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苔むした美しい寺・貞祥寺と島崎藤村ゆかりの中棚温泉

新海三社神社の神仏習合の景観を楽しんだのち、次の目的地である貞祥寺(ていしょうじ:0267-62-0325)に向かう。

貞祥寺は室町時代の大永元年(1521)に前山城主の伴野貞祥が、祖父と父の追善のため開基した曹洞宗の古刹である。

貞祥寺 惣門

古い参道には苔が密生していて、その先にはこの寺最古の建造物である惣門(長野県宝)がある。

貞祥寺 山門

惣門を潜ると、増長天と持国天の仁王を左右に配した茅葺の山門(長野県宝)が見える。
山門中庭は樹齢450年と言われる杉や銀杏の大木に囲まれて陽光を遮り、苔の成育に最適の環境なのだろう。地表を覆う美しい苔の上に柔らかい光が差し込む景色は素晴らしかった。

貞祥寺三重塔

山門を抜けて境内の一番奥に進んで石段を登ると、見事な三重塔がそびえ立つ。この三重塔も長野県の県宝に指定されている。

この塔についてネットで調べると、明治の廃仏毀釈で廃寺とされた信濃松原神光寺の三重塔を明治3年にこの貞祥寺に移築したということが解説されていた。

では信濃松原神光寺とはどのような寺であったのだろうか。
minagaさんのホームページで松原神光寺について詳しく調べられているが、それによるとこの寺は松原湖*南東の長湖(ちょうこ)に突き出た半島上にあり、松原大明神(現在の松原諏方神社)の別当寺で、佐久地方南部の信仰の中心であったようなのだ。その歴史は古く、天長3年(826)慈覚大師の開基とも伝えられており、5ヶ寺の末寺があったという。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/ato_sinkoji.htm
*松原湖:長野県南佐久郡小海町にある湖。猪名湖(いなこ)・長湖・大月湖という3湖の総称であるが、一般には3湖の中でも最大の猪名湖単体を指す。

神光寺地図

神光寺が存在した場所については、松原諏方神社のホームページにあるアクセスマップをみると、神社と寺の位置関係がよく分かる。
http://matsubarasuwajinja.com/access/

また神光寺の末寺であった海尻山医王院薬師寺のホームページによると、
「『神』という名が寺名に付いているとおり神と仏とが互いに融和し、ともに信仰の対象とされる神仏習合の道場でありました
 甲斐武将の武田信玄の厚い帰依をうけた松原諏方神社の別当寺として、また当院をはじめとする五ケ寺の本寺として、佐久地方南部の信仰の中心でありました。とくに武田信玄と信濃神光寺とには深い関係があったようです。戦勝祈願のために『三十三人の僧侶を集めて、三十三部の法華経を読誦させた』『神馬・神馬銭の寄進した』などの記録が、奉納された祈願文から見て取れます。
 しかし、江戸時代より明治に亘り四度の法難に遭い、徐々にその力を失っていきます
。…」と書かれている。下の画像は医王院薬師寺のホームページで紹介されている寛政3年(1791)の神光寺の古地図で、多くの堂宇が描かれている。
http://shinshu-iouin.jp/history

神光寺

神光寺は神仏習合の聖地であったのだが、この寺が力を失った原因となった「四度の法難」とはどのような出来事であったのか。この点について医王院薬師寺のホームページには、明治期の法難(廃仏毀釈)以外のことが何も書かれていないのが気になる。

再びminagaさんのホームページに戻ると、「四度の法難」にあたる具体的な出来事が記されている。
① 文政12年(1829)に松原村で大火があり、三重塔、本地堂、十王堂、三王堂、惣門、神殿、阿弥陀堂、観音堂を焼失したこと。
② 弘化2年(1845)には三重塔再建の工作小屋から出火して、塔婆再建用材や仮本地堂、本堂を類焼したこと。(三重塔は嘉永2年[1849]に完成)
③ 文久3年(1863)から本堂の再建が始まるが、慶応元年(1865)暴風雨のため建築途中で倒壊。
④ 明治元年(1868)神仏分離で住職は還俗し、再建工事が頓挫し、寺は廃絶となる。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/ato_sinkoji.htm

短い期間によくこれだけ悪いことが重なったものだと誰でも思うところだが、たとえ火事による焼失がなかったとしても、明治元年の廃仏毀釈でこの寺が破壊されていた可能性はかなり高いと思われる。

明治元年の神仏分離で神光寺の第七十九世住職・光俊(こうしゅん)は、僧侶の職を辞することを強いられ、明治2年(1869)に藤島一學氏と改名して神職となり、本尊の薬師瑠璃光如来は末寺である海尻山医王院薬師寺に遷され、三重塔は明治3年(1870)に金112両2分で貞祥寺に売り渡されたというが、塔の譲渡代金についてはどう評価すればよいのだろうか。

正木直彦

以前このブログで紹介したが、東京美術学校の校長を明治34年(1901)から昭和7年(1932)まで31年間も勤めた正木直彦が東京美術学校在職中に語った講話などを記録し校友会雑誌に連載された記事を抄録した『十三松堂閑話録』のなかに、同じ時期に奈良の県令(今で言えば知事)であった四條隆平が興福寺の五重塔(国宝)が目障りであるとして入札払にかけた際に15両で落札した人物がいたことが記されている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-176.html
結局15両で五重塔を落札した者は、足場を掛けるのに費用がかかるために放置してしまったので、県令は柴を積んで日を期して焼き払おうとしたのだが、町家から猛烈な反対に会って中止となり、そのおかげで国宝の興福寺の五重塔が今に残された経緯にある。

