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アメリカは当初、京都を原爆投下の第一のターゲットにしていた

私は京都に生まれて京都で育ったが、子供の頃に何度となく「京都の文化遺産を守るために、アメリカは京都の空襲を控えた」という話を聞かされていて、単純にそう信じていた。しかし、ネットでいろいろ調べると、京都でも昭和20年(1945)に何度かアメリカ軍による無差別爆撃がなされていることがわかる。

ネットでは諸説があり、あるサイトでは空襲回数は合計20回を超え、死者302人、負傷者561人と書いているのだが、残念ながらそのサイトでは、いつどこで、どの程度の規模の空襲があったかが良く分からない。

京都馬町空襲

ネットで探すと、1月16日の東山区馬町の空襲の写真を容易に見つけることが出来る。
Wikipediaの「京都空襲」によると5回の空襲があり、日付と場所が具体的に記されている。

「第1回 1月16日23時23分頃、東山空襲(東山区馬町)被災家屋140戸以上
第2回 3月19日、春日町空襲(右京区)
第3回 4月16日、太秦空襲(右京区)
第4回 5月11日、京都御所空襲(上京区)
第5回 6月26日早朝、西陣空襲(上京区出水)死傷者100人以上
報道管制が敷かれたため被害の詳細は判明していない。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%A9%BA%E8%A5%B2

そして極めて重要なことが、そのあとにサラリと記されている。

第5回の空襲以降、京都への空襲は停止された。原爆投下目標だったからとされる。」

この文章を普通に読めば、もうすぐ完成する原爆の威力を確認するためには、原爆を投下する前に通常爆撃で京都を焼け野原にしてしまうわけにはいかないので、アメリカは意図的に6月26日以降の空襲を停止したということになる。
米軍の資料によると京都市内の梅小路機関車庫が原爆投下予定地点であったという。

radius4km.jpg

次のURLにその場所と、その地点を中心に半径4kmの同心円が描かれているが、こんな場所に落とされては、広島以上の犠牲者が出たことは確実で、さらに東寺や西本願寺、東本願寺、三十三間堂をはじめとする多くの歴史的建造物と文化財を焼失させていたことだろう。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~yoss/j_map/umekouji.html

話を京都の空襲規模に戻そう。5回あったとされる京都市の空襲は他の都市と比べて、極端に少なかったと言えるのだろうか。

Wikipediaによると、昭和19年(1944)末頃から米軍機による空襲が熾烈となって、翌年8月15日の終戦当日まで続けられたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A9%BA%E8%A5%B2

全国(内地)で200以上の都市が被災し、死傷者数は各説あるが100万とするものもあり、被災人口は970万人に及んだ。被災面積は約1億9,100万坪(約6万4,000ヘクタール)で、内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災した。その他、多くの国宝・重要文化財が焼失した」とある。

b-29s_dropping_bombs.jpg

上記URLに『都道府県別被害数』がまとめられているのだが、それを見ると京都府の空襲被害は人口や世帯数の割に極めて少なく、大阪府や兵庫県と比べると死傷者の数は2ケタ違う。アメリカが意図的に京都を温存していた可能性を感じざるを得ない。

ではどういう経緯で京都が原爆投下の対象とされることになったのか。またなぜ途中で京都が候補から外されて、広島と長崎に投下されることになったのか。その経緯について述べる前に、アメリカの原爆開発から原爆投下までの歴史をおさらいすることにしたい。

第2次世界大戦中の1941年に、アメリカで核兵器開発を計画する部署が設立され、1942年に物理学者ロバート・オッペンハイマーほか当時最高レベルの科学者、技術者を一堂に集められ、マンハッタン計画という名の本格的な核兵器開発のプロジェクトが始まった。

この計画に対してアメリカは当時の額面で19億ドルもの資金を投入して秘密裏に研究が進められ、そして1945年7月上旬には原子爆弾を完成させて、7月16日にニューメキシコ州のアラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で人類最初の原爆実験(トリニティ実験)に成功している。この実験は、米英ソの首脳が集まって第二次世界大戦の戦後処理を決定するために開かれたポツダム会議の前日に実施されたのだが、この実験に成功したニュースがポツダムにいたトルーマン米大統領に伝えられたのは7月18日だという。

