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世界遺産の比叡山延暦寺の諸堂を巡って

滋賀県大津市坂本の観光の途中で明智家の菩提寺である西教寺(さいきょうじ)に立ち寄り、光秀の墓の案内文に違和感を覚えたので、しばらく脱線して「明智光秀=天海説」について思うところを書いてきたが、再び滋賀の旅のレポートを続けることにしよう。

西教寺をあとにして、湖西道路を北に進み、雄琴IC口を左折し、仰木郵便局前から奥比叡ドライブウェイに入る。ちょっと割高な有料道路だが、よく整備されていて走りやすく、秋の紅葉時期は結構楽しめそうだ。

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大津市坂本から車で比叡山に登るのは北の仰木ゲートから奥比叡ドライブウェイに入るか、南の田の谷ゲートから比叡山ドライブウェイに入るかのいずれかだが、延暦寺の諸堂を訪れるのならば、両方の有料道路を使って縦走する方が割安になる。
奥比叡ドライブウェイや比叡山ドライブウェイを走る際に忘れないでほしいのが割引クーポン券。ネットで簡単に手に入るので、延暦寺に自家用車で行かれる方は、事前にプリントアウトされることをお勧めしたい。
http://www.hieizan.co.jp/access/coupon.html

奥比叡ドライブウェイは初めて走ったのだが、途中で琵琶湖が望める見晴らしの良い場所がいくつもある。
路肩に車を停めて琵琶湖の景色をカメラに収めたが、中央に見える橋が琵琶湖大橋で、湖に浮かぶ島は「沖島」と名付けられている琵琶湖最大の島だ。

琵琶湖大橋を臨む

昔は、この島に余り人が住んでいなかったようだが、保元・平治の乱(1156~1159)のあとに源氏の落ち武者7人が山裾を切り開き漁業を生業として住み着いて以降、本格的に人が住むようになったという。
昭和の時代は漁業と石材業で栄えて人口が800人近かったそうだが、急激に過疎化が進んで現在の人口は350人程度だという。
それでも淡水湖にある島でこれだけ人口のある事例は珍しいのだそうだ。住民のほとんどが漁業に従事していて、車の代わりに一家に一艘の船があって島には信号が一つもないという。
http://matome.naver.jp/odai/2139738895869575501

琵琶湖の景色を楽しんだのち、ドライブを再開して比叡山延暦寺に向かったのだが、ここで簡単に比叡山延暦寺の歴史を振り返っておこう。

最澄

比叡山を本格的に開いたのは伝教大師最澄(さいちょう)で、奈良東大寺戒壇院で受戒したのち比叡山に入り、延暦7年(788)に薬師如来を本尊とする一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創建したと伝えられている。
その後最澄は唐へ渡り、帰国したのち天台宗を開き、一乗止観院を根本中堂(こんぽんちゅうどう)と名を改め、弘仁14年(823)に「延暦寺」と称することの勅許を得て、この寺は鎮護国家の祈禱道場となり、京都御所の鬼門を守る寺として不動の地位を占めることになる。

昔は比叡山も神仏混淆であり、神と仏は同一であった。
延暦寺は自らの意に沿わないことがあると、僧兵たちが神輿を奉じて強訴するという手段で勢力を拡大し、Wikipediaによると「祇園社(現在の八坂神社)は当初は興福寺の配下であったが、10世紀末の抗争により延暦寺がその末寺とした。同時期、北野社も延暦寺の配下に入っていた。1070年には祇園社は鴨川の西岸の広大の地域を『境内』として認められ、朝廷権力からの『不入権』を承認された」とあるが、京都から滋賀のかなり広い地域が延暦寺の影響下にあり、ほとんど独立国のような状態が長く続いたようである。

延暦寺の僧兵の力は奈良興福寺と並び称せられて南都北嶺と恐れられ、強大な権力で院政を行った白河法皇ですら「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」という言葉を残している。「山法師」とはもちろん比叡山の僧兵のことである。

しかしながら有能な僧を輩出したことも記しておく必要がある。鎌倉仏教の宗祖の多くがこの延暦寺で修業している。浄土宗法然、浄土真宗親鸞、日蓮宗日蓮、曹洞宗道元、臨済宗栄西らはすべて、延暦寺で学んだのである。さらに六歌仙の一人、僧遍照や、『徒然草』を著した吉田兼好も延暦寺で修業をした人物である。

