HOME   »  大正時代~第二次世界大戦~連合国占領期   »  戦争と共産主義  »  昭和初期以降、わが国の軍部が左傾化した背景を考える

昭和初期以降、わが国の軍部が左傾化した背景を考える

前回の記事で、わが国の終戦工作を担当した陸軍大佐がひどくソ連寄りであったことを書いたのだが、ではなぜ、わが国の軍隊の中枢部に共産主義思想の持ち主が入り込むことを水際で阻止できなかったのかと誰でも思う。

真崎甚三郎

以前このブログで、尾崎秀実を取り調べた特高の宮下弘氏の著書『特高の回想』を紹介したことがある。その宮下氏が右翼担当であった時に、皇道派の大物・真崎甚三郎を訪れたことがあり、その時に真崎が宮下氏に語ったという言葉が印象深い。

「君、世間は知らないんだが、2.26事件の青年将校たちをふくめて、みんなアカなんだよ。統制派も皇道派もそんなものはありゃしないんだよ。アカがなにもかも仕組んでいろんなことをやっているんで、軍もアカに攪乱されているんだよ。」(『特高の回想』p.153)

軍を攪乱していたのは左翼であったと真崎は述べているのだが、よく似たことを書いている当時の記録は少なくないのだ。

例えば近衛文麿は、昭和20年2月に昭和天皇に宛てた『近衛上奏文』の中で、
是等軍部内一味の者の革新論の狙ひは、必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼と云ふも可、左翼と云ふも可なり。所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義なり)は、意識的に共産革命に迄引きずらんとする意図を包蔵し居り、無知単純なる軍人、之に躍らされたりと見て大過なしと存候。」
という下りがある。

近衛文麿

近衛はこの上奏文で、軍部で革新論を唱えたメンバーが一部の官僚、民間人と組んで、意識的に共産革命に引きずり込もうとしていることを述べたのち、軍部からこの一味を一掃することの必要性を強調しているのだが、この重要な文書の内容を解説している本は極めて少なく、言及しても読者に原文を紹介もせずに一方的に近衛をこき下ろす文章がほとんどである。
今では『近衛上奏文』はWikipediaに全文が出ており、ネットで誰でも読むことが出来るのだが、解説もよく調べて書かれているので、先入観なしに是非一度は読んで頂きたいと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E6%96%87

次に、軍隊に共産主義思想が水面下で浸透していった経緯について記すこととしたい。
以前このブログで、大正末期から昭和10年代にかけてマルクス、エンゲルス、レーニンの著作がわが国でバカ売れして、相次いで全集が出版されたことを書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-207.html

『ビルマの竪琴』の著者・竹山道雄は、昭和初期の思想状況について『昭和の精神史』にこう記している。

竹山道雄

インテリの間には左翼思想が風靡して、昭和の初めには『赤にあらずんば人にあらず』というふうだった。指導的な思想雑誌はこれによって占められていた。若い世代は完全に政治化した。しかしインテリは武器を持っていなかったから、その運動は弾圧されてしまった。
あの風潮が兵営の厚い壁を浸透して、その中の武器を持っている人々に反映し、その型にしたがって変形したことは、むしろ自然だった。その人々は、もはや軍人としてではなく、政治家として行動した
。すでに北一輝などの経典があって、国体に関する特別な観念を作り上げていて、国体と社会改造とは背馳するものではなかった。しかし、北一輝だけでは、うたがいもなく純真で忠誠な軍人をして、上官を批判し軍律を紊(みだ)り世論に迷い政治に関与させることは、できなかったに違いない。…いかに背後に陰謀的な旧式右翼がいたところで、それだけで若い軍人が『青年将校』となることはありえなかった。これを激発させたのは社会の機運だった。このことは、前の檄文*の内容が雄弁に語っている

