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「観音の里」長浜の桜と文化を楽しんだあと、徳源院や龍潭寺、井伊神社を訪ねて

鶯の鳴き声で目が覚めて、清々しい朝を迎えた。
昨日の夕刻から降り出した雨も上がり、今日は存分に桜が楽しめそうだ。

長治庵の朝食を終えて、最初に向かったのは渡岸寺観音堂(長浜市高月町渡岸寺50:0749-85-2632)だ。

「渡岸寺(どうがんじ)」というと誰でも寺の名前だと思ってしまうところだが「渡岸寺」は地名であって、寺の名前は向源寺(こうげんじ)だという。
もしかすると、その「渡岸寺」という名の寺が以前は存在したのかもしれないが、記録には残されていないようである。

渡岸寺観音

広い境内の奥に本堂があり、内陣の中央には平安時代後期の木造阿弥陀如来座像が安置されているのだが、この本堂の横に収蔵庫があり、その中に、有名な木造十一面観音像(国宝)が安置されている。

向源寺木造十一面観音像

内部の撮影は禁止されているので、ネットで公開されている画像を紹介するが、この仏像の素晴らしさはとても画像では伝えることができないし、言葉で表現することも難しい。
頭上に11面の小面が実にバランスよく配置されて、わずかに腰をひねっている姿勢が、どんな角度から眺めても美しく、観ていて飽きないのである。

長浜市に限らず、湖北地方は仏教文化財が多く、特に観音菩薩像がほとんどの集落にあって、長い間それぞれの村人たちによって大切に守られてきた。
4年前にこのブログで、紅葉で有名な鶏足寺の近くにある石道寺(しゃくどうじ)という寺を訪ねたことを書いたことがある。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-219.html

石道寺本尊

石道寺の本堂には平安中期の作とされるケヤキの一木造の本尊・十一面観音立像(国・重文)、鎌倉時代の作とされる木彫持国天立像(国・重文)、木彫多聞天立像(国・重文)が安置されているのだが、これだけの文化財がある寺であるにもかかわらず住職が不在で、集落全体が観音様のお世話を続けていることを知って驚いた。

『観音の里』というホームページで、この地域の観音像の幾つかが紹介されているが、そのうちの幾つかの仏像は寺院にはなく、公民館や神社などで安置されている。様々な経緯があって寺院が廃絶されたのだと思われるが、古い仏像を地元の人々が代々大切にし、小さな建物に安置されて地元の人々に護られてきたことは素晴らしいことである。
http://kitabiwako.jp/kannon/k_spot/

前回と前々回の記事で、織田信長勢が湖東三山に火をつけたことを書いたが、この湖北の地にも信長勢が現われて、観音堂に焼き討ちにかけようとしたのだそうだが、村人たちが観音像を川底に沈めたり、地中に埋めたりして、戦火から守ってきたと伝えられている。

しかしながら、『観音の里』の解説によると、
「平安時代以降、天台傘下として己高山(こだかみやま)を中心に栄えた湖北の寺々は、室町期頃には弱体化し、代わって浄土宗・曹洞宗・浄土真宗・時宗らのいわゆる新仏教が農民勢力の台頭に併せて勢力を伸ばし、戦国の動乱期にいたって、…村々にあった天台寺院の多くは衰退して無住・廃寺化し、そこに残された尊像たちは、宗派・宗旨の枠を超越して、村の守り本尊として民衆に迎えられていきました。」とある。
http://kitabiwako.jp/kannon/about/

そんなに弱体化した寺を攻めたところで軍事的には何の意味もなく、地元の人々が大切にしてきた仏像に火をつけてしまっては民衆の支持を失うだけだろう。ではなぜ信長勢が、こんな場所にまで焼き討ちをかけようとしたのだろうか。

前々回の記事で、戦国時代に多くの寺院が焼き討ちされたことについての私の考え方を紹介したが、当時のキリスト教宣教師が大名や信徒たちに寺を焼き仏像を破壊することを教唆していたことをイエズス会のルイス・フロイスが記録していることは極めて重要である。
またフロイスと同様に日本にいたジアン・クラッセも、『日本西教史』に、イエズス会日本準管区長コエリョの言葉として、寺社を破壊した理由についてこう記している。

「キリストの教えはただ天地創造の一真神を崇拝するにより、殿下は日本人のキリスト教に入るを許し、偶像を拝するを禁じ、而して真神に害する所あるを以てその社寺を毀つを許されしなり。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943460/359

