、一鞭売ってその前に姿を現し、その大将を見返ってよく引き放った矢が一番に駆けだした大男の真中を貫き、(大男は)逆さに馬から落ちた」と景資の放った矢が命中したも書かれている。

この話は日本側の創作話ではなく、「高麗史」にも「劉復亨(りゅうふくこう)、流矢に中(あた)る。先に船に登り、遂に兵を引きて還る。」と書いてある。劉復亨は蒙古軍の左副元帥であり、副総司令官という地位の人物であるが、先に戦場を離れ元に戻っている。

日本軍は本陣も破られて大宰府まで退いていき、大勢は元・高麗連合軍の勝利に帰したいたのだが、元・高麗連合軍の戦闘における損害も小さくなかったし、ここまで戦うのにかなりの武器を使ってしまった。

そこで前回の記事の連合軍の作戦会議に戻る。『高麗史』によると高麗軍司令官の金方慶は抗戦論を唱えたのだが、元の最高司令官が「…味方の敗残兵(原文:疲乏之兵)を掻き集めて挑んでも、刻々と増強される優勢な日本軍(原文:敵日滋之衆)には抗し得ず。退却するより他無し。」と却下し、「全軍退却(原文:遂引兵還)」が決定されたのである。 『元史』では撤退の理由を「統率を失い、また矢も尽き」と書いている。武器が底をつけば、これからまだまだ繰り出される日本軍には全滅することになると考えるのは当然ではないのか。

日本の武士たちは敵軍の予想以上に勇敢であり、強かったのである。だから敵軍は撤退したと考えるのが妥当だろう。
元の総司令官である忻都は文永の役後にフビライ(元の世祖)にこのような報告をしたと言う話があるそうだ。(『元韃攻日本敗北歌』)
「倭人は狠ましく死を懼れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。勝たなければみな死ぬまで戦う。」
本当に忻都が言ったかどうかはわからないが、そういう話が元に伝わっていると言うことは興味深い。

文永の役については敵軍が撤退を決定したのち、帰路で強い風が吹いたことは前回に書いたので繰り返さない。
大風が日本を救ったなどという誤った歴史解釈が長い間日本人の常識になっていたのだが、そのような考え方がこの戦いで犠牲になった対馬や壱岐等の人々のことや、武士が奮戦して敵軍の退却を決断させたことを風化させてしまい、元・高麗連合軍は多くが日本人の人質を本国に持ち帰ったという事実をも忘れさせてしまった。

元寇の真実を知り、日本の領土が多くの人の努力と犠牲によって守られてきた歴史について、もっと知ることが必要だと思う。政治家や官僚やマスコミがこういう歴史を熟知していれば、尖閣諸島や北方領土の問題などの対応や論評がもう少しまともになるのだと思う。

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Comment
とても興味深く、勉強になりました。
「知らない」ということを知り、「知ってつもり」になってはいけないと改めて感じます。
私が読んだ本に、「百済王子褒章」は藤原鎌足と同一人物ではないかと書いてありました。知識がないので分かりませんが、藤原氏にはあまり良いイメージがないですね。
Re: タイトルなし
mayflower さん、コメントありがとうございます。

扶余豊璋は百済最後の義慈王の王子で、確か関裕二氏が藤原鎌足との同一人物ではないかという説を唱えていたと思います。古代の資料は少ないので断定的なことは言えないですが、通説よりかは説得力を感じました。
来年はもう少し古代のことを勉強して書いてみたいです。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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