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日本百名城の一つである小諸城址から龍岡城跡、新海三社神社を訪ねて

高校時代の教科書に島崎藤村の『千曲川旅情の歌』が出ていて、リズムが良いので何度も口ずさんだ記憶がある。

「小諸なる古城のほとり   雲白く遊子かなしむ
みどりなすはこべはもえず 若草も藉くによしなし…」

藤村が歌った小諸城址とはどんな場所なのか、ずって前から行って見たいと思っていたのだが、たまたま藤村とゆかりのある中棚旅館が予約できたので、長野県に行くついでに、修験道とかかわりのある社寺などをおりまぜて二泊三日の旅行をしてきた。

早朝に自宅を出て約5時間で小諸市懐古園の第一駐車場(0267-22-0296)に着き、まず小諸そばで腹ごしらえをしてから小諸城址の見学に向かう。

パンフレットによると小諸城は、長享元年(1487)に大井光忠によって鍋蓋城(大手門北側)が築かれ、その子満安(光為)が、現在の二ノ丸付近に乙女城(白鶴城)を築いたが、戦国時代に武田信玄が東信州を治めた頃に山本勘助らによって現在の縄張(設計)がなされ、おおよそ現在の城の原型が作られたとされ、のちに豊臣秀吉が天下統一した頃、小諸城主となった仙石秀久により城の大改修と城下町の整備がなされ、堅固な城を完成したという。

その後仙石氏は上田城に転封となり、その後松平氏、青山氏、酒井氏、西尾氏、石川氏と藩主が目まぐるしく変わったのだが、元禄15年(1702)に牧野康重が入封した後は国替えが行なわれず、第10代の牧野康済が城主の時に明治を迎えている。
廃藩置県を迎えてこの城は廃城が決定し、しばらく荒れるに任せたようだが、明治13年(1880)に懐古神社が祀られ、以後懐古園として整備されて現在に至っている。

この小諸城址は「日本百名城」に選ばれており、また桜の名所としても有名で「日本さくら名所百選」にも選ばれている観光地である。城郭が城下町よりも低地にあるのは全国的にも珍しく、このようなタイプの城を「穴城」と呼ぶのだそうだ。

小諸城址 大手門

小諸駅の北側に慶長17年(1612)に仙石秀久によって築かれた大手門(国重文)がある。

小諸城三之門

地下道を潜って小諸駅の南側に元和元年(1615)に仙石忠政によって築かれた三の門(国重文)がある。
正面の「懐古園」と書かれた扁額は、徳川宗家16代当主の徳川家達(いえさと) が揮毫したものなのだそうだ。

小諸城址 石垣

二の丸跡に料金所があり入場すると、見事な石垣が視界に入ってくるのだが、右側の二の丸石垣は昭和になって復元されたものだという。

小諸城址 島崎藤村像

黒門橋を渡って少し行くと藤村記念館があり、その前に島崎藤村の銅像がある。記念館には、藤村の自筆原稿や愛用品、有名な作品の初版本などが展示されていた。
島崎藤村は明治32年(1899)に小諸義塾の英語・国語の教師として長野県小諸町に赴任し、以後6年間この町で過ごし、函館出身の秦冬子と結婚して三人の子供を授かった。『千曲川旅情の歌』はこの頃の作品で、明治34年(1901)に刊行された『落梅集』のなかに収められているという。
しかし、『破戒』の執筆に専念するために明治38年(1905)に小諸義塾を去って上京するも、その年に三女を失い、その翌年に『破戒』を自費出版した直後に、長女と次女を相次いで失っている。いずれも死因は栄養失調であったとのことだが、有名な明治の文豪が、若い頃にこんなに貧しい生活を送っていたことは記念館の展示物を読んで初めて知った。

