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御柱祭の木落し坂から名所を訪ねて昼神温泉へ~~諏訪から南信州方面旅行2日目

ホテルの朝食前に諏訪湖畔の散歩に出た。雲がかかって山の景色は見ることができなかったが、国の重要文化財である「片倉館」は見ておきたかった。
「片倉館」は諏訪に製糸業を起こした片倉財閥の2代目、片倉兼太郎氏が昭和3年(1928)に造った温泉施設で、レンガ造りのお城のような立派な建物だ。

片倉館

この建物は片倉財閥の創立50周年を記念して建てられて今も大衆浴場として営業しており、中には大理石の彫刻などが多数あるらしいのだが、営業時間は朝の10時からなので中に入ることはあきらめた。

朝食を終えてチェックアウトし、朝一番で諏訪大社下社「御柱祭」の最大の見せ場である「木落し」の舞台となる「木落し坂」を訪ねることにした。

木落し坂

「御柱祭」とは正式には「式年造営御柱大祭」といい、寅と申の年に行なわれる式年祭であり、長野県指定無形民俗文化財に指定されているお祭りだ。
最近では平成16年(2004)、平成22年(2010)に行われており、次回は平成28年(2016)の春に執り行われる。

諏訪大社上社と下社の「御柱祭」は別々に行われ、「木落し」の趣は上社と下社で随分異なる。
上社の「木落し」は目処梃子(めどてこ)と呼ばれるカタツムリの角のようなⅤ字型の柱が御柱の前後にあり、これに氏子がしがみ付いて左右に揺らしながら傾斜角度30度の坂80mを下る。
下社の「木落し」は、最大傾斜40度の坂100mを氏子たちが御柱に馬乗りになり轟音を響かせながら坂を突き進んでいく。
上の画像は下社の木落し坂を下から見上げて写したものだが、この急坂の上から6~8トンの御柱が秋宮の四本、春宮の四本の計八本も落とされるのだ。
テレビなどで何度か「御柱祭」の画像を見たことがあるが、放送されるのはほとんどがこの下社の「木落し」であるように思う。

下社の木落しの動画がYoutubeで見つかった。これはすごい迫力だ。
http://www.youtube.com/watch?v=AN7A7CTewr0&feature=player_detailpage

木落し坂2

木落し坂の上に登って下を見ると、足が立ちすくむほどの急坂だ。この坂を氏子たちは御柱に乗り、何度も振り落されながら、再び左右から飛び付いて御柱の上に乗ろうとする。非常に勇気のいることだが、それをしないとこの巨木を制御することが難しくなる。
人が乗ることによって御柱と斜面との摩擦を大きくでき、柱を坂の下で止めることが可能となるのだ。もし御柱が横を向いて転がりはじめたら、見物客を巻き込む大惨事になる危険がある。

参考までに上社の木落しの動画も紹介しておこう。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=9EI6sojnKpQ
上社の木落しは目処梃子(めどてこ)のVの字を維持して美しく坂を下りることが重視されているように見える。

木落し坂を後にして、岡谷市にある「旧林家住宅」に行く。

旧林家住宅

レーヨンなどの化学繊維が開発されて次第に製糸業は凋落していくのだが、明治から大正、昭和の初めにかけて、生糸は日本の貿易輸出の中心で、日本の近代化を支えた花形の産業であった。明治42年にわが国は世界一の生糸輸出国となり、最盛期には外貨の5割を生糸で稼いでいたという。
諏訪地方は最盛期には、わが国の生糸の3割、輸出の5割を生産し、大いに繁栄していたのだが、その栄華の時代を偲ばせる建物が諏訪湖周辺にいくつか残されている。最初に書いた「片倉館」もそのうちの一つであるし、この「旧林家住宅」もその代表的なものである。

この住宅は、岡谷の製糸業発展の礎を築いた一人であり、鉄砲火薬店の経営や、福島県常磐単行の採掘など幅広く事業を手掛けた実業家・林国蔵の居宅で、平成14年に国の重要文化財に指定され、また平成19年には近代化産業遺産にも認定されている。

旧林家欄間

建築には最高級の資材を用いて当時の最高レベルの建築技術で建てられたとの説明があり、欄間の彫刻や仏壇の彫刻もまた素晴らしいものであった。
圧巻は離れの2階にある座敷。壁・天井・ふすまの全てに「金唐紙」が貼られている。

