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海住山寺から神童寺、蟹満寺を訪ねて

前回に引き続き、京都府木津川市にある国宝や重要文化財のある社寺等を巡る旅行記を続けよう。

恭仁宮跡

前回の記事で、天平12年(740)の藤原広嗣の乱の後、聖武天皇が平城京から恭仁宮(くにのみや)に遷都し、その際に木津川市加茂町の森八幡宮に宇佐八幡を勧請したことを書いたが、その森八幡宮からJR加茂駅の西口を通り、恭仁大橋を渡って岡崎バス停前の道を左折して600mほど直進すると、『山城国分寺跡』と彫られた石碑がある。しかし近くの案内板には『史跡恭仁宮跡(山城国分寺跡)』と書かれていて、これを読むと平成19年に史跡の名称が『山城国分寺跡』から『恭仁宮跡(山城国分寺跡)』に変更されたことが分かる。

聖武天皇

聖武天皇は平城宮を離れて、天平12年(740)にこの地を都と定めたのだが、都の造営中である天平14年(742)に天皇は近江紫香楽村に離宮を造営してしばしば行幸し、翌年には近江国で宮の建設を開始させて、恭仁宮の造営が止められたという。
その後、天平16年(744)2月に難波京に遷都しているが、さらに天平17年(745)4月に美濃国を中心とする「天平地震」と呼ばれる大地震があって、その後再び平城京に都が戻されたという。

このように何度も遷都が繰り返されたのは、天平期は災害や疫病が多発してその災いから脱却しようとしたと説明されることが多いのだが、当時の権力闘争も無視できないだろう。
そもそも恭仁宮のあたりは、当時実権を握っていた橘諸兄の本拠地であり、また天平16年(744)1月に聖武天皇の第二皇子である安積親王(あさかしんのう)が17歳で死去しているが、藤原仲麻呂に毒殺されたという説も興味深い。
恭仁宮は廃都されたのち、宮城は大極殿を中心に山城国分寺として再利用されたのだが、画像にあるように、大きな基檀が地表に残されている。案内板の解説によると、この場所にあったのは「残されている基壇跡や礎石跡から考えて七重塔であったと推定」されているのだそうだ。また大極殿は国分寺の金堂に転用されたとされ、この場所からもう少し西に行くと大極殿跡の石碑も建っているようだ。

『史跡恭仁宮跡』から次の目的地である、海住山寺(かいじゅうせんじ:0774-76-2256)に向かう。距離は2km程度なのだが、道幅の狭い急坂を登って行くと辿りつく。

この寺は、天平7年(735)に聖武天皇の勅願により東大寺の僧良弁がこの地に一宇を建てて十一面観音菩薩を奉安して藤尾山観音寺と名付けたと伝えられているが、保延3年(1137)に全山が焼失してしまったという。
その後70年経った承元2年(1208)に、笠置寺にいた解脱(げだつ)上人貞慶がこの観音寺の跡に移り住み、海住山寺と名付けて旧寺を中興したという。

海住山寺 本堂

上の画像は本堂で、本尊は木造十一面観音菩薩立像(国重文:平安時代)である。四天王立像(国重文:鎌倉時代)は像高40cm程度の小さな像だが、精緻に彫刻され、綺麗な彩色が施された素晴らしいものであったが、できることならばガラスケースの中ではなく、もともと安置されていた五重塔の中で観賞したいところだが、セキュリティ上はやむをえないのであろう。

海住山寺五重塔

上の画像は国宝の五重塔。鎌倉時代の建保2年(1214)の建築で、高さは約17mと小規模であり、室生寺の五重塔に次いで二番目に小さい五重塔なのだそうだ。
またこの五重塔の初層に裳階(もこし)と呼ばれる屋根があり、このような裳階を持つ五重塔は、ここと法隆寺五重塔の2例しか残っていないのだそうだ。

海住山寺 構造

また、古い五重塔には地面の中心に据えた心礎の上に、塔頂まで通る心柱があることが多いのだが、この寺の五重塔には心礎がなく、初層部分の天井の上から心柱が立っているという。その目的は、初層内部に心柱がないために、仏像などを置くスペースが広く取れるからなのだが、このようなタイプの五重塔はこの寺のものが現存最古なのだそうだ。

