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ソ連占領下から引揚げてきた日本人の塗炭の苦しみを忘れるな

昭和20年8月15日の玉音放送によりわが国の降伏が国民に公表されたのだが、全面的な戦闘行動の停止が行なわれるまでには少し日数が必要だったようだ。

Wikipediaには、こう解説されている。
「1945年8月15日、大本営は陸海軍に対して『別に命令するまで各々の現任務を続行すべし』と命令し、8月16日に自衛の為の戦闘行動以外の戦闘行動を停止するように命令した。さらに8月18日には、全面的な戦闘行動の停止は、別に指定する日時以降に行うように命令、8月19日に、第一総軍、第二総軍、航空総軍に対して、8月22日零時以降、全面的に戦闘行動を停止するように命令した。支那派遣軍を除く南方軍等の外地軍に対しては、8月22日に、8月25日零時以降に全面的な戦闘行動停止を命令した。中国大陸や北方戦線では、ソビエト連邦や中華民国との戦闘が暫く続いた。ソ連軍は北方四島に上陸作戦を展開し、それを阻止するための戦闘が、中央の命令により現地陸軍守備隊によって行われた(占守島の戦い等)。また戦闘停止命令の届かなかった部隊などによる連合国軍との小規模な戦闘は続いた。さらに、外地の一般市民が難民と化し多くの犠牲者をだした。また、沖縄の久米島では現地の海軍部隊による住民の虐殺事件も起きている(久米島守備隊住民虐殺事件)。これらの戦闘は8月下旬になると概ね終結した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%88%A6%E3%81%AE%E6%97%A5

終戦直後には海外にわが国の軍人・民間人が合計660万人以上いたとされるのだが、1946年末までに500万人を超える人々が海外から引き揚げてきたのだそうだ。

以前このブログで書いたが、わが国が受諾した『ポツダム宣言』には、連合国がわが国に提示した条件がいくつか記されている。
(9) 日本国の軍隊は完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を得ることとなる。
(10) われわれは、日本人を民族として奴隷化しようとしたり、国民として滅亡させようとする意図を持つものではない。
…」

ところが、連合国側が戦後守らなければならないはずの、この『ポツダム宣言』をソ連は公然と無視し、50万人以上の日本人が抑留されてシベリアの極寒の地で強制労働に従事させられ、30万人以上が命を落としたことを前回の記事で触れた。

しかしひどい目に遭ったのはシベリアに抑留された日本人ばかりではなかった。
前回も書いた通りソ連参戦の後、関東軍は満州をソ連に差出しただけでなく、日本人居留民をおきざりにしたため、残された日本人はソ連の占領地域の各地で酷い目に遭っている

大本営朝枝参謀・関東軍停戦状況に関する実視報告

関東軍が居留民を置き去りにしたことは、大本営の高級参謀、朝枝繁春陸軍中佐の『関東軍方面停戦状況に関する実視報告』を読めば、大本営の方針であったことがわかる
「既定方針通り、大陸方面においては、在留邦人及び武装解除後の軍人はソ連の庇護下に満鮮に土着せしめて生活を営む如くソ連側に依頼するを可とす」、
「満鮮に土着する者は日本国籍を離るるも支障なきものとす」
(『シベリアの挽歌』p.363-380)とある。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html

はじめから日本軍は、大陸の邦人を「棄民」にすることを決めていたようなのだ。ちなみにこの文書を作成した朝枝繁春陸軍中佐は、1954年に米国に亡命したKGB中佐・ラストボロフ証言によると、ソ連で特殊工作員として訓練を受けた11名の日本人のうちの一人である。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-295.html
そして、さらに腹が立つことなのだが、8月11日未明から正午までに満州国の首都・新京にいた軍人関係家族や満鉄関係家族、大使館家族は38千人は18本の列車に優先的に乗って脱出し、しかも軍人家族脱出の指揮を執ったのは関東軍の総参謀長・秦彦三郎の夫人だったというからひどい話である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%8F%82%E6%88%A6

