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信州の諏訪大社を訪ねて~~諏訪から南信州方面旅行1日目

長野県中部の諏訪湖の近くにある「諏訪大社」に是非行ってみたいと思って、諏訪から南信州を巡る二泊三日の旅程を組んで先日行ってきた。しばらく、この旅行のレポートを書くことにする。

旅行に行く前に事前に下調べをしたのだが、恥ずかしながら「諏訪大社」に「上社前宮」「上社本宮」「下社春宮」「下社秋宮」の4宮もあることを、これまで知らなかった。諏訪湖の南に上社の2宮があり、諏訪湖の北に下社の2宮があるのだが、大阪から行くにせよ、東京から行くにせよ、諏訪方面に行って4宮を見学するだけで、半日はかかるコースだ。

うなぎ小林

早朝に大阪の自宅を出て、11時頃にあらかじめネットで調べていた「うなぎ小林本店」という店で早めの昼食をとった。
11時に開店の店なのだが、開店待ちのグループが私のほかに5グループほどあった。
四万十川の天然鰻を備長炭の炭火でふっくらと焼き上げてあってタレも旨くて満足だった。
http://www.tamatebako.ne.jp/kobayashi/index.html

昼食を終えて、最初に「上社前宮」に向かう。
この場所は諏訪信仰発祥の地であるとの伝えがあり、古来は栄えたようであるが、他の3宮に比べると規模がかなり小さくて訪れる人も少なく、土産物を売る店舗も見当たらない。

古くはこの前宮で全ての祭祀が執り行われていて、現人神(あらびとがみ:生き神)である「大祝(おおほおり)」と呼ばれる神職として、諏訪家が代々ここに「神殿(こうどの)」と呼ばれる住居を構えていたという。
ところが室町時代に諏訪家一族で抗争が起こり、祭祀を司る「大祝諏訪家」と嫡流で武士であった「諏訪惣領家」とに分裂。戦国時代に入って惣領家が諏訪頼満の時代に大祝家を滅ぼし、惣領家が大祝をも務めて祭政一致のもと武力と権力を強め、「大祝」がこの場所から居住地を移したのちは、前宮は急速にさびれていったのだそうだ。
「諏訪大社と諏訪神社」というHPによると、「上社前宮」は、明治時代の半ばまでは「上社本宮」の摂社扱いとされ、「上社」は「本宮」1社だけであったという。
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/zatugaku/maemiya.htm

上社前宮十間廊

上の画像は「十間廊(じっけんろう)」という建物で、中世まで諏訪の祭政が行われた政庁の場なのだそうだ。昭和32年に火災で焼失し、その後再建されたとのことである。
この場所で、毎年4月15日に「御頭祭(おんとうさい)」という諏訪神社古来の行事が執り行われるという。このお祭りのレポートは先程紹介した「諏訪大社と諏訪神社」というHP に詳しく解説されている。
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sinji/ontou.htm

上社前宮

諏訪大社「上社前宮」の拝殿は、「十間廊」から150mほど登ったところにあった。
御祭神は「八坂刀売命(やさかとめのみこと)」で、「上社前宮」の御祭神である「建御名方命(たけみなかたのみこと)」の妃神だそうだ。また、御祭神は諏訪地方の土着の神様であるミシャグジ神とする説も有力だ。ミシャグジとは木や石に降り着く精霊・霊魂で、諏訪地方の土着の神様らしい。

現在の本殿は昭和7年に改築されたものだが、伊勢神宮の式年遷宮で不要となった古材(あるいは余材)を拝領して建てられたという。

上社前宮御柱

拝殿を取り囲むように4本の「御柱」が立っていて、上の画像は二之御柱と三之御柱が写っている。この柱は上社も下社も7年目に執り行われる有名な「御柱祭」で新調されることになる。
拝殿は森の中にあり左手には小川が流れて、この場所で小鳥の鳴き声やせせらぎの音を聞きながら何分かいるだけでなんとなく清浄な気分になれる、そんな場所である。

