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日本共産党が軍を工作するために制作したパンフレットなどを読む

前回は、ソ連が如何にしてわが国や世界に共産主義を拡げていったかについて書いたのだが、読者の中には、「軍国主義」を礼賛したような時代のわが国の新聞に書かれている記事を紹介されても、その内容そのものが信用できないという方もおられるだろう。

そこで今回は、当時の日本共産党が軍部に対してどのような文書を拡散していたかを紹介したい。

赤旗パンフレット29号 兵士諸君に与ふ

昭和7年(1932)9月1日に日本共産党が対軍工作の為に出した『兵士諸君に与ふ』という赤旗パンフレットが残されており、次のURLで全文を読むことが出来る。
http://kure-sensai.net/Undou/Senzen/HeisiniAtau/HeisiniAtau.htm

表紙に書かれている『国際共産党』というのは、前回の記事をはじめこのブログで何度か紹介した『コミンテルン』のことで、世界の共産主義国化のために1919年にモスクワで結成され、わが国ではコミンテルン日本支部として大正11年(1922)に日本共産党が結成されたのである。

この『兵士諸君に与ふ』に書かれている内容は、当時の時代背景を考えると若い人々にかなり説得力があったと思われるのでぜひ一度読んで頂きたいと思う。(原文を新字新仮名に変更して引用)

「…吾々、兵卒水兵は一体何者か。我々は軍服を着た労働者農民である。吾々はかつては、農村で、工場で、働き搾取されていた。吾々の親や兄弟は、土地を取り上げられ、重税に収奪され、特に昨年の大凶作、繭(まゆ)安以来、全く食うや食わずの生活を送っている。しかも我々が兵士として入営し、また出征することは、農村の働き手を奪われ益々農民の生活を窮迫さしている。
農民のかかる窮乏化は農民自身の責任ではない。…いかにも国際的恐慌に関連せる日本の農業恐慌、寄生地主による収奪、独占価格による搾取、高利貸、租税の無慈悲的取立により発生せる恐慌が農民自身の責任、その怠惰にでも起因するかの如く政府は「自力更生策」を掲げて、その無能を暴露し、農民を愚弄している。飢餓窮乏はもとより農村ばかりでない。恐慌を切り抜けるための資本家の強硬手段、美名産業合理化は1930年代以来、労働者の破滅的窮乏を招来した。賃下げ、時間延長、労働強化は資本家の凶暴なる攻撃武器となっている。…特にかく首による失業者250万を超えている。…」(『兵士諸君に与ふ』p.1~2)

少し補足すると、1929年にアメリカで始まった恐慌が全世界に広がっている時期に、わが国は昭和5年(1930)に金解禁を行ない、そのために外国からの安い商品が入ってきて大量の金が海外に流出することとなった。対米輸出が激減し、井上準之助大蔵大臣のデフレ政策もあって商品市場が大暴落し、多くの企業が倒産したり操業短縮に追い込まれて、失業者が街にあふれて深刻な不況に喘いでいた(昭和恐慌)。
また、米と繭の二本柱で成り立っていた日本の農村は、生糸価格の大暴落が導火線となり農産物価格が下落したうえ、昭和5年(1930)の豊作で大幅に米価が下落したために壊滅的な打撃を受け、さらに翌年の昭和6年(1931)には東北・北海道が冷害のために大凶作となり、貧窮のあまり欠食児童や娘の身売りが相次いだという。

離村子女を守れ

秋田県のHPには、
「凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると『父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち』の数は、 1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。
娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。
 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。」と書かれている。
http://www.pref.akita.jp/fpd/rekishi/rekishi-index.htm

相次ぐ経済政策の失敗の上に悪いことが重なって国民の間には政党政治と財閥に対する不信感が高まっていったのだが、そのような背景を知らなければこの時代に共産主義思想が広がっていったことを理解することは難しい。

『兵士諸君に与ふ』の話に戻ろう。文章は次第に過激になっていく。

「今吾々は、軍服を着て軍隊にとられた。
軍隊とは何か?それは、日本の労働者・農民の生活の守りであるか。
否、それは『天皇』の名において労働者農民を弾圧し、資本家地主の利益を擁護する、天皇・資本家・地主の最も重要な武装権力である

吾々兵士は固き団結を以て来たるべき戦争を迎えよう。しかし如何なる態度をもってか?
戦争は未曽有の不況を切り抜けるために帝国主義日本の採った最後の手段
である。
戦争は、天皇政府のいう如き好況を決してもたらさない。そして一切の犠牲と負担とはこの時にも、労働者・農民の肩に負わされる。
戦争は、労働者・農民を犠牲にし、資本家の市場獲得のために行うところの殺戮である。これが、戦争の本質である。…われわれは一切の侵略的戦争に反対だ。支那革命を圧殺するための対支出兵反対。ソヴェート同盟を守れ。そして、戦争を内乱に転化しなければならぬ

