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三井寺の国宝・重要文化財観賞の後、非公開の寺・安養寺を訪ねて

大津市歴史博物館の企画展を楽しんだ後、すぐ近くにある円満院を訪れた。

円満院は寛和3年(987)に村上天皇の皇子である悟円法親王によって創建され、以来皇族が入寺する門跡寺院となり、戦前までは三井寺(園城寺[おんじょうじ])三門跡の1つであったのだが、戦後になって三井寺から独立したのだそうだ。

円満院宸殿

安土桃山時代の建築物である宸殿(しんでん)は、明正天皇の御殿を下賜されて正保4年(1647)に御所からここに移築されたもので、国の重要文化財に指定されている。以前各室には狩野派による障壁画(国重文)が描かれていたのだが、今は複製したものが襖に貼られている。本物は売却されて京都国立博物館に収納されているのだそうだ。

円満院庭園

宸殿に南面して作られた庭園は、室町時代の造園家である相阿弥の作と伝えられる池泉観賞式庭園で、国名勝・国史跡に指定されている。

いろいろこの寺について調べていくと、宸殿の障壁画が売却されただけでない。円山応挙の「絹本著色孔雀牡丹画」「紙本著色七難七福図」ほか、絵画や書跡など多くの重要文化財を保有していたのだが、すべて手放してしまっている。
http://www.pref.shiga.lg.jp/edu/katei/bunkazai/bunkazaimokuroku/files/20.pdf
また、2009年には宸殿や庭園までもが競売にかけられて、ある宗教法人に10億6700万円で落札され所有権が移転しているようだ。
http://blog.goo.ne.jp/jiten4u/e/97d33b3c3e48bf160e09dba733fc283a

以前の門主が水子供養事業などに乗り出して多額の債務を抱え込み、借金のカタに取られていた文化財が競売されることになってしまったわけだが、文化財を担保に金を借りるという行為自体を禁止しなければいけないのだと思う。この人物は円満院を追われた後、戒名ビジネスを展開し、さらにその息子は、出家すれば戸籍の名前を法名に変更できる仕組みを悪用して、多重債務者を出家させて別人とし、金融機関からローンをだまし取る詐欺行為(出家詐欺)で逮捕されているようだ。
https://sites.google.com/site/antireligionwiki/shukkesagi
宗教法人の悪用が後を絶たないようだが、こういうことを許さない取組みが、行政にも宗教界にももっと必要だと思う。

大津絵美術館

円満院の拝観ルートを進んでいくと、最後に大津絵美術館がある。大津絵は江戸時代の初期から大津で描かれていた民族絵画で、神仏や人間や動物などがユーモラスに表現されていて、大津の宿場を訪れた旅人達が縁起物として購入していったという。

三井寺マップ

途中で昼食を取って、いよいよ三井寺の中心部に向かう。

園城寺仁王門

上の画像は、国の重要文化財に指定されている仁王門で、宝徳4年(1452)に建立の湖南市の常楽寺の門を、慶長6年(1601)に徳川家康によって移築されたものである。

園城寺釈迦堂

この門を潜ると右手に釈迦堂(国重文)がある。これは室町時代中頃の建物を元和7年(1621)に移築したものだそうだ。

たまたま、国宝の光浄院(こうじょういん)客殿が特別公開をしていたので、そちらに向かうことにした。

光浄院客殿

境内での写真撮影が禁止されていたので、自分のカメラで外から撮影したのだが、門の奥にある大きな屋根が、国宝の光浄院客殿の屋根で、その左側に国名勝の光浄院庭園がある。

光浄院は三井寺の子院で、客殿は慶長6年(1601)に山岡道阿弥によって再建され、「書院造」の代表的遺構として国宝に指定されている。障壁画は狩野山楽をはじめとする狩野派の筆によるもので、国の重要文化財に指定されている。

光浄院

また客殿の南面に拡がる光浄院庭園は室町時代に作庭されたもので、国の名勝史跡に指定されている。上の画像は入口で頂いた絵葉書であるが、せめて庭園や建物ぐらいは自由に撮影させてほしいものである。