ヤルタ会談

実は、アメリカは1941年の開戦当初から、ソ連に対して対日参戦要請をしていたようだが、スターリンがようやく対日参戦の時期に言及したのは、1945年2月に開かれたヤルタ会談においてであった。その会談でスターリンは、樺太南部の返還と千島列島の引渡しなどを条件に、ドイツ降伏後2ヶ月または3ヶ月での対日参戦を米英首脳に密約したとされる。

そしてドイツは同年の5月8日に連合国に対し無条件降伏したのが、この時点でアメリカは、ソ連が約束通り8月までに対日参戦することを期待したはずである。

ポツダム会談三首脳

7月15日にポツダム会議に出席したトルーマンは、スターリンから、8月15日に対日参戦する旨の確約を得たのだが、その翌日に原爆実験成功のニュースが伝えられてトルーマンは豹変したという。

ポツダム会談の席上で原爆実験成功のニュースを聴いたトルーマンについて、オリバー・ストーンは著書でこう解説している。

トルーマン、バーンズ、グローヴス*は、これでソ連の手を借りずともアメリカが望む条件で日本の降伏を早期に実現でき、ソ連に確約していた領土と経済上の譲歩もする必要がなくなったと考えた。スティムソンは述べている。『大統領は報告書に浮かれたようになり、会うたびに何度もそのことを口にした。彼は依然とまったく異なる自信を得たと語った』。トルーマンはそれまでの会談はチャーチルやスターリンに主導権を握られていたが、以後は審議を牛耳るようになった。ウィストン・チャーチルが実験後初の本会議での様子について、『私には合点がいかなかった。報告書を読んだあとの彼は別人だった。ロシア人たちにあれこれ指示し、会議をおのれの意のままに進めた』と書いている。」(ハヤカワ文庫『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 1』p.367)
*トルーマン米大統領、バーンズ米国務長官、グローヴス陸軍少将(マンハッタン計画責任者)

ポツダム会談

原爆実験が成功した以上、トルーマン、バーンズ、スティムソン*はもはやソ連の参戦を望まなかった。ソ連が参戦すれば、ルーズベルトがヤルタ会談でソ連に約束した譲歩を実施に移さなければならないからだった。7月23日、チャーチルは『アメリカが現段階でソ連の対日戦争参戦を望んでいないのは歴然としている』と述べた。バーンズは『今回の実権が成功したと知った以上、大統領も私もソ連の参戦を望まない』と記している。…トルーマンと顧問たちにとって、これ(日本の降伏)を達成する方法は明らかだった。原爆を落せばよいのだ。トルーマンは述べている。『ソ連が参戦する前に日本は折れるだろう。マンハッタン計画の産物が頭上で炸裂すれば、日本は間違いなくそうすると私は確信している』。」(同上書 p.370)
*スティムソン:陸軍長官

このようにアメリカは、日本を早期に降伏させるために、はじめから原爆を落とすことを考えていた。ではどこに落とそうと考えていたのだろうか。

原爆投下場所についての検討はかなり以前からなされていたらしく、1945年5月12日付のアメリカの極秘文書に、京都が第一候補に書かれていることが確認できる。(英文)
http://www.dannen.com/decision/targets.html
その訳文は次のURLにある。
http://www.chukai.ne.jp/~masago/genbaku.html

その文書によると、京都が選ばれたのは、まだあまり破壊されていない大都市であることと、「他の地域が破壊されていくにつれて、現在では、多くの人々や産業がそこへ移転しつつある。心理的観点から言えば、京都は日本にとって知的中心地であり、そこの住民は、この特殊装置のような兵器の意義を正しく認識する可能性が比較的に大きいという利点がある」という点。すなわち、米軍の新型爆弾の恐ろしさを認識するだけの知的レベルがあり、日本が降伏を決断するきっかけとなり得るということを述べているようだ。