本堂北側には文殊堂(国重文:鎌倉時代)があるが、内部は公開されていなかった。

海住山寺本坊書院

本坊庭園は、訪れた14日の紅葉はこんな具合であったが、そろそろ見頃を迎えているのではないだろうか。

次の目的地は修験道の古くからの聖地であった神童寺(しんどうじ:0774-86-2161)。

神童寺

この寺について、安永9年(1780)に刊行された『都名所図会』には図絵とともにこう解説されている。
「北吉野神童寺〔又金剛蔵院(こんごうぞういん)と号す〕綺田(かばた)のひがし山中にあり。〔此所伊州上野の往還路なり、神童寺越ゑといふ〕真言宗にして、本尊は蔵王権現、立像長八尺なり。当山伝記に曰、金精明神(こんせいみょうじん)神童と現じ、役行者(えんのぎょうじゃ)と共に作り給ふ尊像なり。開山堂には役行者の像を安置す、四十二歳の御時みづから作りたまふなり。子守勝手の両社、金精明神の社は、本堂の東二町にあり。此後山を袖振山(そでふりやま)といふ。抑此山は昔和州吉野山に毒蛇出て登山の人を悩す、故に笠置山を大峰(おおみね)とし当山を吉野山に准じて参詣せしなり。〔当所の人家は多くむかしの僧坊の跡なり、家々に坊舎の名あり、例祭は三月十一日なり〕」
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7t/km_01_499.html

江戸時代にはそれなりの参拝者がいたと思うのだが、今はアクセスが良くないため訪れる人は決して多くはない。寺の専用駐車場はなく、近くにある公民館の駐車場に停める案内が出ていたのでそこで駐車させていただいた。

寺伝によると推古天皇4年(596)に聖徳太子が開創し、白鳳4年(675)に役行者が蔵王権現を彫刻し、蔵王堂を創建して安置したとされ、最盛期には付近に26坊のお堂が存在したようなのだが治承4年(1180)平資盛の兵火にかかり全山焼失し、建久元年(1190)に源頼朝が再建したが元弘元年(1331)の兵火で再び焼失してしまう。

神童寺

今の本堂(蔵王堂)は応永13年(1406)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。しかしながらこの寺は、2度にわたり焼失したにもかかわらず、藤原時代などに制作された仏像が多数残されている。

神童寺 蔵王権現像

普通の寺の本尊は穏やかな表情の仏像なのだが、この寺の本尊は憤怒の顔をした蔵王権現像だ。本堂や収蔵庫の内部での写真撮影は禁止されているのでパンフレットの画像を紹介するが、蔵王権現を本尊とする寺は吉野の金峯山寺のほかはそれほど多くはないだろう。以前このブログで書いたように、明治の廃仏毀釈で修験道は徹底的に叩かれて、17万人もいた山伏達は活動を禁止され、修験道に関わる建物と文化財の多くが破壊されているのだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-399.html

神童寺 収蔵庫内部

神童寺住職の説明のあと、本堂脇にある石段を上がった高台にコンクリート製の収蔵庫に案内していただいた。そこには、藤原時代に制作された日光菩薩像、月光菩薩像、愛染明王像、毘沙門天像、城不動明王像、阿弥陀如来像(いずれも国重文)ほか、役行者像などが収められていたが、これがなかなか見ごたえがあった。
以前はこれらの仏像がすべて本堂のなかに収められていたそうだが、できれば本堂に収められていたままの状態で観たかったと思う。

天神神社

神童寺から東に400mほど進むと、神童寺の鎮守社として創建された天神神社があるので、立ち寄ってみた。写真を取り忘れたが本殿は室町時代造営の一間社流造で京都府の有形文化財に指定されている。

天神社十三重石塔

この神社を立ち寄ったのは、境内の中に神仏習合の名残である十三重石塔(国重文)が残されているからである。どういう経緯でこの塔が残され、どういう経緯で上の5段の一部が欠けたのかは良く分からないが、明治初期の廃仏毀釈で修験道の寺や文化財の多くが破壊されてしまっている。神童寺とその鎮守社の文化財が、どういう経緯で神仏分離・廃仏毀釈の危機を乗り越えたのか知りたいところである。

