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日本人傭兵隊がシャムで結成され、山田長政が活躍した背景を考える

前々回の記事で、1604年に朱印船制度が創設され、それ以降1635年まで、350隻以上の日本船が朱印状を得て海外に渡航したことを書いた。渡航先は安南、スペイン領マニラ、カンボジア、シャムなどの東南アジア諸国であったのだが、それらの地域には多くの日本人が移り住んで日本人町ができたという。

朱印船貿易と日本人町

「移り住んだ」と書くと、如何にも日本人全員が自分の意志で海外に渡っていった印象を受けるのだが、もう少し正確に言うと、少なからずの日本人が奴隷として売られて行って住み着いたということだ。

以前このブログで3回に分けて、豊臣秀吉が「伴天連追放令」を出した経緯について書いたことがある。
当時わが国に滞在していたイエズス会宣教師のルイス・フロイスがその点について詳細な記録を残しているのだが、それによると、九州征伐で博多にいた秀吉は、天正15年(1587)7月24日にイエズス会の日本準管区長のガスパル・コエリョに対し、使いを出して秀吉の言葉を伝えさせている。何点かあるのだが、3つ目の伝言が日本人奴隷に関する内容である。

「第三は、予(秀吉)は商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。それらは許すべからざる行為である。よって、汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に売られていったすべての日本人をふたたび日本に連れ戻すように取り計られよ。もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。予はそれに費やした銀子を支払うであろう。」(ルイス・フロイス「日本史4」中公文庫p.207~208)

秀吉が、金を払うから日本人奴隷を連れ戻し自由放免せよとまで述べたにもかかわらず、コエリョは協力する意思を全く示さなかったばかりか、取締まらない日本側に問題があると答えてさらに秀吉を激怒させてしまい、「伴天連追放令」が出されることになるのだが、詳しく知りたい方は是非次のURLを読んで頂きたい。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-132.html

フロイスのこの記録で私が注目したいのは、ポルトガル人だけでなくシャム(タイ)人もカンボジア人も多数の日本人を買っていたという点である。なぜこの2国が、多数の日本人奴隷を購入していたのだろうか

この時代にシャムの日本人町で活躍した山田長政に従っていた智原五郎八という人物が著したと伝えられる『暹羅(シャム)国風土軍記』という書物のなかに、シャム国がどのような日本人を、何のために買い求めたかについて述べている部分がある。昭和16年に出版された柴田賢一の『南洋物語』に該当部分が引用されているので紹介したい。

「元和年中より寛永の末*に至るまで、大阪落ちの諸浪人、あるいは関ヶ原、または天草落人ども賈人(こじん:商人)となりて多く暹羅(シャム)に逗留す。もし海賊強盗あれば武勇をもって追い払うゆえに、暹羅国王もこれを調法(ちょうほう)に思い、地を貸して日本人を一部に置く。日本人町と号し、海辺に数百件の町屋あり。永く留まる者は妻妾ありて子を設く。この時に住居する者8千余人ありしとかや」
*元和(げんな:1618~1624年)、寛永(かんえい:1624~1644年)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276416/102

住居数に対し住民が8千余人というのは多すぎるのだが、この数字はタイ族の使用人などが含まれた数字だと考えられる。

また、続けて柴田氏はこう解説している。
彼らは一部分商人として貿易に従い、一部分その武勇を高く買われて王室に仕えていた。日本からタイへの輸出品は、傘、蚊帳、扇子、屏風、畳、銅、鉄、塗物碗、樟脳、銅器、金銀器、鎧、太刀、弓矢、槍などであり、タイから日本への輸入品は象牙、白絹、孔雀、豹皮、紫檀、蘇木、鹿皮、支那布、鮫皮、鉛、籐、檳榔子実、牛皮、ナムラック、黒砂糖、水牛角、ガムラック、チーク、犀角等であった。」