光浄院から南に進むと国宝の三井寺の金堂が見えてくるのだが、ここで三井寺の歴史を簡単に振り返っておこう。

壬申の乱(672)に敗れた大友皇子の子、大友与多王が父の霊を弔うために「田園城邑(でんえんじょうゆう)」を寄進して寺を創建し、天武天皇から「園城」という勅願を贈られたことが園城寺(おんじょうじ:三井寺)の始まりだとされている。
実際に境内からは白鳳時代の瓦が出土しており、その時期の創建であることが裏付けられているという。
その後9世紀に唐から帰国した留学僧円珍により再興されたが、円珍の死後、延暦寺では円仁派と円珍派との対立が激化し、正暦4年(993)に円珍派が比叡山を下りて園城寺に入り、以後山門派(延暦寺)と寺門派(園城寺)の抗争が繰り広げられるようになり、園城寺はしばしば戦禍を被ることとなる。
そして文禄4年(1595)、豊臣秀吉の怒りに触れ、寺領の没収を命じられて、金堂をはじめとする堂宇は強制的に移築されたのだが、慶長3年(1598)に秀吉は死の直前にこの寺の再興を許可し、徳川家康らが再建に着手し、現在の堂宇が整えられたという。

園城寺金堂

上の画像は国宝に指定されている三井寺の金堂で、秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ)の寄進により慶長4年(1599)に再建された安土桃山時代を代表する建物である。

金堂の南東には、慶長7年(1602)に再建された鐘楼(国重文)がある。鐘楼にかかる梵鐘は、近江八景「三井の晩鐘」で知られ、宇治の平等院、高尾の神護寺とともに日本三名鐘に数えられている。

閼伽井屋

金堂の後ろには慶長5年(1600)建立の閼伽井屋(あかいや:国重文)があり、その中に天智・天武・持統天皇の産湯に用いられたとされる泉があることから「御井(みい)の寺」とされ、「園城寺」の別名を「三井寺」と呼ぶのは、この泉に由来するのだそうだ。この閼伽井屋の正面上部に、左甚五郎作と伝えられている龍の彫刻がある。

園城寺 弁慶鐘

ここから山手に上がると、「弁慶の引摺り鐘」伝説で知られる奈良時代の梵鐘(国重文)がある。

園城寺一切経蔵

そのすぐ南には室町時代の中期の建造物で、慶長7年(1602)に毛利輝元が周防国の洞春寺から移築し寄進した一切経蔵(国重文)がある。堂内には輪蔵と呼ばれる八角形の回転書架がありその中に高麗版一切経が収められているという。

園城寺三重塔

その南には室町時代の建物で、徳川家康により慶長6年(1601)に大和吉野の比曽寺(現在の世尊寺)から移築された三重塔(国重文)がある。

園城寺 唐院灌頂堂

そしてその南には円珍の廟所である唐院があり、灌頂堂(国重文:上画像)、唐門(国重文)、大師堂(国重文)、四脚門(国重文)がある。この辺りは三井寺の中でもっとも神聖な区域とされ、大師堂には2つの木造智証大師坐像(国宝)があるが、普段は公開されていない。

園城寺毘沙門堂

唐院を出て石段を下りて南に行くと、右手に元和2年(1616)建立の毘沙門堂(国重文)がある。

園城寺観音堂

さらに右手の石段を登って行くと、元禄2年(1689)に再建された観音堂や観月舞台などの伽藍が立ち並んでいる。観音堂は西国三十三所観音霊場の14番札所となっており、本尊の木造如意輪観音坐像は国の重要文化財となっているが、33年ごとに公開される秘仏のため拝見することはできなかった。

三井寺の観光を切り上げて、最後の目的地である大津市木戸の安養寺に向かう。大津市は想像していた以上に広く、ここまで来ると比良山の麓になる。

安養寺

この寺は非公開寺院で、文化財指定のある仏像などはないのだが、前回記事で紹介した大津市歴史博物館の25周年企画で、この寺の末寺である西方寺の平安時代の仏像を出展しておられる。今回ある人の紹介を得て安養寺の住職のお話を伺うことができたのは有難いことである。

安養寺の由緒書きによると、この寺は貞和4年(1348)に木戸城主・佐野豊賢により建立されたのだそうだが、元亀3年(1572)に織田信長に木戸城が攻められた際にこの寺も罹災してしまう。

