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なぜわが国が中国との戦争に巻き込まれたのか…興亜院政務部の極秘資料を読む

高校で日中戦争を学んだ時に、わが国がなぜ戦争に巻き込まれのかが理解できなかったのだが、最近の教科書ではどう書かれているのかと思って『もう一度読む 山川の日本史』を読み直してみる。そこにはこう記されている。

「日本はしだいに中国北部にも勢力を伸ばし、この地方の軍閥に力を貸して、国民政府の影響から切り離そうとした。そのころ中国では、国民政府と共産党の内戦が続いていたが、1936(昭和11)年に張学良が蒋介石を監禁して抗日への転換をせまった西安事件をきっかけに、内戦を停止して日本に抵抗する気運が高まった。
 そのような状況の中で、1937(昭和12)年7月7~8日、北京郊外で日本軍と中国軍の武力衝突がおこった(盧溝橋事件)。つづいて上海でも日中両軍が衝突し、戦火は中国中部にも拡がった。日本がつぎつぎに大軍を送って戦線を拡大したのに対し、中国側は国民党と共産党が協力して抗日民族統一戦線を結成し(第2次国共合作)、日本に抵抗した。こうして事変は宣戦布告がないままに、本格的な日中戦争に発展した」(『もう一度読む 山川の日本史』p.300~301)

「抵抗」する中国に対し「つぎつぎに大軍を送って戦線を拡大」したと解説されているのだが、そもそも「抵抗」という言葉は、仕掛ける側ではなく仕掛けられる側に用いられる言葉である。普通にこの文章を読めば、わが国が戦争を仕掛けて中国がそれに抵抗したと理解してしまうところだが、そのような歴史理解は正しいと言えるのか。

しっかりと史実を押さえておきたいところだが、まず盧溝橋事件は「武力衝突」であったという表現にも疑問を感じる。この時の日本軍は演習の為、実弾を携行しておらず、戦う意思などは毛頭なかったからである。
橋本群・陸軍中将(駐屯軍参謀長)は当時の状況を、「実弾を持たずに発砲された為、応戦出来ず、非常に危険な状況に置かれた」と証言しており、日本側は何者かに仕掛けられたのである。

盧溝橋事件記事

では、どこが仕掛けたのか。
実はこの時に、国民党軍も、日本軍同様に銃撃を受けている

盧溝橋で銃撃を受けた日本軍は国民党軍によるものと思い込み、反対に国民党軍は日本軍によって銃撃を受けたものと思い込んで、この事件が発端となって、日本軍と国民党軍は交戦状態に突入したのだが、双方共、腑に落ちない点があり、事件発生後5日目に、日支両軍は停戦協定を結んでいる。つまり、日本軍は中国との全面戦争を、最初から欲してはいなかったのである。

では、丸腰の日本軍に発砲をしたのは誰であったのか。

たとえば『帝国電網省』の『歴史再考』にはこう記されている。

「7月8日、つまり、『盧溝橋事件』発生の翌日、支那共産党は『対日全面交戦』を呼び掛けているのです。これは、どう見ても、お膳立てが良すぎます。まるで、『盧溝橋事件』が起きる事を知っていたかの様な手際の良さです。と言うよりも、間違いなく共産党は、事件が起きる事を知っていました。それは、何故か? 実は、『盧溝橋事件』は何を隠そう、共産党による『謀略』だったからです。つまり、共産党の工作員が夜陰に乗じて、盧溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲し、両軍が交戦する様にし向けたのです。その証拠に、共産党軍の兵士向けのパンフレットには、『盧溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の支持によって行われたものである』とはっきりと記述されていました。又、昭和24(1949)年10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、『あの時(盧溝橋事件の祭)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍操法に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ』と発言しています。共産党自らが『自白』しているのですから、これ以上の証拠はありません。」
http://www.teikoku-denmo.jp/history/honbun/rokokyo.html