『天皇の軍隊』の崩壊のために、資本家・地主的天皇制の打倒のために、
労働者・農民・兵士のソヴェート樹立のために。
  帝国主義戦争絶対反対!
  戦争を内乱へ!
ソヴェート同盟を守れ!
支那革命を守れ!
労働者・農民・兵士の提携万歳!
」(同上 p.2~4)

と、兵士に向かって「固き団結を以て来たるべき戦争を迎えよう」と述べているのだが、その目的は「戦争を内乱に転化」させ、政権を転覆させてソ連と同様の共産主義国家を樹立させることにあり、そのために兵士は労働者・農民とともに戦おうと書いているのである。この考え方は、レーニンの『敗戦革命論』そのものである。

では、具体的にはどう戦えと言っているかというと、

「…われわれは資本家・地主の利益を擁護する『天皇の軍隊』崩壊のために、武装せる労働者・農民との固き提携のもとに『天皇政治』に武器を向けるために力一杯戦わねばならぬ。」(同上p.7)
と、支配階級の巨大な権力機構に武器を向けて戦えと書いているのだ。

とは言うものの、最初から武器を持って上官と戦えと言っているのではない。まずは親睦会のような組織に入って少しずつ兵士の支持を勝ち取って軍隊内で合法的に力を増していけば、無茶な弾圧を受けることもないし、また合法性を獲得することも可能になると述べ、そして
支那の兵士たちは残虐なテロに抗して、反動的な国民党内で活躍し、今や輝かしい赤軍建設に成功したではないか!
 兵営、軍館内の兵卒、兵、大衆諸君!
 …
 今こそ、団結せよ! 勇敢に戦え!
 兵士大衆自身の組織、兵士委員会を作れ!」
と締め括っている。

パンフレットには、「支那の兵士たちは残虐なテロに抗して」蒋介石率いる反動的な国民党内で活躍したとある。この文章から、国民党にはコミンテルンの策謀によりかなりの中国共産党員が潜入していたことがこの文章から明らかであるが、そのことは当時の新聞にも記事に書かれている。

昭和6 牛蘭事件の審問


上の新聞記事は、昭和6年(1931)の9月18日付の『満州日報』の記事で、コミンテルン(第三国際)で東洋攪乱工作をしていた牛蘭(ヌーラン)という人物が6月に捕えられ、600以上の文書が押収されたのだが、特に重要な文書の内容の一部が紹介されている。

「第三国際(コミンテルン)は、全支那をソビエート区と、非ソビエート区に分ち、ソビエート区域では、赤色の労工会及び農会を組織し、非ソビエート区域では、全国に渉りて極力労働争議を煽動する。党会を開く時に出席する者には一元ずつ支給する。又国民政府の軍隊内に、共産党の細胞を植付け、其戦闘力を弱める事が最も必要だと書いてある。而して上海の此機関の毎月の費用は十三万元である。」
「其使命の重大なる者は、第一は中国を蹂躪する赤匪を指揮して、之れが為めに軍事計画を計議する事、第二は中国共産党徒の指導者と為りて、其報告を接受し、並びにソビエート露西亜及び第三国際の訓令を伝達する事。第三は、遠東各地共産党員の指導者となりて、其の為めに種々の設計を為し、其工作を指導する事。第四は、中華民国を顛覆し、社会組織を破壊し、善良国民を赤化すべき種々の企図を為す事である」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10071151&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

生まれたばかりのソ連を他国の侵略から守るためには、周囲の国に工作をかけて内戦を激化させたうえで共産国化をはかる取組が必要だと考えたのだろうが、国家を転覆させたり社会組織を破壊させるほどの大がかりな工作をするためには、その国民に共産主義思想を広めたりアジビラを撒布する程度では生ぬるいことは誰でもわかる。
牛蘭という人物が、わが国に対してはどのような工作を指示していたか、『満州日報』の記事にはこう記されている。

「其中数件は、牛蘭親筆のもので、其多くは労働者の暴動に対する指揮、及び中国ソビエート区域内の労働者農民に対する訓練の計画、党徒を非律賓(フィリピン)、朝鮮、安南、印度、日本に派遣して、労働者を煽動する事、日本其他の共産党の組織宣伝訓練等に関するものである。要するに牛蘭から第三国際宛の報告、各国各処から牛蘭宛の報告、牛蘭から各国各処宛の訓令である。内容は、如何に労農を煽動す可きか、如何に組織を加う可きか如何に共党の訓練を施こす可きか、而して如阿に各国各処の政治を攪乱す可きかである」

