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神仏分離令が出た直後の廃仏毀釈の首謀者は神祇官の重職だった

このブログで、岐阜県安八郡神戸(こうど)町にある日吉(ひよし)神社に三重塔が残されていることを先月書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-338.html

日吉神社三重塔

この日吉神社は弘仁8年(817)に伝教太師 (最澄)が近江坂本の日吉神を勧請したことにはじまると伝えられており、かつてこのあたりは比叡山延暦寺の荘園があって、その荘園を鎮守する神社として発展したという。

かつては「日吉」は「ひえ」と読み、比叡山を意味するのだそうだが、全国に日吉神を祀る神社は2000社ほど存在し、その総本社が比叡山の滋賀県側の麓にある日吉大社(大津市坂本)である。

神戸町の日吉神社には美しい三重塔が残されているのだが、その総本社である日吉大社については、明治維新時の廃仏毀釈で仏教施設や仏像仏具が徹底的に破壊されてしまっている。実は、この日吉大社廃仏毀釈は、慶応4年(明治元年)3月に神仏分離令が出されたのち、全国で最初に行われたものである。

この神社の廃仏毀釈のあらましについて述べる前に、簡単に日吉大社の歴史について振り返っておこう。
『古事記』には「大山咋神(おおやまくいのかみ)、亦の名を山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)。此の神は近淡海国(おうみのくに)の日枝(ひえ)の山に坐し」と書かれているが、この文章からも、比叡山がかなり古くから信仰の対象となっていたことがわかる。ちなみに、大山咋神は現在の日吉大社の東本宮の主祭神である。

社伝では第10代の天皇とされる崇神天皇の時代(3~4世紀頃?)に、比叡山の山頂から現在の大津市坂本の地に移されて、日吉大社が創祠され、その後、天智天皇7年(668)に大津京鎮護のため三輪山を神体とする大神(おおみわ)神社の大物主(おおものぬし)神が勧請されている。
そして延暦7年(788)に最澄(さいちょう)が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である日吉大社を天台宗・延暦寺の守護神として崇敬したという。
このようにして比叡山では山岳信仰と神道と天台宗が融合していって、鎌倉期には山王権現(日吉大宮権現)は釈迦の垂迹であるとする山王神道の教学が形成されていったようだ。

山王宮曼荼羅

奈良国立博物館に文安4年(1447)に制作され、 日吉山王権現が描かれた『山王宮曼荼羅』が残されている。廃仏毀釈に詳しいminagaさんのサイトにはほかにも数多くの日吉大社の昔の絵図が紹介されているので、興味のある方は次のURLを参考にして頂きたい。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/hosa_hiyosisya.htm

この日吉大社の廃仏毀釈については、多くの記録が残されているので、それらを参考にして、この時の出来事を記しておきたい。

日吉大社の廃仏毀釈を語る際には、維新政府の神祇官のメンバーがどのような人物であったかをまず知る必要がある。
このブログで何度か引用させていただいた、羽根田文明氏の『仏教遭難史論』にはこう書かれている。
「…王政維新の際、すべて世襲の官職を廃し、職員は人材登用となり、先ず最初に…神祇官の設置となった。この神祇官は古例のごとく、太政官各位の上位にある独立の官衙である。慶応4年すなわち明治元年2月、神祇官最初の総督は白川三位、大輔が亀井茲監(かめいこれみ:前に排仏主義を実行せる、津和野藩主)その他、正権判事も、みな排仏家の国学者、儒者であったから、神祇官は、あたかも排仏者の集合団体の如くであった。
さて、日吉山王権現の社司、樹下(じゅげ)、生源寺二家は、伝教大師以来親近の者であったゆえに、一山より扶持を給して家来の様にしてあったから、権現について何等の勢力もなく、法親王、座主宮に面謁することさえ憚る卑官であった。その樹下石見守茂国という人、年来、社僧の下風に立ち、下役に使われるのを憤慨していたが、なにぶん当時比叡山延暦寺は寺領5千石の領主にて、三執行代という政務所あって領内人民を支配し、地頭の権威を以て山王の全権を握っているから、如何ともすること能わず涙を呑み、窃に時機の至るのを待っていた。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983346/69

日吉神社 鳥居

少し補足しておこう。慶応4年は西暦1868年で明治元年と同じ年であると考えて良い。
改元の詔書が出されたのは慶応4年9月8日(1868年10月23日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年とすると定められている。[以後は、改元前は慶応4年で統一することにする。]
そして日吉山王権現の社司であった樹下茂国は神祇官神祇事務局権判事に登用されていて、慶応4年3月以降に出された神仏分離令に関与していたのである。
羽根田氏の文章を続けよう。

