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日本軍の南京攻略戦が始まる前から、中国兵の大量の死体が存在していたのではないか

前回の記事で、蒋介石は上海戦に続く南京戦に勝算がないことは承知しており、南京陥落の後に日本軍の暴行を世界に宣伝し、武力戦で負けても宣伝戦で勝つという国策に立っていたことを書いた。

蒋介石総統および政府・軍部の首脳は12月7日に南京を脱出し、後を任された総司令官の唐生智も12月12日に逃亡したのだが、これも予定の行動であったと思われる

唐生智将軍記念館

というのは、無責任にも南京から逃亡した唐生智は、その後栄転して中国国民党革命委員会の中央常務委員、全国人民代表大会の常務委員会委員、全国人民政治協商会議の常務委員会の委員などを歴任している。調べると南京には「唐生智将軍記念館」というものまでが存在するようだ。
南京戦の最高司令官の任務を放棄して逃亡し、多くの自国の兵士を死なせてしまったのなら、普通に考えれば極刑に処されてしかるべきところだが、そうならなかっただけでなく、偉人扱いされているのは何故なのか。

しかも唐生智は、中国兵が最もショックを受けるタイミングで南京を脱出しているのだ。
前回の記事で書き漏れてしまったが、日本軍は12月9日に空から「投降勧告文」を投下している。そこにはこう書かれていたと12月10日付の朝日新聞に報道されている。

投降勧告

日軍は抵抗者に対しては極めて峻烈にして寛恕せざるも、無辜の民衆および敵意なき中国軍隊に対しては寛大を以てしこれを冒さず、東亜文化に至りてはこれを保護保存するの熱意あり。…本司令官は日本軍を代表し貴軍に勧告す、即ち南京城を和平に開放し、しかして左記の処置に出でよ。…
本勧告に対する回答は12月10日正午…もしも該指定時間内に何等の回答に接し得ざれば日本軍はやむを得ず南京城攻略を開始せん
。」(水間政憲『ひと目でわかる 日韓・日中の歴史の真実』p.48所収)

ところがこの勧告を総司令官の唐生智が拒絶したため、日本軍の南京城攻撃が決定してしまった。
しかしながらこの唐生智は、日本軍が中華門の一角を占拠した12日夕刻に、自軍に対して撤退命令も出さないままに南京を逃亡してしまったのである。当然のことながら中国軍は大パニックに陥った

Wikipediaには、12月12日の夕方以降の出来事についてこう記されている。
逃げ遅れた将兵は唯一の脱出口であった南京城西北の挹江門(ゆうこうもん)に殺到したが、門は既に閉じられており、城壁を乗り越えて脱出するしか方法がない状況だった
この際、挹江門の防守部隊と退却兵が衝突し、双方に死傷者が発生。…高さ2メートルに及ぶ死体の山を乗り越えて南京城の城壁を急造のロープで降りようとした多くの将兵が墜落して死亡している
。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%B9%E6%B1%9F%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

挹江門

この城壁の高さは15メートル近くはあっただろう。飛び降りて逃げることは不可能だ。しかも周囲は真っ暗だったはずである。
前回の記事で紹介した『戦線後方記録映画「南京」』には、南京城内から挹江門の城壁を乗り越えて逃げようとした兵士たちが、城壁を降りようとした際に用いた多数の手作りのロープや、乗り越えたあとに脱ぎ捨てた軍服や、打ち捨てた夥しい兵器類など生々しい映像に残されているので、一度視聴されることをお勧めしたい。この映像をスタートさせて6分した頃から挹江門周辺の影像が紹介されている。
https://www.youtube.com/watch?v=nos2prviBq8