当時の1両が現在価値にしていくらであるかは数千円から10万円まで諸説があるようだが、いずれにしてもこの時期は、古都奈良を象徴する五重塔ですら二束三文の価格で取引されたことを知るべきである。神光寺の三重塔もかなり安い価格ではあったが、奈良興福寺の価格と比べれば、貞祥寺は良心的な価格で購入したということになる。

蜩(ヒグラシ)の透き通ったセミの鳴き声を聴きながら、貞祥寺の石段を下りていくと、境内中に島崎藤村が小諸義塾の教師をしていた頃の居宅が移築されている。

島崎藤村旧宅

この建物は、もともとは小諸藩士の居宅であり小諸城の大手門の近くにあったそうなのだが、藤村が明治32年に小諸に赴任してからの6年間、藤村は家族とともにこの家で過ごしたのだそうだ。
その後この建物は大正9年に個人邸宅の一部として買われて佐久市大字前山南に移転され、そして島崎藤村生誕100年を記念して昭和49年にこの場所に移設されたのだという。

事前に良く調べておけばよかったのだが、島崎藤村旧宅の閉館時間が午後3時30分と随分早かったために中を見学することが出来なかったのは残念だった。
中には8畳の書斎と居間、和室2室があり、藤村自筆の書や掛軸などがあるという。
https://www.city.saku.nagano.jp/kanko/spot/meisho_shiseki/shimazakitoson.html

貞祥寺をあとにして、宿泊先の中棚旅館に向かう。

水明楼

この旅館の敷地の中に、島崎藤村が小諸義塾の教員であった頃、良く訪ねたという水明楼がある。

千曲川のスケッチ

『千曲川のスケッチ』のその四には、こう記されている。今ではネットの『青空文庫』で誰でも読むことが出来る。

「…八月のはじめ、私はこの谷の一つを横ぎって、中棚の方へ出掛けた。私の足はよく其方(そちら)へ向いた。そこには鉱泉があるばかりでなく、家から歩いて行くには丁度頃合の距離にあったから。中棚の附近には豊かな耕地も多い。ある崖の上まで行くと、傾斜の中腹に小ぢんまりとした校長の別荘がある。その下に温泉場の旗が見える。林檎(りんご)畠が見える。千曲川はその向を流れている。……この温泉から石垣について坂道を上ると、そこに校長の別荘の門がある。楼の名を水明楼としてある。この建物はもと先生の書斎で、士族屋敷の方にあったのを、ここへ移して住まわれるようにしたものだ。閑雅な小楼で、崖に倚って眺望の好い位置に在る。……水明楼へ来る度に、私は先生の好く整理した書斎を見るのを楽みにする。そればかりではない、千曲川の眺望はその楼上の欄(てすり)に倚りながら恣(ほしいまま)に賞することが出来る。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/1503_14594.html

木村熊二

この文章の中で出てくる「校長」というのは、小諸義塾の創立者である木村熊二で、中棚に別荘を持っていた。それが水明楼である。その木村熊二が、この地の湧水の治療効果に気づき、明治31年に開湯に協力したのが中棚温泉である。

藤村は水明楼に足繁く通い、中棚温泉にも何度も行ったようである。『千曲川のスケッチ』にはこう書かれている。

島崎藤村

「…私は中棚の温泉の方へ戻って行った。沸し湯ではあるが、鉱泉に身を浸して、浴槽(よくそう)の中から外部(そと)の景色を眺めるのも心地(こころもち)が好かった。湯から上っても、皆の楽みは茶でも飲みながら、書生らしい雑談に耽(ふけ)ることであった。林檎畠、葡萄棚(ぶどうだな)なぞを渡って来る涼しい風は、私達の興を助けた。」

また『千曲川旅情の歌』の一節、
千曲川いざよふ波の        岸近き宿にのぼりつ
 濁(にご)り酒濁れる飲みて   草枕しばし慰む」
で詠われている「宿」はこの中棚旅館のことである。

中棚荘 

上の画像が中棚旅館の入口で、駐車場はさらに下ったところにある。

この旅館の温泉は、石段を50段近く登らなければ行けないという難点はあるが、緑に囲まれていて小鳥の囀りを聴きながら、のんびりと湯舟に浸かるのは最高の気分であった。

中棚荘食事

食事処はレトロな大正時代の建物で、夕食も朝食も地元で採れた旬の素材を活かした体にやさしいものばかりで、とても美味しくいただけたし、接客も、温泉の泉質も素晴らしくて大満足の一日であった。
<つづく>
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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

明治時代に参政権を剥奪された僧侶たち
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-126.html

野球の殿堂入りした正岡子規の野球への愛情と奈良の旅行
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-182.html

明治期に潰れてもおかしくなかった清水寺
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-167.html

明治初期、廃絶の危機にあった東本願寺
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-81.html




関連記事
Comment
素敵ですね
こんばんは。いつもお世話になっております。
狛犬さんが二対ほど見えますが、お寺なのですね。狛犬の起源を考えれば不思議ではないのですが、参道まで出てきているのが面白いです。一時期、神社のフリをしたことでもあったのかなぁ?と、とても混乱してます。
ブロ友様で佐久にお住まいの方がいて、いいところだなーと思っておりましたので、とても勉強になりました。
しばやん様、いつもありがとうございます。
Re: 素敵ですね
つねまるさん、いつもありがとうございます。

貞祥寺はお寺ですが狛犬があります。次の日に訪問した智識寺にも狛犬がありました。Wikipediaの「狛犬」の解説には「像として神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。」とあり、寺にあってもおかしなことではなさそうです。

しかし、関西の寺で狛犬をみることは滅多にないような気がします。今まで気が付かなかっただけかもしれませんが…。ひょっとすると、宗派によって異なるかもしれません。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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