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日本人女性がポルトガル人やその奴隷に買われた時代

前回の記事で、伴天連らが日本で布教活動を行なっていることは、わが国を占領する意図があることを秀吉が見抜いていたことを書いた。

中学や高校で学んだ歴史の教科書には宣教師らが渡来してきた目的がわが国の占領にあったなどとはどこにも書かれていないが、この当時のローマ教会やわが国に来た宣教師などの記録を読めば、かれらは単純にキリスト教を広めることが目的ではなかったことが容易に理解できる。

以前このブログで、15世紀にローマ教会が相次いで異教徒を奴隷にする権利を授与する教書を出していることを書いた。

カトリック教会と奴隷貿易

カトリックの司祭である西山俊彦氏の著書『カトリック教会と奴隷貿易』に1454年1月8日に教皇ニコラス5世(在位:1447~1455)が出した『ロマーヌス・ポンティフェックス』が訳出されているので紹介したい。

「神の僕の僕である司教ニコラスは、永久に記憶されることを期待して、以下の教書を送る。…
 以上に記した凡ゆる要件を熟慮した上で、我等は、前回の書簡によって、アルフォンソ国王に、サラセン人と異教徒、並びに、キリストに敵対するいかなる者をも、襲い、攻撃し、敗北させ、屈服させた上で、彼等の王国、公領、公国、主権、支配、動産、不動産を問わず凡ゆる所有物を奪取し、その住民を終身奴隷に貶めるための、完全かつ制約なき権利を授与した
 …ここに列挙した凡ゆる事柄、及び、大陸、港湾、海洋、は、彼等自身の権利として、アルフォンソ国王とその後継者、そしてエンリケ王子に帰属する。それは、未来永劫迄令名高き国王等が、人々の救い、信仰の弘布、仇敵の撲滅、をもって神とみ国と教会に栄光を帰する聖なる大業を一層懸命に遂行するためである。彼等自身の適切な請願に対し、我等と使徒座の一層の支援が約束され、神の恩寵と加護がそれを一層鞏固なものとするであろう。
我が主御降誕の1454年1月8日、ローマ聖ペトロ大聖堂にて、教皇登位第8年」(『カトリック教会と奴隷貿易』p.76-77)

文中の「アルフォンソ」はポルトガル国王であったアルフォンソ5世(在位:1438~1481)だが、この教書の意味することは重大である。ポルトガル国王とその伯父のエンリケ航海王子に対して、異教の国の全ての領土と富を奪い取り、その住民を終身奴隷にする権利をローマ教皇が授与しているのである。

ローマ教皇は「キリストに敵対する者の奴隷化の許可」を記した一方で、「キリスト教徒の奴隷化の禁止」を明記した教書も出したのだそうだが、西山俊彦氏は著書でこれらの教書についてこう解説している。

「…『正義の戦争――正戦――』を行なうに当たっての『正義』の基準が『唯一絶対的真理であるキリスト教』に『味方するか、敵対するか』にあると理解すれば、論理は一貫しています。しかも正戦遂行は義務もともなって、戦争によって生じた捕虜を奴隷とすることは、キリスト教以前から認められてきた『正当な権限』をキリスト教も踏襲しただけということになります。もちろん『正義』にしろ『正当な権限』にしろ、それら原理自体には大いに問題ありと言わねばなりませんが、これが現実だったわけで、当時はイスラム教徒はキリスト教徒を、キリスト教徒はイスラム教徒を奴隷として、何ら不思議とは思われていませんでした。」(同上書 p.78)

キリスト教徒とイスラム教はいずれも一神教で、お互いが相手の宗教を異教として許容することができない関係にあるために、自国の領土だけでなく奉じる宗教とその文化を守り広げていくために、お互いが相手国の領土や富や人民を奪い合う争いを続けてきた。
ところが、大航海時代に、キリスト教国がわが国のような非イスラム教の国家と接するようになっても、イスラム教の国々と同様の異教徒として、わが国の敗残兵や民衆を奴隷として大量に買い込んだのである。

このブログで、日本男性の奴隷を傭兵として買うニーズが高かったことを書いたが、日本女性のニーズも高かった。

徳富蘇峰

徳富蘇峰の『近世日本国民史 豊臣氏時代.乙篇』に、レオン・パゼーが著した『日本耶蘇教史』の付録に載せた文書が引用されている。
この文章も、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で公開されているが、これを読めば、多くの日本人が絶句するのではないか。