文中の「殿下」は秀吉のことだが、信長にせよ秀吉にせよ、他の大名にしても同じ発想になるだろう。キリスト教の教義では偶像崇拝を禁止しているのだが、当時来日していたイエズス会のトップが、権力者からキリスト教の布教が認められたということは、異教である仏教の寺や仏像・神社を破壊することも同時に許されたと解釈していたことに、もっと注目する必要があるのだと思う。多神教を奉ずる日本人にはなかなか信じられない発想だが、一神教を奉じる人々の発想は単純すぎて、教義と異なる考え方や文化的価値を許容できないところに怖さがある。
キリスト教の宣教師は、わが国が戦国時代において各地で戦を繰り返していたことを、異教世界を一掃するための好機と捉えていてもおかしくない。この時代には、滋賀だけでなく全国各地の寺や仏像を破壊した事例がやたら多いのだが、キリスト教宣教師たちに教唆されたキリシタン武士や信徒達がで実際に火をつけたケースが少なからずあったと私は考えている。

話を元に戻そう。
向源寺を出て次の目的地である長浜城歴史博物館(滋賀県長浜市公園町10:0749-63-4611)に向かう。向源寺からは25分ほどで到着する。

長浜駅の西側を走る湖周道路のさらに西に長浜城跡があり、周囲は豊臣秀吉にちなんで豊(ほう)公園と名付けられ、ソメイヨシノを中心に約700本の桜が城郭風の長浜城歴史博物館を囲むように植えられていて「日本さくら名所100選」にも選ばれている。駐車場が気になっていたので、早い時間に到着するように旅程を組んでいたのだが、9時40分頃に着いたので駐車場も問題なく入ることができた。

長浜城の桜

駐車場方向から観る桜は、長浜城歴史博物館の白壁と青い空に映えて美しかった。
いろんな角度からその景観を楽しんだのち、長浜城歴史博物館に入ることにした。

長浜城の桜2

上の画像は、天守閣に似せた博物館の展望階から見た景色だが、桜と琵琶湖の素晴らしい景観を独占することができた。桜はまだ7分咲きではあったものの、豊公園の桜が思う存分に枝を拡げて花を咲かせていて、雨上がりの琵琶湖の空は澄み、北は竹生島、西には比良山地、南は沖島まで良く見渡せた。

桜と琵琶湖の雄大な景色を楽しんだのち、駐車場に車を置いたまま、長浜市をしばらく散策することにした。

大通寺 山門

最初に訪れたのは長浜御坊・大通寺(長浜市元浜町32-9)。
慶長元年(1596)に長浜城内に営まれた講の会所がのちに大通寺と号したのだそうだが、彦根藩2代目の藩主井伊直孝により寺地の寄進を受け、慶安2年(1649)に現在の場所に移ったのだそうだ。
上の画像は山門で、東本願寺の山門を模して天保11年(1840)に完成したものだそうだ。

東本願寺から伏見城の遺構を移して伽藍が整えられたと伝えられていて、本堂は国の重要文化財に指定されている。
また広間も国の重要文化財で、狩野派の絵師らによる障壁画は結構見ごたえがあった。

大通寺 庭園

上の画像は含山軒庭園(国名勝)で、名前の由来は、伊吹山を借景にしていることからなのだそうだ。

長浜八幡宮鳥居

大通寺の参道を戻って、やわた夢生小路を東に進むと長浜八幡宮(長浜市宮前町13-55)の鳥居が見えてくる。

長浜八幡宮 拝殿本殿

長浜八幡宮は、源義家が京都の石清水八幡宮を勧請して創建したものとされ、豊臣秀吉の庇護を受けて発展したという。
この八幡宮の春の例祭が有名な長浜曳山祭で、京都の祇園祭、高山の高山祭と並んで日本三大山車祭りの一つになっている。曳山は全部で13台あり、その内長刀山以外の12台には歌舞伎が演じられる舞台があり、毎年4台の曳山が長浜八幡宮に集まって、この境内をはじめいくつかの場所で子供歌舞伎が演じられるのだそうだ。祭りの日程は次のURLに出ている。
http://www.geocities.jp/nagahamamap/hikiyama.html


祭りの様子は、多くの方がYoutubeなどで紹介しておられるが、子供の歌舞伎といっても相当レベルが高く、伝統行事が現代っ子にもしっかり受け継がれてきていることに感心してしまう。