少しだけ補足しておこう。この時に北京郊外に日本軍がいたのは、1900年の『義和団事件』の後で清国が欧米列国及び我が国との間で締結した『北京議定書』に基づくものであり、わが国だけでなく、ほかに7ヶ国の軍隊が、居留民保護の目的で駐留していたのである。

『帝国電網省』の解説では、要するに中国共産党は、日本軍と国民党の双方を戦わせて疲弊させ、最後に漁夫の利を得ようとしたことになるわけだが、その裏付けを取ろうとしても共産党パンフレット(『戦士政治課本』)の現物はわが国に持ち帰られていないようであり、また周恩来の演説原稿の出典を明記しているサイトも確認できなかった。

しかしながら、探しているうちに別の面白い資料が見つかった。

興亜院政務部 コミンテルン並びにソ連の対支政策に関する基礎資料

わが国がどういうルートから入手したかは定かではないが、1937年7月付の『盧溝橋事件に関するコミンテルンの指令』が興亜院政務部の極秘資料『コミンテルン並に蘇聯邦の対支政策に関する基本資料』のなかに収められており、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で誰でも読むことが出来る。そこには実に恐ろしいことが書かれている。

(1)あくまで局地解決を避け、日支の全面的衝突に導かねばならぬ。
(2)右の目的を貫徹するため、あらゆる手段を利用すべく
局地的解決(例えば北支を分離せしめることによって戦争を回避するの類。)日本の譲歩に依って、支那の解放運動を裏切ろうとする要人を抹殺してもよい
(3)下層民衆階級に工作し、これをして行動を起こさしめ、国民政府をして戦争開始のやむなきに立ち至らしめなければならぬ。
(4)党は対日ボイコットを全支那的に拡大しなければならぬ。日本を援助せんとする第三国に対しては、ボイコットをもって威嚇する必要がある。…」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454637/54

Wikipediaによると、興亜院というのは、
「昭和13年(1938年)12月16日に設立された日本の国家機関の一つ。日中戦争によって中国大陸での戦線が拡大し占領地域が増えたため、占領地に対する政務・開発事業を統一指揮するために第1次近衛内閣で設けられた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E4%BA%9C%E9%99%A2
とあり、この『盧溝橋事件に関するコミンテルンの指令』が収められている『興亜資料. 政治篇 ; 1』には、大正6年(1917)から昭和14年(1939)までの資料が集められていて、昭和14年(1939)の10月に印刷されている。
太平洋戦争が開戦する2年以上前に、コミンテルンからこのような指令が出ていることをわが国の政府が入手していたことは注目して良いだろう。おそらく、コミンテルンに近い人物にスパイを送り込んでいたのであろう。

わが国の情報網から入手した、この『盧溝橋事件に関するコミンテルンの指令』を、興亜院が本物と判断したからこそ極秘資料集の中に綴じ込まれたのだろうが、その後の史実を追っていけば、興亜院がこの文書を本物だと判断した理由が見えてくる。

盧溝橋事件翌日の昭和12年7月8日に、陸軍中央と外務省は事件の不拡大方針を決め、9日の臨時閣議中に現地停戦協議成立の報告が入って、派兵提案を見送っている。すなわち盧溝橋事件で中国の挑発を受けても、陸軍も外務省も事件を拡大させるつもりはなかったのである。

しかしながら、中国側は停戦協議で約束した撤退をせず挑発を続けたために、わが政府は11日に三個師団を派兵することを閣議決定するも、同日夜にまた現地停戦協定が成立したため、再び派兵を見送り、現地軍に不拡大方針を再確認させている。
ところが、中国軍は再び停戦協定を破って、13日には天津砲兵聯隊第二大隊修理班が中国兵に襲撃され4名が爆殺されてしまう(「大紅門事件」)

さらに14日には天津駐屯騎兵隊の1名が襲撃され、残忍な手口で殺される事件が起きている。
また、20日には撤退する約束であった盧溝橋城の中国軍が、日本軍に一斉射撃を仕掛けてきたために、日本軍も盧溝橋城壁に向かって砲撃を行なった。
政府は再び三個師団の派兵を承認するも、現地に派遣していた軍務課長の報告を受けて、再び内地師団の派兵を見合わせている。