青年将校たちは軍人の子弟が多く、そうでない者もおおむね中産階級の出身で、自分は農民でも労働者でもなかった。それが政治化したのは、社会の不正を憎み苦しんでいる人々に同情する熱情からだった。インテリの動機とほぼ同じだった。ただ、インテリは天皇と祖国を否定したが、国防に任ずる将校たちは肯定した。ただし、彼らが肯定した天皇と国体は、既成現存の『天皇制』のそれではなかった。」(講談社学術文庫『昭和の精神史』p45-47)
*五・一五事件の檄文

竹山氏が知るある青年将校に訊ねたところ、彼らが考える『天皇制』の『天皇』のポストに就くべき人物は、昭和天皇ではなく、スターリンのような人物であったのだそうだが、当時の日本軍には共産主義思想がそれほどまでに浸透していたのである。

<五・一五事件

以下の文章は昭和7年(1932)に起きた五・一五事件の檄文の一部だが、これを読めばこの事件の首謀者は共産主義思想の影響を受けていたことが明らかである。

「 … 国民諸君よ!
 天皇の御名に於て君側の奸を屠れ!
 国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!
 横暴極まる官憲を膺懲せよ!
 奸賊、特権階級を抹殺せよ!
 農民よ、労働者よ、全国民よ!
 
 祖国日本を守れ
  而して
  陛下聖明の下、建国の精神に帰り国民自治の大精神に徹して人材を登用し 朗らかな維新日本を建設せよ
  民衆よ!
 此の建設を念願しつつ先づ破壊だ!
 凡ての現存する醜悪なる制度をぶち壊せ 威大なる建設の前には徹底的な破壊を要す…」
この檄文の全文は次のURLに掲載されている。
http://blogs.yahoo.co.jp/takaonaitousa/39349617.html

次に、当時の新聞ではこのような左傾化の風潮をどう書かれているのか紹介したい。
『神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ 新聞記事文庫』という新聞記事のデータベースがあり、経済記事やその解説記事が中心にストックされていて誰でもネットで利用することが出来る。その「新聞記事文庫 簡易検索」を用いて「軍隊」「赤化」などのキーワードを入れて検索を実施すると、多数の記事がヒットする。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/index.html

その中から、当時のわが国の軍隊に共産主義が蔓延していたことを匂わせる記事を探していると結構面白い記事を見つけることが出来る。

共産党の一味が重要なる某連隊に

たとえば、昭和3年(1928)4月14日の神戸又新日報の記事には、
重要な某連隊に本年入隊した現役兵二名が今回の共産党事件に関係して居り、党員と気脈を通じて軍隊中の細胞組織を行わんとひそかに画策していたことが判明したので当局では大狼狽」したと書かれている。
ちなみに「今回の共産党事件」というのは「3.15事件」のことで、この日に約1600人の共産主義者が全国で検挙されているのだが、この中に4月に入隊したばかりの現役兵がいたということである。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10070587&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

露国 軍人煽動の檄文

また同じ年の9月25日の中外商業新報の連載記事『赤化運動の経緯』の2回目に、ソ連の5月24日付の『プラウダ』紙上で第三インターナショナル(コミンテルン)がわが国の軍人に対して「陸海軍人諸君よ、諸君は陸海軍両方面より、先ず反動勢力を打破し、而して支那を革命助成する為め、その内乱戦を国際戦に転換せしむるよう不断の努力を怠る勿れ」と檄文を飛ばしたことが記されている。陸海軍によほど共産主義者がいなければ、こんな記事が、ソ連政府の半官報である『プラウダ』紙上に出るはずがない。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10070971&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

露国共産党巧みに我が軍隊に赤化宣伝

また同じ年の10月19日の国民新聞の記事だが、ソ連の共産党が6月以降、巧みに我軍隊に対して共産主義の組織的宣伝を開始したことが記されている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10071350&TYPE=HTML_FILE&POS=1