挹江門城壁の綱

「ロープ」と言っても決して頑丈なものではなく、帯・ゲートル・縄など長いものを結びつけて作ったもので、その「ロープ」に多くの兵士が殺到して降りようとしたため、持つ手が滑ったり、ロープが重さに耐えられずに切れたりして多くの兵士が落下し、圧死した者が上に積み重なって死体の山が出来たと考えるのが自然だと思う。
後ほど紹介するが、米国『シカゴ・ディリー・ニュース』のスティール記者が、南京陥落直後挹江門を通った時に、5フィート(約1.5m)の死体が積もっていてその上をやむなく車を走らせたと12月15日付の新聞記事に書いている。もし日本軍との銃撃戦でこれらの兵士が死んだのなら、その死体が5フィートもの高さで積み重なるはずがないことは誰でもわかる。

Falsehood_in_The_Rape_of_Nanking4.jpg

城壁をなんとか下りて脱出に成功した中国兵たちはそれから揚子江方面に向かっていったのだが、今度は数少ない船を奪い合う争いが起って川岸には多くの兵士の死体が散乱し、溺死していた兵士も多数いたことが目撃されている。

南京戦の戦闘地図

そして翌13日には日本軍が南京城に迫り、揚子江沿いに逃げようとする中国兵と日本軍との銃撃戦となったのだが、中国兵の多くはいわゆる『便衣兵』で軍服を着ていなかったという。また彼らの後ろには督戦隊がいて、逃げようとする多くの兵士が味方の督戦隊に射殺されて、戦場には多くの便衣兵の死体が残されたのである

揚子江に近い挹江門から下関(シャーカン)近辺はそんな状況であったが、南京城内で軍服を脱ぎ捨てて、住民が避難していた『安全地帯』に潜り込んだ中国兵もかなりいた。

中国軍が総崩れになったきっかけは、日本軍が南京の中華門の一角を占拠して唐生智が逃亡したあたりからなのだが、12日の夕方に数千の中国兵たちが軍服を脱いだことと、深夜に逓信省に火が放たれたことは、『ニューヨークタイムズ』のダーディン記者が目撃し記録している。
『証言による「南京戦史」(6)』の中で、当時第十軍参謀であった谷田勇氏は「中国軍の抵抗は12日城壁の線で終わり、13日には戦火を交えることなく城内を平定している。…
軍司令部は翌々日の14日午前、城内に入り、正午過ぎに南京路のほとりにある銀行の社屋に司令部を置いた。市内は既に平静で、駐留間一発の銃声も聞かなかった
。」と書いている。
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking06.pdf

また、『証言による「南京戦史」(5)』では、歩兵第47連隊速射砲中隊長として参加した安部康彦氏の証言があり、それにによると13日から17日の入城式までの間、一部の兵士に城内掃討を行なわせたがほとんど敵がいなかったという。
「掃討部隊から聞いた話では、便衣の敗残兵は、ほとんど退去した跡であり、掃討といっても遺棄された軍需品の収集や跡片づけが主な仕事であったとのことです。
その全体はわかりませんが、第9中隊の陣中日記によると、『各種弾薬数万発、青竜等数十本、軽機、重機数百挺、小銃六百挺、迫撃砲数門、毛布、天幕、軍服など遺棄されたもの多数』と誌してあります。遺棄された軍需品は多数であったと記憶しております。」
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking05.pdf

南京城内の残敵掃討は他の部隊も実施ししているが、相手は軍服を着ておらず民間人に成りすましていながら武器を持っている可能性があった。掃討の要領は各部隊により方針が微妙に異なっていた可能性があるが、例えば『証言による「南京戦史」(7)』で畝本正巳氏は、歩兵第6旅団の「掃討実施に関する注意事項」の中には「青壮年はすべて敗残兵または便衣兵とし、すべて逮捕監禁せよ。」という条項があり、実際に14日には「多数の俘虜及び兵器を鹵獲して、…この掃討間、反抗の気配があった敗残兵約七、八十名を射殺している。」と書いている。その日に俘虜250名に対し小銃230挺、軽機関銃11挺、対戦車砲2門、機関砲1門等を鹵獲したとあり、処刑されたのは敵兵であったことは間違いがなかったようだ。「便衣兵」を処刑することは戦時公法の認めるところであるのだが、事情を知らない人物が服装だけで判断すれば、一般市民を虐殺したかのように見えてもおかしくない。
http://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking07.pdf