引揚地図

関東軍に置き去りにされた日本人の話に戻そう。
昭和6年(1931)以降わが国は、現在の中国東南部・内モンゴル地区に国策として入植者を送り込み(満蒙開拓団)、昭和20年(1945)頃にはこの地域に27万人程度の日本人が居留していた。
ところが太平洋戦争末期の戦局悪化により、開拓団の若い男性4万7千人が根こそぎ軍に召集されてしまい、この地域に残されたのは大半が老人、女性、子供であったという。
そんな状況下で、8月8日にソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄してわが国に宣戦布告し、翌日午前0時を期にソ連軍が満州国境を越えて侵略を開始したのである。

関東軍は朝鮮国境近くまで退いていたため、開拓団の人々はほとんど無防備の状態で逃避行を開始することを余儀なくされたのだが、この逃避行で約8万人が死亡したと言われている。
敗戦時に旧満州にいた日本人は約155万人だったそうだが、死者20万人の4割が満蒙開拓団のメンバーであったことになる。

引き揚げる途中で多くの日本人が虐殺されたり強姦されたりしたのだが、こういう史実がわが国ではほとんど知らされていないのである。

戦後引き揚げの記録

若槻泰雄氏の『戦後引き揚げの記録』(時事出版社)にはこう記されている。

ソ連兵の日本婦人への暴行は、すさまじいの一語に尽きる。それが12、3歳の少女であろうと、70歳近い老婆であろうと、そして、人前でも白昼でも、また雪の上であろうとも、そういうことは全く頓着しなかった。樺太の場合同様、女性たちは丸坊主になり顔に墨を塗り男装して難を逃れようとしたが、彼らは一人一人胸をさわって女であることを確かめると引き立てて行った
 南満へ疎開した人たちが、終戦後また新京の自分の家へ帰る途中、公主嶺の駅で、進駐してきたソ連軍の列車とばったり出くわしたとき起こった事件は『誰知らぬ者もない事実だ』という。それはあわてて発車しようとする日本人の乗っている列車をソ連兵が止め、女は一人残らずプラットフォームに降ろされ、『白日の下、夫や子供や講習のまん前で集団暴行を受けた』のである。
 もとより日本女性のすべてが易々諾々とソ連兵の毒牙に身を任せたわけではない。凌辱に耐えかねて死をもって抗議する若い婦人、暴行から身を守ろうとみずから死を選ぶ人妻もいた。例えば敦化の日満パルプKKの社宅では、ソ連軍は命令によって男と女を分離させ、170人の婦女子全員を独身寮に監禁し、夜となく昼となく暴行の限りを尽くしたが、この際23人の女性は青酸カリによって自殺している。」(『戦後引き揚げの記録』p.123)

このような記録は枚挙にいとまがなく、ソ連の同盟国であった中国の徐焔(シュ・イェン)大佐ですら、『1945年 満州進軍 日ソ戦と毛沢東の戦略』(三五館)の中で、
ソ連軍が満州に入った時点から、その相当数の将兵は直ちに、横暴な行為を露骨に現した。彼らは敗戦した日本人に強奪と暴行を振るっただけでなく、同盟国であるはずの中国の庶民に対しても悪事をさんざん働いた。
特に強奪と婦女暴行の二つは満州の大衆に深い恐怖感を与えた
」と書いていることを知るべきである。
次のURLにソ連軍が日本人にどのような行為を行なったのかについて、他にも数多くの事例が紹介されているので、関心のある方は覗いていただきたい。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html

藤原作弥

元日銀副総裁の藤原作弥氏は子供の頃に満州からの引揚げを体験された方である。
その藤原氏が、今から10年前に『戦後60年 私の中の昭和史』という演題で、鳥取県で講演された原稿がネットで読める。
http://web.archive.org/web/20111026072111/http://www3.boj.or.jp/matsue/tottori/data/kouenkai1.pdf

