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サン・フェリペ号事件と日本二十六聖人殉教事件を考える

前回の記事で豊臣秀吉が、スペインの植民地であるフィリピンの太守のダスマリナスに対し、3度にわたり降伏勧告状を送ったことを書いた。

フィリピンでは、秀吉の3度目の降伏勧告状に対する返事をどうするかで議論があったようだが、協議の結果このような返事を提出することになったという。

「親和関係の継続は閣下の希望し給うところなるを知り、大いにわが本懐に適えり。なんとなれば閣下もわが国王も共に大なる者なり。よってその親和関係もまた大なり、従ってその結果は互いに大なり。」

そう書いておきながら、キリスト教徒としては、秀吉の臣下になることはどうしても拒絶したい。そこで、次のような表現が必要となってくる。

世界の全ての王が閣下に服従を申し出るとも、わが王およびその臣民がこれに倣うがごときは想像しえざるところなり。…
一度わが全知全能の主の偉大なることを知り給わば、閣下はわれらが全能の主に信頼を置くことの、いかに賢明なるかを了解し給うべし。余は閣下の不興を買わんがためにこの言をなすに非ず。ただ何ゆえにわれらが全知全能のわれらの主なる神およびわれらの最も偉大なるキリスト教王ドン・フィリップ王以外の他の国王、他の威力、他の主に帰順せざるかを知らしめんがために言えるのみ。」

一神教を奉ずる国はそれぞれが「絶対的正義」を掲げ、その正義を実現するために、異教徒世界と戦って勝利し、彼らの奉ずる宗教世界を拡大することを是として、後退することはあり得なかった。したがって、フィリピン太守が異教徒である秀吉の臣下となることを拒絶したのは、一神教的な考え方に立てば極めて当然のことであり、彼らは別に秀吉を挑発する意図を持っていた書いたわけではなかったのである。

昭和17年に奈良静馬氏が著した『西班牙(スペイン)古文書を通じて見たる日本と比律賓(フィリピン)』と言う書物にフィリピン国の返書の全文が出ているが、この本の解説によると秀吉に対して刺激的なところは最後に削られて提出されたのだそうだ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041580/72

秀吉に対する返書が日本に向かう船に託されたすぐ後に、マニラ太守のダスマリナスはスペイン国王に対して軍隊の派遣を要請する手紙(1594/6/23付)を送っている。この全文も同上書に出ている。

メキシコより大部隊の分遣隊を送ることは決定的に重要にして、かつ刻下の喫緊事なれば、メキシコ太守をして至急これが配慮方命令あらせ給え。…もし日本人襲来するも援兵到着せざる場合には、日本軍は長期にわたり大軍を以て攻囲占領し、臣らをして極めて窮迫の状態に陥らしむるに至るべし。…願わくは神の神聖なる栄光の下、神の思召しのままに行動せん。…」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041580/77
しかし、メキシコからは、分遣隊が送られることはなかったようだ。

ペドロ・バプチスタ

前回の記事の最後に少しだけ触れたのだが、フィリピンから二度目の使節の一員として派遣されたペドロ・バプチスタらフランシスコ派の宣教師たちが、京都に新しい教会を建てて、1594年の10月から堂々と説教を始めている
秀吉の『伴天連追放令』が出たのは1587年であったが、秀吉は南蛮貿易の実利を重視したので、よほどおおっぴらな布教活動をするのでない限りは、宣教師たちが日本に留まる事を黙認していたという。しかし教会を建てたとなると黙っているわけにはいかなくなる。
彼らに土地を貸した前田玄以*はこのことを秀吉に報告し、その後玄以は、何度もバプチスタらに布教を中止させようとしたのだが、彼らは一向にそれに応じようとしなかった。
宣教師たちは玄以が次第に干渉しなくなったのを見て、秀吉が黙認するに至ったと勝手に解釈し、マニラの本部に要請してさらに三人の宣教師を増員させ、京都だけではなく大阪と長崎にも教会を建てて信者を急激に増やすことに成功している。記録によると1595年には8000人もの日本人が彼らに洗礼を申し出たのだそうだ。
*前田玄以(まえだ げんい):豊臣政権で朝廷との交渉役や寺社の管理などを任された。

年が明けて1596年に、フィリピン太守のダスマリナスが死んで、ドン・フランシスコ・テロ・デ・グズマンが新太守に就任し、新太守は同年の6月12日にメキシコのアカプルコ港にむけて、サン・フェリペ号を出帆させている。ところがこの船は、東シナ海で台風に遭遇して甚大な被害を受けてしまう。船員たちはメインマストを斬り倒し、400個の積荷を放棄して、なんとか土佐の浦戸沖にたどりついた