旧林家金唐紙

西洋建築の壁を飾る美しい装飾の皮を「金唐革」というが、「金唐紙」とは「金唐革」を真似て和紙で作られた壁紙のことで、ウィーン万国博覧会で出品して好評を得て外国にも輸出されるようになり、バッキンガム宮殿の壁にも「金唐紙」が使われたと言われているようだ。
しかし、いつしか「金唐紙」は作られなくなり製造法さえ忘れられて、この「金唐紙」を残す和室は、わが国ではここだけはないかとの説明であった。
建物だけでなく家具や調度品も素晴らしいものばかりで、説明員の方から詳しい説明を受けながら、結構楽しむことができた。

次に向かったのは高遠町の歴史博物館。高遠町の歴史についての資料の展示のほかに、正徳4年(1714)に江戸城大奥の大年寄の絵島が高遠の地で幽閉された事件(「絵島事件」)に関する資料が展示されているほか、絵島が幽閉されていた屋敷が復元されている。
「絵島事件」のことを書きだすとまた長くなるので、また別の機会に書くことにする。

次に、昼食の場所に選んだ「かんてんぱぱガーデン」に向かう。

かんてんぱぱガーデン

「かんてんぱぱ」というのは、伊那食品工業の登録商標だが、坂本光司氏の「日本でいちばん大切にしたい会社」という本に、この会社の事が詳しく書かれているのを読んで感激したことがある。

伊那食品工業は「自分で考えたものは自分で創り、自分で売る」という主義で、大手スーパーには商品を一切卸していない。販売は、直営店とネット・通販が中心の様である。
何よりも社員の幸せを第一とし、過去一度もリストラをせず、同業者と戦わず、大きな販路が目の前にあっても無理な成長を追わず、しかし成長への種まきを怠らない経営を続けて、寒天メーカーという斜陽産業のなかで48年連続して増収増益を果たしてきた凄い会社だ。今では国内の寒天マーケットの8割を占め、世界の寒天マーケットのトップ企業なのだそうだ。

地方の多くの製造メーカーが目先の売上高増加の為に大手スーパーに商品を卸して次第に価格主導権を奪われ、厳しい仕入れ価格を要求されて品質を落とし、独自の商品開発をすることを忘れて成長力を失ってしまった。リストラを余儀なくされてしまってた企業も少なくないのだが、大手流通に自社商品を流す戦略は正しかったのか。

伊那食品工業は地方の製造業がこれから進むべきモデルを示しているように思う。
製造メーカーが良いものを作ることにこだわり続け、消費者と直接つながる売り方に徹していれば、大手流通業者から買いたたかれることもないので無理してコストを下げて品質を落とすこともなく、着実に適正水準の利益を自社に蓄積することができる。
地元に利益を蓄積できてこそ、地元の人の多くを採用することができ、地元の人々に地元で幸せに暮らせる環境を提供できるのだと思う。

今の時代は良いものを作っていれば、大手流通ルートに乗らなくともネットで繰り返し何度も買ってくれる消費者がきっと出てきて、評判が高まるにつれ売上が全国に広がっていく。
宅配料金を加えても近隣のスーパーの価格よりも割安で、味や鮮度に勝る商品の味を覚えた消費者は、いずれ多くの農産物や海産物やその加工品などをネットで生産者から買うようになるだろう。これからは今まで拡大路線を走ってきた大手スーパーや卸業者等が次第に売上を減らして凋落していき、宅配にかかわる運送業者と、都心部の消費者を掴むことに成功した地方の生産者が潤っていく時代になるのではないだろうか。

「かんてんぱぱガーデン」は伊那食品工業の本社・北丘工場一帯の緑地の中にあり、広さは3万坪もあるという。その中にレストランや美術館やホールや健康パビリオンやショップなどがあり、駐車場は200台以上のスペースがある。この日はマイカーや観光バスで驚くほどの観光客が集まっていた。
http://www.kantenpp.co.jp/garden/index.html