ポルトガル人の商人はもちろん、その水夫、厨奴らの賎しき者までも、日本人を奴隷として買収し、携え去った。而してその奴隷の多くは、船中にて死した。そは彼らを無暗に積み重ね、極めて混濁なる裡(うち)に籠居(ろうきょ)せしめ。而してその持ち主らが一たび病に罹(かか)るや――持ち主の中には、ポルトガル人に使役せらるる黒奴(こくど:黒人奴隷)も少なくなかった――これらの奴隷には、一切頓着なく、口を糊する食糧さえも、与えざることがしばしばあったためである。この水夫らは、彼らが買収したる日本の少女と、放蕩の生活をなし、人前にてその醜悪の行いを逞しうして、あえて憚(はばか)るところなく、そのマカオ帰港の船中には、少女らを自個の船室に連れ込む者さえあった。予は今ここにポルトガル人らが、異教国におけるその小男、小女を増殖――私生児濫造――したる、放恣、狂蕩の行動と、これがために異教徒をして、呆然たらしめたることを説くを、見合わすべし。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960830/214

なんと日本人少女が、ポルトガル人に使われていた黒人奴隷に買われていたケースが少なくなかったというのだが、それほど安く日本人が売られていたのである。
にわかにはこうような記録が事実である事を認めたくない人が少なくないと思うのだが、日本側にも奴隷にされた日本人がどのようにして運ばれたかを記録した文書が残されているので読み比べておこう。

ポルトガル国立小美術館にある桃山時代の「南蛮屏風」

豊臣秀吉の祐筆であった大村由己(ゆうこ)が、秀吉の九州平定時に同行して記した『九州御動座記』に、秀吉が『伴天連追放令』を発令した経緯について記した部分がある。この記録も徳富蘇峰の著書に引用されており、『近代デジタルライブラリー』で誰でも読むことが可能だ。

「今度伴天連等能き時分と思候て、種々様々の宝物を山と積(つみ)、いよいよ一宗繁盛の計略を廻らして、すでに後戸(ごと:五島)、平戸、長崎などにて、南蛮舟つきごとに完備して、その国の国主を傾け、諸宗をわが邪法に引き入れ、それのみならず日本人を数百男女によらず、黒船へ買取り、手足に鉄の鎖(くさり)を付け、舟底へ追入れ、地獄の呵責にもすぐれ、その上牛馬を買い取り、生きながらに皮をはぎ、坊主も弟子も手づから食し、親子兄弟も礼儀なく、ただ今世より畜生道の有様、目前之様に相聞候。見るを見まねに、その近所の日本人、いずれもその姿を学び、子を売り親を売り妻女を売り候よし、つくづく聞しめし及ばれ、右之一宗御許容あらば、忽日本外道之法に成る可き事、案の中に候。然らば仏法も王法も、相捨つる可き事を歎思召され、忝も大慈、大悲の御思慮を廻らされて候て、即伴天連の坊主、本朝追払之由仰出候。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960830/215

日本人奴隷はなんと、鎖に繋がれて、家畜の様に運ばれていたというのである。

完訳フロイス8

ルイス・フロイスの1588年の記録によると、薩摩軍が豊後で捕虜にした人々の一部は島原半島に連れて行かれて「時に四十名もが一まとめにされて、売られていた。肥後の住民はこれらのよそ者から免れようと、豊後の婦人や男女の子供たちを、二束三文で売却した。売られた人々の数はおびただしかった。」(「完訳フロイス日本史8」中公文庫p.268)と記されている。

キリシタン大名は日本人奴隷を売った金で、火薬の原料となる硝石を買い込んだようなのだが、その硝石が後に島原の乱で江戸幕府との戦いに使われたという。島原の乱については反乱軍の兵器の方が討伐軍よりもはるかに優位にあり、犠牲者も討伐軍の方が大きく、単純に農民一揆と分類されるような戦いではなかったのだが、この乱については別の機会に書くことにしたい。

話を元にもそう。
このように、わが国が西洋社会と接するようになって、多くの社寺仏閣が破壊され、多くの日本人が奴隷にされたのだが、宣教師たちはそれを止めようとした形跡は見当たらない。