神長官守矢家史料館入口

「上社前宮」から「上社本宮」に至る途中に、「神長官守矢史料館(じんちょうかんもりやしりょうかん)」という、ユニークな史料館がある。
守矢家は古代から明治時代の初めまで、諏訪上社の「神長官」という役職を代々勤めてきた家なのだそうだ。
現人神(あらびとがみ)である「大祝(おおほうり)」の下で実際の神事を取り仕切っていたのが「神長官」をはじめとする「五官祝(ごかんのほおり)」で、守矢家は上社の「五官祝」の筆頭であったのだ。
資料館の中には守矢家に伝わる貴重な古文書や史料が多数保管されており、そのうち155点が長野県宝、50点が茅野市の有形文化財に指定されている。

神長官守矢家資料館内部

また江戸時代後期の博物学者である 菅江真澄の記録に基づいて、上社で毎年4月15日に行われる「御頭祭(おんとうさい)」が江戸時代ではどのようなものであったかが復元されている。
今の御頭祭では剥製が用いられるのだが、江戸時代の御頭祭では、先ほど紹介した前宮の十間廊に、75頭の本物の鹿の首などが供えられたのだそうだ。生きるための食糧を狩猟することで得ていた時代の儀式が、今もこの地に残されていると理解すればよいのだろうか。
この史料館の展示物ではもちろん剥製などを使っているが、見ていてなかなか迫力がある。上の画像はスタッフの方から許可を得て撮影させてもらった御頭祭の展示物である。
守矢家の敷地の中に7世紀半ばの古墳があり、また諏訪の土着の神様であるミシャグジ神を祀る小さい神社もある。日本神話につながっていくスタッフの話も興味深く、広い敷地の中に長い諏訪の歴史が凝縮されていることを感じて結構楽しめた。

上社本宮回廊

次に諏訪大社4宮で最大規模の「上社本宮」に向かう。
東参道から境内に入ると「布橋」と呼ばれる全長67mの屋根付回廊がある。上の画像は「布橋門」と呼ばれるその入り口でその右には本宮二之御柱が立っている。

上社本宮弊拝殿

布橋を過ぎて左側に主要な国の重要文化財である弊拝殿、左右の片拝殿がある。いずれも天保6年(1835)に上棟式がなされ、諏訪立川流の2代和四郎富昌という有名な工匠の代表作なのだそうだ。

上社本宮神楽殿

布橋の北側には神楽殿がありこの場所で様々な神事が年間を通して行われるのだが、諏訪大社のHPで年間行事を確認すると、下社は農耕的な神事が多いのに対し、上社の神事は蛙狩神事や御狩神事など狩猟的な神事が多いのに特徴があるようだ。
http://suwataisha.or.jp/

法華寺

「上社本宮」の東側に法華寺があり、ここに、以前このブログで「忠臣蔵」のことを書いた際に紹介した、吉良上野介の孫の吉良義周(よしちか)の墓がある。
なぜこの墓に「世論に圧されて、いわれなき無念の罪を背負い、配流された先でつぎつぎに肉親の死を知り、悶々のうちに若き命を終えた。公よ、あなたは元禄事件最大の被害者であった。」との解説がなされているのか、興味のある方は是非次のリンクを覗いてみてください。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-153.html

諏訪大社の宝物館や諏訪市博物館にも立ち寄り、そこに古文書や武具や道具や絵図などの展示があったのだが、昔の諏訪大社上社の境内図などの展示を見ると明らかに五重塔が書かれていた。

上社神宮寺

自宅に戻ってからいろいろ調べると、上社にも下社にも神宮寺があり、上社には五重塔、下社には三重塔があったようだが、いずれも明治時代の廃仏毀釈の時に仏教施設が撤去されたようである。このことを書きだすとまた長くなるので、別の機会に改めて書くことにして、ネットでみつけた「木曽路名所図会」(秋里籬島著、西村中和画、文化2年[1805]刊)の第四巻にある「上諏訪神宮寺」の絵を紹介しておこう。この絵の右にある寺が吉良義周の墓がある法華寺で、右下にある鳥居から右が上社本宮の境内である。

高島城

「上社本宮」から6kmほど進むと「諏訪高島城」がある。この城は明治8年(1875)に廃城となり、現在の建物は昭和45年(1970)に復元されたものである。厳寒のこの地は、江戸時代に流人を監禁する場所としてよく利用され、先ほど書いた吉良義周はここで監禁されて衰弱し、21歳の生涯を終えている。