そしてその翌年の昭和4年(1929)4月16日に共産党員の全国的な検挙が行なわれ(「4.16事件」)、この年には4942名が検挙されている。

士官学校に赤化分子

また昭和7年(1932)2月11日の東京朝日新聞では、陸軍幹部養成の総本山である陸軍士官学校で赤化運動が起こり、連日所持品検査がなされて4名が放校処分された記事が出ている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10070975&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

そしてこの年の11月の熱海事件で、党幹部が一網打尽にされ、獄中で指導部の佐野学・鍋山貞親が共同で転向声明を出し、「ソ連の指導を受けて共産主義・社会主義運動を行なうのではなく、今後は天皇を尊重した共産主義・社会主義運動を行なう」と宣言した。
そのために多くの党員が転向し、日本共産党は壊滅状態となったのだが、だからといって共産主義者が一掃されたわけではなかったのである。

三田村武夫氏はこう解説している。
「…昭和6年頃から一度検挙された共産党関係者で、所謂(いわゆる)、その思想の転向者と見られる人物については、司法省に於いても、あるいは警視庁の特高部に於いても熱心に就職の斡旋をしたものである。そして、それらの連中は、官庁関係では嘱託名義で、調査部、研究室に就職し、民間の調査研究団体にも多数の転向者が就職していた筈である。更にまた、軍部にも同様にその調査事務には相当数の転向者が入っていた。そこで問題となるのは、この転向者の思想傾向であるが、司法省、内務省で転向者としてあつかったその所謂(いわゆる)『転向』の判定は天皇制の問題に重点がおかれており、天皇制否定の主張を訂正した者は転向者とみたのである。従って転向者の大部分が、実はその頭の中はマルクス主義であり、また彼らは、所謂秀才型が多く、進歩的分子をもって自任し、これらの人々が戦時国策の名に於いてなした役割は軽視すべからざるものがある。」(『大東亜戦争とスターリンの謀略』p.136)

赤の転向者へ同情

当時の新聞記事を探すと、三田村氏の書いている通り、特高の職員が思想犯の就職あっせんをしていた記事がいくつか見つかる。

もちろん本物の転向者もいた事だろうが、口先では天皇制を肯定しても「頭の中はマルクス主義者」の転向者がかなり軍隊に入隊したと考えるのが自然だ。
それにしても、なぜこんなにひどくなるまで放置したのであろうかと誰でも思う。

三田村氏はこう解説している。
「…その第一は、思想犯事件の内容を総て秘密にしてきたことである。…三月事件、十月事件を始め、共産党関係の事件にしても政府、軍部または官憲の立場から発表することを好まない事件内容は、一切これを極秘扱いとしてきたのである。そこに認識に対する無智と、空白があり、意識して謀略に乗ぜられた条件があった。第二は、政治家の無智であり、事件内容を秘密にしてきたことと関連して、政治家はほとんど思想事件に無智であった。というよりも無関心であった。従って自分の身辺間近まで、あるいは自分の腹中にその謀略の手が延びて来ても気付かなかったのである。第三は役人の政治認識欠如であり、長い特高警察の経験を持った者でも、政治経験を持たないが故に、取締りの立場からのみ見て、政治的な角度から指向される謀略活動に気が付かなかった。また事件として検挙された場合でも、その事件が共産党関係のものならば治安維持法のケースにあてはめ、罪になるかならぬかのみ捜査の重点を置き、また、尾崎・ゾルゲ事件の如くスパイ関係の事犯に対しては、国防保安法という法律の適用面からのみ、これを見る習慣があったのである。」(同上書p.137)

軍人も政治家も役人も思想犯を甘く考えていて、思想犯事件の内容を極秘にして公開しなかったことが、尾崎・ゾルゲグループらソ連のスパイ連中につけ入る隙を与えてしまったと理解すれば良いのだろうか。