土佐地図

船長は土佐の長宗我部元親に救助を乞い、土佐の船に曳航されて浦戸港に入ったが、元親は漂流船の積載荷物を没収することは日本の法律に定めてあるとして積荷を没収し、船長の返還要求に応じようとはしなかった。

松田毅一氏の『秀吉の南蛮外交』に、秀吉が土佐に派遣した増田長盛に送った書状が引用されている。それには「彼等スペイン人は海賊であり、ペルー、ノビスパニア(メキシコ)、フィリピン諸島で行ったように、当(日本)国を奪うために測量を行なう目的をもってきたのである。このことは、このころ、都にいた3名のポルトガル人ほか数名が太閤に知らせたことである」という主旨のことが書かれていたらしい。(松田毅一『秀吉の南蛮外交』新人物往来社p.227)

納得できない船長は二人の修道士らに贈り物を持たせて、大阪に向かって秀吉に直接請願させることにしたのだが、この使者たちは大阪でフィリピンから日本に来ているフランシスコ会の宣教師たちに接触して情報を取ろうとしたところ、それが叶わなかったという。しばらく松田毅一氏の著書を引用しよう。

秀吉の南蛮外交

一行はそこで、フランシスコ会の人たちを介して太閤様と交渉してはならぬ、彼らは太閤様の命により、捕えられ、十字架にかけられようとしていると聞かされた。25日(クリスマス)の昼間に、司令官らが多数の兵に護衛されて大阪のフランシスコ会修道院に赴くと、そこではすでにフライ・マルチン・デ・アギルレは、12人の番卒によって監禁されていた。
 以上は『サン・フェリーペ号遭難報告書』が述べている1596年12月25日までの経過である。後日の執筆であるから、多少の誤りはなしとしないが、客観的なその叙述は、まず信用してさしつかえあるまい。」(同上書 p.229)

少し補足すると、『サン・フェリーペ号遭難報告書』はサン・フェリペ号の船長であったマティアス・デ・ランデーチョが記したもので、現在、セビリアのインディアス古文書館に残されている書物である。そしてこの書に書かれている内容は、日本人に広く知られているこの事件の叙述とは随分異なる。

26聖人

通説では、秀吉が派遣した増田長盛がサン・フェリペ号の船長に対し「どうしてスペインはそんなに多くの国々を征服し得たか」と尋ねたところ「まず征服せんと欲する国に宗教伝道者を送り、国民がキリスト教に傾いた頃を見計らって今度は軍隊を送り、新しいキリスト教徒をしてこれに援助させるから容易なのだ」と答え、驚いた増田長盛は秀吉に報告したところ、秀吉はそれを聞いて激怒し、バプチスタらフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じ、合計26人が長崎で磔の刑に処された、というストーリーなのだが、このようなサン・フェリペ号の船長の発言があったという記録は日本側には史料が存在せず、イエズス会がそう主張していたことのようだ。

秀吉が激怒した原因が、サン・フェリペ号船長が放言した内容を増田長盛が伝えた結果であるのか、「都にいた3名のポルトガル人ほか数名」が太閤に讒言した内容によるのか、その違いは重大である。前者の場合は26人のキリスト教徒の処刑に関して、ポルトガル人らの関与はなかったことになるが、後者の場合は、26人のキリスト教徒の処刑が決定した理由はポルトガル人らの讒言があって、秀吉がサン・フェリペ号の荷物の没収とスペイン人宣教師らの処刑を決めたということになるのだ

では、「都にいた3名のポルトガル人ほか数名」とは誰であったのか。松田毅一氏は前掲書の中で、断定することは難しいとしながらも、当時都にいたポルトガル人として秀吉と親交のあったジョアン・ロドリゲス、イタリア人のオルガンチーノらの名前を挙げておられるが、いずれもイエズス会である。

同じカトリックの宣教師とは言え、イエズス会フランシスコ会は相当仲が悪かったことを理解する必要がある
そもそもわが国のキリスト教布教はザビエル以降イエズス会が独占していたのだが、秀吉の『伴天連追放令』の発布後、積極的な布教活動ができなくなった矢先に、フィリピンからスペイン系のフランシスコ会修道士が渡来し、おおっぴらに布教活動を開始したことに、イエズス会は強い不快感を抱いていたらしいのだ。
松田氏が指摘されているが、ロドリゲスとオルガンチーノは、フランシスコ会が日本に渡来することに反対していた人物なのである。
長崎で処刑された26人を調べると、20人が日本人で、残りの6人はいずれもフィリピンから送られたフランシスコ会の司祭や修道士であることは、もっと注目して良いだろう。
「日本二十六聖人殉教」事件はイエズス会が、わが国におけるフランシスコ会勢力を弱めるために仕掛けたのではないだろうか