今回の記事の最初に『ロマーヌス・ポンティフェックス』を紹介したが、このようなローマ教皇教書にもとづきポルトガルやスペイン国王には、異教徒の全ての領土と富を奪い取ってその住民を終身奴隷にする権利を授与されており、宣教師は異教徒の国々をキリスト教国に変えるための先兵として送り込まれていて、情報を収集するとともに、後日軍隊を派遣して侵略できる環境を整える使命を帯びていたのである。

イグナチウス・ロヨラ

イエズス会を創設した一人であるイグナチウス・ロヨラは、「私の意図するところは異教の地を悉く征服することである」と述べたのだそうだが、わが国に来た宣教師が残した文書には、東アジアの侵略事業を如何にして進めるかというテーマで書かれたものをいくつも見つけることができる。

たとえば、イエズス会日本布教長フランシスコ・カブラルが1584年にスペイン国王へ宛てた書簡にはこう記されている。ここではイエズス会は、キリシタン大名を用いて中国を植民地化することをスペイン国王に提案していたようだ。
「…私の考えでは、この政府事業(明の植民地化)を行うのに、最初は7千乃至8千、多くても1万人の軍勢と適当な規模の艦隊で十分であろう。・・・日本に駐在しているイエズス会のパードレ(神父)達が容易に2~3千人の日本人キリスト教徒を送ることができるだろう。彼等は打ち続く戦争に従軍しているので、陸、海の戦闘に大変勇敢な兵隊であり、月に1エスクード半または2エスクードの給料で、暿暿としてこの征服事業に馳せ参じ、陛下にご奉公するであろう。」(高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』p.95)

kirisitan.jpg

また1588年にアググスチノ会のフライ・フランシスコ・マンリーケがスペイン国王に送った書簡にはこう記されている。
「…もしも陛下が戦争によってシナに攻め入り、そこを占領するつもりなら、陛下に味方するよう、日本に於いて王*達に働きかけるべきである。キリスト教徒の王は4人にすぎないが、10万以上の兵が赴くことができ、彼らがわが軍を指揮すれば、シナを占領することは容易であろう。なぜなら、日本人の兵隊は非常に勇敢にして大胆、かつ残忍で、シナ人に恐れられているからである。」(同上書P.103)
*王:キリシタン大名の事

このように、宣教師たちはわが国の小西行長や松浦鎮信らキリシタン大名の軍事支援があればシナを征服することは容易だと考えていたのであるが、そのことは宣教師がキリシタン大名に出兵を要請した場合は、彼らが出兵に協力してくれることについて確信があったということであろう。もしキリシタン大名の協力を得てシナがスペインの領土となり、さらに朝鮮半島までスペインの支配が及んだとしたら、スペイン海軍はキリシタン大名とともに江戸幕府と戦うことになったであろう。

他の宗教と共存できない一神教のキリスト教を奉じる西洋諸国が、15世紀以降ローマ教皇の教書を根拠にして武力を背景に異教徒の国々を侵略し、異教徒を拉致して奴隷として売り払い、さらにその文化をも破壊してきた歴史を抜きにして、戦国時代から江戸時代にかけてのわが国の宗教政策や外交政策は語れない。

この時代のわが国に、キリシタン弾圧があったということをことさらに強調する本やテレビ番組などをしばしば見かけるのだが、このような弾圧があった背景に何があったかを一言も説明しないのは、どう考えてもバランスを欠いている。
戦国時代から江戸時代にかけての日本人にとって、キリスト教は、20年ほど前のわが国でテロ事件を繰り返した某宗教集団よりも、はるかに悪質な存在であったことを知るべきはないか。

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【ご参考】
このブログで、こんな記事を書いてきました。良かったら覗いて見てください。


東大寺二月堂に向け毎年「お水送り」神事を行う若狭神宮寺を訪ねて~~若狭カニ旅行1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-217.html

東大寺二月堂のお水取り
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-142.html

菅原道真が全国の天満宮で祀られることになった経緯
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-64.html



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Comment
人身売買は記録が少なくて調べるのが大変だと思います^^;
自分も史料的な裏付けがとれずにいるんですが、
宣教師や海外の人身売買と日本国内における人身売買は性質が異なるみたい。
日本だと納税を怠り奴隷として売られても罰則的なもので、村長の交渉など賠償?保釈金?を払えば解放されたらしいです。
が、海外の人身売買は完全な奴隷で「物」です。