広安門事件

しかし、25日には廊坊の電線修理に派遣された日本軍の電信隊一個中隊が、中国軍に包囲、攻撃される事件があり(「廊坊事件」)、26日には天津駐屯第二聯隊第二大隊が支那軍から乱射を浴びる事件があった(「広安門事件」)。

日本軍は、盧溝橋事件以来3週間にわたって隠忍自重に努めてきたのだが、ここに至っては武力不行使の大方針を放棄するほかなく、28日に天津軍は中国二九軍に開戦を通告し全面攻撃を開始。中国軍は南へ敗走した。

通州事件

そしてその翌日の7月29日に、約3000人の冀東防共自治政府の千数百名の保安部隊(中国人部隊)が、日本軍の守備隊や特務機関や民家を襲撃し、無辜の民に対して掠奪、暴行、凌辱、殺戮など残虐の限りを尽くした事件が発生した。この事件で日本軍日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約380名を襲撃し、260名が惨殺されている。(「通州事件」)

通州の日本軍守備隊は、主力が南苑攻撃に向かっていて少数しか残っておらず、装備も劣っていたために死傷者が続出し、通州特務機関は全滅したという。
冀東政府保安隊は日本軍を全滅させると、日本人居留民の家を一軒残らず襲撃し、略奪・暴行・強姦などを行なった。

中村粲(あきら)氏の『大東亜戦争への道』のp.404-406に東京裁判で行われた証言内容が掲載されている。(原文は旧字旧カナ)
旭軒(飲食店)では四十から十七~八歳までの女七、八名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されており、その中四、五名は陰部を銃剣で突刺されていた。商館や役所に残された日本人男子の屍体は殆どすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」
(萱島高・天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第二連隊長(当時)の東京裁判における証言)

守備隊の東門を出ると、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、一同悲憤の極に達した。『日本人は居ないか』と連呼しながら各戸毎に調査してゆくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等がそこそこの埃箱の中や壕の中などから続々這ひ出してきた。ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されており、全く見るに忍びなかった。旭軒では七、八名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者等、見るに耐へなかつた。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに八番鉄線を貫き通し、一家六名数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水は血で赤く染まっていたのを目撃した
(桜井文雄・支那駐屯歩兵第二連隊小隊長(当時)の東京裁判における証言)

このような証言を信じられない人が多いと思うのだが決して作り話ではなく、この事件については新聞や雑誌にも写真付きで大きく報道され、被害者の名前もすべて特定されている。
Wikipediaに詳しく纏められており、この事件を知らない方は是非一読願いたいと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

通州事件の現場の写真が多くのブログで紹介されているが、とても正視できるものではない。中国側がここまでひどい殺し方をしたのは、何か特別な理由があるようにも思える。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/46489118.html

先ほど紹介した興亜院の極秘資料を思い出してほしい
そこには、あらゆる手段を使って「日支の全面的衝突に導かねばならぬ」と書かれていたのだが、中国側が何度挑発しても、また日本兵の死者が出ても、わが国は派兵を決断しなかった。だからこそ中国が、日本人に復讐の念を起こさせるために、日本人が憤らざるを得ないような卑劣なやり方を試みたのが「通州事件」ではなかったか。

ところがわが国の政府は、罪のない日本人の多くがこんなにひどい方法で殺されたにもかかわらず、それでもまだ和平を模索しようとしていたのである。

中村粲氏の『大東亜戦争への道』にはこう記されている。
「8月1日、外務省の石射(いしい)東亜局長は陸軍省の柴山兼四郎軍務課長と海軍省の保科軍務局第一課長を招き、停戦交渉案と全面的国交調整案について腹案を説明した。その腹案とは、折柄滞京中の在華紡績同業界理事長・船津辰一郎を通して南京政府に接触し、和平交渉の糸口を開かんとするものであった。…
 この着想は陸海軍とも賛成し、8月4日には近衛首相及び外務・陸軍・海軍各大臣の諒承を得て成立した。」(『大東亜戦争への道』p.413)