高島城に続いて「下社秋宮」に向かう。

下社の御祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)、後兄八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)である。 下社の「春宮」と「秋宮」は、その名の通り、毎年春から夏には春宮に、秋から冬には秋宮に御神霊が遷宮する。その遷宮の儀式が毎年8月1日の「御舟祭(おふねまつり)」と2月1日の「遷座祭」なのだそうだが、「遷座祭」は大きなお祭りではないそうだ。
今年ももうすぐ「御舟祭」で、この大きなお祭りで御神霊が春宮からこの秋宮に遷されることになる。

下社秋宮神楽殿と狛犬

秋宮の境内中央に国の重要文化財の神楽殿がある。この建物も「上社本宮」の弊拝殿などを建築した二代立川和四郎富昌が同時期に造ったもので、国の重要文化財に指定されている。
両脇にある狛犬は青銅製の物としては日本一の大きさと言われているものだが、この狛犬は昭和5年に完成した後、第二次世界大戦で金属回収の国策の為に供出することを余儀なくされたためにしばらく狛犬がなかったのだそうだが、戦後35年に株式会社間組の神部社長が献納した旨のことが銅版に書かれていた。

下社秋宮弊拝殿と左右片拝殿

その奥にあるのが、弊拝殿・左右の片拝殿で、これらは安永10年(1781)初代立川和四郎富棟の製作によるもので、国の重要文化財に指定されている。

本陣岩波家

このすぐ近くに、江戸時代に参勤交代の大名が利用した「本陣岩波家」がある。昔の本陣はもっと広かったのだが、岩波家の内紛絡みで土地が分割され、皇女和宮が宿泊した部屋の道具や備品はこの本陣に残されているが、部屋自体は明治初期に岩波本家から分家した子孫が経営している「聴泉閣かめや」という旅館に残されているという。

本陣岩波家 庭

建物はかなり老朽化しているにもかかわらず十分な補修が出来ていないために、昔の面影を失っている部分もあるが、大名らが宿泊した部屋から見える庭は今も良く手入れされており、素晴らしい景観を残してくれているのはありがたいことだ。

続いて「下社春宮」に向かう。

下社春美や弊拝殿と左右片拝殿

鳥居をくぐって幅広い石畳の向こうに弊拝殿・左右の片拝殿がある。この建物は安永9年(1780)に高島藩の御用大工大隅流の伊藤長左衛門の作で、立川流の秋宮の弊拝殿と時を同じくして請け負われ、二重楼門造りという同じ図面をうけて大隅流と立川流とが腕を競い合ったものといわれている。そしてその結果は、大隅流の方が1年ほど早く完成し、建築費用も安かったのだそうである。

下社春宮の柱の彫刻

軒の装飾彫刻があまりに見事なので画像に収めておいたが、今の宮大工でここまで彫れる人が存在するのだろうか。

春宮の西に接して砥川という川が流れ、細い橋を渡っていくと「万治の石仏」がある。

万治の石仏

高さ2mくらいの半球状の自然石の上に仏頭を乗せた極めてユニークな石仏で、一度見たら誰しも忘れられない表情をしていて、見ているうちになんだか不思議に癒されてくる。
古くから地元の人々は浮島の阿弥陀様としてこの石仏を大切にしてきたそうだが、昭和49年(1974)の諏訪大社御柱祭を見るために、この地を訪れた芸術家・岡本太郎氏がこの石仏を絶賛したことから、それ以降観光客が訪れるようになったという。
胴体に万治3年(1660)と書いてあることから、「万治の石仏」と呼ばれるようになったが、その建立や背景については、何も記録がないので良くわからないのだそうだ。

浜ノ湯夕食

あいにく雨が降ってきたので宿泊先の上諏訪温泉「浜ノ湯」に向かう。
広い湯船にゆったりと浸かって、あちこち観光した疲れも吹っ飛んだ。
食事もおいしく頂けたし、行きたいところはほぼ予定通りに行けたし、大満足の一日だった。
(つづく)
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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