藤原氏の家族は昭和20年8月10日の夕刻に、無蓋の加餅列車に乗って満州内陸部の興安を脱出し、3日後に北朝鮮との南満州にある国境の街・安東に必死の思いで辿りついたのだが、ソ連軍の進撃は思いのほか早く、そこから先は進むことができなかったという。安東で1年半余の難民生活を余儀なくされ、わが国に帰国できたのは昭和21年の秋だったのだそうだ。

藤原作弥氏引揚地図

しかし8月10日に興安を脱出できた藤原氏の家族は運が良かったとしか言いようがない。もし、この脱出が遅れていたら、家族がとんでもない事件に巻き込まれていたこ可能性が高かったことを知って藤原氏は衝撃を受けたという。どんな事件が起こったのか。

葛根廟事件

「人に知られた『葛根廟事件』であります。興安街東半部に住んでおられた日本人約1,200名が、避難のため、興安街から脱出しようと行軍中、追撃してきた15台のソ連戦車軍団により1時間半にも及ぶ無差別の機銃掃射を受け、実に1,000名以上の方が命を落とされました。大半が無防備、無抵抗の老人や婦女子で、実に痛ましい事件です。私は、当時興安街在満国民学校3年生でしたが、国民学校での私のクラスメートも、30名のうち20名もの方がこの事件で亡くなられておられます。国民学校全体でも、270名の生徒のうち、200名近くが亡くなられ、奇跡的に生き残った方はわずか60名程度であります。
事件日は、私ども家族が脱出した僅か4日後の8月14日です。何らかの見込み違いや手違いが発生し、私どもの出発が 1日でも遅れていたとしたら、私どもも何らかの形でその犠牲になっていたでしょう。そのことも改めて私を驚愕させました。」

藤原氏はさらに、こうも述べておられる。
それにつけても、日本人の歴史的怠慢には問題を感じます。この事件に限らず、これまで日本は、終戦時において無防備、無抵抗の日本人が 大きな被害に遭遇した歴史的事実を、正しく伝えて来ておりません。満洲の問題に限らず、第2次世界大戦全般を振り返り、総括する作業を、明らかに日本は怠ってきております
終戦時の満洲ではさまざまな悲劇が起こりました。なかでも、8月12日、ソ連機械化部隊に追撃され、日本人開拓団約1,300名のうち、400名の婦女子が集団自決に追い込まれた『麻山事件』。さらには、東京都港区乗泉寺信徒の開拓団680名が、ソ連機甲部隊の一斉射撃や暴民の襲撃で、わずか20名を残し、大量殺戮された『牡丹江事件』。これらの2つは『葛根廟事件』とともに、『満洲三大事件』と言われております。ジェノサイド(計画的集団殺戮)と呼ばずして、何と呼べば良いのでしょうか

満州だけでなく朝鮮半島の北緯38度線以北はソ連のが占領地となったのだが、ソ連が引揚事業の費用負担を先送りしたため、3万人以上の日本人が栄養失調や病気で命を落としたという。そのような状況下で約20万人が自力で38度線を越えてアメリカ軍による引揚げで帰国できたそうだが、正式にソ連が日本人の引揚を開始したのは1946年12月以降のことで、人数は約8000人なのだという。

塗炭の苦しみを味わったのは満州にいた日本人だけではなかった、朝鮮在住の日本人達も、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏むことなく無念のうちに斃れた者が多かったようだ。
特に女性は朝鮮人やソ連兵、中国人等に度重なる強姦を受け、それを苦にして自殺した者も少なくなかったという。

Wikipediaにはこう解説されている。
「在外同胞援護会救療部では、引揚船に医師を派遣し、引揚者の治療に当たったが、殊のほか女性の性的被害が多いことに愕然し、早急に専門の治療施設を作る必要があると上部に掛け合った。こういう経緯で、1946年(昭和21年)3月25日に『二日市保養所』が開設されることになった。医師は在外同胞援護会救療部員(旧京城帝国大学医学部医局員によって構成)が担当した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%97%A5%E5%B8%82%E4%BF%9D%E9%A4%8A%E6%89%80