昭和6 満州の主要都市を暴動化の大陰謀

もっと具体的な新聞記事を探すと、例えば、牛蘭という人物が逮捕された3か月前の昭和6年3月21日の京城日報にはこう報道されている。
満洲省委員会は中国共産党中央党部の指示に従い撫順、奉天、ハルビン、大連の四大都市を暴動化の中心として(昨年)12月11日の全国ソビエット代表大会前後を期し中央党部と相呼応し全国一斉に事を挙ぐべく撫順特別支部はその際撫順炭坑における支那坑夫を煽勲して賃銀値上げ待遇改善を要求し同盟罷業に終り直ちに大暴動を敢行して紅軍を組織して撫順八大炭坑発電所機械工場、オイルセール工場等を破壊し日支両国の主要官衙交通通信機関を破壊し及び両国の主力官民を暗殺し総べての資本機関を奪取し彼等の手に収め撫順を占領して撫順に地方ソビエット政府を樹立せんとするものである。…先般北満間島*吉敦方面で行われた放火、鏖殺、官公衙通信機関等の破壊事件は皆彼等一味の行為である。…」
*間島(かんとう):豆満江以北の満州にある朝鮮民族居住地を指す。主に現在の中華人民共和国吉林省東部の延辺朝鮮族自治州一帯

炭鉱坑夫の賃上げ要求を契機に中国の主要都市で大暴動を起こし、主要な工場などを破壊し要人を暗殺して、ソ連と同様の共産主義政権を樹立しようとしたというのだが、引用した最後の部分に書かれている「北満間島吉敦方面で行われた放火、鏖殺、官公衙通信機関等の破壊事件」とはどのような事件であったのか。
Wikipedia『間島(かんとう)共産党暴動』にはこう解説されている。
「1930年5月30日、(中国共産党の支援を受けた朝鮮人グループ)は延吉・竜井など間島の主要都市や鉄道沿線で一斉に蜂起し、日本領事館などの官公庁や鉄道施設・電灯会社などを襲撃した。続いて7月31日にも敦化を中心として暴動が再燃、以後1年以上にわたって断続的な暴動が間島各地で繰り広げられた。大日本帝国の軍部・警察は直ちに間島に入って鎮圧を開始、奉天軍閥も鎮圧に動いた。その結果、日本側によって7,000名が検挙されて700名余りが起訴、うち周現甲・李東鮮ら22名が治安維持法や刑法などによって死刑とされた。…
武装蜂起の生き残りは抗日パルチザンとして、引き続き満州での抗日運動を展開して行くことになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E5%B3%B6%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E6%9A%B4%E5%8B%95

昭和7 稀有の赤色テロ 間島共産党事件

Wikipediaには「襲撃」や「暴動」などと抽象的に記されているが、昭和7年(1932)12月29日付の大阪朝日新聞の記事では間島暴動における「放火70件、強盗百数十件、殺人30数名」というから、明らかなテロ事件である。この事件がコミンテルンに治安維持法が適用された最初の事例なのだそうだが、このような大がかりなテロを仕掛けてくる国際組織に対して治安維持法を適用することは、国民の大多数が支持したことだと思う。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10070651&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

共産党が兵士のために作成した文書は『兵士諸君に与ふ』以外にもあるので、もう一つ紹介しておこう。

兵士の友発刊の辞

昭和7年(1932)の9月に共産党中央は軍事部を設け、『兵士の友』を創刊している。
創刊号には、上海の日本兵士が将校に銃を向けた話や、上海の日本飛行隊の兵士が空から「帝国主義戦争反対」「ソヴェート同盟を守れ」と書かれた宣伝ビラを撒いた話や撫順の守備兵士が将校の命に反抗して叛乱したことなどが書かれている。この頃から大陸では日本軍の左傾化が進んでいたようである。
http://kure-sensai.net/Undou/Senzen/HeisiniAtau/HeisiNoTomoSinbun.htm

昭和8 兵士の友

また昭和8年8月に出された『兵士の友』第10号にはこんなことが書かれている。ここでは、銃を政府に向けよと明確に述べていることに注目したい。

「今や我々は断乎たる決意を以て告げる。
中国の兄弟たちとの戦争を拒否しよう。そして手を握り合おう。戦線から去ろう。
ソ同盟の同朋には断じて銃は向けまい。
我々の銃は後ろへ! ●●と流血の戦争政府へ、資本家地主の天皇政府へ!

