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明治維新と武士の没落

明治維新で政権が朝廷に奉還され、明治2年(1869)に戊辰戦争が終了して、日本全国が新政府の支配地となったものの、各藩では江戸時代同様の各大名による統治が行なわれていて、明治政府が諸藩へ命令を行なうには、強制力の乏しい太政官達を出すしか方法がなかったという。それでは大改革は不可能だ。

そこで明治政府は、まず明治2年(1869)に版籍奉還を行ない、藩主を非世襲の知藩事とし、藩士も知藩事と同じ朝廷(明治政府)の家臣とし、諸藩の土地と人民を明治政府の所轄としたのだが、この段階では旧藩主がそのまま知藩事に留まっていたので、江戸時代と実態的には変わっていなかった。

次いで明治政府は、明治4年(1871)に藩を廃して県と呼び、知藩事(旧藩主)を失職させて東京への移住を命じ、各県には知藩事に代わって新たに県令を中央政府から派遣するという大改革を断行している(廃藩置県)。

山縣有朋

さらに明治5年(1872)には、2月に山縣有朋が陸軍大輔となり、11月に山縣の徴兵論が採用されて「全国徴兵の詔(みことのり)」が発せられている。この詔は原文ではこう書かれていた。

徴兵の詔

「朕惟ル(おもんみる:思い巡らす)ニ古昔郡県ノ制全国ノ丁壮(ていそう:若者)ヲ募リ軍団ヲ設ケ以テ国家ヲ保護ス固ヨリ兵農ノ分ナシ中世以降兵権武門ニ帰シ兵農始テ分レ遂ニ封建ノ治ヲ成ス戊辰ノ一新ハ実ニ千有余年来ノ一大変革ナリ此際ニ当リ海陸兵制モ亦時ニ従ヒ宜ヲ制セサルヘカラス今本邦古昔ノ制ニ基キ海外各国ノ式ヲ斟酌シ全国募兵ノ法ヲ設ケ国家保護ノ基ヲ立ント欲ス汝百官有司厚ク朕カ意ヲ体シ普ク之ヲ全国ニ告諭セヨ
明治五年壬申十一月二十八日」

この詔の方針に基づき徴兵告諭が出され、翌明治6年(1873)1月に徴兵令が交付されたのだが、ポイントは「四民平等、国民皆兵」で、20歳に至る者を陸海両軍に充てて、士族(元武士階級)の採用に限定しないことを明記している点にある。このことは士族においては、生存権にかかわる重大問題であったはずだ。

明治文明綺談

菊池寛の『明治文明綺談』の解説がわかりやすい。この本は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで、誰でもPCで読むことができる。
明治5年の正月の調査によれば、士族の総数は40万8千戸、その家族を合わせれば190万人という大多数が、封建組織の瓦解と共に、深刻な生活問題に直面したわけである。
  しかも彼等は、今まで生活の本拠となっていた藩がなくなったばかりでなく、明治5年に発布された徴兵令のため、その本来の職能である軍役からもはなれることになり、いよいよその存在の意義を失うことになったのである。
 … 
 元来、幕末期における武士の生活難は維新の一原因と言われるくらいであるから、相当激しいものであった。軽輩の武士は、家禄だけでは生活できないから、内職を営み、そのために地方に特産物が発達したと言われる。仙台の仙台平、甲州の郡内織など、みなこの下級武士の妻子が従事して名産としたものである。
 維新から明治にかけて、全国的の兵乱のため物資は高くなり、藩札その他、財政の混乱から、ただでさえ苦しい武家の家計は、ますます不如意となっているところへ、版籍奉還廃藩置県の大変動を受けたわけである。
 そのために彼等が受けた打撃は、第一に家禄の削減であった。政府としても、藩に代わって禄を全士族に与えるとすると、年2500万円という巨額に達し、これは全歳出の3割6分に当たるのである。今まで通りの知行を与えてはやり切れなくなったので、各々その数分の1に削減している。…」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041877/77