私が入ったレストランは「寒天レストランさつき亭」。昨日はカロリーを摂りすぎたので、低カロリーの寒天料理を食べることにした。

寒天レストラン

上の画像は「寒天麺梅かつお」だが、これで128kcal。ざるそば1枚が441kcalでカロリーはその3割以下だが、これだけで充分お腹一杯になった。

次に向かったのは、伊那の名刹「光前寺」。
この寺の歴史は古く、寺伝によると平安時代の貞観2年(860)に本聖上人によって開山されたという。戦国時代に武田家・羽柴家などの武将の保護を受け、江戸時代には徳川家から六十石の寺領と十万石の大名格を与えられて隆盛を極めたが、明治初期の廃仏毀釈によって、多くの末寺を失ってしまう。
今なお樹齢数百年の杉の巨木に囲まれた境内には多くの堂宇が残っており、広い境内全体が名勝指定を受けている。

光前寺三門

上の画像は参道の途中にある三門で、嘉永元年に再建されたものだ。また、参道の左右に或る石垣の隙間から、時々緑色に光るヒカリゴケが見えることがある。

この三門のすぐ右に国の重要文化財である弁天堂があったのだが、写真を撮るのを忘れてしまった。室町時代の建築物で、光前寺の建築物の中で最も古いものだそうだ。

本堂を左に折れると、この地で飼われていた早太郎という犬が怪物を退治したという伝説があり、「霊犬早太郎」の墓石があり、そのすぐ近くに長野県宝の三重塔がある。

光前寺三重塔

この塔は文化3年(1806)の建築で、南信濃唯一の塔なのだそうだ。

光前寺ヒカリゴケ

客殿の庭園に向かうと、本坊の外縁の床下にヒカリゴケが太陽光に反射して美しく光っていた。あまりいい画像が撮れなかったが、これだけ大きなヒカリゴケの群生を見たのは初めてだ。

光前寺庭園

庭園は夢窓国師により築かれたとされる築山式枯山水で、今の季節は緑が美しい。境内の空気と湿度が私には心地よく感じられ、庭を眺めているだけで癒される場所だ。
花の咲く季節や、紅葉の季節にはまた違う楽しみ方になるだろう。
参拝者には和菓子とお茶が付いていて、落雁が素朴な味でおいしかった。

この光前寺のすぐ近くに、国の重要文化財に指定されている「旧竹村家住宅」がある。

旧竹村家住宅

この住宅はもともと天竜川東岸の駒ケ根市中沢大津戸(おんど)という場所にあったのだが、重要文化財に指定後に駒ケ根市が譲り受けてこの場所に移築したものだそうだ。
竹村家は江戸時代に代々名主を務めた家柄で、この家が建築されたのは江戸時代中ごろとされているが、こんなに大きな茅葺の家は珍しい。
隣には「駒ケ根郷土館」があり、建物は大正期に建てられた旧赤穂村役場を移築したもので、民俗文化財などが数多く展示されている。

次に向かったのは「元善光寺」。

元善光寺

推古天皇十年(602)に信州麻績の里(おみのさと:現在の長野県飯田市座光寺)の住人である本多善光公が、阿弥陀三尊像を安置したのがこの寺の起源で、その後本尊は水内郡芋井郷(みのちぐんいもいごう:現長野市)に移築されたと伝えられている。その移築先が長野市にある「善光寺」で、飯田市にあるこの寺は「元善光寺」と呼ばれるようになった。
宝物殿には雪舟筆の「寒山拾得図」や釈迦涅槃像などの寺宝が展示されている。

4年前に長野市の「善光寺」に行ったのだが、昔から長野の善光寺と飯田の元善光寺と両方にお詣りしなければ「片詣り」と言われてきたのだが、これでようやく両方を詣ることができてスッキリした気分になれた。

下伊那地域は古墳群が多く、弥生時代から中世までの遺構なども多く発見されているし、古い寺社も数多くある。また歌舞伎や人形浄瑠璃や獅子舞など地域の文化も興味深い。
7年に一度春に行われる飯田市の「お練り祭り」には長さ25m・高さ3.2mの日本一の獅子が登場するそうだが、いちど見てみたいと思っている。

予定の観光を終えて、宿泊先である昼神温泉の「お宿山翠」に向かう。
昼神温泉は昭和48年(1973)に旧国鉄のトンネル調査時に良質のお湯が湧出し、それ以来開発が進んで今では40件宿泊施設があり、年間70万人近くの観光客が訪れるのだという。
「美人の湯」とも言われているが、泉質は無色透明のアルカリ性単純硫黄泉で、独特のヌメリ感があるもののさらさらしていて、入浴すると肌がツルツルになる。

お宿山翠

お風呂も良かったし、食事も美味しくいただけたし今日も大満足の一日だった。
(つづく)

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