大阪空襲
【大阪空襲】

また、トルーマンがポツダムで原爆実験のニュースを聞いた5日後の7月21日に、米軍陸軍第20航空部隊が対日爆撃の中間総括を試みる報告書『中小工業都市地域への爆撃』を作成している。その報告書には、6月15日の大阪への空襲(第4回大阪大空襲)を以って第20航空軍によって優先目標と認められた「指定工業集中地区」の実質的な破壊を完了したとし、さらなる破壊効果増大のために攻撃目標として中小都市を含む180都市を人口に基づいて順位付けしたリストがあるという。

Wikipediaでそのリストが紹介されているが、それによると京都市は、東京都、大阪市、名古屋市に次いで攻撃すべき都市の4番目にリストアップされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A9%BA%E8%A5%B2

そのうち、名古屋市については過去5回の攻撃を実施しておりこれ以上の攻撃は不要であるとし、さらに東京都、大阪市も5回の攻撃を行なっており、あと1回の攻撃を行なえばよいと書かれているのだそうだ。では京都市についてはどう書かれているのか。

その報告書の中で都市爆撃を免除する3つの例が示されていて
 1. 原子爆弾の投下目標として、爆撃対象から除外された4都市。
    ・京都市、広島市、
小倉市(現北九州市小倉北区、小倉南区)、新潟市
  2. レーダーが作用しにくい地形であるために、夜間や悪天候での爆撃を免除されていた15都市
    ・八幡市、山形市、福島市、会津若松市、郡山市、川口市、瀬戸市、高山市、吹田市、長崎市、布施市、久留米市、若松市、戸畑市、都城市
  3.  北緯39度以北にあるため、硫黄島を基地として使用するまでは目標がサイパン島から遠すぎて攻撃不可能であった17都市。
    ・札幌市、函館市、小樽市、室蘭市、青森市、秋田市、盛岡市、旭川市、八戸市、釧路市、弘前市、釜石市、帯広市、池田町、川内町、能代市、宮古市」

とあり、京都市は原爆投下の最有力候補であったことがわかるのである。

しかしながら、京都を原爆のターゲットすることについては当時陸軍長官であったヘンリー・スティムソンが強力に反対して最終的に外されたようなのだが、彼が反対した理由はどのようなものであったのか。

ヘンリー・スティムソン

スティムソンの7月24日付けの日記には、彼がトルーマン大統領に進言した内容が記されているが、これを読めば彼が京都の文化財を守るために進言したわけではなかったことが誰でもわかる。

「私は大統領に対し、提案されている目標のなかの一つ(京都)を除外すべきであると私が考える理由を再び述べた。大統領は、この問題について大統領自身の賛成の考えを、この上なく力をこめて繰り返し述べた。私が、もし除外しない場合には、そのようなむちゃな行為は反感を招き、戦後、長期にわたってその地域で日本人に、ロシア人に対してではなく、むしろわれわれに対して友好的な感情をもたせることが不可能になるのではないか、と提言したところ、大統領は、とくに力をこめてこれに賛同した」(『スチムソン日記(抄)』1945年7月24日付)
http://www.chukai.ne.jp/~masago/genbaku.html

アメリカは、わが国がソ連を仲介とする和平工作に動き出しており、ソ連に期待をかけていた勢力が政界にも軍部にも少なくなかったことはわかっていた。もしアメリカが京都に原爆を投下したとしたら日本人を怒らせて、戦後日本がソ連に接近するようになってしまっては、アメリカがアジアにおいて主導権を取ることが難しくなることを懸念したのであろう。
スティムソンの説得が功を奏して、最初の原爆の投下地は広島に変更され、長崎が候補地に追加されることになった。
そして7月25日にトルーマン大統領が原爆弾投下の指令を承認しているのである。ポツダム宣言が出る以前に、アメリカはわが国に原爆を投下することを決断していたことは重要なポイントなのだが、例えば『もういちど読む 山川日本史』では、こう記されている。

「1945年7月、米英ソ3国首脳はふたたびポツダムで会談し、その機会に米英中3国(のちにソ連も参加)でポツダム宣言を発し、日本に降伏を呼びかけた。
 しかし、ソ連を仲介とする和平の実現に期待していた日本政府は、はじめポツダム宣言を黙殺する態度をとった。これに対してアメリカは、同年8月6日広島に、9日には長崎に原子爆弾を投下し、一瞬のうちに市街地を壊滅させ、多数の一般市民を死亡させた。…」(『もういちど読む 山川日本史』p.313)