ここで前回の記事を思い出してほしい。

南京事件--国民党極秘文書から読み解く

東中野修道氏の『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』によると、国民党中央宣伝部の極秘文書『編集課工作概況』に「首都が陥落した後は、敵の暴行を暴き」「各国新聞記者と連絡して、彼らを使ってわが抗戦宣伝とする」と書かれているそうだが、彼らにそのような意図があったことを理解しなければ、南京を逃亡した総司令官の唐生智がのちに栄転した謎が解けないのである。唐生智が逃亡することで、中国軍兵士がパニックに陥り、南京城外には多くの便衣兵の死体ができ、城内では軍服を脱いで安全地帯の民家などに紛れ込んだ一部の兵士が処刑されたのだが、そのような状態を作って外国人記者に見聞させることが蒋介石のねらいだったのだろう。唐生智は抜群のタイミングで逃亡し、中国軍を大混乱させ、ほとんどの兵士を便衣兵にさせて多くを死に至らしめて、日本軍の暴行とする報道に結びつけることに成功したから評価されたのではないのか

「日本軍が中国の民間人を虐殺した」という中国が流したデマに騙されたのか、中国からカネを受け取って書くことになったのかは定かではないが、前回の記事で紹介したとおり、南京陥落直後の12月15日に『シカゴ・ディリー・ニュース』のスティール記者が、18日には『ニューヨークタイムズ』のダーディン記者が、南京事件で日本軍による虐殺があったとする記事を書いている。では、具体的にはどんな内容であったのだろうか。

次のURLで、15日付の『シカゴ・ディリー・ニュース』のスティール記者が書いた記事の全文が翻訳されている。
http://www.geocities.jp/yu77799/steele.html

「<南京(米艦オアフ号より)十二月十五日>
 南京の包囲と攻略を最もふさわしい言葉で表現するならば、"地獄の四日間″ということになろう。
 首都攻撃が始まってから南京を離れる外国人の第一陣として、私は米艦オアフ号に乗船したところである。南京を離れるとき、われわれ一行が最後に目撃したものは、河岸近くの城壁を背にして三〇〇人の中国人の一群を整然と処刑している光景であった。そこにはすでに膝がうずまるほど死体が積まれていた
 それはこの数日間の狂気の南京を象徴する情景であった。
 南京の陥落劇は、罠にはまった中国防衛軍の筆に尽くせないパニック・混乱状態と、その後に続いた日本軍の恐怖の支配、ということになる。後者では何千人もの生命が犠牲となったが、多くは罪のない市民であった。

 五フィートも積もる死体
 まるで羊の屠殺であった。どれだけの部隊が捕まり殺害されたか、数を推計するのは難しいが、おそらく五千から二万の間であろう。
陸上の通路は日本軍のために断たれていたので、中国軍は下関門を通って長江に殺到した。門はたちまち詰まってしまった。今日この門を通ったとき、五フィートの厚さの死体の上をやむなく車を走らせた。この死体の上を日本軍のトラックや大砲が、すでに何百となく通り過ぎていた。
市内の通りはいたるところに市民の死体や中国軍の装備・兵服が散乱していた。渡江船を確保できなかった多くの部隊は長江に飛び込んだが、ほとんどが溺死を免れなかった。」

スティールが下関門と書いているのは挹江門のことだと思われるが、先ほど少し触れたとおり、もし日本軍が銃殺していたのなら、5フィート(約1.5m)の高さに中国兵の死体が積み上がることはありえないし、また、日本軍と戦う直前に中国兵士が軍服を脱ぎ、大量の武器を捨てたことをどう説明するつもりなのだろうか。挹江門の周囲に武器が散乱していたのは、日本軍と戦う前に逃亡しようとした兵士が多かった以外には考えられないはずだ。

スティール記者の記事はこのくらいにして、次にダーディン記者の記事を読んでみよう。次のURLで、18日付の『ニューヨークタイムズ』の記事が翻訳されている。
http://www.geocities.jp/yu77799/durdin.html