この石射東亜局長の案は、満州事変以降わが国が華北で獲得した既成権益の殆んど一切を放棄しようとする寛大極まりない内容で、従来中国側が日華国交改善の条件として求めていた内容をほぼすべてを応諾するものであったのだが、8月9日に再び日本兵が巻き込まれる事件が起こってしまう。

大山中尉虐殺事件

海軍の大山勇夫中尉と一等水兵の斎藤嶼蔵の2名が支那保安隊から多数の機関銃弾を浴びて殺され、さらに大山中尉は青竜刀で頭を真っ二つに割られていたというのだ。(大山事件)


続いて8月11日から12日にかけて中国軍が、上海停戦協定の条文を無視して協定線内に侵入し、上海は一触即発の状況となる。

そして「…(8月)13日午前9時半頃、俄然、数名の支那便衣隊が…(わが国の)陸戦隊警備兵に対し、突如機関銃を浴びせ、また午後にも北四川路の我が警備兵に対し機関銃射撃が行なわれた。しかし、我が方は不拡大方針に基づいて応射しなかったが、夕方5時近く、八字橋方面の支那軍は数ヵ所の橋を爆破するとともに砲撃を開始してきたため、午後5時、上海海軍特別陸戦隊司令官。大川内伝七少将は『全軍戦闘配置に付き警戒を厳にせよ』と下令、我方はクリーク対岸の敵拠点を焼き討ちして、その気勢を挫いたのであった」(同上書 p.418~419)

海軍からの要請に基づいて、わが国の政府がようやく内地2個師団の上海派遣を決定したのは、8月13日の夜の話なのだが、Wikipediaによると、すでに国民党軍は無錫、蘇州などで20万人以上が待機しており、対するわが国は上海居留民保護のため上海に駐留していた陸戦隊が、多めに見ても5千人いただけだったそうだ。

第2次上海事件勃発

翌8月14日には国民党軍機による空襲が開始され、8月23日に日本の陸軍部隊2個師団が上陸して第二次上海事変となるのだが、こういう経緯を知ればわが国の軍隊が中国側に戦争を仕掛けたとは誰しも思わないだろう。
わが国は何度も犠牲を出しながらも終始受け身であり、戦いを仕掛けてきたのは常に中国側で、彼らは日中で停戦協定が成立してわが国の派兵が見送られるたびごとに、繰り返しわが国を挑発してきたというのが真実なのである。
こういう経緯を知ると、わが国の興亜院が『盧溝橋事件に関するコミンテルンの指令』を本物であると判断し、対ソ政策の極秘基本資料集に綴り込んだことは充分理解できる話なのである。

このような指摘をすると、「決定的な証拠が何もない」と反論する人が必ず出てくるのだが、『もう一度読む 山川の日本史』に書かれている叙述も、確たる証拠もなく描かれた仮説にすぎないのだ。この教科書に描かれている近現代史はわが国の通説に近いものなのだが、このような歴史観に矛盾する史実は、少し調べるだけでいくらでも出てきてしまう。自説に都合の悪い史実を隠蔽するか無視することで成り立っている歴史叙述は、マスコミが力を失った現状では、そう長くはもたないような気がする。
そもそも覇権をめぐる闘争に権謀術数はつきものであり、「決定的な証拠」が残されないことはよくあることではないか。つまるところ、仮説の優劣はその説に矛盾する事実の少なさで総合判断するしかないのだと思う。

このブログで何度も書いてきたのだが、わが国で戦後広められている歴史叙述においては、戦勝国にとって都合の良い事ばかりが書かれている。特に日中戦争に関する歴史叙述においては、ソ連や中国、あるいはコミンテルンにとって都合の悪い話は徹底的に排除されているのが現実であり、こんなスタンスで書かれた歴史教科書や参考書をいくら学んでも、真実に近づくことは難しく、逆に「わが国だけが悪かった」という偏頗な歴史観に洗脳されてしまうだけではないのか。
戦後の長きにわたり、戦勝国やわが国の左翼勢力によって隠蔽されてきた数多くの史実が少しずつ知られるようになって、公平な観点から近現代史が見直され、広く議論される日が来ることを願いたい。

