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紅葉し始めた日光の輪王寺と東照宮を歩く~~日光観光その2

前々回の記事で、輪王寺が明治政府の神仏分離令で大揺れに揺れ、徳川幕府という大スポンサーを失った日光の百十ヵ寺の僧侶は無給で暮らすことを余儀なくされ、80余名の僧侶たちは、満願寺(現在の輪王寺)の本坊で合宿して暮らしたことを記したが、明治4年(1871)5月にはその満願寺の本坊が全焼してしまった。その本坊の跡地が今は輪王寺の宝物館となっているようだ。

輪王寺逍遥園

最初に逍遥園に入ったのだが、この庭は本坊庭園の遺構で、江戸時代初期に小堀遠州によって作庭されたと伝えられている。
10月下旬だというのに結構紅葉していたのは嬉しかった。日光の紅葉は関西よりも2週間以上早いようだ。

東日本では最大の木造建築物である三仏堂(国重文)が50年ぶりの大修理中のために、仮囲いで覆われていたのは残念であったが、ほとんど解体された工事現場を見てもそれ程面白いものではない。完成するのは平成30年の予定だという。

今はごく一部を観ることができるだけだが、「三仏」というのは木造千手観音坐像、木造阿弥陀如来坐像、木造馬頭観音坐像で、これらは二荒山神社の御祭神にあたる日光三所権現の本地仏である。

木曽路名所図会 日光

三仏堂は今では輪王寺の中心施設であるが、明治時代初期までは二荒山神社本社の東側(現社務所)にあったようだ。
『木曽路名所図絵』巻之六に江戸時代の日光の絵が描かれているが、日光東照宮の五重塔と新宮(二荒山神社)の間に三仏堂と相輪橖(そうりんとう)があったことが分かる。
前々回の記事で記したとおり、明治に入って神仏分離令が出され、三仏堂は相輪橖とともに二荒山神社の東側から輪王寺の境内に移されたのである。

輪王寺糸割符灯籠と相輪橖

上の画像の中央にあるロケットのようなものが相輪橖(国重文)だが、これは寛永20年(1643)に慈眼大師天海が比叡山延暦寺にある伝教大師最澄建立の相輪橖を模したものと伝えられている。塔内に千部の経典を収蔵されているという。
その横には慶安元年(1648)に生糸貿易をになう糸割符(いとわっぷ)仲間が、徳川家康による生糸貿易の特権付与に対する謝意を表して東照宮に寄進した唐銅製灯籠(糸割符灯籠)もある。

輪王寺護摩堂の紅葉

相輪橖の左には大護摩堂があり、中では護摩壇に火が点っていて、ちょうど護摩祈願が行なわれているところであった。ここでは朝7時半、午前11時、午後2時に毎日護摩祈禱が行なわれていることが案内されていた。
大護摩堂の近くの紅葉が見ごろを迎えていたので、思わずシャッターを押した。

日光東照宮五重塔

輪王寺から東照宮に向かう。
日光東照宮の石の鳥居(国重文)をくぐるとすぐに五重塔(国重文)が見えてくる。
慶安2年(1649)に大老酒井忠勝が寄進した塔が落雷で焼失したために、文政元年(1818)に酒井忠勝の子孫である老中酒井忠進(ただゆき)によって再建されたという。
東照宮は徳川家康を祀る神社なのだが、その境内地に仏教寺の建造物である五重塔が建てられているのは、神仏分離を進めようとした明治政府にとっては看過できなかったに違いない。この五重塔も輪王寺に移せと命じられていたのだが、日光山の総代・彦坂諶厚(ひこさかじんこう)や日光の住民らの努力によって、三仏堂と相輪橖のみが輪王寺に移され、日光は神仏分離令の影響を最小限に止めることができたのである。

日光東照宮 神庫

五重塔の近くで昼食をすませたのち、日光東照宮の表門をくぐる。
最初に眼に入ってくるのは三神庫(さんじんこ:上神庫、中神庫、下神庫)で、いずれも国の重要文化財に指定されている。中には千人行列の装束や道具が納められているのだそうだ。
上の画像は上神庫だが、切妻にあるゾウの彫刻が目にとまった。調べるとこの絵の下絵は幕府御用絵師の狩野探幽の筆によるものだそうだ。

日光東照宮 三猿

上神庫の向かいには、神厩(しんきゅう:国重文)があり、猿の一生を描く欄間彫刻がある。有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の欄間もここにある。

日光東照宮 陽明門

右に曲がると国宝の陽明門が見えてくるのだが、残念ながら、昨年から工事に入っていて完成するのは平成31年3月末なのだそうだ。輪王寺の三仏堂の工事もそうなのだが、観光の目玉であるような重要な施設の工事については、日光全体で日程を調整してずらして欲しいものである。

日光東照宮 経蔵

上の画像は陽明門の手前にある輪蔵(経蔵:国重文)で、残念ながら内部は公開されていないが、扉の奥には八角形の回転式の書架があり、昔は天海版と呼ばれる一切経数千巻が納められていたそうだが、今はお経が残されているのだろうか。

日光東照宮 本地堂

左に折れると鳴龍(なきりゅう)で有名な本地堂(薬師堂:国重文)がある。以前は狩野永真安信が描いた竜の絵があったそうだが、残念ながら昭和36年(1961)に焼失してしまい、現在の天井絵は日本画家の堅山南風(かたやまなんぷう)の筆によるものだそうだ。
絵の下で拍子木を打つと、その反響音が竜の鳴き声の様に聞こえるのが面白い。