http://kure-sensai.net/Undou/Senzen/HeisiNoTomo/HeisiNoTomoSinbun10gou.htm

この時期にどの程度の兵士がこの『兵士の友』を読んでいたかはよく分からないが、その後は日本軍の中枢部まで左傾化していったことを考えると、それなりの影響力はあったと思われる。
この頃のわが国では、国家権力に銃を向ける事件が相次いだのであるが、前々回の記事で引用したとおり、五・一五事件の檄文を読むと左翼思想の影響を感じざるを得ず、このようなテロ事件のいくつかはコミンテルンによる何らかの工作がなされた可能性を感じている。

レーニンは、共産主義者は進んで軍隊に入り、内部から崩壊させて、自国政府の敗北を導かねばならない。その実現のためには民主的な方法では到底不可能であり、工作により戦争に導いて、その上でプロレタリア革命を遂行させよという意味のことを述べている。その『敗戦革命論』の考え方に基づき、コミンテルンによって主要国で多くのテロ行為が仕掛けられたのだが、この時期に中国側でわが国を挑発する事件が多発しているのは、その工作と関係があるのではないか。
昭和3年(1928)に起きた張作霖爆殺事件は、今も教科書には関東軍の仕業だと書かれているが、ロシア人のドミトリー・プロホロフという歴史家が、2001年にGRU(旧ソ連赤軍参謀本部情報総局)の未公開文書に基づいて『GRU帝国』という旧ソビエトの情報工作機関の活動を書いた本を上梓し、その中で張作霖爆殺事件の実行犯はコミンテルンの工作員であると断言している。
また、昭和12年(1937)に起きた7月7日の盧溝橋事件についても、また中国共産党軍の兵士パンフレットに「盧溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」と書かれており、仕掛け人は明らかである。

通州事件

盧溝橋事件の後わが国は事件を拡大させるつもりはなく派兵提案を見送っているのだが、中国側は停戦協議で約束した撤退をせずに挑発行為を続け、日本兵が襲撃される事件が相次いだ後、7月28日には通州の日本人居留民380人中260名が惨殺された事件が起きている (「通州事件」) 。

暴支膺懲

その事件が報じられて国民の憤慨が頂点に達したことは言うまでもなく、かくして中国共産党は、凄惨な方法で日本人を多数虐殺することでわが国の「暴支膺懲*(ぼうしようちょう)」の世論を激高させて、日本を中国との戦いにひきずりこむことに成功したということが歴史の真実ではないだろうか。
*暴支膺懲*:暴虐な支那(中国)を懲らしめよの意

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【ご参考】
このブログで、こんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

盧溝橋事件の後で、なぜ我が国は中国との戦いに巻き込まれたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-250.html

「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-251.html

中国兵が綴った「日中戦争」の体験記を読めば、『南京大虐殺』の真実が見えてくる
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-252.html

陥落直前に無責任にも南京を脱出した中国軍の最高指揮官が栄転したのは何故か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-253.html

「満州某重大事件」の真相を追う~~その1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-205.html

「満州某重大事件」の真相を追う~~その2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-206.html

尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-209.html

軍の圧力に屈し解明できなかった、中国共産党に繋がる諜報組織
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-285.html





関連記事
Comment
東海林太郎さんの歌詞
日独伊防共トリオ

歌詞にヒントが
http://www.youtube.com/watch?v=NxlXKwrhUNQ&sns=em
トリオにやられたんです。
Re: 東海林太郎さんの歌詞
通行人さん、情報ありがとうございます。
こんな歌があったことは知りませんでした。

1番の歌詞は、本質をついていると思います。


「搾取なき平等の仮面に隠れ
 文明と共栄に叛逆す
 コミンテルン
 悪の指令の飛ぶところ
 骨肉相喰み、戦禍は躍る
 みよやスペイン、抗日支那を。」

東海林太郎氏について
東海林太郎氏は、佐野学の弟子で、満鉄調査部にいたのですね。論文が左翼的と評価され、図書館に左遷されたとのこと。彼が、このような作詞をしたのは、何故なのでしょうね。
Re: 東海林太郎氏について
不良定年親父さん、コメントありがとうございます。

作詞は東海林太郎ではなく長田幹彦で、東海林太郎はこの歌の歌手だったようです。

彼が満鉄で左翼的すぎる論文を書いて左遷されたのが1927年。第1回普通選挙の後、三・一五事件(1928年)、四・一六事件(1929年)と共産主義者らの一斉検挙がおこなわれているので、その後は共産主義を煽動するような活動は出来なかったはずです。

その後、東海林太郎は1934年以降歌手として活躍して「麦と兵隊」など多くのヒット曲を出しましたが、「日独伊防共トリオ」という歌が出来た1938年頃は完全に転向していたのか、転向したように見せたかったのか、レコード会社から指名されて生活の為に歌ったのか、その点はよく分かりません。

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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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