小諸城址 千曲川

城内をしばらく進むと『千曲川旅情の歌』の歌碑があり、水の手展望台があってそこから千曲川を望むことができる。藤村はこの景色を何度も観たことだろう。

小諸城 天守石垣

藤村歌碑の近くの東屋から本丸の石垣を眺める。見事な野面積みの石垣で、画像の左側の出っ張った部分が天守閣の石垣である。天守閣は寛永3年に落雷で焼失したのだそうだ。

本丸の中に進むと懐古神社があり、再び黒門橋を渡って元に戻るのだが、徴古館で小諸藩の武具や衣装などを見学したのち、小諸義塾記念館に向かう。

小諸義塾記念館

小諸義塾は明治26年(1893)に、教育者でありキリスト教の牧師でもあった木村熊二によって誕生した私塾で、その教育方針は知識の習得だけではなく、正義に生きる強靭な精神の持ち主を養成することであった。島崎藤村をはじめ著名な教師陣がいたことから、向学の志に燃える生徒が多数集まって発展したという。
しかしながら日露戦争を契機として教育の国家主義化が進み、小諸義塾の自由主義的な教育への風当たりが強まるなかで、町の補助金も減らされて経営が厳しくなり、明治39年(1906)に閉校となってしまったという。

小諸城址から次の目的地である旧中込学校校舎(0267-68-7845)に向かう。

旧中込学校校舎

下中込村(現佐久市)出身の市川代治郎が設計し1875年に竣工した小学校の校舎で、国の重要文化財に指定されていて、現存する洋風建築の小学校としては全国最古の建物なのだそうだ。
美しい建物なので、中に入りたいところだが、今年の7月下旬までは耐震工事の為閉館していたのは残念だった。

龍岡城五稜郭

次の目的地は龍岡城跡(0267-82-0230)。
文久3年(1863)、三河国奥殿藩の藩主・松平乗謨(のりかた)は、分領である信濃国佐久郡への藩庁移転と陣屋新築の許可を江戸幕府から得たのだが、西洋の軍学に関心を持ち砲撃戦に対処するための築城法を学んでいた乗謨は、新たな陣屋として稜堡式城郭(星形要塞)を設計。慶応3年(1867)4月には城郭内に御殿などが完成したのだが、すぐに明治維新を迎え、明治5年(1872)に建物のほとんどは解体されてしまったという。現在、当時の建物は台所が1棟残されているだけだが、予約していなかったので内部を見学することは出来なかった。

Tatsuoka_Castle_1975.jpg

五芒星形の西洋式城郭はわが国に2つしかなく、もう一つは函館の五稜郭である。
廃城となった後は城内のほとんどが農地に転用され、中央部分は小学校となっている。Wikipediaに空から見た龍岡城の写真が出ているが、もう少し原型に近い形で残して欲しかったと思う。

この龍岡城から東に少し進むと、古来から佐久地方の総社として信仰を集めた新海三社(しんかいさんしゃ)神社(0267-82-9651)がある。この神社には神仏習合時代の三重塔が今も残されている珍しい神社なので、是非カメラに収めようとして旅程の中に組み込んでいた。

新海三社神社鳥居

これが新海三社神社の鳥居だが、立派な木製の鳥居ながら何故か朱塗りがされず、太い注連縄が特徴的である。この鳥居から真っ直ぐな長い参道が続いている。
車は参道を進めないので、左に折れて駐車場に向かう。

この神社の主祭神は佐久地方を開拓したとされる興波岐命(おきはぎのみこと)で東本社に祀り、その父神・建御名方命(たてみなかたのみこと)を中本社に、伯父神・事代主命(ことしろぬしのみこと)を西本社に祀っている。このように、当社には3つの社があることから新海三社神社と呼ばれている。

新海三社神社 信玄戦勝祈願書

古来から武将の崇敬が篤く、源頼朝は社殿を修理再建し社領を寄進し、武田信玄は永禄8年(1565)の上州箕輪城攻略の際、戦勝祈願文を奉って勝利したことから社殿の修理を行なったという。神社の案内板の左半分に、その時に信玄が奉った「願書」の全文が紹介されていたが、その最後のところで僧侶が「神前に於いて三百部の法華経王を読誦し、もって神徳に報謝すべし」とあるのは非常に興味深いところである。
戦勝祈願にせよ何にせよ、神主が祝詞をあげて終わったのではなく、神前で僧侶が読経することが古き時代の祈禱行事の中心であったことが窺える