マルクス・エンゲルス全集

先ほど少し触れたが、日本初の『マルクス・エンゲルス全集』が全二十七巻で改造社から刊行されたのは昭和3年(1928)から昭和10年(1935)。二十四巻の『レーニン叢書』が白揚社から刊行されたのは昭和2年(1927)から昭和3年(1928)。この時期はマルクスやレーニンの書籍がバカ売れしていたのである。

そして1928年(昭和3)のコミンテルン第6回大会では、レーニンの「敗戦革命論」に基づいて、「共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない。」との決議が採択され、この決議の通りに共産主義の影響を受けた一部の若人が軍人となることを志し、そのために士官学校等に入学した。

その後昭和7年(1932) 11月の熱海事件で日本共産党幹部が一網打尽にされ、、多数の共産党員は天皇制を否定さえしなければ転向したとみなされて、「天皇を尊重した共産主義・社会主義運動を行なう」メンバーが軍に入り、さらに士官学校の卒業生が任官したという流れである。

以前このブログで、昭和20年8月15日に予定されていた昭和天皇による玉音放送を阻止し、戦争を継続させようと目論んで皇居へと襲撃をかけた、『宮城クーデター』に関与した人物を中心に陸軍士官学校の卒業年次を調べたことがあるが、昭和5年卒業生の中には、宮城事件の立案者である稲葉正夫中佐、宮城事件の首謀者の一人である竹下正彦中佐、昭和7年卒業生の中には瀬島隆三中佐がおり、昭和8年の卒業生には朝枝繁治中佐のほか、宮城事件の首謀者の一人である井田正孝中佐、宮城事件で森近衛師団長殺害に関与した畑中健二少佐など、その前後の年次には明らかに左寄りのメンバーがいる。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-299.html

このような史実を拾っていくと、教科書やマスコミなどで拡散されてきた歴史叙述とは随分異なる世界が見えてくる。

私も長い間マスコミなどに洗脳されていて、『軍国主義』が怖ろしいものだとイメージしていたのだが、よくよく考えると「軍」という組織は、国民の生命と財産を護る存在である限りは怖ろしいものではありえない。
いつの時代であっても、またどこの国にとっても、「軍」が恐ろしい存在となるのは、その組織の中に、他国の為に動こうとしたり、革命を夢見て権力を掌握しようとするメンバーが存在し、その目的のために組織的に武力を用いる意思を持つようになった場合であろう。
そしてわが国の場合において本当に怖かったのは、「ソ連に忠誠を誓い、わが国を戦争に巻き込み、最後にソ連を参戦させてわが国を共産主義の国にしようとした『軍』の兵士達」ではなかったか。
**************************************************************
ブログパーツ
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
    ↓ ↓         


にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ





【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。よかったら覗いてみて下さい。

「満州某重大事件」の真相を追う~~その1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-205.html

「満州某重大事件」の真相を追う~~その2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-206.html

尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-209.html

『軍国主義者』や『青年将校』は『右翼』だったのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-279.html

特高が送り込んだスパイに過剰反応した日本共産党
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-284.html

軍の圧力に屈し解明できなかった、中国共産党に繋がる諜報組織
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-285.html



関連記事
Comment
軍歌の歌詞ですが
明治45年に仙台幼年学校生徒の作詞した軍歌「山紫に水清く」というのがあります(曲はどこかの寮歌のパクリ?)。
その中、3番目の歌詞は、次のようです。
「 観よ干城の健児らよ
己が雄飛の活舞台
東にパナマの落成を
西に自覚の革命旗 」

自覚の革命旗なんって件は、共産主義を敬ってませんか?
戦時中、歌うこと禁止されてたのでしょうか?
(戦友の歌詞の「軍律厳しきなかなれど・・・・」が、
戦時中NGでしたね)。