ではどの程度減らされたのかというと、
「52万石の福岡藩などでも、3500石以上の大身は10分の1に、600石ぐらいの者も100石に減らされている」とあるが、最も悲惨であったのは朝敵であった徳川の旧幕臣であったようだ。
徳川慶喜は明治元年の江戸城明け渡しの後、800万石を70万石に大幅に減らされて、駿府に移封されている。その収入ではとても膨大な家臣団を養えないので、駿府に赴いた者は15000人程度だったことがWikipediaで解説されているが、実収は激減した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E9%96%8B%E5%9F%8E

下級武士の収入までもがそこまで減らされてしまっては生活が成り立つはずがない。その上に新しい税まで課せられたという。
菊池寛は、前掲書で徳川の旧幕臣の生活のことをこう記している。

「静岡における彼等の生活は、嘗て実収1万石を得ていた者でも、250石の収入となってしまった。以下、小録に至るまで、順次低下するのであるから、どんなに惨めな生活だったか分るのである。今日有名になっている静岡の茶業は、実にこれら飢餓に瀕した旧幕臣が辛うじて発見した生活法に由来するものである。
 家禄削減に続いて、明治6年、政府はこれらの家禄に、新たに税を課することになった。しかもその率は高くて、全体からいって1割2分というのである。収入は激減する上に、その激減したものに、こんな高率な税を課したのであるから、彼等の生活はほとんど致命的な窮乏へ追い込まれたのである。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041877/78

中條景昭

少し補足しておく。
今は一面茶畑となっている静岡県の牧之原台地は、以前は荒廃地であったのだが、徳川慶喜とともに駿河に移住した中條景昭(ちゅうじょうかげあき)ら約250戸の元幕臣たちは牧之原に転住したのち、1425町歩の開墾に精力を注ぎこみ、明治4年には造成した茶園は500ヘクタールに達して、明治6年(1873)から茶芽を摘みはじめとある。
度重なる苦労と失敗を重ねながらも、静岡牧之原の茶葉の品質向上に成功させて、『静岡茶』を有名ブランドに育てあげたのは、徳川の旧幕臣であったのだ。
http://www.ochakaido.com/rekisi/jinup/jinup03.htm

しかし、このような成功例はごく一部に過ぎなかった。
明治政府は家禄の奉還を願い出た士族に家禄の数か年分の公債を与えて、士族が生業に就くことを促したというのだが、生活を立て直すにはあまりに公債が少なすぎて、家財道具を売るものや、娘を芸娼妓に売ったりする者も少なくなかったという。

士族は、ただ収入が激減しただけではない。徴兵令が出て軍役が国民全体の義務とされたことから、彼等の仕事までもが奪われ、さらに、明治9年(1876)には廃刀令が出されて、彼等の持っていた誇りと特権が悉く剥奪されていったのである。

こんなに悲惨な境遇に追いやられた士族が、明治政府に不平・不満を持つことは至極当然なことだと思うのだが、なぜ明治政府は彼等をここまで追い詰めたのだろうか。
彼等の失業対策が必要になることは初めからわかっていたのだから、四民平等・国民皆兵の考え方で徴兵制により兵士を集めるのではなく、士族を優先して兵士を集めれば良かったのではないかと誰でも考えるところで、明治政府内においても西郷隆盛や谷干城らは山縣有朋の徴兵制の主張に反対したようだ。

大衆明治史

それにもかかわらず、山縣有朋が徴兵制を強く主張した根拠はどこにあったのだろうか。山縣と同様の主張をしたのが大村益次郎なのだが、両名が徴兵制を主張した理由について、菊池寛は『大衆明治史』でこう解説している。