九州では交易で財をなした戦国大名が多いですが、では日本側が売った「商品」は何だろうという素朴な疑問があります。
肥後・相良氏は八代の貿易港があったことは判ってますが、交易の中身は明瞭ではありません。
また日向・伊東氏も全盛期は本拠地が小京都と呼ばれるほど贅沢してたんですが、財源不明です^^;
島津も人身売買の噂はあるんですが、史料がなくて・・・

天正16(1588)年・・・島津の豊後侵攻は1586年なんですよね^^
勉強になりました~村ぽちぽちぽち
Re: タイトルなし
キリスト教の宣教師たちは異教徒の世界をキリスト教の世界に変えることに使命感を感じていたのか、結構詳細な記録を残しています。ルイス・フロイスは、豊後の人々が奴隷にされた記録を残していますが、この部分は前にこのブログで紹介しましたので、御存知かもしれません。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-134.html

「薩摩軍が豊後で捕虜にした人々の一部は、肥後の国に連行されて売却された。その年、肥後の住民はひどい飢饉と労苦に悩まされ、己が身を養うことすらおぼつかない状態になったから、買い取った連中まで養えるわけがなく、彼らはまるで家畜のように高来(タカク:島原半島)に連れて行かれた。かくて三会(ミエ)や島原の地では、時に四十名が一まとめにされて売られていた。肥後の住民はこれらのよそ者から免れようと、豊後の婦人や男女の子供たちを、二束三文で売却した。売られた人々の数はおびただしかった。」(「完訳フロイス日本史8」中公文庫p.268)…1588年の記述

「豊後の国の全領民は次のように三分された。その第一集団は、戦争のために死亡し、第二集団は、敵の捕虜となって薩摩や肥後に連行されたのち、羊の群れのように市場を廻り歩かされたあげく売られていった。彼らの多くは、二束三文の安価で売却された。第三の集団は、疾病や飢餓のために極度の貧困に陥って人間の容貌を備えていないほどであった。彼らは互いに殺し略奪し合っていた。」(同書p.314)…1589年

交易の中身は、長崎の17世紀の事例だと、奴隷もありましたが、銀や日本の武器、弾薬などが積み込まれていたようです。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-371.html
資料の隠蔽
古川薫氏の著書「ザビエルの謎」という本に、バチカンの図書館に資料調査に行かれた方のエピソードが紹介されていました。
その方が1度目に調べた時、ザビエルによる日本侵攻計画の報告書の原本があったそうです。
ところが次に訪れた時、その資料そのものが存在しないことになっていたとのこと。
いろいろチェックがはいっているのでしょうね。

http://www.amazon.co.jp/ザビエルの謎-古川-薫/dp/4163488006
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Re: 資料の隠蔽
ラングドックラングドシャさん、コメントありがとうございます。とても励みになります。

良く似た話ですが、慶応大学の高瀬弘一郎氏がバチカンにあるイエズス会文書館所蔵の日本関係資料を翻訳された後、バチカンが日本侵略関係の資料を非公開にしたという話を読んだことがあります。