この文章を普通に読むと、わが国がポツダム宣言を黙殺したから原爆が落とされたかのような書き方になっているのだが、真実はポツダム宣言が出る前に原爆投下が決定されていたのである。

長崎原爆

わざわざ原爆を落とさなくとも日本の敗北は必至だったのだが、ではなぜアメリカは軍事的にあまり必要と思われない原爆をわが国に落としたのだろうか。この点については、前掲のオリバー・ストーンの著書がわかりやすい。

ソ連の指導者は喜ぶどころの騒ぎではなかった。すでに瀕死の状態にある国家を叩きのめすのに原爆は必要ないと承知していたことから、彼らは真の標的がソ連であると結論付けた。アメリカは原爆投下によって日本の降伏を早め、ソ連がアジアの覇者になるのを阻もうとしたと考えたのである。さらに彼らの不安を煽ったのは、アメリカが明らかに無用と思われる局面で広島の原爆を投下したのは、仮にソ連がアメリカの国益を脅かすようなことがあれば、アメリカはソ連に対して原爆を使用することも辞さないという意志の現われと推測できることだった。」(前掲書 p.383-384)

トルーマンもスティムソンも、早期に戦争を終結させるためだけに原爆を用いたのではない。終戦後の戦勝国間において、アメリカがソ連よりも優位な地位に立つことまで考えていたことを理解しなければ、終戦から冷戦に至る歴史を正しく読み取ることは出来ないのだと思う。

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【ご参考】
軍部や官僚の重要メンバーの中にソ連に繋がる者がかなりいたことが今では明らかになっていますが、戦後の歴史叙述ではほとんどそのことが無視されています。しかし、この史実を押さえておかなければ、なぜ関東軍がソ連の対日参戦に抵抗せずに満州をソ連に差出したのか、なぜ昭和天皇の終戦の詔勅の後にクーデターを起こそうとした軍部の動きを理解することは困難です。
興味のある方は、こんな記事を覗いてみてください。

昭和初期が驚くほど左傾化していたことと軍部の暴走とは無関係なのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-207.html

軍部や官僚に共産主義者が多数いることに気が付いた近衛文麿
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-208.html

『軍国主義者』や『青年将校』は『右翼』だったのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-279.html

政府中枢にいてソ連に忠誠を尽くそうとした『軍国主義者』たち~~ポツダム宣言5
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-295.html

『玉音放送』を阻止しようとした『軍国主義』の将校たち~~ポツダム宣言6
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-296.html

昭和20年8月15日に終戦出来なかった可能性はかなりあった~~ポツダム宣言7
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-297.html

国内で徹底抗戦と言いながらソ連参戦後すぐに満州を放棄した日本軍~~ポツダム宣言8
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-298.html

帝国陸軍の左傾化と阿南陸相の自決との関係~~ポツダム宣言9
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-299.html


関連記事
Comment
こんにちは。いつもお世話になっております。連日の酷暑はさすがにこたえますね。しばやんさま、いかがお過ごしでしょうか。
私は名古屋出身なので、祖父母と両親から「ここは燃えた町」「燃えてない町」と市内を移動するたびに教えられました。関西に来て、京都の友人に「京都は都だからアメリカも避けた」と言われ、物凄く腹が立ちました。日本全国でいったいどれ程の数の人々が空襲に遭ったのか知ってて言ってるの?と。
報道管制は戦時中の濃尾地震はもちろん、京都の空襲にも及んでいたのですね。今月はいろいろと知るべきことが多い月です。身内に戦死者がおりますので目をそらしがちですが、しっかりと学ぶべきだと思います。
今日もありがとうございました。
管理人さん、こんにちは。
原爆投下についてはポツダム宣言前に落とすのは規定路線だったのは初めて知りました。よくこの時期になると、[原爆を落とされたのは仕方ない、アメリカ人や日本人を救うために落とした、日本のアジアで傍若無人な振る舞いを止めるために使用した]など国際法違反の大量虐殺を平気で肯定化する論調に寒気と怒りを感じます。日本が原爆が落とされる前にアメリカに和平交渉を申し出ていた事実を隠して、原爆投下しなければ日本は降伏しなかったなどと白々しい言い訳に何回不愉快な思いをしなければならないのでしょうか。中国や韓国もそうですが、アメリカにもそのうちそれ相応の報いが来るような気がします。
Re: タイトルなし
つねまるさん、コメントありがとうございます。