大村益次郎にしても、山縣有朋にしても、徴兵制をあくまでも主張した根拠は、全く同じ経験に出発したものと言われる。即ち、共に奇兵隊長として四境戦争*に臨み戊辰戦争に転戦した経験がある。
 奇兵隊長、高杉晋作は、
砲火による戦闘は、団体の訓練が主で、一個人の格闘力の如き問題ではない。ところが個人的格闘力を誇りとすべき筈の門閥武士は、太平の久しい優柔の風に慣れて堕落し、活発な元気と強健な体躯は、却って下士、足軽百姓町人の階級に見るようになっている。これらの精鋭を選び、軽快な武装と銃器を与え、団体的な訓練を施せば、よく洋夷にも対抗出来よう』
 と述べ、一般四民から募集したのが、有名な奇兵隊
である。これが四境戦争*で、幕兵を向うに廻して、どんなに目覚ましい働きをしたかは、大村も山崎もその隊長として、充分に見届けたのであった。奇兵隊はいわば徴兵制の立派な見本を見せたわけである。…
 また、士族だけで、新興日本が必要とする兵員全部を供給することが出来ぬし、また終身兵制の士族全部に支給する費用は、当時の財政としては、とても支弁しきれたものではないのである。…」(『大衆明治史』p.108-109)
*四境戦争:幕末期に江戸幕府が長州藩攻撃のため起こした戦争のうち、第二次長州征伐を長州側では四境戦争と呼ぶ。兵力では圧倒的に幕府軍が優っていたが、長州軍が勝利した。

長州奇兵隊

山縣らは、奇兵隊が幕府兵を破った経験から銃や大砲を用いる戦いには武士は不要であり、明治政府の乏しい歳入を勘案しても、武士を優先して雇うわけにはいかないと考えたのだが、そのために多くの武士が失業したことに頭を痛めた一人が西郷隆盛である。彼が、征韓論を強く唱えたのは、士族を本来の軍役に就かせる目的があったと考えられている。

しかしながら、その征韓論が認められなかったために、江藤新平、板垣退助、西郷隆盛らが下野し、その後、不平を持つ士族が、明治7年(1874)に佐賀の乱、明治9年(1876)に熊本で神風連の乱、福岡で秋月の乱を起こしている。

鹿児島暴徒出陣の図

そして明治10年(1877)には、ついに西郷も明治政府に反旗を翻したのである。
西郷の率いる1万3千の兵が鹿児島を発って北に向かうと、各地の士族が続々合流し、僅かの間に3万に膨れ上がって、西南戦争が始まっている。
西郷軍は鎮台のある熊本城を目指したが、武士が負けるはずがないと高をくくっていた百姓や町人上がりの新政府軍に敗れてしまい、不平士族の最後の墓場となってしまった。

ところが、不平士族たちの反抗はそれからも続いたのである。
菊池寛は『明治文明綺談』でこう解説している。
「…これから後は、彼等の反抗は思想的なものに代わり、自由民権を唱えることによって、藩閥政府攻撃の火の手を掲げるようになった征韓論に敗れて野に下った、後藤象二郎、江藤新平等によって民選議員設立の建白書が提出されて以来、焦慮憂鬱に閉ざされていた失意の士族は猛烈な勢いでこれを政府攻撃の手段とした。…
 政府としては、一難去ってまた一難である。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041877/82

この難局を明治政府が如何にして切り抜けただろうか。
このテーマは次回に記すことに致したい。
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【ご参考】
このブログで、こんな記事を書いてきました。
クリスマスが近づいてきましたが、戦国時代にキリシタンの兵士たちが、敵味方と合同でクリスマスを祝っています。
関連記事と合わせて読んで頂ければありがたいです。

永禄9年にあったわが国最初のクリスマス休戦のことなど
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-137.html

戦国時代に大量の寺社や仏像を破壊させたのはキリシタン大名か、宣教師か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-135.html

永禄10年に東大寺大仏殿に火をつけたのは誰なのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-136.html


関連記事
Comment
江戸時代の文化
江戸時代の文化は、世界レベルでトップ級であった。
識字率は、学習塾である寺小屋制度が農民、町民層への普及で8割を超え、世界一の教育レベル。
Re: 江戸時代の文化
ご指摘の通りですね。
しかし、教科書を読んでその明白な事実を読み取ることができません。
「自虐史観」で歴史を描くうえで都合の悪い史実は、何も載せないスタンスで編集されていると言ったら言い過ぎでしょうか。
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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