二日市保養所

少し補足すると、「二日市保養所」は福岡県筑紫郡二日市町(現筑紫野市)にあった厚生省引揚援護庁の医療施設で、レイプ被害に遭った日本人女性(引揚者)に堕胎手術や性病の治療を行った場所である。

そして、施設にこのような記録が残されていることが上記URLに記されている。
二日市保養所の医務主任だった橋爪将の報告書によると、施設の開設から2か月間で強姦被害者の加害男性の国籍内訳は、朝鮮28人、ソ連8人、支那6人、米国3人、台湾・フィリピンが各1人だった。1947年の施設閉鎖までに500件の堕胎手術をおこなった。」
本土に生還し、二日市保養所で堕胎手術を決意した若い女性だけで500件なのだから、日本女性の犠牲者数はこの2桁あるいは3桁多くても驚くには及ばない。

加害男性に朝鮮人が多いのは、日本敗北の気配を読み取って朝鮮半島内に朝鮮共産軍が組織され、ソ連軍と呼応していたという。彼らは、逃走中の日本人を襲っては所持品を奪い取り、多くの女性が強姦された記録がいくつも残されている。

竹林はるか遠く

日系米国人作家のヨーコ・カワシマ・ワトキンズが、終戦時に家族とともに朝鮮半島を縦断する決死の体験記である『竹林はるか遠く』は韓国では発売禁止になったそうだが、アメリカでは優良図書に選ばれて、中学校の教材として多くの学校で使用されているのだそうだ。
韓国で発売禁止となった理由は、韓国にとって都合の悪い史実が書かれているからのようだが、韓国にせよ中国にせよ声高に反日を主張しわが国を貶め続けるのは、彼らの戦争犯罪を、わが国に擦り付けることによって、隠し通そうという意図があるのだろう。
わが国は、反日国家に対しては史実をぶつけて堂々と反論すべきであったのだが、藤原作弥氏が指摘しているとおり、戦後の長きにわたりわが国の歴史学者もマスコミも、「終戦時において無防備、無抵抗の日本人が 大きな被害に遭遇した歴史的事実を、正しく伝えて」来なかったのである

鳩山謝罪

そのために、わが国の無能な政治家が、彼らの圧力に屈して何度も謝罪してきたのだが、国際社会で謝罪するという事は、わが国が悪かったことを世界で公式に認めることを意味する。そのことによって、今までどれだけ多くの国富を奪われて来たことか

そろそろ日本人も、反日国家やそれに呼応する左翼マスコミが声高に主張する歴史は、嘘だらけであることに気が付かねばならない。
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【ご参考】このブログでこんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-251.html

中国兵が綴った「日中戦争」の体験記を読めば、『南京大虐殺』の真実が見えてくる
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-252.html


陥落直前に無責任にも南京を脱出した中国軍の最高指揮官が栄転したのは何故か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-253.html


国内で徹底抗戦と言いながらソ連参戦後すぐに満州を放棄した日本軍~~ポツダム宣言8
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-298.html

『ポツダム宣言』を公然と無視し、国際法に違反した国はどの国か~~ポツダム宣言10
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-300.html

昭和初期が驚くほど左傾化していたことと軍部の暴走とは無関係なのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-207.html

軍部や官僚に共産主義者が多数いることに気が付いた近衛文麿
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-208.html

終戦後大量の日本兵がソ連の捕虜とされ、帰還が遅れた背景を考える
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-224.html

スターリンが朝鮮戦争に米国を誘導したことを示す極秘文書が発見されている
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-276.html