Ayutthaya-Map.gif

Wikipediaにタイ国にあったアユタヤ日本人町の記述がある。
アユタヤを流れるチャオプラヤー川沿いを南に下った西岸に、最盛期で1000~1500人の日本人(タイ族などの使用人を除く)が住んでいて、アユタヤ日本人町の住民は、傭兵、貿易商、キリシタン、あるいは彼らの配偶者やタイ族の使用人などで構成されていた、とある。
さらに読み進むと、日本人傭兵隊についてこう書かれている。

「この日本人傭兵隊の勢力は200あるいは800人とも言われる勢力に膨張し、政治的にも大きな力を持つようになった。このアユタヤでは基本法典である『三印法典』に日本人傭兵隊の政治的位置が明確に示されるようになった。『三印法典』では、日本人傭兵隊はクロム・アーサーイープン(日本人義勇兵局)と名付けられ、その最高責任者にはバンダーサック(官位制度)の第三位であるオークヤー(あるいはプラヤー)・セーナーピムック( ออกญาเสนาภิมุข)という官位・欽賜名を授けられた。これは山田長政にも下賜された名前である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A6%E3%82%BF%E3%83%A4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E7%94%BA

『暹羅国風土軍記』にもWikipediaの解説にも『三印法典』にも、どこにも「奴隷」という表現は出て来ないのだが、ルイス・フロイスは明確に、豊臣秀吉が「九州で、シャム人らが多くの日本人奴隷を買っていた」ことを指摘したことを書いている。それに対してイエズス会のコエリョは秀吉の指摘を否定していない。イエズス会にとって都合の悪い出来事をフロイスがわざわざ書いているのだから、シャム人が日本人奴隷を大量に購入したことが嘘であるとは考えにくい。
では彼らが日本人奴隷を買う目的は何であったかと言うと、タイの『三印法典』の記録を読んで見えてくるのは、少なくともシャム人には国王家を中心に、日本人武士を傭兵として用いる強いニーズがあったという点である。アユタヤの日本人町の住民の中には、奴隷として買われて住み着いた日本武士が少なからずいたと考えるのが自然ではないだろうか。

またカンボジアも同様の目的で、日本の武士を買い集めていたことがわかる史料が存在するようだ。
先程紹介した柴田賢一氏の著書によると、元和9年(1623)にタイ国の施設が徳川幕府を訪れた際に持参した国書に、「カンボジア軍の中には日本兵が混じっているらしいから、しかるべく取締ってもらいたい」という内容が書かれていたという。
それに対して徳川幕府の返書には「海外に出かけて商売を営むような輩はどうせろくなものではなく、利益のためには何でもやるだろう。そんな連中を取り締まるなどもってのほかで、罪に応じ貴国で自由に征伐したがよかろう」と冷たかったそうだ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276416/104

シャム国といえば山田長政が活躍したことが有名だが、この人物の生国について史料にみえるものとして伊勢説、尾張説、長崎説、駿府説の4つがあり、古くから出自が不明である事や、内容について信頼できるわが国の文献が乏しいとされ、タイ側の記録にも該当する人物名が見当たらないことから、実在しなかったという説まであるようだ。
http://www.mekong.ne.jp/database/person/yamadanagamasa/19870304.htm

しかし、シャム国から何度かわが国に使節が来ておりその親書に山田長政の署名が確認できるし、金地院崇伝の『異国日記』にも彼の名前が確認できる。オランダ東インド会社の商館長のエレミヤス・ファン・フリートの報告(『シャム革命史話』)の中にも彼に関する記録があるようで、山田長政という人物がシャム国のアユタヤ王朝で認められ、活躍した人物であったことは確実である。出自について諸説があるのは、もしかすると、彼も奴隷として売られた過去があり、それを隠そうとしたのではないかと考えてみたりもする。

山田長政

では、シャムに渡ってからの彼の活躍について簡単に振り返ることにしたい。

山田長政がシャムに渡ったのは慶長17年(1612)頃とされているが、当時のシャム国のアユタヤでは日本人がソンタム国王の護衛兵を勤めていて、彼はその後日本人義勇兵を指揮するようになり、シャム国の内戦や隣国との紛争の鎮圧に活躍して、次第に頭角を現していったという。

e0004458_16331556.jpg

特に元和七年(1621)には、スペイン艦隊の二度にわたるアユタヤ侵攻をいずれも退けた功績で国王の信任を得、オークヤー(あるいはプラヤー)・セーナーピムック(ออกญาเสนาภิมุข)という官位・欽賜名を授けられ、チャオプラヤー川に入る船から税を取る権利を取得したのだそうだ。

