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徳川家康が、急にキリスト教を警戒し出した経緯

前回の記事で、徳川家康は当初はキリスト教に比較的寛容であったことを書いた。
寛容ではあったが、家康がキリスト教を信仰していたわけでもない。どちらかといえば警戒していたのだが、かといって秀吉の禁教令を棄てたわけでもなかった。

ではなぜ家康は、当初はキリスト教に寛容であったのか。
徳富蘇峰は『近世日本国民史. 第14 徳川幕府上期 上巻 鎖国篇』でこう解説している。文中の「耶蘇教」というのはキリスト教のことである。

近世日本国民史 徳川幕府鎖国編

彼は宗教と貿易が、至近至密の関係にあるを看取し、対外貿易を隆盛ならしむるには、外教の伝来をも黙許せねばならぬ事情を、洞察したためである。坊主悪ければ袈裟まで憎いの反対で、外国商船の来たるを望むのあまり、外国船教師の来たるのをも、甚だしく拒まなかった。いわば、耶蘇教は、外国貿易には付属物だと考え、これを奨励せざるまでも、これを容認したのであろう。

関ヶ原役において、オランダ船リーフデ号の水先案内者安針(アダムス)より、18個乃至20個の大砲を購い、少なからざる便益を得た家康は、いかに外国貿易が、必要であるかを自覚するに余りあった。…彼は外国貿易と、交通とが、一国の富を増殖し、生活を向上し、かつ知見を開発する上において、少なからざる利益有るべきを会得し、極力これを奨励せんとした。しかしてこれがために、やむをえず、耶蘇教師の表向き国法と抵触せざる範囲における、行動を認容した

しかし家康は本来、耶蘇教に好意を持っていなかった。彼は用心深き性質であった。ゆえに、耶蘇教については、少なからざる注意を払うて、その国内に及ぼす利害得失を監視していたに相違ない。ただ当分の内、貿易に欠くべからざる付属物として、貿易奨励のため、これを認容していたにすぎぬ。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223830/21

LiefdeAlone.jpg

少し補足しておく。
慶長5年(1600)の3月に、豊後国の臼杵にオランダ船・リーフデ号が漂着した。その船は5隻からなる船団を組んで、1598年にロッテルダムから出航しインドに向かったのだが、悪天候のために他の船と離れてしまって漂流している内に、22カ月もの航海でようやくわが国に漂着したのである。出航時には110人も乗り込んだ船だったが、漂着時には生存者はわずか24名だったという。その中にイギリス人のウィリアム・アダムス(日本名:三浦按針)オランダ人のヤン・ヨーステン(日本名:耶楊子)という人物がいて、家康はこの二人をのちに江戸幕府の外交顧問として採りたてることになる。

ところで、このオランダ船・リーフデ号の漂着をポルトガル人やスペイン人は喜ばなかった。彼等は、乗船していたオランダ人やイギリス人の処刑を要求したのだそうだが、家康はウィリアム・アダムスらを大阪に招いて西洋諸国の事情を問いただしている。

徳川家康

徳富蘇峰の『近世日本国民史 第13 家康時代 下巻』に、『アダムス書簡』に記されている家康とアダムスとのやり取りの場面が引用されている。

大君(家康)はさらにポルトガル、スペインがオランダを敵視する理由と、その戦争の模様とを尋ねた。予(アダムス)はいちいち明細に答えたが、大君はすこぶる満足の様子であった。…予らは牢にある三十余日、もとより十字架上の刑を予期した。何となれば、ポルトガルの耶蘇会(イエズス会)徒らは、予らを誣(し)いて盗賊となし、予らを誅戮(ちゅうりく)せば、オランダ人も、英国人も、再び大君の威に恐れて、日本に来たることなかるべし、と讒訴(ざんそ)したからだ。
 しかも大君はこれを斥(しりぞ)けた。オランダ人やイギリス人は汝らの敵であるも、日本人には何等の損害を与えたことがない。汝らの敵国人であるからとて、日本の大君は、これを殺すべき理由がない。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223818/150

徳川家康がアダムスに対し、ポルトガルやスペインがオランダを敵視する理由を尋ねたということは、ポルトガル、スペイン、オランダの三国がそれぞれ敵対関係にあることを敏感に感じとっていたのだろう。アダムスがどう説明したかまでは記されていないのは残念だが、このブログで書いてきたように、太陽の沈まない国・スペイン帝国では属領のネーデルランド(オランダ)やポルトガルで紛争が激化していた時期であったことを知るべきである。