「ここに、天運循環して王政維新の春を迎え、神祇官の再興となり、樹下茂国は神祇官権判事に登用せられた。時に神仏混淆禁止の朝令が発せられ、3月28日には、仏像を以て神体とする神社は以来相改め申すべき旨布告せられ、同時に大津裁判所(滋賀県の前身)より、山王社も相改め申すべしと、社司へ達せられた
ここにおいて茂国は、時こそ至れ、今ぞ年来の宿憤を晴らすべき時節到来せりと雀躍りして立った。さて山王権現とは、大宮、二宮、聖眞子、十禅師、八王子、客人子、三宮の七社*を併称して言うのである。そして七社とも、いずれも天台の一實神道で祭られ、みな仏式に依られている。ゆえに、仏像または僧形の木造の神体にしたものがあり、かつ七社とも、社前に鰐口がある社殿に仏影の扁額あって、経巻および仏器、法用具等が、神殿の内外に多くおいてあった。」
*山王七社(上七社):大宮、二宮、聖真子、八王子、客人、十禅師、三宮の七社を「山王七社」と呼んでいたが、明治以降は西本宮、東本宮、宇佐宮、牛尾神社、白山姫神社、樹下神社、三宮神社と社名が変更されている。

神仏混淆の状態を禁止する命令が出て、神祇官の権判事でもあった樹下茂国らは、日吉山王権現の仏像仏具などを徹底的に破壊するに至る。再び羽根田氏の文章を続けよう。

日吉神社 東本宮 楼門

「時は四月朔日(ついたち)、社司樹下茂国、および生源寺等の社司より、延暦寺三執行代に通知して神殿の鍵の引渡しを申し込んだ。執行代は、これを一山の大衆に通知したによりて、衆徒の大会議となったが、衆議沸騰して、たちまち一山の騒動となり、あまつさえ殺気を帯びるに至った。ゆえに委細を座主法親王宮に言上して、指図を仰ぐ事となり、双方ともに問答往復して、容易に解決するに至らなかった。
ここに社司方は、もはや猶予するに及ばず。武力を以て実行に着手せんとて、樹下茂国、生源寺社司、ならびに部下の祝部に同志の壮士、三四十名に槍、棒等の兵器を携えさせ、これに坂本村の人夫数十名を加えて一隊となり、山王権現の神域内に乱入し、神殿に昇り、神扉の錠を捻じあけて殿内に入り、神体なる仏像・僧像はもちろん、経巻、法器等、いやしくも仏に係る物品は悉く取り除きて、之を階下に投げ出した
七社ともこのごとくであるから、その取り除いた仏物は数多あったが、これを二宮社前*に積み上げ、あまつさえ土足で蹴り、或は槍の石突もて突き砕きなど、種々の乱暴狼藉の上、ついに火を放ちて一時に焼き捨てたが、その中には千年以来の法宝、珍器もあって、今より見れば貴重なる国宝となり、世界に誇るべき古美術、逸品もあったであろうに、何の容赦もなく、悉く灰燼に委してしまったのは、実に惜しいことであった
時に山僧の談に二宮社殿内にあった、紺神金泥の法華経は、八巻で余程の重みのあるほどに金泥の多く用いてあった経巻であったという。当時社司樹下茂国は弓矢を取り、仏像の面部を的に之を射貫き、大いに快哉を叫んだということである。…」
*二宮社:現在の東本宮


樹下茂国らが破壊焼却した什宝は「神仏分離資料」に数千点が列記されているのだそうだが、日吉大社の建物は2棟が国宝に指定され20棟が国の重要文化財指定に指定されている事を考えると、破壊された仏像や絵画や経典などのなかに国宝級のものがいくつあっても不思議ではない。

ところで3月28日に神祇省が出した神仏分離令を再掲すると、次のようなものであった。

【慶応4年3月28日付、神祇官事務局達】
「中古以来、某権現、あるいは牛頭天王の類、その外、仏語をもって神号に相唱え候神社少なからず候。いずれも、その神社の由緒、委細に書付、早々申出づべく候」
仏像を以て神体と致し候神社は、以来相改め申すべき候こと。附り、本地等と唱え、仏像を社前に掛け、或は鰐口、梵鐘、仏具等の類差し置き候分は、早々取り除き申すべきこと

神仏分離令

何度かこのブログで指摘したが、この神仏分離令には、神仏混淆の状態を改めて仏教的なものを「取り除け」とは書かれていても、「破壊せよ」などとはどこにも書かれていない。にもかかわらず、実際には徹底的に破壊されてしまったのである。
しかも、このひどい破壊行為を主導したのは、神仏分離令を出した神祇官事務局の現役の権判事であり、この廃仏毀釈が神仏分離令が出て最初に行なわれたものであることは、なぜか歴史の叙述から抹消されてしまっている