Re: 軍歌の歌詞ですが
年金生活者さん、コメントありがとうございます。

明治45年の作詞者がどの程度左翼的な思想であったかについては良く分かりませんが、軍歌として歌われた歌詞の中に『革命』という言葉が散見されるのは驚きですね。
この歌がどの程度広がっていたかどうかはわかりませんが、次のURLの村松陸軍少年通信兵学校を卒業した少年兵の記録では、昭和19年の卒業式の後の宴席でこの歌が斉唱されていることが分かります。禁止はされていなかったようです。
http://kousei.s40.xrea.com/xoops/modules/newbb/viewtopic.php?viewmode=thread&topic_id=843&forum=13&post_id=3671#3671


調べると、明治40年の歌で「嗚呼革命は近づけり」という唄もあるようですね。この歌は完全に左翼運動の歌です。「当時堺利彦と出会い社会党ラッパ­節を作った添田唖蝉坊が唄い広く知れ渡ったという」と解説されています。
https://www.youtube.com/watch?v=tpGGbqjWWRk
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
FC2カウンター
最近の記事プルダウン
全記事表示リンク
ブログ内検索
『しばやんの日々』のブログ内の記事をキーワードで検索できます。検索された全てのブログ記事と、記事の最初の文章が表示されます。
プロフィール

しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

***********************
Facebook、twitterなどで記事を拡散していただいたり、リンクしていただくことは大歓迎ですが、このブログ記事のURLとブログ名は明記していただくようよろしくお願い致します。

コメント、トラックバック共に歓迎しますが、記事内容とあまり関係ない内容を論拠を示さないまま一方的に自説を唱えたり、どこかの掲示板などの文章をまるまる引用しているだけのコメントは削除させていただくことがあります。

匿名のコメントや質問にはできるかぎり対応させていただきますが、回答する場合はこのブログのコメント欄でさせていただきます。

また、お叱りや反論もお受けしますが、論拠を示さないで一方的に批難するだけのものや、汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメントなど、不適切と思われるものぱ管理人の権限で削除させて頂く場合がありますので、予めご了承ください。
***********************

リンク
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
新しいカテゴリに移すなど、カテゴリを時々見直すことがありますので、記事をリンクされる方は、個別記事のURL(末尾が"/blog-entry-***.html")をご利用ください。
年別アーカイブ一覧
RSS登録er
タグクラウド

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
日本語→英語自動翻訳【星条旗】
このページを英訳したい人は この下のEnglishの部分をクリックすれば ある程度の英語の文章になるようです。
ブログランキング
下の応援ボタンをクリックして頂くと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

おきてがみ blogram
ブログランキングならblogram
文字を大きく・小さく
    月間人気記事ランキング
    個別記事への直接アクセス数の今月1日からの合計値です。毎月末にリセットされます。このブログのアクセスのうち6割以上は検索サイト経由、約2割は何らかのリンクを辿って、過去の記事のURLに直接アクセス頂いています。
    51位以降のランキングは、リンク集の「『しばやんの日々』今月の人気ページランキング (全)」をクリックしてください。
    人気ブログランキング 日本史
    「人気ブログランキング」に参加しているブログの1週間の応援ボタンのクリック件数を集計し、日本史部門でランキングを表示したもの。
    ブログ村ランキング 日本史
    にほんブログ村に参加しているブログの、1週間の応援ボタンのクリック件数を集計し、日本史部門でランキングを表示したもの。
    ブログサークル
    ブログサークル
    ブログにフォーカスしたコミュニティーサービス(SNS)。同じ趣味の仲間とつながろう!
    ツイッタータイムラン
    逆アクセスランキング
    24時間の逆アクセスランキングです。表題の「アクセス解析研究所」をクリックすると、詳細な解析結果が分かります。
    PINGOO! メモリーボード
    「しばやんの日々」記事を新しい順にタイル状に表示させ、目次のように一覧表示させるページです。各記事の出だしの文章・約80文字が読めます。 表示された記事をクリックすると直接対象のページにアクセスできます。
    おすすめ商品
    旅館・ホテル