ダーディン記者

「十二月十七日、上海アメリカ船オアフ号発 ニューヨーク・タイムズ宛特電
 南京における大規模な虐殺と蛮行により、日本軍は現地の中国住民および外国人から尊敬と信頼が得られるはずの、またとない機会を逃してしまった。…大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した。…」

などと、まるで自分の目で日本軍による虐殺や暴行行為を見たかのようにレポートしているのだが、1987年8月にダーディンは、自分が書いた南京大虐殺の記事は嘘であったことを正直に告白しており、その文章がネットで読める。

この下関地区では、それこそ大勢の兵隊が挹江門から脱出しようとして、お互いに衝突したり、踏みつけあったりしたのです。前にもお話したような気がしますが、私たちが南京を出るときに、この門を通りましたが、車は死体の山の上を走らねばなりませんでした。この門から脱出しようとした中国軍の死骸です。中国軍はあちこちで城壁に攀じ登り脱出を試みました、これらの死体の山は日本軍がここを占領する前にできたように思うのです。この地域で戦闘はありませんでした。(『南京事件資料集』アメリカ関係資料編)」
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/7214269.html

蒋介石に協力して『南京大虐殺』の虚報を世界に流した当の本人が、南京の記事は嘘であったというだけでなく、日本軍が占領する前から中国兵の死体の山が出来ていたと思うと述べていることはもっと注目して欲しいところである。

前回も書いたが、このような2人の米人記者の記事を世界のマスコミは追随しなかった。そして翌年2月に、国際連盟における中国の顧維鈞の演説で、中国人2万人が日本軍に虐殺されたと述べたのだがその時も相手にされなかったことは知っておいてよい。
そもそも『南京大虐殺』という言葉が使われるようになったのは東京裁判の時であり、東京裁判の際にも、中国側は虐殺を目撃した証人を出す事ができなかった。
しかしそれ以降、わが国の左翼と連携して何度もこのプロパガンダを繰り返し、わが国政府が積極的な反論を行なってこなかったことから、いつのまにか教科書に『南京大虐殺』が掲載されるようになり、先日はこのウソ話がユネスコ記憶遺産にも登録される見通しになったことが報道されている。

南京大虐殺 記憶遺産へ

中国がこの申請を行なったのは昨年の6月の話なのだが、藤岡信勝(拓殖大学客員教授)らが外務省に対してこの問題にどう取り組んできたかを尋ねたところ、外務省は6回にわたり中国政府とユネスコ事務局に対し反対意見を提出したと答えたそうだ。そこで藤岡氏が、それならばその反対意見の内容を公表せよと迫ったが、外務省はそれを拒否したという。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5985.html

上記URLによれば、中国がユネスコに申請した書類は写真もフィルムも日本軍とは関係がなく、中国人の日記や日本兵の供述書も捏造されたものばかりで「日本軍の犯罪の証拠」とはなりえないものだという。それならば、外務省が反論することは容易であるはずなのだが、反論内容を国民に堂々と公表できないということは、外務省は本気で中国やユネスコと戦っていないと言っていることと同じである。

ユネスコで記憶遺産に登録されたということは、第二次世界大戦は日本だけが悪かったという歴史観を固定化させようとする「歴史戦」なのだが、この戦いを今までのように政治家や官僚や学者やマスコミに任せてもロクなことがなかったし、これからも同様であろう。
わが国は民主主義国家なのだから、まずは国民が真実を知り、おかしな動きをする勢力に「NO」を突きつけて、国民の強い意志を示して政治家を動かさないことには世の中は変わらないのである。
まずは、昨年54億円以上も支払ったユネスコに対する拠出金を凍結せよ。その上で、今回の外務省の失態を徹底的に国会で糾弾せよ。