この延暦寺を初めて制圧しようとした権力者は室町幕府六代将軍の足利義教で、永享7年(1435)に謀略により有力僧を斬首し、絶望した僧侶たちは根本中堂に火を放ち、多くの堂宇や仏像が焼失したそうだ。(根本中堂は宝徳2年[1450]に再建)
しかし延暦寺は再び武装して、勢力を回復したため、明応8年(1499)に管領・細川政元が延暦寺を攻め、再び根本中堂を焼失させたという。

織田信長

また織田信長は、延暦寺が全国統一の障害になると考え、元亀2年(1571)に比叡山の焼き討ちを実行している。
『信長公記』にはこう記されているのだが、ここまでやったのかと驚いてしまった。
「九月十二日、叡山を取詰め、根本中堂、山王二十一社を初め奉り、零仏、零社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時に雲霞のごとく焼き払い、灰燼の地と為社哀れなれ、山下の男女老若、右往、左往に廃忘を致し、取物も取敢へず、悉くかちはだしにして八王子山に逃上り、社内ほ逃籠、諸卒四方より鬨声を上げて攻め上る、僧俗、児童、智者、上人一々に首をきり、信長公の御目に懸け、是は山頭において其隠れなき高僧、貴僧、有智の僧と申し、其他美女、小童其員を知れず召捕り」とすさまじい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E5%8F%A1%E5%B1%B1%E7%84%BC%E3%81%8D%E8%A8%8E%E3%81%A1_(1571%E5%B9%B4)

山王21社というのは、今回の滋賀の旅行の最初の記事で記した大津市坂本にある日吉神社のことで、八王子山というのは、日吉神社の奥宮のことである。
信長は延暦寺だけを焼き討ちしたのではなく、麓の坂本から火を放ち、僧侶だけでなく女子供も多数殺したのである。そして信長はこの焼き討ちの後、明智光秀に志賀郡を与え、光秀は日吉神社に近い坂本に居城を構えたのである。

その後、豊臣秀吉や徳川家康によって延暦寺の諸坊は再建され、荒廃した坂本も家康が南光坊天海に命じて再興させたのだが、家康の死後に江戸の鬼門鎮護の目的で上野に東叡山寛永寺が建立されてからは、延暦寺の権威を復活することはできなかったようだ。 

奥比叡ドライブウェイを走って、まず最初に向かったのは7km程度先の「横川」である。

比叡山延暦寺には全部で133もの堂宇があるそうだが、延暦寺は横川中堂を中心とする「横川」と、転法輪堂などがある「西塔」と、根本中堂を中心とする「東塔」の3つの地域に大きく分けられる。
「延暦寺」は平成6年(1994)に、ユネスコの世界文化遺産に登録されているのだが、「延暦寺」という名称の個別の寺院が存在するわけではなく、この3つの地域を総合して「延暦寺」と呼ぶのだそうだ。

奥比叡ドライブウェイを途中で左折して、延暦寺の横川(よかわ)駐車場に到着する。
横川は、最澄の教えに従って第3代天台座主の円仁(慈覚大師:794~864)が開いたと伝えられている地域である。

横川中堂

上の画像は横川中堂で、嘉祥元年(848)に聖観音像と毘沙門天像を安置して円仁が建てたと伝えられているが、信長の焼き討ちで焼失してしまい、慶長9年(1604)に豊臣秀頼によって再建されるも、昭和17年(1942)に落雷により再び焼失し、現在の建物は昭和46年(1971)に鉄筋コンクリートで再建されたものである。
ところが、これだけ多くの難に遭ったにもかかわらず、平安時代に制作された本尊の聖観音立像が残されていて国の重要文化財に指定されている。

元三大師堂

横川中堂から鐘楼に向かい、左に折れると元三大師堂(がんざんだいしどう)がある。
元三大師というのは第18代の天台座主を務め、比叡山延暦寺の中興の祖と言われる良源(慈恵大師:912~985)の尊称である。命日が1月3日であることから元三大師と呼ばれるようになったという。

おみくじ発祥の地

元三大師堂の近くにこんな石碑が2つ建っていた。
ひとつは「元三大師と角大師の由来」と書かれた石碑で、上部に「角(つの)大師」の絵が描かれている。

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この絵は、永観2年(984)に全国で疫病が流行したときに、良源がこのような鬼の姿に化けて疫病神を追い払ったという言い伝えがあり、この絵を描いたお札が魔除けになるとして京都や坂本に拡がったという。今ではこのようなお札を見ることがほとんど無くなってしまったが、子供のころに、実家や友人の家の神棚に「角大師」の絵が描かれたお札があったのを良く見た記憶がある。

