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明治政府は士族をどう活用しようとしたのか

前回は、明治維新のあとで士族の収入が激減した上に徴兵制が開始され、さらに廃刀令が実施されて、彼等の誇りや特権が剥ぎとられたばかりでなく、生活もままならなくなり、家財道具を売る者や、娘を売る者が出てきたことを書いた。

歴史書では「不平士族」という言葉で表現されているが、働く場所が奪われ、収入が9割以上カットされた上に、収入に12%もの新税を課せられては、士族が不平を持たないことのほうが余程不自然である。
また明治政府は、士族のうち家禄を自主的に奉還したものに対しては、起業資金を与える目的で年収の数年分の秩禄公債を与えたことが日本史の教科書などに記されているが、「年収の数年分」といっても、士族の家禄が大幅にカットされたことを勘案すれば、藩に仕えていた時代の数か月分の収入程度の資金に過ぎなかったはずだ。

明治政府は、もしかすると、旧士族が反乱を起こすことぐらいのことは始めから覚悟の上ではなかったか。
廃藩置県後、もし明治政府が藩に代わって従来と同様の禄を全士族に与えるとすると、全歳出の36%も士族の為に払わなければならなくなる。どうせ大幅に禄をカットするしかないのなら、士族を干せるだけ干すことによって不満分子を炙り出し、反乱を起こさせて士族の人数を減らしておくことの方がベターだという考えだったのかもしれない。
もし無理をして士族を日本軍に登用し、近代兵器を貸与したりすれば、いずれ明治政府にとってかなり危険な存在になりうることぐらいのことは想定していたとしても不思議ではない。

田原坂

明治政府が士族を冷遇したことから、各地で相次いで士族の反乱が起こり、明治10年(1877)には明治維新の最大の功労者の一人であった西郷隆盛を首領とする、鹿児島県士族ら約4万人が明治政府に反対して兵をあげ、8ヶ月にわたって九州各地で激しい戦闘が繰り広げられている。この西南戦争は最後の士族の反乱となり、近代兵器を持つ百姓や町人上がりの新政府軍が西郷らの士族の兵士に勝利したことは、教科書などにも記されている。

一方、この時期には明治政府の要人が士族によって命を狙われる事件が相次いでいる。
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに『明治以降大事件の真相と判例』という書籍が、ネットに公開されている。
その本で、西南戦争の頃に士族が起こした事件を見ていくと、明治7年(1874)1月14日には、征韓論が認められなかったことに不満を持った高知県の士族9名が岩倉具視に斬りこみ、岩倉は巧みに身をかわして濠の中に転がり込んで助かったという記録が出ている。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1280641/51

斬奸状

そして、西南戦争で西郷隆盛がこの世を去った翌年の明治11年(1878)5月14日には、大久保利通が石川県と島根県の「不平士族」6名によって暗殺されている。(紀尾井坂の変)
『明治以降大事件の真相と判例』に彼等の書き残した斬奸状が掲載されており、そこには彼等にとって「斬るべき者」の名前が列挙されている。
「木戸孝允、大久保利通岩倉具視、是れ其の最も巨魁たる者、大隈重信、伊藤博文、黒田清隆、川路利良の如き、亦許す可らざる者、其の他、三条實美等、数多の奸吏に至っては、則ち斗屑の輩、算するに足らず。其の根本を断滅せば、枝歯随って秋落す。」とあり、木戸が病気で死んだので大久保を狙ったと明確に記されている。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1280641/60

大久保が殺害された紀尾井坂の変に刺激されて、同じ年のまた同年の秋には伊藤博文の暗殺を企てた高知県の士族がいたが、これは未遂に終わっている。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1281115/71

一方で、士族の明治政府に対する反抗は次第に思想的なものとなり、自由民権を唱えることによって藩閥政治攻撃が年々激しくなっていったという。

しかしながら、明治政府が失業士族に対し何もしなかったわけではないのだ。さすがに、失業中の士族の家禄を増やすことについては考えなかったが、失業士族が生業に就くことを真剣に考えていたことは確かなのである。

明治文明綺談

前回の記事で紹介した菊池寛の『明治文明綺談』を再び引用しよう。

「工業に鉱業に、また牧畜農業に、当時漸く西洋の近代産業の組織を移入したが、そのためには莫大の数の技術者と労働者が必要となった。しかもこの大量の需要に対して、直ちに応じられるのは、当時失職して、社会の下積みになっていた20万を超える旧武士だけである。今日の言葉で言えば、労働力の再編成であるが、どうしても日本の近代産業を急に発達させるためには、政府としても真剣にこれらの士族の授産に乗り出さざるを得なかったのである。…
明治政府が士族転業のためにやった施策はたくさんあるが、その主なものは大体3つあると思う。資本の貸与、移住開墾の奨励、国立銀行の設立奨励である。…
 これらのうち、最も力がそそがれたのは、移住開墾の奨励であって、東北地方、北海道が移住地として指定されている。…
 その他政府が士族就業のために払い下げたりした土地は、山林などを含めて明治17年までに十万町歩に達したというから、その努力は多とすべきであろう。これらに従事した帰農士族の成績は、遺憾ながら不満足なものであった。比較的成功したのは北海道開墾ぐらいであったろう。しかし彼らによって、不毛の原野が相当開墾され、日本の耕牧地の面積が大いに増加したという功は没せられないと思う。
 また資本を貸して、士族の独立生計を維持させるという計画に基づき、明治22年までに、政府が極めて寛大な条件で貸した金は、総額530万円に達し、これによって職を与えられた士族の数は、全国に亘って数万の多きに達したと言われる。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041877/83