さすがに維新政府も、慶応4年4月10日に、仏像などの破壊行為を戒めるこのような「太政官布告」を出している。
「…旧来、社人と僧侶の仲は善くなく、氷と炭の如くであり、今日に至り、社人どもが俄に権威を得て、表向きには新政府の御趣意と称し、実は私憤をはらすようなことが起きては、御政道の妨げになるだけでなく、必ずもめ事を引き起こすことになる。…」

ところが、この「太政官布告」の日付では、公式的には太政官は存在していなかったのではなかったか。維新政府の官制は改廃が著しくてわかり難いのだが、次のサイトを見れば、「太政官」はなかったことになる。
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi23.3.html
破壊行為を戒める布告が、当時存在していた「神祇官」からではなく「太政官」から出ていることに私は注目しているのだが、わずか1~2ヶ月程度で組織が変わるような政府では、政府全体をコントロールするようなことは充分にはできなかったのではないだろうか。

以前このブログで苗木藩の廃仏毀釈のことを書いたが、藩主・遠山友禄が重んじた青山景通(かげみち)も、慶応4年5月には神祇官事務局の権判事となっている。津和野藩で廃仏を目指した藩主の亀井茲監もそのブレーンの福羽美静も神祇官の重職に就いていたが、当時の神祇官は、羽根田氏が指摘している通り「排仏派の集合団体」だったのである。

では日吉大社の什宝を破壊焼却した樹下茂国はそれからどうなったのか。

羽根田文明氏の著書に、樹下茂国が書いた始末書の一部が紹介されている。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983346/71
これを読めばわかるが、事件の後すぐに厳しい処分を受けたようでもなさそうだ。
minagaさんの解説によると「明治2年12月樹下茂国および生源寺義胤はこの件の責任で処罰される」とあるので、解職されたのはこの廃仏毀釈事件から1年9カ月も後のことになるのだが、その期間に各地で廃仏毀釈が行なわれ、多くの寺院の建物や仏像仏具等が破壊されている。このことは樹下茂国と生源寺義胤に厳しい処分をすぐに行わなかった事と無関係だとは思えない。
もし明治政府が、樹下らに対してすぐに厳しい処分を下していれば、廃仏毀釈は全国に広がることはなく、局地的な現象で止まっていた可能性を感じている。
ネットで検索すると幕末の頃から樹下茂国は岩倉具視の命を受けて動いていたとあり、この事件が原因で解職された後、後半生は岩倉具視邸に身を寄せて、晩年には修史館につとめ『皇親系図』の編修にかかわったようなのだが、ひょっとすると廃仏毀釈も、岩倉が裏で糸を引いていたのかもしれない。

一般的な日本史の通史や教科書では、廃仏毀釈について「政府ははじめ天皇中心の中央集権国家をつくるために神道による国民教化をはかろうとし、神仏分離令を発して神道を保護した。そのため一時全国にわたって廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた(『もう一度読む 山川日本史』)」などと書かれているのだが、神祇官が神仏分離令を出したのち、多くの仏像や仏具の破壊を最初に主導した人物は神祇官の重職の中にいた、という史実とはあまりにギャップがありすぎる。
このような史実を明治政府が残したくなかったのはわからないでもないが、平成の時代になっても、明治政府にとって都合の良い歴史のままで、いつまでも国民を洗脳する意味があるとは思えない。
むしろ、国民にこのような史実を広く知らしめることが、わが国に残された貴重な文化財を後世に残すことの大切さを知らしめることに繋がるのだと思う。

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Comment
廃仏毀釈で被害を被ったのは、全ての宗派なのでしょうか?地域的には一律だったのでしょうか?
神仏判然令は、廃止されていないようですが、なぜなのでしょうか?
泉涌寺のHPでは、戦前、宮内省からお金が出ていた云々という記載がありますが、どの程度だったのでしょうか?
Re: タイトルなし
年金生活者さん、コメントありがとうございます。

廃仏毀釈はすべての宗派が対象にされましたが、一向宗が強い三河や越前ではかなり反発があったようですし、地域によって大きな差があります。平田篤胤の国学が浸透していた地域では、特に徹底的に破壊が行なわれた様に思います。

神仏判然令が禁止されなかったのは、廃止する必要のないほど全国で神仏分離がなされたということではないでしょうか。明治4年ごろには「嵐」は終息していたように思います。

泉涌寺の件は金額がHPに出ています。
次のURLをご参照ください。
http://www.mitera.org/imperial2.php
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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