長浜曳山祭り 山車とシャギリ

私は残念ながらこのお祭りを映像でしか見たことがなかったのだが、たまたま私が長浜を訪れた4月4日は、曳山博物館に展示されている2基の山車が入れ替えられる日で、市内の各所で「シャギリ」と呼ばれる囃子に合わせて山車を曳く光景を見ることができてラッキーだった。

長浜曳山祭り 稽古場

昔はお祭りなどの行事を通じて、地域の人々が世代を超えて一つに繋がる仕組みが各地に残されていたのだが、今は多くの地域でこのような仕組みが失われつつあることは残念なことである。

翼果楼

そんな事を考えながら、久しぶりに長浜名物の「焼き鯖そうめん」を食べたくなって翼果楼(長浜市元浜町7-8)に行く。
昔食べた味が忘れられなくて長浜に来るとつい食べたくなるのだが、そうめんが焼き鯖の煮汁のうまみを吸って、これがなかなか旨いのである。

鯖そうめん

昼食を終えて、次の目的地に向かう。
次に向かったのは、知られざる桜の名所・徳源院(滋賀県米原市清滝288:0749-57-0047)

古くから近江を領していた佐々木氏は、鎌倉時代中期に六角氏・京極氏等に分かれ、本家筋の六角氏は織田信長に攻められて滅亡したが、京極氏は転封を重ねながら明治維新にいたるまで大名家としての命脈を保ち続けている。この京極氏が最初に本拠地としたのがこのあたりで、この寺は京極氏初代の氏信(うじのぶ)が、京極家の菩提寺として創建した寺だそうだ。

徳源院 庭園

上の画像は徳源院庭園(県名勝)で、清滝山を借景にして、秋の紅葉が美しいという。

徳源院三重塔と道誉桜

バサラ大名として知られる佐々木道誉は京極氏に生まれ、京極高氏とも呼ばれるのだそうだが、この道誉が植えたと伝えられる枝垂れ桜がほぼ満開を迎えていた。
杮葺きの三重塔(県文化)をバックにして、「道誉桜」と親しまれるこの桜にカメラを向けてみたのだが、古い三重塔に枝垂れ桜はよく似合う。この三重塔は寛文12年(1672)に第22代高豊(たかとよ)が建てたという。

龍潭寺山門

最後に訪れたのが、彦根市の佐和山西麓にある龍潭寺(りゅうたんじ:彦根市古沢町1100:0749-22-2776)。
この寺は、静岡にあった井伊家の菩提寺を、慶長5年(1600)に井伊直政公が佐和山城主となったのを機にこの地に移して開山され、元和3年(1617)に諸堂が完成したという。
この寺の山門は、佐和山城の城門を移築したものだと伝えられている。

龍潭寺 庭園

上の画像は方丈南の枯山水庭園だが、書院東にある鶴亀蓬莱庭園も有名だ。

龍潭寺の枝垂れ桜はまだ咲いていなかったのだが、この隣にある井伊神社の枝垂れ桜を見に行くことにした。

井伊神社

井伊神社は天保13年(1842)に彦根藩12代藩主の井伊直亮が、井伊谷(現静岡県)にある井伊谷八幡宮から井伊大明神を分霊して龍潭寺の参道脇に祀ったことからはじまるのだが、現在の社殿は弘化2年(1845)に造営されたものだそうだ。

昔から「彦根日光(東照宮)」とも言われた建物なのだそうだが、数十年前から雨漏りがひどくなり、修理に6億円もかかることがわかって、数十年前から素屋根で覆われるようになったようだ。
素屋根を作ったのは平成元年まで9期彦根市長を務めた井伊家第16代当主の井伊直愛(なおよし)氏で、この方は幕末の大老・井伊直弼の曾孫にあたり、この神社の宮司も兼ねていた人物である。

彦根市長としての立場上、自らが宮司を務める神社に大金を集めて修理することもできず、かといってこれ以上建物を傷めるわけにもいかないので素屋根で覆うことにしたのだろう。
のちにこの建物は彦根市に寄贈されて、平成25年に彦根市指定文化財となったのだが、今も素屋根で覆われたままになっているのは残念である。

井伊神社 覆い屋の中

覆い屋の金網の隙間からカメラレンズを向けて撮影したのだが、なかなか見事な建物である。時々内部が公開されているらしく、次のURLなどで、美しい内部の様子を知ることができるが、いつか修理され覆い屋が外されて、観光できる日が来ることを祈りたい。
http://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/7d2af2444887d53e2c5edc9493351fdf