黄河決壊事件

さらに、中国が民間日本人223名を虐殺した昭和12年(1937)の通州事件と、昭和13年(1938)に中国国民党が日本軍の進撃を止める目的で仕掛けた黄河決壊事件で数十万人の犠牲者が出て、日本兵が多くの地域住民を救助した史実を教科書に載せるだけでなく全世界に発信して、いかに中国という国がウソばかりついてきた国であることを世界の人々の記憶に留めさせよ。
ここでわが国が毅然とした態度を取らなければ、これからも中国から舐められるだけではないのか。
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【ご参考】このブログでこんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

「黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-251.html

蒋介石に外国の干渉を導くことを進言したドイツの軍事顧問団
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-254.html

明治維新と武士の没落
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-361.html

明治政府は士族をどう活用しようとしたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-362.html

江戸開城後に静岡移住を決意した旧幕臣らを奴隷同然に運んだ米国の船
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-363.htm



関連記事
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Re: はじめまして
aya_****さん、コメントありがとうございます。

私も、自分のルーツ探しが歴史を学ぶきっかけになりました。ネットでいろいろ情報を探していると、世の中には随分すごい人がいるものだと感心することが、少なからずありますよ。
いろんなキーワードで探していると、求めていた情報に近づける可能性がゼロではありません。大叔父さんの所属部隊が判れば面白いかもしれませんね。
ソ連のスパイ
三木
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=kororin5556&articleId=12018318888&frm_src=article_articleList&guid=ON
鬼畜です。朝日、NHK

ハル・ノートを作った男

三木タケオ
Re: ソ連のスパイ
今も大手マスコミや教育関係者などには、いろんな国に繋がって工作活動をしている連中がかなりいるのでしょうね。
わが国にもスパイ防止法が必要です。
中国の元国民党少佐の告白
はじめまして。通りすがりです。

日本軍が入る前にあった南京の遺体についてですが、
南京を列車で脱出しようとした国民党による、南京庶民の銃殺もあったようです。
<「南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉>
http://ameblo.jp/daily-china/entry-11415804641.html
Re: 中国の元国民党少佐の告白
通りすがりさん、情報ありがとうございます。

開国少将というベンネームの作者が、外祖父が自分の日で見た南京大虐殺という文章を書いていることは初めて知りました。
今はオリジナルの記事が削除されているのでしょうか。

鳴霞さんの「週刊中国」に書かれていたなら作り話とは思えませんが、人物や場所や時間が特定できていないのが残念ですね。
どうもです。
こちらのブログさんが南京に詳しいと思います。

http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/?mode=m&no=4724&photo=true&cr=721bfe79adc08b99ef0b58fb4c7294af

他ブログは、断編ばかりで解らないですね。

ウキペは左翼の網が張られていますから注意が要します

シバヤンさんのブログは解りやすいので助かります。

シノビ
雨花台
30万の虐殺は捏造だと毛沢東が認めていたようです。
http://china-redtour.com/spot/kaihou_ukadai.html
犯人は国民党軍です

ほとんどが、中国の共産党軍が被害者だとのこと
Re: どうもです。
シノビさん、コメントありがとうございます。

友人から時々「わかりにくい」と言われることがあります、「わかりやすい」と言われて嬉しいです。

確かにWikipediaは時々ひどい解説がありますね。しかし、説得力のない解説はいずれ淘汰されていくと思います。そのためには多くの国民が近現代史に興味を持ち、今まで常識とされてきた歴史叙述に疑問を持つようになれば、その動きが早まると考えています。
Re: 雨花台
ある読者からも同じ指摘を受けましたので調べてみましたが、雨花台烈士紀念碑には「国民党政府在雨花台曽経屠殺了三十万共産党烈士(国民党政府は雨花台において、かつて30万人の共産党烈士を虐殺した)」 と書かれているようですね。

次のURLは南京を旅行したレポートを写真付きで書いておられますが、もちろん雨花台烈士紀念碑の写真もあります。(末尾から7枚目の写真)
この碑がいつ、どういう経緯で建てられたかを知る必要がありますね。

http://4travel.jp/travelogue/10855858
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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