本地堂のご本尊は、東照宮の本地仏である薬師如来で、輪蔵とともに明らかな仏教施設であり、いずれも明治の神仏分離令が出た際に、輪王寺に移すように命令されたのだが、五重塔と同様の経緯で移転を免れている。

日光ではこのような神仏習合の姿をそのまま残していることは非常に興味深いのだが、Wikipediaによると「本地堂と経蔵の2棟は東照宮と輪王寺との間で帰属について係争中であり、財団法人日光社寺文化財保存会が文化財保護法の規定による『管理団体』に指定されている」のだそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%85%89%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE#cite_note-28

日光東照宮 袖塀

陽明門の両脇には花鳥の彫刻が美しい袖塀(そでべい:国宝)がある。

日光東照宮唐門

陽明門をくぐると、正面に東照宮の本社がある。本社は、唐門(国宝)と東西透塀(すきべい:国宝)に囲まれた空間に、本殿と拝殿を石の間でつないだ権現造(ごんげんづくり)の構造になっている。

日光東照宮 唐門 意匠

白い胡粉塗りの唐門の彫刻も凝っている。中央に多くの人物が彫られているが、古代中国の舜帝の朝見の様子を描いているのだという。舜帝は中国の古伝説上の聖王だが、この彫刻は家康こそが舜帝に比すべき人物であり、徳川幕府が目指すべき政治は舜帝の治世であることを意味していると理解されている。

日光東照宮 眠り猫

本社の見学を終えて、家康の墓所である奥社に向かう。
入口の坂下門(国重文)手前の東廻廊には、左甚五郎作とされる眠り猫の彫刻がある。

日光東照宮 奥宮 御宝塔

200段余りあるという石段を登って行くと、銅鳥居(国重文)や銅神庫(国重文)、鋳抜門(国重文)などがあり、一番奥に家康公の神柩をおさめた八角九段の基盤の上に立つ宝塔(国重文)がある。

奥社参道を歩いていた時には気が付かなかったのだが、陽明門-唐門-拝殿-本殿-奥宮拝殿-奥社宝塔は一直線上に並んでいるのだそうだ。この配置は、どう考えればよいのだろうか。普通は本殿の奥に墓がある事などは考えにくいことである。

東照宮配置図

作家の今井敏夫氏『二つの東照宮・久能山と日光』という論文がネットで公開されており、その点についてわかりやすく書いておられる。しばらく引用させていただく。
http://jimotononeco.jimdo.com/2013/06/18/20130618/

「日光東照宮の社殿を注意深く見学された人ならば、奇妙なことに気づかれるだろう。それは本殿の背後に扉と后拝(こうはい)、それに階(きざはし)が付いていることである。どんな神社にいっても、本殿の背後に扉がある神社などは、まず見ることがない。同じ東照宮でも、久能山、上野、和歌山、世良田、川越、日吉(坂本)、滝山などの東照宮本殿の背後には扉や后拝は一切見られない。神社の本殿は云うまでもなく、神が鎮座する場所であり、拝殿はそれを拝む所である。拝殿と本殿は東照宮の場合は〃石の間〃で隔てられているが、この隔絶は厳格なもので、例え将軍であろうと本殿内には立ち入ることはできない。
神君・東照大権現(家康)が鎮座する、その本殿の背後に扉があるということは、これは本殿に神君がいないということになるのではないのか
。つまり、本殿が筒抜けの格好になってしまう様式である。
 それでは拝殿において何に向って拝んでいるのか。…そう、家康の廟所、つまりお墓に向って拝んでいることになるわけである。また、本殿の裏側の端垣(透塀・元禄時代までは回廊があった)には北唐門があり、奥宮の廟所の前には拝殿もある。これらはすべて南向きにほぼ一直線上に並んでおり、まことに不思議な社殿の配置といえる。
 久能山東照宮と比較するとよく分かる。本殿は地形上やや南西に向って建てられているが、廟所は明らかに西を向いており、本殿とは一直線上の位置にない。本殿の背後の扉もなければ后拝もない。吉田神道(唯一神道)では、神を本地とするので、墓所を拝礼するなど忌み嫌うところから、当然の建築上の配置であった。久能山東照宮はまったく「大明神造」にふさわしい伝統的な神社的要素の強い社殿形式であった。
日光東照宮では山王一実神道による仏教色の強い社殿形式が必要であり、社殿と墓所の関係は密接にしなければ意味がない。拝殿・本殿・北唐門・廟所を正中線上に並べで参拝の形式をとり、家康の神号「東照大権現」の本地である薬師如来の本地堂を建て、経堂等を配置している。…」
 
今井氏の表現を借りると「寛永大造替の東照宮本殿は、日吉神社本殿と天台仏堂を総合して造られたもので、これこそ山王一実神道の社殿形式」ということになるが、もともと神仏習合の思想で建てられた東照宮を厳密に神仏分離などできるはずがないし、神仏分離を徹底させれば東照宮の建造物の多くを除去することになってしまう。

明治政府は東照宮の本地堂、経蔵、五重塔、鐘楼や仁王像などの移転を命じたのだが、もし政府の言いなりで移転させたり、あるいは破壊してしまっていたら、この時に日光の魅力のかなり多くを失っていたことは確実なのだと思う。
<つづく>

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【ご参考】
このブログで、こんな記事を書いています。
良かったら、覗いてみてください。

唐崎神社から日吉大社、日吉東照宮を訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-344.html

家康の死後の主導権争いと日光東照宮
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-349.html

戊辰戦争で焼き討ちされる危機にあった日光東照宮~~日光東照宮の危機1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-350.html

日光の社寺が廃仏毀釈の破壊を免れた背景を考える~~日光東照宮の危機2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-351.html



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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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