明治政府の中で、士族の転業について知恵を絞ったのは、意外にも、岩倉具視大久保利通なのだそうだ。
大久保利通

大久保は殖産興業のために官営の模範工場を多数設立したが、それにはいずれも軌道に乗せてから士族に払い下げることを意図したものだそうだ。菊池寛は同上書でこう解説している。
「例えば明治5年に、有名な富岡製糸場が設けられ、各府県から工女を募集した時、政府はこれを主として士族の子女にかぎったのである。彼女等は単なる女工ではなく、新しい技術を覚えるための伝習生であったのである。
 その他、紡績、機械、製糸、燐寸(マッチ)製造など、明治になってはじめて起こった産業の多くが、これら士族によって技術労力共に運転されたということは注目してよいと思う。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041877/84

国立銀行も同様な目的で100以上設立されたわけだが、多くの武士の転職がスムーズにいかなかったこともまた事実である。とは言え、明治時代にわが国の産業、金融の基礎が士族たちによって築かれたことは無視すべきではないだろう。

菊池寛

菊池寛は同上書で続けてこう述べている。
「大体において、政府の必死の努力にもかかわらず、次第に社会の下積みに沈んでいく士族が多くなったということは事実のようだ。新しい社会に、どうしても生活できぬのである。『士族の商法』というように、彼等は先天的に、この激甚なる資本主義の社会に伍して進む能力が欠けていたのである。
 しかし士族はインテリであって、その中には時勢をみるに敏なるものも少なくなかった。
 明治の実業家で、純粋に武士出身の者を拾ってみると、五代友厚、荘田平五郎、中上川彦次郎などがある。本格的な侍ではないが、それに準ずるものに、岩崎弥太郎、渋沢栄一、安田善次郎、藤田伝三郎などの名がある。
いずれも、今までの商人上がりの実業家の型を破った豪快味を持っていて、真に腕一本、その智嚢を資本にして、巨富を成したものばかりである
。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041877/85

少し補足すると、大阪株式取引所・大阪商工会議所を創設した五代友厚は薩摩藩、三菱の大番頭となった荘田平五郎は臼杵藩、三井中興の祖と言われた中上川彦次郎は中津藩、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎は土佐藩、第一国立銀行や東京証券取引所などの設立・経営に関わった渋沢栄一は幕臣、安田財閥の祖・安田善次郎は富山藩、藤田財閥の祖・藤田伝三郎は長州藩の出身である。
他には日産コンツェルンの創始者鮎川義介(長州藩)、三越百貨店創立者の日比翁助(久留米藩)、第二代住友総理事の伊庭貞剛(伯太藩)、三井物産の設立に関わった益田孝(幕臣)など、武士出身者で経済界の重鎮になった人物が目白押しなのである。

ところが、今の歴史書にはほとんどこの重要な事実が記述されず、『士族の商法』を揶揄するにとどまっているのだが、大多数の敗者に焦点を当てることが、公平な観点からの歴史記述と言えるのであろうか。

たとえば『もう一度読む 山川日本史』には、
「…金禄公債が低額であった士族の打撃は大きく、なかには、官吏・教師・新聞記者などになって新しい生活をはじめたものもあったが、なれない商売に手をだして『士族の商法』といわれるように失敗したりした者も多かった。政府は士族が新しい仕事をはじめる資金を貸しつけたり、土地を安く払い下げて開墾にあたらせたり(士族授産)したが、大部分の士族は急速に没落していった。」(p.221~222)
と、商売の世界では大部分の士族が没落したことを強調しているだけだ。この文章では明治時代の経済界をリードした大半の人物が士族であったとは誰も読み取ることが出来ないだろう。

どんなに厳しい時代であっても、伸びるべき人物は伸び、沈むべき人物は下層に沈む。
また、どんな世界であっても、競争が公平に行われてさえいれば、実力のある者が頭角を現すようになる。
明治期に歴史に名を刻むような著名な経済人を多数輩出したのだが、そのほとんどが士族であったという史実には、もっと注目して良いのではないだろうか。
しかも、彼等の出身を調べると、薩長土肥ばかりを優遇したわけではなさそうだ。明治初期に政府と敵対した藩や幕臣からも経済界の重鎮となった人物が少なからず出ていることは、明治時代の経済施策においては、概ね公平な競争が行なわれたと考えて良いだろう。