関連記事
Comment
ブログ、拝見させて頂きました。
関東軍が大陸にいた日本国民を棄民とする方針に反対していた人はいなかったのでしょうか?苦渋の決断でそうせざる得なかったのか、ソ連に日本の領土を切り取らせるためにそこに住んでいた人を丸ごと見捨てるつもりでいたのか気になるところです。ロシアや中国、韓国など歴史歪曲を許さないなど自分たちが過去に行った事を正当化している裏で停戦指示前後でこれほど犠牲者がいたのを初めて知りました。いつまでも彼らの好き勝手が通用しない、そういう日が必ず来るような気がします。
Re: タイトルなし
としさん、コメントありがとうございます。

マスコミが伝えない史実は、ほとんどの日本人にとって知る機会がありません。逆に、マスコミが何度も垂れ流す物語を、多くの日本人は真実だと信じてしまっています。

しかし、ようやく日本人が、マスコミの報道に疑問を感じるようになってきました。マスコミによる世論誘導に日本人が乗らなくなれば、自然に良い方向に向かうことになるのでしょうが、そのためには、多くの日本人が真実に目覚めることが不可欠です。

日本軍の記録をもっと読まないと見えてこないので断言はできませんが、終戦によってわが国がソ連の領土の一部になることを望んでいた者も少なからずいたことだと思います。しかし彼らも、ソ連がこんなにひどいことをするとは考えていなかったのではないのでしょうか。

言葉にならない
いつも楽しく拝見いたしております。

今回の記事の内容は、言葉を失いますね。
人権蹂躙とはこのようなことを言うべきで、戦中・戦後の日本人が受けた苦しみは、凄惨なものだと思います。
この衝撃が、戦後の平和主義の根本のような気もします。
この事実は世界中の国々に知って貰うべきですが、まず日本国民が知るべき歴史でしょうね。
これからも、しばやんさんのブログを楽しみにしております。
Re: 言葉にならない
立川さん、コメントありがとうございます。とても熱心に読んで頂いて嬉しいです。

マスコミや歴史学者は、こういう史実を後世に伝える努力をすべきだと思うのですが、戦後の長きにわたり、その役割を放棄して来たと言えます。いくつかの書物は出ましたが、今ではほとんどが絶版となってしまって、こういう史実を知る機会はほとんどありません。「戦勝国にとって都合の悪い史実」あるいは「共産国にとって都合の悪い史実」は、日本人にはなるべく目を触れさせないように、マスコミなどでコントロールされているのかもしれませんね。

これからも頑張りますので、時々覗いてみてください。







群を抜いているしばやんのBlog
しばやんへ
ここに来てこの記事を見てなんだかほっとしました。
しばやんのBlogは圧倒的に群を抜いています。記事もそうですし、Blog技術・Blogマナーもそうですし、読者のコメントも独自の思考によって練られています。
「ソ連占領下から引揚げてきた日本人の塗炭の苦しみを忘れるな」このテーマはとても重要です。明らかに棄民ですから、そしてその後は隠蔽ですから徹底解明する必要があります。しばやんのバランス感覚のよさが記事の質をここまで高めているのだと思います。
以前しばやんのこの記事とか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-298.html
私のこの記事
http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/blog-entry-407.html
のあたりで、終戦交渉におけるロシア崇拝と日本国内の親ソ派について、言葉をかわしたことがありましたね。
これからもどうか検証の続行をお願いします。
私は末期癌の再発が確定した状態なので、きっちりとした検証記事はもう二度と書けません。
Re: 群を抜いているしばやんのBlog
Bruxelles さん、お久しぶりです。闘病中にもかかわらず、過分なお褒めの言葉を頂き、とてもうれしいです。

ブログを始めたばかりの頃は、誰に読んで頂ているかもよく分からず、自分の備忘録のようなつもりで記事を書いていましたが、Bruxelles さんのような、レベルの高い読者に読んでいただいているということが、私のブログに対する姿勢を変えたと思います。

今は、仕事を終えて帰宅してからはほとんどパソコンを前にして格闘する毎日ですが、読者の手ごたえを感じてとてもやりがいがあります。

Bruxelles さんのブログは、私の知らないことが満載ですね。近現代史がテーマの時は、これからも参考にさせていただきますよ。

お体、ご大切に。

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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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