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【ご参考】このブログでこんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

第一次大戦以降、中国の排日運動を背後から操ったのはどこの国だったのか~~その1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-238.html

米英が仕掛けた中国の排日運動はそれからどうなったのか~~中国排日その2 部分一致で大文字、小文字を同じとみなす
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-239.html

中国の排日が我が国を激しく挑発するに至った経緯~~中国排日3
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中国全土に及んだ「排日」がいかに広められ、誰が利用したのか~~中国排日4 部分一致で大文字、小文字を同じとみなす
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当時の米人ジャーナリストは中国排日の原因をどう記述しているか~~中国排日5
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蒋介石はなぜ外国人居留地であった上海で日本軍と戦ったのか~~中国排日6
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プロパガンダでわが国に罪を擦り付け、世界を「反日」に誘導した中国~~中国排日7
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-244.html

「南京大虐殺」の真実を追う~~中国排日8
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-245.html




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Comment
こんにちは
毎回興味深く拝読しております。

毎回、衝撃的な内容で言葉がでません。
でも、何度も読ませて頂いてます。
子供の頃、祖母が「あそこの家は共産党だよ」と
指差すのを、差別的だと思っていました。
関東大震災や東京大空襲を経験した祖母は
多くは語りませんでしたが、その経験を踏まえての
行為だったのかもしれないと、今は思っています。

しばやんさんのブログは、古代史を調べていて
たどり着いたのですが、他の時代も読み進めていくうちに
日本史全体や、自分の歴史観を見直す機会になりました

改めて、歴史というのは現代の政治・世界情勢に
手を加えられてしまうものですね。
民間で研究するからこそ伝えられる事実があると思います。

今後もしばやんさんのご活躍を期待しています。


Re: こんにちは
かめいとさん、コメントありがとうございます。とても励みになります。

私の祖父・祖母も「アカ」と呼んで怖がっていましたが、子供の頃はなぜそんなに怖がるのかが理解できませんでした。
このブログを書き始めて、学生時代ほとんど学ばなかった昭和の歴史を学ぶようになって、ようやくその理由が掴めてきました。

おっしゃる通り、民間人でなければ書けないことが確かに存在しますね。日本史学者の書いていることよりも、日本史を専門にしていない方のほうがまともなことを書いていると思うことが良くあります。

いつまでネタが続くかわかりませんが、これからも頑張りますので、時々覗いてみてください。
台湾も見直してる?
怪動画

メディアも赤に
http://www.youtube.com/watch?v=6w0RPC35Pog&sns=em
奇妙です?
台湾人も騙されていたこに気がついたようです。
1942年頃の物
Re: 台湾も見直してる?
通行人さん、貴重な映像の紹介ありがとうございます。

こういう時代の影像を見て、何が真実なのかを考えることが必要ですね。
近代デジタルライブラリ終了
近代デジタルライブラリが、来年の5月で終了になるそうです。
国会図書館のサービスに移行するとのことですが、利便性や、そもそも現在のコンテンツが維持されるのか、事前に知りたいことはたくさんあります。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150804-00000005-resemom-life
Re: 近代デジタルライブラリ終了
ラングドック ラングドシャさん、情報ありがとうございます。

近代デジタルライブラリーはせっかく記事の中で多数リンクさせていただいたのですが、リンクが切れてしまうのは残念でなりません。

国立国会図書館デジタルコレクションは、近代デジタルライブラリーの書籍をそのまま引き継ぐことを期待しています。
何度かリンクさせていただきましたが、リンクする時にページ数を指定する方法がいまのところ良くわかっていません。
ページ数が指定できないと、読者の方は該当部分を探すのに不便になりますね。
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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