古川薫氏の本は未読ですが、日本関係資料を非公開にしたというのは興味深い話ですね。安く手に入る本なので、取り寄せて読んでみるつもりです。

日本人に知らされていない話は、日本史の各時代にまだまだ数多くありそうですね。

勉強になります・・
 毎回、楽しく読ませておらってます。勉強になります。鎖国に至る流れには深いものがあることが、よくわかりました。
 さて、今回のテーマに関連して、私にはおもしろい=興味深い思い出があります。
 *****
 太田尚樹(歴史学者、特にスペイン史学、東海大学名誉教授)という先生がいらっしゃるのですが、『ヨーロッパに消えたサムライたち』(99年、角川書店、ちくま文庫)で、スペインにハポン姓を持つ人たちがいると書かれています。
 当時仙台におりまして、取引先の自称地元史家?にすすめられて購入しましたが、その原本がないので、サイトを検索したらありました・・、ご本人のインタビュー記事がありました。 http://www.athome-academy.jp/archive/history/0000000184_all.html
 さて、その説ですが、・・
「スペイン南部の町コリア・デル・リオと、その隣のラ・プエブラ・デル・リオには『ハポン』という姓を持つ人が602名います。『ハポン』とはスペイン語で『日本』を意味する言葉なんですが、彼らは皆、自分たちは日本から来た侍の子孫だと言っているんです」と。さらに、伊達政宗が家臣の支倉常長をイスパニア(スペイン)とローマへ派遣した慶長遣欧使節団のうち、「日本に戻らなかったメンバーが8名いたと思われます」と、述べています。
その根拠を、「まず大変驚いたのは、稲作です。一般に、ヨーロッパの稲作は籾(もみ)を直にばらまくやり方なんですが、この地域では稲作をする際、日本と同じように苗床をつくる風習があるんです。これはスペインはおろか、ヨーロッパのどの地域でも見られない方法です。おそらく17世紀に、残った「ハポン」達が何らかの形で日本式の米の栽培技術を伝え、あの地に水田を広めたのではないかと考えられます。
「さらにもう一つ、地元の医者によると、ハポン姓の赤ちゃんには、蒙古斑があるというんです」と。
 別に、最近専門家が血液検査をしたらしいのです。蒙古斑はマルタ島でもでるらしい・・WWⅠ関係かも。
 以上でありますが、私は藤木久志「雑兵たちの戦場」が先でした。書物はどちらを先に読むかで、大きく印象(洗脳?)されてしまう・・特に凡庸な小生などその最たるものかもしれませんが・・
 苗床から稲作をする栽培法にたけた伊達家の家臣が、使節から離れ日本に帰らずスペインの地に住みつき、姓を「ハポン」と名乗る?なぜ「ダテ」と名乗らないのだなどと、酒を飲んだ席で、この本を教えてくれたかの地の取引先をつっこんだのであります。
 さて、今回のテーマを読ませていただき、使節団とはちがう形で、スペインに行った人たちのご子孫ではないのかなと、思いました。ワルノリした表現ですみません。
 さて、鎖国のメリット、結果論かもしれませんが、大陸の属国にならなかったことなのではないでしょうか。このあたりの考察をお聞かせください。お願いします。
 
Re: 勉強になります・・
まつかぜさん、コメント頂き感謝です。とても励みになります。

スペインの南部の町に日本武士の末裔がいるという話は初めて知りました。興味深い話ですね。

私も長い間教科書的な歴史に洗脳されてきた一人ですが、いくつか納得できない記述があってそれを自分なりに調べている内に、次第に教科書的な歴史観の洗脳から解けてきました。
たまたま友人に刺激されてブログを書き始め、ネタが切れそうになってから歴史について納得のいかない部分を、自分の考えをまとめる目的もあっていろいろ調べて書くようになりましたが、多くの方に読んで頂いてとてもうれしいですし、皆さんの応援が良い励みになっています。

鎖国という選択をしたことはわが国にとって良かったのではないかと考えていますが、まだまだ考えがまとまっていません。この重たいテーマについてもいずれ取り組みたいと思います。
九州の研究家
しばやん様

こんにちは。
南米移民の話の続きです。
現在、日本では「情報不足によって発生した悲劇」という風に紹介されている、ブラジルの「勝ち組・負け組」問題ですが、これにも深い問題が隠れているようです。
終戦直後から、終戦によって無効となった軍票や、新円切り換えによって集められた紙幣が、大量にブラジルに送られたそうです。それが「日本は勝った」という偽情報とともに、日本へ帰還するためには日本円が必要という情報も流れ、多くの人が、無効となっているこの紙幣・軍票と、それまでの稼ぎとを交換してしまったとのことです。
http://www.rd.mmtr.or.jp/~inaba/windinabakatigumi.htm
http://www.fdsa-ph.com/modules/air_blog/?p=731

昭和27年に、記録映画を撮影するためにブラジルに渡った、高木俊朗氏の著作にも、当時の様子が記載されているとのこと(この高木氏の著作は未見ですが、とても貴重な著書を残されている方のようですね)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/高木俊朗
読まれた方の感想
http://satotarokarinona.blog110.fc2.com/blog-entry-242.html

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
「400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと」、に書かれた、16世紀にアルゼンチンにいたことが記録されている日本人奴隷の話は、ロバート・デニーロ主演の映画「ミッション」に出てくる伝導村(いまは世界遺産)が建設された頃のことですね。それにしても、大勢の日本人が奴隷とされたことは驚きです。
Re: タイトルなし
宇田先生のブログのうち『消された戦国九州奴隷貿易の真相に迫る』シリーズは、3年ほど前に私のブログで日本人奴隷の記事を書いた後でたまたま発見したのですが、今回の一連の記事を書くに際して目を通しておこうと思ったら、いつの間にか有料のサイトになっていました。メインページは初めて見ましたが、この書き方だと、宇田先生のシリーズのこの部分だけ、突然サイトから削除されたことになります。
いまも、日本人に知られてはまずい歴史を封印しようとする勢力が存在すると解釈すれば良いのでしょうか。