また、厳しい競争の中から勝ち残った経営者の多くが士族であったことは、欧米列強の圧倒的な軍事力・技術力・経済力に負けない国づくりを目指す明治政府にとっても望ましいことだったと思う。明治維新期には敵対した藩出身者であったとしても士族であれば、幕末期にわが国が欧米列強に経済的・軍事的に飲み込まれない国家であるために奔走した価値観を共有できたはずだからである。
明治維新後のわずかな期間に、わが国が欧米列強と伍すことのできる国家に成長することが出来たのは、国を愛し、視野が広く、かつ有能な士族出身者が経済界で存分に活躍できたことと無関係ではないと思うのだ。

岩倉具視

先程、岩倉具視も士族の転業に知恵を絞ったと書いたが、岩倉はこの問題について、「士族は日本の精神なり。…国勢の盛衰に関する心力を有す、日本の精神にあらずして何ぞや。」と言い、士族のような「高尚なる種族」を度外視して外人と競争しても、二三十年の間はどうしても敵わないという主旨の意見書を再三にわたり提出しているそうだ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041877/83
一度は士族に殺されかけた岩倉だが、新しい明治国家の中で、誇り高い士族たちにどのような役割を与えるかについて真剣に考え続けていたのである。

あらゆる改革には多数の犠牲者が生まれることはやむを得ないことだが、いつの時代においても為政者たる者は、改革の犠牲となった者たちも努力次第で、誇りを持って働くことができるチャンスを切り開くことができる社会を実現すべく、知恵を絞って欲しいものである。

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【ご参考】
このブログで、こんな記事を書いてきました。
良かったら覗いてみてください。

永禄9年にあったわが国最初のクリスマス休戦のことなど
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-137.html

戦国時代に大量の寺社や仏像を破壊させたのはキリシタン大名か、宣教師か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-135.html

永禄10年に東大寺大仏殿に火をつけたのは誰なのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-136.html

大晦日の「年越の祓」と「除夜の鐘」
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-58.html

飛鳥時代から平安時代の大地震の記録を読む
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-20.html

震度3で2万人以上の犠牲者が出た明治三陸大津波
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-21.html

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Comment
興味深い視点
大変興味深い記事をありがとうございます。
明治維新をいろんな角度から検証しないと、
日本の近現代史はしっくりと見えてきませんね。

記事とは直接関係はないですが、昔シャンソン
歌手の石井好子氏から久原房之助の大自伝本
をいただいたことがあります。
藤田伝三郎財閥を展開させたのが「久原房之助」
さらにそれを発展させたのが鮎川義介で、
この三人親族関係です。歴史の中ではどの
角度からのものでも「久原房之助」が抜けて
いて、不思議を感じます。実業家としても
日立の基礎を築いた人物で、大臣にもなり、
資財をはたいて孫文をかくまい、ほとんど
知られていないことですが、スターリンとも
面談しています。(大ユーラシア構想を
持っていた)。
日立の大煙突をみれば、企業城下町という
コンセプトがわかりますが、明治維新は
国策と言う点からは、城下町から、企業城下町
へ、という捕らえかたもありえると思います。

銀行の設立に関しては、複雑怪奇、未解明部分
だと思いますが、銀行家たちはすでに
グローバリストだったような気がします。
そういった意味で明治維新は、まさに開国だった
と。この視点が近現代史に不足してい
ると思います。

IPRにおける渋沢栄一の役割、渋沢栄一の曾孫
磯野富士子氏があのオーエン・ラティモアの
秘書だったと言うこと。すなわち実業家も
政治家も銀行家もグローバリストだったという
仮定を検証してみるのも面白いと思います。
とにかく、メスが入っていないのですよ。
世界金融と創成期の日本の銀行の関係などなど、
すべて闇の中。
Re: 興味深い視点
un beau jour さん、興味深いコメントをありがとうございます。

明治期の歴史叙述は綺麗ごとが多すぎてリアリティにかける印象をずっと持っていたのですが、戦前の本を探して読むようになってから、意図的に伏せられた史実に時々遭遇して、今度はなぜこのような史実を伏せるのかということを考えることが時々あります。

優秀な士族の人材が経済界で成功した背景に明治政府のバックアップがあったと描かれて欲しくない思いが彼らにあったのではないかと単純に考えていましたが、久原房之助と言う人物が歴史の叙述から伏せられているということになると、また別の原因があるような気がしてきます。この人物を調べていくと、阿片の密輸をした疑いがあるようですが、このようなことはおそらくその自伝には書かれていないのでしょうね。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1137207

渋沢栄一の曾孫がオーエン・ラティモアの秘書というのも初めて知りましたが、この時代の歴史は、かなり多くの政治家や実業家が左翼と繋がっていたと言う史実に蓋をして描かれているのかもしれませんね。
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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