徳川初期の海外貿易家

大正5年に出版された川島元次郎著の『徳川初期の海外貿易家』という書物では、家康がアダムスらを登用した背景をこう解説している。

「(家康は)宇内の形勢を考察し、リーフデ号乗組みの蘭英人(オランダ人、イギリス人)は、早くわが国において通商および宗教上に侮るべからざる勢力を有する葡西(ポルトガル、スペイン)両国人の讐敵にして、二者相容るべからざる関係に立てるを洞察し、葡西人牽制の政策上、この新来の外人を厚遇するの利なるを看破したりけん、…」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951020/201

すなわち家康は、アダムスらを優遇することが、スペイン・ポルトガルを牽制することにつながると考えたわけだが、さすがに戦国時代を勝ち抜いた人物だけあって、人の使い方が見事である。
家康はアダムスに大型船の建造を命じ、のちに250石の旗本に取り立てて帯刀を許したのみならず、相模国逸見(へみ)に領地も与えたという。

三浦按針

アダムス自身が、自らが受けた待遇について記した文章が、徳富蘇峰の前掲書に引用されている。
大君は予を遇すること甚だ厚く、英国の大名にも比すべき地位を賜い、八、九十人の百姓を、従僕として給せられた。かかる貴き地位を外人に与えることは、予が最初である。
予がかく大君の信用を得たから、前に予を敵視したる葡西人らの驚きは、大方ではなく、いずれも媚びを呈し、友として交わらんことを希(ねご)うている。予は怨みを棄てて、彼らのために尽力している。(『アダムス書簡』)」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223818/171

家康はリーフデ号の高級船員であったオランダ人のヤン・ヨースティンも厚遇したのだが、彼らの協力を得て、江戸幕府とオランダとの交易が開始され、後にイギリスとも交易が始まることとなった。

家康の時代には日本人が盛んに南方の各地に往来するようになり、外国の船もわが国に訪れて、外国貿易が一層盛んに行われるようになるのだが、慶長14年(1609)、肥前日野江藩(後の島原藩)主有馬晴信の朱印船の乗組員がマカオに寄港したおり、ポルトガル船の船員と取引を巡って騒擾事件を起こし、マカオ総司令アンドレ・ペソアが鎮圧して晴信側の家臣と水夫ら約60人が殺されるという事件があった。(マカオの朱印船騒擾事件)
これに怒った有馬晴信は徳川家康に仇討の許可を求め、そこへアンドレ・ペソアがマードレ・デ・デウス号に乗って長崎に入港したため、晴信は多数の軍船でこの船を包囲しデウス号を攻撃し、船長は船員を逃して船を爆沈させている。(マードレ・デ・デウス号事件)

その後有馬晴信は、デウス号撃沈の功績による旧領(当時鍋島領)回復を試みたがなかなか実現しないために、老中本多正純に与力として仕えていたキリシタンの岡本大八に接近。大八は家康の偽の朱印状まで周到に用意し、自分が老中の仲介となるのでそのための資金を無心したという。晴信は、老中の働き掛けがあれば旧領の回復は可能と考え、結果として6000両もの金銭を大八に騙し取られてしまう。(岡本大八事件)

その後、大八の犯罪が露見し、慶長17年(1612)3月21日に安部河原で火刑に処せられたのだが、この同日に江戸幕府は公的に幕府直轄地に対してキリスト教の禁教令を布告して大名に棄教を迫っている。そして翌慶長18年(1613)2月19日には、禁教令を全国に拡大し、金地院崇伝に「伴天連追放之文」を起草させている。

高山右近

そして、この禁教令により長崎と京都にあった教会は破壊され、翌慶長19年(1614)11月には修道会士や主だったキリスト教徒がマカオやマニラに国外追放されている。高山右近もこの時にマニラに送られている。

家康が突如キリスト教を禁じた理由は、通説では、岡本大八のようなキリシタンが幕府の中枢近くにいることに家康が驚いたというものだが、私にはこの説にあまり説得力を感じない。なぜ一人の収賄事件でキリスト教を全面禁止し、主要なキリシタンを国外追放することにまで発展したのか、あまりピンと来ないのだ。

徳川家康金地院崇伝に書かせたという「伴天連追放之文」が、徳富蘇峰の前掲書に引用されているのだが、これを読んでも、なぜ家康が急にキリスト教を禁止したという肝心な点が見えてこない。

「かの伴天連の徒党は、みな件の政令に反し、神道を嫌疑し、正法を誹謗し、義を損い善を損す。刑人あるを見れば、載(すなわ)ち欣(よろこ)び載(すなわ)ち奔 (はし) る。自ら拝し自ら礼し、これをもって宗の本懐となす。邪法にあらずして何ぞや。実に神敵仏敵なり。急に禁ぜざれば、後世必ず国家の患(うれい)あらん。ことに号令を司りこれを制せざれば、却って天譴を蒙らん。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223830/78