26seijin.jpg

ところで、26人のキリスト教徒の処刑の第一報がフィリピンに届いたのは1597年の5月のことであったという。
この時のフィリピンの反応が奈良氏の著書に記されている。

「住民はこの報道を受け取って悲歎に沈むとともに、秀吉を無道者として大いに憤った。サン・フィリップ号およびその積荷貨物は価格百万ペソと見積もられた。フィリピンに帰った船員は日本に於けるポルトガル人は、スペイン人が日本から放逐されることを希望して、彼らになん等の援助も与えなかったと憤慨して語り、また日本に於けるイエズス会宣教師が彼らに対して冷淡であったことを訴えた。またある者は秀吉をして、フランシスコ会司祭らを処刑せんとする決心を固まらしめた原因は、イエズス会の宣教師がことさらにフランシスコ会の宣教師を悪しざまに伝えたためであると言った。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041580/84

スペイン人が、イエズス会の事をこのように書いていることは非常に興味深い。
通史などでは、秀吉がキリスト教徒を迫害したというニュアンスで記されているのだが、秀吉をそこまで激怒させたのが、フランシスコ会宣教師を日本から追い出そうとしたイエズス会の工作活動にあったということになると、イエズス会も「日本二十六聖人殉教」に深く関与したことになるのだが、その可能性は決して低くないのである。
西欧には、「サン・フェリペ号事件」と「日本二十六聖人殉教事件」に関する膨大な史料があるそうだが、それらのすべてがポルトガルかスペイン、イエズス会かフランシスコ会かのいずれかの側に立っているという。
わが国では、主にイエズス会・ポルトガルの立場で書かれた資料をもとに叙述されているようなのだが、松田毅一氏の主張しておられるとおり、この事件については西欧側の史料だけでなく第三者である日本側の史料とも比較して、個々の動かし難い事実を明らかにしていく作業が必要なのだと思う。

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【ご参考】このブログでこんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

シーボルトと日本の開国
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-30.html

シーボルトが、なぜわが国が西洋列強に呑まれないように奔走したのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-59.html

シーボルトはスパイであったのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-93.html

押収されたシーボルトの膨大なコレクションの大部分が返却されたのはなぜか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-124.html





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Comment
こういう話になると専門外なんで概要しか判らない^^
イエズス会とポルトガルがライバルだったらしいのは何となく・・・
と言っても時代劇や小説の受け売りですけど^^
一つ思うのは、ヨーロッパにとって「日本が市場として見魅力があった」・・・という事ですね。

現代の日本も欧米企業にとっては魅力ある市場なんでしょうね^^
Re: タイトルなし
1494年に教皇アレクサンデル6世の承認によるトリデシリャス条約によって、スペインとポルトガルとがこれから侵略する領土の分割方式が取り決められていて、さらに1529年のサラゴサ条約でアジアにおける権益の境界線が定められました。
サラゴサ条約に基づきスペインは西回りで侵略をすすめ、ポルトガルは東回りで侵略をすすめ、わが国は1549年にポルトガル国王の命によりイエズス会が布教を始めましたが、スペインは1571年にフィリピンを征服し、同国で布教を進めていたフランシスコ会が次に日本を狙って参入してきたことに、イエズス会が強く抵抗したという構図になります。

こういう話は、西洋の史料にしか書かれていないのでしょうね。
フランシスコ会
こんばんは。いつもお勉強させていただいております。
フランシスコ会といえば、アッシジのフランチェスコですね。懐かしいです。世界史の難関、キリスト教の興亡と教皇介入。 四苦八苦しました。
修学旅行で二十六聖人の前でミサを行ったのですが、イエズス会の学園でしたので、しばやん様の記事を知っていれば先生に突っ込んでお話を聞けたのになあ 。残念。
受験勉強ではなく、教養としてもう一度世界史を読み直したくなりました。
Re: フランシスコ会
つねまるさん、コメントありがとうございます。励みになります。

私も学生時代は頭に詰め込んだだけでしたが、今ようやくこの時代のことを学んでいるような気がしています。おそらくこのブログを書いていなければ、絶版になった本や戦前の書物を読むことはなかったと思います。
多くの良き読者に支えられているおかげで、勉強させていただいています。

定年になったら、長崎や鹿児島に行きたいと思っています。学んでいると、いろいろ行きたいところが増えてきました。
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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