前回紹介した菊池寛の書物によると、その頃、アユタヤのオランダ商館長ヨースト・スハウテンがこのように書き記しているのだそうだ。
「国王の水陸両軍の有力なる兵員は、諸侯と国民とより成り立っているが、またモール人、マレイ人、その他少数の外国人も混成している。そのうちでも、5-6百人の日本人は、最も主なる者で、周囲の諸国民より、その男性的信義の評判を得て特に重んぜられ、暹羅国王からも尊敬されている。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276921/93

戦艦図絵馬

寛永3年(1626)に長政は静岡の浅間神社に奉納した『戦艦図絵馬』を奉納したのだそうだが、残念ながらその絵馬は天明8年(1788)の火災で焼けてしまったそうだ。しかし、その模写が残されていたので、翌寛政元年(1789)に制作されたものが奉納されたという。
http://sengendori.com/nagamasa/nagamasagoods.html

ワット・プラ・シーサンペット

ところが、山田長政を信任したソンタム国王が1628年に亡くなってしまう。
国王の遺言により15歳のチェーター王が即位し、長政も若い新国王を支える側についたのだが、新王がシーウォーラウォン(のちのプラサート・トーン王)の陰謀を嗅ぎ付け、その人物を排除しようとして失敗し、逆にシーウォーラウォンに殺されてしまう(1629年)。
同年に、チェーターの弟でわずか10歳のアーティッタウォン王が即位したが、シーウォーラウォン(当時はチャオプラヤー・カラーホームスリヤウォンに昇進していた)が摂政となって政治の実権を完全に掌握し、それに抵抗した山田長政を六昆(リゴール:ナコーンシータンマラート王国)の防衛を理由に六昆国の総督に左遷してしまう。

長政は日本人三百人とシャム人三、四千人を率いて六昆国に行き、反乱軍を難なく平定したのだが、その間アユタヤではシーウォーラウォンがアーティッタウォン王をわずか38日で廃位させ、自らが王位に登りプラサート・トーン王と名乗っている。

そして新国王は、六昆国の反乱を直ちに平定した長政を怖れて、その排除に乗り出すことを決意した。
1630年にプラサート・トーン王は密命を出して山田長政を毒殺させ、さらに、アユタヤの日本人に「謀反の動きあり」として、四千人の兵を以て日本人町の焼き打ちを命じている。

この計画を事前に察知した日本人達は、攻撃が始まる寸前に数艘の商船に600人全員が乗り込んで出航したという。シャム兵が約百艘の船に乗って追撃してきたため、日本人も少なからぬ死傷者が出たが、なんとかカンボジアに遁れている。

その後、シャム国のプラサート・トーン王は日本人を再びアユタヤに呼び戻して、日本人町の復興にあたらせたのだが、寛永16年(1639)に江戸幕府の鎖国例が出たために日本人の海外渡航が禁止され、母国との連絡を絶たれたアユタヤの日本人町はその後衰退の一途をたどり、享保の初めごろには消滅してしまったという。

アユタヤ日本人町

かつて日本人町があった場所には、今では日本人が作った建物など以前の名残は全く残っていないのだが、記念公園とされた敷地内に「アユタヤ日本人町の跡の碑」と日本語で彫られた石碑が建てられているのだそうだ。
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【ご参考】
このブログで、日本人奴隷に関してこんな記事を書いています。よかったら、覗いて見てください。

400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-116.html

秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その①
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-132.html

秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その②
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-133.html

秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その③
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-134.html

16世紀後半に日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇教書の関係~~その1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-191.html

日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇の教書との関係~~その2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-192.html

日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇の教書との関係~~その3
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-193.html



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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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