また徳富蘇峰の前掲書には、日本に来ていたある宣教師の報告(スペインのセビリア市インド文書館所蔵)が引用されている。

「数年来当地(日本)にある一人のイギリスの航海士(アダムス)は諸国の語に通じ、宣教師らに対し、親友たるがごとく装(よそお)えども、その実甚だしき異教徒にして、重大事件においては、悉くわれらの敵だ。…さきに耶蘇教徒および宣教師に対して、甚だ惨酷なる迫害の起こったのも、彼が国王(家康)に説いて、宣教師の日本にあるは、日本国民を救済するためではなく、多数の信徒を得、スペイン人と共謀して、日本を征服し、ペルーおよびノビスパン*の如くなさんとするにありと言い。国王はこれを信じ、この一事が、迫害の一原因となったとは、当人の英人の口から、われらの親しく聞いたところである。」
*ノビスパン:北アメリカ大陸、カリブ海、太平洋、アジアにおけるスペイン帝国の副王領地を指す名称
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223830/75

しかし、キリスト教の宣教師たちはわが国を侵略するために派遣されたという説は、すでに1596年のサンフェリペ号事件の時に豊臣秀吉らには知られていたものであり、家康が17年間もこのことに気付かず、アダムスも来日後13年間もこのことを家康に伝えなかったということは考えにくいところである。

では、なぜ家康がキリスト教に対する施策を急変させたのか。

徳川幕府は慶長18年(1613)12月27日以降京都、伏見、大阪、堺のキリスト教信徒(外国人、日本人)の名簿の作成を命じているのだが、蘇峰はその背景についてこう解説している。

徳富蘇峰

耶蘇教徒が、頻りに大阪と交通する傾向があったから、特にこの際において、禁教令は発布せられ、かつ励行せられたものであろう。現に高山右近の如きも、秀頼より大阪に迎えんとしたが、退去の後*にて及ばなかったということだ。
 大阪の陣**に際しては、耶蘇教徒の在城者は少なくなかった。これは追放の結果、ここに至ったのか、もしくは家康が追放しなかったらば、更に多くの耶蘇教徒が入城したであろうか。それはいずれも想像に過ぎぬ。しかし、大阪事件の破裂に先立ち、家康が耶蘇教徒に、一打撃を加えおくの必要を感じたことは、間違いあるまい。」
*「退去の後」:慶長19年(1614)に高山右近が国外追放された後の意
**大阪の陣:江戸幕府が豊臣家を滅ぼした戦い。大坂冬の陣(慶長19年:1614)、夏の陣(慶長20年:1615)

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223830/84

豊臣秀頼は、キリシタン武将を集めて江戸幕府と本格的に対決する準備をしていたという。同上書で蘇峰は、パジェーの『日本耶蘇教史』には次のような記述があることを紹介している。

豊臣秀頼

秀頼は新たに軍兵を募り、50人の部将を聘した。その内には豊後の旧主ドン・フランシスコ*の子息、右近**殿の子息もあった。明石掃部***、およびその部下の外に、尚五畿内および北国の追放耶蘇教徒の、秀頼に加担せしもの少なくなかった。中にはジュスト右近**殿の旧臣も混じていた。而して六旒(ろくりゅう)の大旗に、神聖なる十字架と、救世主の像、または聖ヤコブの像を描きたるものを用いた。耶蘇教徒に充ちたる、秀頼の軍隊は、其間に多くの宣教師があった。彼等はいずれも教役を行なわんがために来集した。」
*ドン・フランシスコ:大友 義鎮(宗麟)
**右近、ジュスト右近:高山右近
***明石掃部:備前保木城主の明石飛騨守景親(行雄)の子、明石全登

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223830/84

1280px-The_Siege_of_Osaka_Castle.jpg

もし家康がキリスト教に対して寛大な状態のままで、豊臣家との戦いに突入していたらどのようなことになっていただろうか。
江戸幕府は、外国勢力からの軍事資金や武器支援と勇猛なキリシタン武将を味方につけた豊臣軍を相手に戦うことととなり、最終的に江戸幕府が勝利したにせよ、かなり苦しい戦いを強いられたことは間違いないことだろう。
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【ご参考】
有名な「方広寺鐘銘事件」は、慶長19年(1614)の出来事で、家康が金地院崇伝に「伴天連追放之文」を起草させたのが慶長18年、高山右近らが国外追放を受け、大坂冬の陣が起こったのが慶長19年だ。これらの事件は全部繋がっている。
この方広寺という寺は、創建以来約400年の間に、大仏は5回潰れ大仏殿は3回倒壊した寺なのだが、この寺を訪れて、この寺の歴史について書いてみました。