新海三社神社拝殿

上の画像は参道から見た拝殿だが、杉並木が150m近く続いていた。

新海三社神社 中本社と西本社

拝殿の裏に回ると中本社と西本社が並んで建っている。

新海三社神社東本社と三重塔

そして境内の東側に東本社(国重文)と三重塔(国重文)がある。いずれも室町時代後期の建物である。

もちろん神社が塔を建てるわけがなく、以前ここにあった新海山上宮本願院神宮密寺という別当寺の建物が残されているわけだが、他の建物は明治の神仏分離で神社から切り離されて壊されてしまったようだ。
本来ならこの三重塔も破壊される運命にあったのだが、案内板には三重塔についてこう書かれていた。

「新海三社神社の神宮寺の塔として建立され、明治維新の排仏毀釈の際には神社の宝庫として破却をまぬがれた。風鐸の銘により永正12年(1515)の建立と考えられる。」

このブログで神社に残されている三重塔をいくつか紹介したが、兵庫県の柏原八幡神社の場合も良く似た話で、神宮寺であった乗宝寺の持ち物であった三重塔に安置されていた大日如来を取り除いて、この塔を柏原八幡神社の「八幡文庫」と呼ぶことで取壊しを免れている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-289.html

また、新海三社神社三重塔の案内板にはつづけてこう書かれていた。
「様式に和様を主としながらも随所に禅宗様が取り入れられており、初重と二三重の垂木の方向の違いなどにそれが見られる。」

新海三社神社三重塔 垂木

始めは何を書いているのか意味がよく分からなかったのだが、三層の軒回りをよく見ると垂木の方向が初層と2・3層で異なることがわかる。
初層は扇のように垂木が均等に広がっているが、2・3層は軒に垂直となるように平行に並べられていることがわかっていただけるだろうか。

明治の廃仏毀釈で壊された神宮寺の文化財の一部が、新海三社神社のすぐ近くの上宮寺というお寺に残されているようだ。新海三社神社から南に300m程度南にあって、事前にわかっていたら旅程に入れていたところなのだが、次のURLの写真などを見ると、安普請の建物に仁王像などが置かれていて心が痛む。
http://www.zephyr.dti.ne.jp/bushi/siseki/uemiya.htm

新海三社神社 石仏

新海三社神社の境内横の駐車場の脇に、石像が沢山並んでいたので、カメラに収めておいた。はじめは廃仏毀釈で棄てられた神宮寺の石仏ではないかと思ったのだが、よく見ると大半の石に男女の人間が対になって彫られている。いわゆる双体道祖神と呼ばれるもののようだが、路傍にあったものをこの場所に集めて並べたと考えられる。

信州には安曇野や松本市には多くの道祖神が残されていて、佐久地方にも少なくないという。風工房さんの「風に吹かれて」というサイトに信州佐久平の双体道祖神の画像がいくつか紹介されているので比較していただくと良い。
http://blowinthewind.net/doso/bdoso-sakudaira.htm

新海三社神社のものは相当風化が進行しているので、上記サイトに紹介されているものよりも相当年代が遡るものだと思われるが、何世紀もの間、庶民の信仰を集めてきた道祖神の石像を眺めていると、石仏とは異なり、みんな笑顔でいるようでなんとなく心が和んでくる。
(つづく)
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【ご参考】
このブログで、日本百名城についてこんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

「天空の城」竹田城を訪ねて~~香住カニ旅行3
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-229.html

日本百名城の一つである岩村城を訪ねた後、国宝・永保寺に立ち寄る
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-194.html

日本百名城の一つである高取城址から壺阪寺を訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-397.html

下呂温泉から国宝犬山城へ~~富山・岐阜・愛知方面旅行3
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-201.html

津山城址と千光寺の桜を楽しむ
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-247.html

高知城と龍河洞、龍馬歴史館を訪ねて~~高知旅行1日目
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-144.html

「さくら道」を走って、織田信長が天下布武を宣言した岐阜に向かう
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-337.html



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