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もうひとつは「おみくじ発祥の地」と書かれた石碑。多くの神社仏閣でみられる現在のおみくじの原型は良源が創始したと伝えられているようだ。

横川の駐車場から西塔に進む。

延暦寺 常行堂

駐車場から歩いてすぐに常行堂(じょうぎょうどう:国重文:上画像)と法華堂(国重文)が左右に並んでいる。この2つのお堂は文禄4年(1595)の建築で、間に渡り廊下が配されていて、弁慶がこの廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、「にない堂」とも呼ばれているのだそうだ。いずれも内部が一般公開されていないのが残念だが、訪れた日は中で修業が行なわれていたようである。

延暦寺 西塔釈迦堂

にない堂の渡り廊下を門のようにしてくぐってしばらく進み、石段を降りると転法輪堂(釈迦堂:国重文)がある。この大きな建物は、織田信長による焼き討ちのあと、文禄4年(1595)に秀吉の命により、園城寺の弥勒堂(貞和3年[1347]頃築)を移築したもので、比叡山では最古の建物だそうだ。本尊は木造釈迦如来立像(国重文)である。

西塔から東塔に進む。
駐車場の近くにある国宝殿がある。
延暦寺は何度か火災に遭っているため、古い仏像はあまり残されていないのではないかと思っていたが、鎌倉時代や平安時代の仏像が結構残されていた。

延暦寺 戒壇院

上の画像は戒壇院(国重文)で、戒壇とは仏門に入る者に戒法を授けることを言う。立派な建物だが中には入れなかった。
戒壇堂の西には昭和52年に再建された法華総持院の諸堂がある。

東に進むと、いよいよ東塔の中心地区になる。

大講堂IMG_7042

上の画像は大講堂(国重文)で、結構大きな建物である。
案内板には「昭和31年の旧堂の焼失後、山麓坂本にあったものを移築した」と書かれているのだが、こんな立派な建物を坂本のどこから移築したのか気になって調べたところ、午前中に訪れた日吉東照宮にあった本地堂を移築したようだ。
日吉東照宮は創建時は延暦寺の末寺であったが、明治の廃仏毀釈のあと、明治9年に日吉大社の末社となったそうだが、神社には「本地堂」は不要なので手放したという事なのだろう。日吉東照宮が「西の日光」と呼ばれているにしては随分狭くて違和感を覚えたのだが、その理由がよくわかった。

延暦寺根本中堂

大講堂から少し東に行くと、国宝の根本中堂がある。この建物は全国で3番目に大きい木造建築で、三方を廻廊で囲まれている。
内部は、人々が座る外陣が高く、天皇の御座所となる中陣が一段低くなっていて、中央の本尊の木造薬師如来立像と同じ高さになっているという。
内陣は格子戸があって見えにくいが、大きな厨子があって、その前に1200年以上ともし続けられているという「不滅の法灯」がある。

この「不滅の法灯」については、元亀2年(1571)の信長の焼き討ちにより失われているはずだと誰でも考えるところだが、天文12年(1543)に山形県の立石寺という寺にこの「法灯」を分灯した記録が残されていて、この灯名が再建された根本中堂に運ばれたのが天正17年(1589)なのだそうだ。
http://www.kagemarukun.fromc.jp/page011.html

しかし、いろいろ調べていくと『太平記』巻五に『中堂新常灯消ゆる事』という記事が書かれている。簡単に記すと根本中堂の内陣に鳩1つがいが飛んできて、新常灯の油つぎの中に飛び入り、暴れたので燈明が消えてしまった事が書かれている。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/877613/102
このことは重要文化財である『花園天皇宸翰御消息』にも書かれているので史実であることは間違いなさそうだ。
http://www.emuseum.jp/detail/101087/000/000?mode=simple&d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E5%B0%8A%E5%86%86&class=&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=1&num=6

同様のことは1200年以上の歴史の中で、何度かあったのかもしれないが、灯明はおそらく比叡山の中や各地の天台宗の寺院に分灯されていたので、灯りをつなぐことが出来たのだと思う。たとえ何度か灯りが消えたことがあったとしても、その灯りを千年以上にわたって守ろうとしてきたことが尊いのである。

そのことは、わが国の伝統や文化を世代から世代に繋いできたことと良く似ている。
各時代の人々がかけがえのない価値を感じたものを、次の世代に残そうとすることによって、わが国の文化や伝統が洗練されながら、継承されてきたのであるが、これからも是非そうあってほしいものだと思う。

延暦寺の根本中堂でそんなことを考えながら、滋賀の旅を終えることにした。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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