東大寺の大仏よりもはるかに大きかった方広寺大仏とその悲しき歴史
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-86.html


家康は外国貿易を広めたが、ではスペインやポルトガルはわが国から何を買い求めていたのか。鉄砲や日本刀などの武器が多かったのだが、同時に大量の「日本人」も取引されていたことが、戦後の歴史叙述からは欠落してしまっています。興味のある方は覗いてみてください。

日本人傭兵を買い漁った西洋と東南アジア諸国の背景を考える
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-371.html


日本人傭兵隊がシャムで結成され、山田長政が活躍した背景を考える
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-370.html


日本人女性がポルトガル人やその奴隷に買われた時代
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-373.html




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Comment
このあたりになると、専門外なんで引出しゼロです^^;
三浦按針といえば、往年の「将軍」ですね~

これは単なる感想なんですけど、
布教と貿易がSETの国と、それはそれ商売は商売って国の二択があれば、為政者としては後者を選ぶと思います。

徳川家康の年代の戦国武将は、一向一揆の鎮圧に手こずった経験があります。
一枚岩と言われた徳川家臣団ですら、信仰をとって家康の元を離れた者が少なくなかった。
(一揆が鎮圧されたら帰参して家康も受け入れたけらしい)
ちなみに一向宗ほど有名じゃないけど法華衆も戦国期はハッスルしてた^^;
家康はキリシタンを第二の一向宗になるんじゃないかと恐れたんじゃないでしょうか。

えっと、未だ不勉強で詳細が判らないんですが、
戦国以前まで、武将というか各武家には其々に「自分ちの神様」があったんです。
いわゆる「○○国一宮」とか「○○総鎮守」とかってやつです。
これは、しばやん様の方が御専門だと思います。
家康とそれを受けた江戸幕府は、これを一つに統合し東照宮を中心に神様格付けを再構築したのか、しようとしたかな?
まだ勉強が追い付いてません^^;

とにかく、武将それぞれが氏神をもってたのが、まず初めに東照宮が一番目になる。
有力神社には別当寺がSETだから、神社を整理すれば寺も整理できる。
寺社奉行など、諸法度が本格的に制度化されるのは家康死後だけど、家康存命時に構想はあったと思います。
ブレーンが天海であり金地院崇伝。
家康と江戸幕府が敷いた宗教対策は、何というか素晴らしく完璧に近いです。
善悪功罪は別問題となりますが、どんな宗派でも幕府の出先機関にならざるを得ない。

キリシタンは外国が背後にいるため、家康の宗教対策が及ぶ範疇にない。
でも貿易のために我慢してた、三浦按針という駒を手に入れた事で、我慢の必要がなくなったんじゃないでしょうか。

と、いう想像です^^
専門外のことばかりですので、色々突っ込みどころはあると思いますが、流してください~拍手
Re: タイトルなし
時乃★栞 さん、いつもコメント頂き感謝です。

戦前の本をネットで読むようになってから、日本史に関しては、戦前の本の方が当時のさまざまな記録を追いながら、深く考察されていると思うことがよくあります。戦後に出版された多くの史書が見逃している史実の多くを発見することがあります。

当時の外国人は結構記録を残しているようで、そのような記録をもっと読めば、この時代の出来事がもっと鮮やかに見えてきそうに思っています。

しかし、家康は三浦按針をうまく使ったと思います。オランダを引き入れて、スペインポルトガルを排除できたことは大きかったと思います。この点は、私も想像ではありますが、時乃★栞 さんと同意見です。
昔から
単純にバチカンの植民地計画がわかったからではないですか

今もバチカンはあらゆる諸外国に対して暗躍していますしね

戦争の裏にはアメリカのCIAかバチカンか絡んでる、という位ですから

もともとイエズス会はその国の情報収集とその国の内乱を起こすために派遣されてきた言わばテロ組織ですからね

その本性を知ったんでしょうね、家康は

それと日本のクソ坊主どもがいろいろと文句を言ってたに違いない

Re: 昔から
「バチカンの植民地計画」を家康がどこまで読み切っていたかどうかは分かりませんが、三浦按針あたりからスペインの植民地政策についてはかなり話を聞いていたと思われます。

当時のキリスト教の布教方法には相当問題があったと思います。
内乱を起こすことが目的ではなく布教することが目的でしたので「テロ組織」とまでは申しませんが、布教のためには異教徒や異教徒の国家に対していかなる手段をとっても許されると考えていた点が、多くの異教徒の国々にとっては甚だ迷惑だったことでしょう。
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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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