今回、日本人奴隷に関する記事を書くために井田先生のブログの記事をいくつか購入しましたが、有料にしてしまえば、ブログのアクセス数は激減したことだと思います。私の場合は、できるかぎり多くの人に読んで頂きたいので、サラリーマンを続ける限りはこのまま無料で続けたいと思っています。
もし急にいくつかの記事が消えたりした場合は、日本人を自虐史観で固定化させようとする勢力がブログ運営会社に不当な圧力をかけたと思ってください。

宇田先生
本当に、宇田先生のブログの有料化は、きな臭い話ですね。
現在も、先生が無料で更新なさっているページもありました。
http://denjiha55.blog.fc2.com/blog-entry-706.html
http://denjiha55.blog.fc2.com/archives.html
Re: 宇田先生
情報ありがとうございます。

宇田先生が最後に「削除されなければこの稿続く」と書いておられますが、もしこの様に書いていながらブログ管理会社に圧力がかかってこの記事が一方的に削除されることになれば、わが国において戦勝国やキリスト教国にとって都合の悪い史実を書く自由がないことを知ることを多くの読者が知ることになります。ブログでダメなら、出版など出来るはずがないことぐらいは、誰でも理解するでしょう。宇田先生は、この一行で、簡単に削除されないように抵抗しておられるのでしょう。

私が引用する文章の大半は戦前の本で、昔はこのような史実が日本人にも知らされていたのですが、戦後はほとんどの書物から、史実であることが明らかであるにもかかわらず、消されてしまっています。

理由は簡単です。このような史実は、日本人に押し付けた「自虐史観」と明らかに矛盾するからです。
戦後は日本だけが侵略国であるという戦勝国にとって都合の良い嘘っぽい歴史が、マスコミと教科書によって今も広め続けられています。
追加です
 追加させていただきます。
 これも、ここにもいた日本人ということで・・
メキシコに「日本人の末裔か」と言われているヤキ族という部族があるそうです。
http://web1.kcn.jp/y-asa/yaqui.html

 さて、「イエズス会の世界戦略」 (高橋 裕史著 講談社選書メチエ、2006年刊) は、イエズス会の史料をもとに日本での布教活動を分析しています。「21世紀日本アジア協会」の伊原吉之助先生の書評とポイントのご指摘をご覧ください。
 http://www.jas21.com/athenaeum/athenaeum17.htm
Re: 追加です
まつかぜさん、コメントありがとうございます。

天正遣欧使節のメンバーは世界各地で奴隷にされた日本人を目にしています。ヤキ族は、奴隷にされた日本人とかんけいがあるかもしれませんが、南米エクアドルで縄文式土器と同様な土器が発掘されています。その末裔なのかもしれません。

「イエズス会の世界戦略」は面白そうですね。未読なので取り寄せてみます。私の見立てに近いことが書いてありそうですね。

情報を頂き感謝です。
徳富蘇峰の『近世日本国民史 豊臣氏時代.乙篇』
引用は
レオン・パジェスの日本切支丹宗門史(1814-1886)
の付録が見つかりませんが
Re: タイトルなし
cbさん、コメントありがとうございます。

「徳富蘇峰の『近世日本国民史 豊臣氏時代.乙篇』 にレオン・パゼーが著した『日本耶蘇教史』の付録に載せた文書が引用されている。」とブログに書いた通りで、「ポルトガル人の商人はもちろん、その水夫、厨奴らの賎しき者までも、…放恣、狂蕩の行動と、これがために異教徒をして、呆然たらしめたることを説くを、見合わすべし。」という部分は、徳富蘇峰がレオンパゼーの著書の付録の叙述を引用している部分です。

残念ながらレオン・パゼーの著作は、国立国会図書館デジタルコレクションに公開されていません。
岩波文庫にあるレオン・パジェスの『日本切支丹宗門史』3冊を取り寄せましたが、家康の時代以降の部分だけを訳したもので、秀吉の時代のことはほとんど何も書かれていませんでした。


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皆さんこんばんは。今回は以前書いた「記事『大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww』について(1)」の記事の続きです。今回も当然『哲学ニュース』さんの「大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww」の記事をベースに書かせていただきます。前回は『哲学ニュー
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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