井伊神社しだれ桜

この井伊神社の隣には井伊直弼の御手植えと伝えられ、彦根市の保存樹に指定されている枝垂れ桜が満開であった。
長浜城跡の豊公園のように観光客が多く集まる桜の名所も良いが、歴史のある場所で見事な桜の花が咲かせる空間をほとんど占有して、心静かに桜を楽しむのもなかなか良いものである。

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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。良かったら、覗いてみてください。


三方五湖観光後昼食は「淡水」の鰻。続けて紅葉名所・鶏足寺を訪ねて~若狭カニ旅行3
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-219.html

「桜田門外の変」と、井伊直弼の死が長い間隠蔽された事情
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-259.html

寺院の梵鐘を鋳つぶして大砲を作れという太政官符に苦慮した江戸幕府
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-341.html

幕末の動乱期にわが国が独立を維持できた背景を考える~~GHQが封印した歴史 3
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-158.html

幕末の孝明天皇暗殺説を追う
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-159.html



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Comment
管理人さん、いつもブログを読ませて頂いてます。こうして見ると仏像、伝統を大事にしているところに日本人の精神が生きている事を実感しました。隣の韓国は最近、日本が昔に文化を奪ったからそれを取り戻しに来たと称し、仏像や経典を盗む蛮行を働いている事に怒りを覚えます。そして韓国、中国の力がなければ今の日本はないかの様な主張をしていますが、努力せず成果と名誉だけ欲しがるその発想そのものに違和感を感じざるを得ません。
市長が神社の宮司を兼ねてたって、今なら到底無理でしょうね。
武家の総領が神社の宮司を兼ねるのは、昔はごくごく普通のことでしたんですけど^^

琵琶湖の周囲は琵琶湖船運利用のために、要所要所を抑える必要がある地域だと思います。
観音の里あたりの場所だと長浜から越前敦賀までの延長線上になるから、どの勢力からも『通り道』として狙われやすそう。
ただ地形的に護りに不向きそうだから、ここで居座るというよりホントに軍勢の通過点って印象を受けます。

すいません、何かこう・・浮かんできそうなんだけど、このあたりの郷土史が判らないのでまとまらない^^;

観音像、素晴らしいです^^
村クリと拍手
Re: タイトルなし
としさん、コメントありがとうございます。

地域の伝統文化を何百年もの間承継してきたということは、その地域の祖先が価値あるものとして大切にしてきたあるものを、現役世代が価値を減じることなく、場合によってはより価値を高めて次の世代に承継するということを、何世代にもわたって続けてきたということです。

もともと価値のないものは承継されませんが、現役世代が、その価値を理解できなければ、あるいは自分のスキルを高める努力をしなければ、長く続くものではありません。

中国韓国はとっくの昔に、価値ある文化の多くを失ったのですが、彼らは自国に原因があったとはしたくないので、わが国にその原因があったと考えたがるのでしょう。

わが国には無形文化財と指定されている地域文化がいくつも残されていますが、今日の様に経済のグローバル化が進み、地域に若い世代が残らないような経済施策が続けば、これらの文化の多くが途絶えてしまうことになってしまいます。そうならないように、これから地方がもっと元気になることを祈っています。

Re: タイトルなし
時乃★栞 さん、コメントありがとうございます。

さすがに地図をよく見ておられますね。この辺りはどちらからでも攻められそうな場所で、守りには不向きだと私も思います。

井伊直愛市長は相当悩んだ末に井伊神社の本殿を素屋根で覆ったのだと思いますが、地方の文化財を守る人々が高齢化して、貴重な建物を維持管理することが困難になるケースがこれから全国各地で起こることを心配しています。
地方の人口が増え、観光客が増えて、活気を取り戻すことになれば良いのですが…。

こんばんは。いつもお世話になっております。
何ヵ所も廻られたのですねー!確かにどこも素晴らしい所ばかり。曳山に会えたとは、羨ましい限りです。
井伊神社は私も苦心惨憺して拝見しました。彦根市への譲渡後も何も変わってないのは残念。ここの横の大洞弁財天さんと併せてとても素晴らしい社殿なのになぁ。彦根城だけが注目されておりますが、佐和山界隈は大好きな所です。
Re: タイトルなし
いつもありがとうございます。
大洞弁財天さんはあまりよく調べていなかったので省略してしまったのですが、調べると弁財天堂は国の重要文化財になっていますね。ここまで来たのなら、行っておけば良かったと後悔しています。
佐和山は彦根城の鬼門の方向になるので、彦根藩が立派な施設をいくつも作ったのですね。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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