安養寺本堂

その後天正9年(1581)に幻誉信窮(げんよしんきゅう)上人により再興され、現在の本堂は寛政6年(1794)に再建されたものだそうだ。

安養寺阿弥陀如来像

安養寺の御本尊の木造阿弥陀如来立像は鎌倉時代に制作されたもので、もともとはこの地にあった正法寺という寺にあった仏像だと伝えられているが、6年前の調査でこの仏像の中から、鎌倉時代に納めたとみられる人間の歯と髪の束が見つかったという。そして輪状の髪の奉書の表面には「源氏女」と記されていたという。
このことは新聞でも大きく報道され、この仏像が大津市歴史博物館の『湖都大津社寺の名宝』展で、展示されたのだそうだ。

安養寺木造阿弥陀如来記事

平成21年10月7日付の京都新聞の記事によると、
「歯と髪の納入品が確認された仏像は全国的にも少ないという。歯等を入れるのは極楽往生を願ったり、仏像が生身に近づくという思想があり、博物館は『特殊な阿弥陀信仰の一端がうかがえ、貴重だ』としている」と書かれている。

また安養寺には、南北朝時代に描かれたという「阿弥陀来迎図」もある。写真で見ると衣の柄までが細かく描きこまれていて、頭髪には本物の人毛がらせん状に編み込まれているのだそうだ。

本物の「阿弥陀来迎図」は33年に1度開帳されるのだそうだが、2008年に開帳された際に傷んでいることに気付き、住職がこの来迎図を修復すると同時に、常に多くの人に見てもらえるようにと復元品の制作を決心され、4年がかりで完成されたという。

住職に本堂に案内いただいて貴重な復元品を見せていただいたが、素晴らしい阿弥陀来迎図であった。良く見ると金箔を髪の毛ほどの細さに切って後光だけでなく衣の模様までもが細かく表現されているのだが、遠くから見ると阿弥陀如来が光を発しているかのように神々しく見えた。
また本堂の裏には、円山応挙の次男である木下応受が描いた「拈華微笑図」もある。

前回の記事で、滋賀県には京都や奈良に次いで国宝や重要文化財が多いことや、文化財の指定を受けると法律の制約が多すぎるために、所蔵している仏像などに価値があることが分かっていてもあえて文化財指定を望まない寺社が多いことを書いた。
安養寺はかなり古くてしかも価値のあるものが残されていることは間違いがないのだが、いずれも文化財指定を受けていないのは、非公開寺院にとっては文化財の指定を受けるメリットよりもデメリットの方が大きいからだと私は理解している。

前回の記事で紹介した大津市歴史博物館の25周年の企画展で出展した寺院の多くは、観光においてはほとんど無名の寺である。滋賀県にはこういう名もなき寺に、古い仏像や仏画がいくつも残されていることに感心してしまったのだが、大津市歴史博物館の学芸員によると、「大津市近辺には今まで知られていなかった平安・鎌倉時代の仏像が数多くある」のだという。
「今まで知られていなかった」ということは文化財の指定を受けていないものがほとんどだと思われるが、そのような古い仏像が今まで大切に守られてきたことは素晴らしいことである。しかしながら、これから先このような貴重なものを、昔ながらの「祈りの空間」のままで、何百年にわたり維持していくことが可能なのだろうか。

冒頭で記した円満院の様に、戦後になって国の重要文化財すべてを失ってしまった寺もあるのだが、地域の高齢化が進んで寺を支えてきた檀家が減少するなどして、本業収入が減少傾向となっている寺は少なくない。安養寺はともかくとして、価値あるものを守り続けることは、多くの寺にとって容易なことではないのである。

前回の記事で少し触れたのだがが、今の文化財保護法では地方の文化財は守れない。この法律では、大手建設業者やセキュリティサービス業者は潤っても、寺社は逆に富を吸い取られることになりはしないか。
文化財を守るために一番大切な事は、これらの文化財を代々大切に守ってきた人々が、地元で普通の暮らしができる環境を整えることではないのか。若い世代が地元に残って生活が出来ない地方に未来はなく、地方の経済を活性化させて若い人が戻って来る経済施策こそが、地域の文化財を守り、地域の伝統文化を後世に繋いでいくために必要なことなのだと思う。