私の祖父は名古屋の出身で、小学校の時に祖父に連れられて名古屋に一度だけ行ったことがあります。その時親戚から名古屋空襲の話が出て、当時国宝であった名古屋城が焼失した話を聞いたことを今もよく覚えています。

終戦70年ということで、この時期は戦争の特集番組が多いですね。原爆の話がやたら多くて、ソ連のシベリア抑留の話がありません。どこかの国と左翼マスコミが日米の分断を図っているのかもしれません。
Re: タイトルなし
としさん、コメントありがとうございます。

戦後70年経って、ロシアがアメリカの原爆投下を糾弾する動きが出ているようですが、こんな動きが出てくると、アメリカもソ連のシベリア抑留の非人道性を衝いてくることになるでしょうし、さらに日中との関係に楔を入れる目的で、中国の歴史叙述の嘘も暴かれることになるのではないでしょうか。

「戦勝国にとって都合の悪い真実」が暴かれていくようになると、「わが国だけが悪かった」とする「戦勝国にとって都合の良い歴史叙述」の嘘が暴かれて、日本人の歴史観が変わるきっかけになるかもしれないと考えています。

戦後の長きにわたり、日本人は「日本人だけが悪かったとする歴史叙述」を押し付けられてきましたが、そろそろ本当の歴史を知るべきですね。
大本営発表について
 敗戦後、大本営発表で嘘を言い続け、国民をだました、一撃講和を言い戦争を継続させた。赤紙、白紙、空襲は原爆を超える被害を全国で起こし、ホローコースト並みの大被害を国民にもたらしても何とも思わない皇国政府。沖縄、満州を潰させ、原爆まで至る果てしない被害を与え続けた。さらに一億総懺悔という文句で国民に責任を擦り付けた 敗戦していない、戦後70年と今でも大本営発表を続けている
Re: 大本営発表について
白壁さん、コメントありがとうございます。

日本にももちろん問題がありましたが、すべて日本が悪かったと考える必要はありません。普通に考えれば最大の戦争犯罪国は、大都市に無差別攻撃を仕掛け原爆を落として大量の民間人を殺傷させたアメリカであり、敗戦後にもかかわらず多くの日本人をシベリアに抑留して死に至らしめたソ連です。
そして、英米中に人種問題を焚きつけてわが国を中国との争いに巻き込み、さらに日米を戦わせて疲弊させた後で漁夫の利を得ようとしたのはどの国でありどの組織であったかを拙ブログの近現代の過去記事を読んで読み取って欲しいと思います。





ポツダム宣言前に決定してた
ということには特に驚きません。
米国が戦後処理と対ソ政策を考えるなら、当然ありえることだから。

古今東西の戦において、勝者も敗者も「戦の後処理をどうるすか」は必ず考えます。
ただ「敗者の側の思い通りにはならない」というだけです。

原爆の使用の是非については「人道的な見地」「政治問題」「外交問題」と立場、立場で見解が異なるので「正解」が出る事も「意見統一」も難しいと思います。

ただただ「これが戦の本質」であり、それは有史以来変わっていないのだと思うばかりです。
Re: ポツダム宣言前に決定してた
時乃★栞 さん、コメントありがとうございます。
ご指摘の通りです。

いくら勝者が勝つために「非人道的な」手段を取ろうとも、いつの時代もどこの国でも、敗者は勝者に逆らうことができません。
また敗者は勝者に史実と異なる歴史を押し付けられることも、有史以来同じですね。