ではどうすれば地域を豊かにすることができるのか。
農家の人に話を聞くと、作物によっては、農協を経由して大手流通に売る場合と産直などで売る場合とは、農家の手取り収入が倍ほど違うのだそうだ。大手流通は利幅を取り過ぎており、地方の生産者は大手流通に農作物を売っても豊かになれない仕組みになっているということなのだが、このことを理解すると地方を豊かにさせるヒントが見えてくる。

都会の消費者が、都会資本の大手スーパーばかりで買い物をするのではなく、一部でも産直で買ったり、地元の生産者や加工業者などから直接ネットで買うようになれば、確実に地方の生産者は豊かになるのだ。そうすることで都会の消費者は、今まで以上に新鮮で美味しいものがかなり安く手に入り、地方の生産者は政府の補助金がなくとも潤うようになり、地域によっては若い世代が住み着くようになって、地域が経済的にも文化的にも甦ることが可能になるのではないだろうか。

そんな事を考えながら、滋賀県の文化財がこれからも長く地域の人々によって守られることを祈りつつ、いつものように地元の農産物や加工品などをいくつか買って、半日の旅を終えることにした。
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【ご参考】
このブログでいくつかの紅葉の名所を訪れました。よかったら覗いてみてください。

素晴らしい紅葉の古刹を訪ねて~~隠れた紅葉の名所・大門寺
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国宝の明通寺本堂・三重塔から紅葉名所・萬徳寺などの古刹を訪ねて~~若狭カニ旅行
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三方五湖観光後昼食は「淡水」の鰻。続けて紅葉名所・鶏足寺を訪ねて~若狭カニ旅行3
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柴山漁港の競りを見学のあと出石神社、宗鏡寺の紅葉を楽しむ
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出石散策の後、紅葉の美しい国宝・太山寺へ
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勉強になりました
こんばんは。いつもお世話になっております。先般はお手間をおかけしまして、申し訳ございませんでした。
三井寺ですが、秀吉が三井寺に「闕所」の命を下した後の再建なのだと改めて知りました。あちこちの名刹の建物を一度に見ることが出来るのですね。
移築元の寺院が粒揃いの名刹なので、行きたい所が増えてしまいました。困りましたー。
金堂の内部の仏様、素晴らしかったです。
しばやん様が常々仰っているように、本来の祈りの空間で当時のままに仏様を拝む事が出来るありがたさをつくづく感じました。
本当にいいきっかけをいただき、ありがとうございます。
Re: 勉強になりました
つねまるさん、こんばんは。こちらこそいろいろありがとうございました。

正直言って、古い社寺を巡ることが自分の趣味になることは以前は考えられませんでしたが、ブログを書き出してから、自分の趣味が随分変わってきました。いずれ会社をリタイアしたら日本の各地を旅行したいです。
観光地化して俗化していく世界を何度も観てきましたので、多分無名の場所が中心になると思いますが、その点はつねまるさんと考えが近そうですね。文化財が豊富にある関西に住んでいることはお互い有難いことですね。
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行ってきました♪
こんばんは。度々お邪魔致しまして申し訳ございません。
世尊寺(比曽寺)、行ってきましたよ♪
東西の塔や往時の建物の礎石が残り、伽藍配置がよくわかりました。
今日は他にもお寺のあり方を考えさせられることがあり、とても有意義な一日になりました。
しばやん様からきっかけを戴き、興味が四方八方へ広がります。ありがとうございました。

Re: 行ってきました♪
つねまるさん、こんばんは。

最近、つねまるさんの行動範囲がすごく広いのに驚いています。紅葉も見頃が終わってしまったので、こちらは寺社巡りはしばらくお休みする予定です。
私も、年内に映画をいくつか見ようと思っていますが、つねまるさんの舞台も機会があれば観てみたいです。

実は世尊寺にはまだ行ったことがありません。すぐ近くまで行っているのですが、他の寺社を優先したので通り過ぎてしまいました。昔は随分大きな寺だったようですね。つねまるさんのレポートを楽しみにしています。


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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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