しかし戦後70年も経ち、膨大な史料が残されているのですから、本当は何があったのか知る努力が、日本人にこれからますます必要になると思います。

反日の輩が歪曲する前に
 連日の酷暑に堪えられておられる事と想います。
京都への原子爆弾爆撃計画が在った事は以前から知っていましたが、最初の候補地であった事は始めて教えて頂きました。京都市内への米軍無差別爆撃が在ったのを知った後だと記憶しています。
 記載されていますグーグルマップを観て、アメリカの残虐性を思い起こさせてくれました。一番の繁華街四条川原町か天皇家の京都御苑を選定せずに、此の地点を選んだのか。古の京は北の「船岡山」を頂点とした現在の千本通りが中心であり、通りの東に在る「神泉園」が起こりの地であり、現在の「梅小路機関車区」が基点と何かで読んだ記憶があります。(可也あやふやですが)
アメリカが原子爆弾爆撃の最初に選んだのは、日本文化の円熟した中心地の京、それも発祥地を中心点に選んだのだと私は確信しています。しばやんさんは如何でしょうか。
 戦争末期に京都市内の、堀川通り、御池通り、五条通りが強制疎開で四倍近く広げられた事はご存知だと想います。
 「建物疎開と都市防空」 ―「非戦災都市」京都の戦中・戦後
 川口朋子著 京都大学学術出版 2014年3月30日発刊
 此の本の出版2年前から北山の「京都府総合資料館」に於いて、
京都市内の建物疎開を実施された通り(上記の三通り)の地図や資料の展示を、2階右側の展示室で数回に亘り行っていたのを京都に行った折見てきました。
著者の女性は協力された一人だったと想います。
 何故タイトルに挙げたのかは実際本を読まれれば分かるでしょうが、京都の両側町通りの文化を「日本国軍部が破壊した」との観点から書いていると考えたからです。日本各地が無差別都市爆撃を受けている最中に、京都の被害を少しでも軽減する為の苦渋の処置であったはずです。それをアメリカの非人道的行為を隠し、日本軍部が総て悪いとの考えを混ぜて書いている行為が許せない。せっかくの学術書、それも京都人も忘れている事実を掘り起こした、それは素晴らしい事ではあります。何でイデオロギーを挟まなくてはならないのか。
 本の副題の「非戦災都市」京都の戦中・戦後
大東亜戦争時の地元の事は歴史研究者として知らないはずが無い。非常に汚い行為。本当に日本人なのか。
最近は反日の輩が騒いでいるので、京都のこの事を歪曲して騒ぐ頃と考え、長文となりましたが投稿させていただきました。
Re: 反日の輩が歪曲する前に
一色さん、コメントありがとうございます。

アメリカが、何故梅小路機関車区を候補にしたかは読んだことがないので分りませんが、直感的には、鉄道の機能を長期間にわたりマヒさせることができることや、様々な工場が近くにあること、既に比較的大きな空襲を実施した東山区馬町、上京区出水から離れた場所であること、破壊実験の結果を見る上で京都盆地の中央に近い場所が良いと考えたとかあるのだと想像しますが、その内の一つか二つは当たっているのではないでしょうか。

紹介いただいた本は未読ですし、堀川通り、御池通り、五条通りが終戦時に強制疎開で四倍近く広げられたことは恥ずかしながら知りませんでした。情報ありがとうございます。空襲の被害を小さくさせるために、住宅密集地の建物を疎開させることはどこの都市でも考えた事でしょうし、そこまで軍部を悪者にするのはおかしいことですね。

ずっと前に読者の方から、歴史学者の世界は異常なムラ社会で、大御所には逆らえないというようなコメントを頂いたことがあります。昔から歴史学会に所属する研究者の多くは自虐史観の擁護派で、歴史学界に所属しない方の著書のほうがまともなことを書いていたような印象があるのですが、最近でもそうなのでしょうか。
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アメリカの白人社会の一部では、まだまだ日本人は「ジャップ」「イエロー・モンキー」なのだろう。これはアメリカに限らず欧米社会全体の悪癖なのかもしれない。とかく戦争というものは狂気をはらまなければ継続し得ないものだが、革新的な?兵器「原子爆弾」を実戦で使ってみたいという欲望もあったのではないだろうか?兵器に限らず新しい力を手に入れると、使ってみたい衝動に駆られるのが人間の性である。 日本は...
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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