いよいよ最後の目的地である蟹満寺(かにまんじ:0774-86-2577)に向かう。
寺としては随分変わった名であるので調べると、『木津川観光ガイド』に請解説されている。

蟹満寺

「寺の名前は蟹幡(かむはた)郷という美称である『神(カム)』と織物を意味する『幡(ハタ)』からなる地名に由来し、この地は古代には渡来系民族で織物にたずさわる人が多く住んでいたようで、白鳳時代末期に国家かそれに準ずる豪族によって建てられたと考えられています。」とある。
http://0774.or.jp/temple/kanimanji.html

この寺の住所が木津川市山城町綺田(かばた)で、Wikipediaによると「昔は『カニハタ』『カムハタ』と読まれ、『蟹幡』『加波多』などと表記された。寺号についてもかつては加波多寺、紙幡寺などと表記されたものが蟹満寺と表記されるようになり、蟹の恩返しの伝説と結びつくようになった」と解説されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9F%B9%E6%BA%80%E5%AF%BA

蟹満寺 国宝 釈迦如来坐像

この寺の創建由来については定かではないが、この寺の本尊の銅像釈迦如来坐像は飛鳥時代後期(白鳳期)に作られたもので国宝に指定されている。
(上画像はガイドブック『南山城の古寺』より)

この本尊が当初からこの場所にあったのか、他所から移されたかについては諸説があり、平成17年の調査では地層の状態から台座は創建当初のものと判断、坐像の位置は創建以来約1300年間不変だったとの見解が出されていたが、平成20年の調査では、台座下に江戸時代の地層が入り込み、台座も近世の墓石を転用していたのが判明したという。
では、どこからどうやって運ばれたかというとこれも諸説があり,この寺の東にかつて存在した光明山寺てであるとか、橘諸兄が奈良時代に造営した井出寺であるとか、草壁皇子ゆかりの奈良県桜井市の粟原寺(おばらてら)の名前が出ているようだが、どの説が正しいかはよくわからない。

「蟹の恩返しの伝説」というのは『今昔物語集(巻十六第十六話)』に出てくる話で、次のURLにあらすじが出ている。簡単に言うと、娘に結婚をせまった蛇の化身が荒れ狂い、娘が観音経を唱えると観音様が現われて「この危難を除くべし」と告げて姿を消したという。
静かになって、夜が開けて戸外に出てみると、ハサミで切られた大蛇と、以前娘が命を助けた多数の蟹の死骸が残されていたというお話である。
http://0774.or.jp/mukasi/06kani.html

前回から2回に分けて京都府木津川市の古寺等を巡る旅のことを記してきたが、正直言って木津川市にこんなに多くの国宝や重要文化財があることは意外だった。
これだけ多くの貴重な文化財が、先人たちの努力により、過去幾度となくあったであろう苦難の時期を乗り越えて、現在に残されてきたことは素晴らしいことだと思う。しかしながら、いずれの文化財も過疎化・高齢化に悩んでいる地域に存在しており、これから先、これらの文化財を守り、さらにその周辺の歴史的景観を維持していくことは容易なことではないだろう。

前回の記事で浄瑠璃寺のことを書いたのだが、私の記事をツィートしていただいた読者の方から、浄瑠璃寺の僅か380メートル南の地に、奈良市がゴミ焼却場(クリーンセンター)を建築する計画があることを教えていただいた。
もしこの計画通りに建築が実施されれば、浄瑠璃寺の参道から焼却場の煙突や煙が見えることになってしまうし、また建築予定地は岩船寺や、春日山原生林や石仏群のある地域にも近く、敷地の中に明治初期の廃仏毀釈で廃寺となった中川寺の遺跡が含まれていることも大問題である。
http://save-joruriji.org/index.shtml

当尾の里に限らず、各地に残された歴史的風土や景観は、それを愛する人々が大切に守り続けて次の世代に承継し、数百年から千年近い長い歳月をかけて形作られてきたものである。それを台なしにする行為は、その景観を守ってきた先人達の努力と思いを踏みにじるだけでなく、観光地としての価値をも大きく減じることとなり、必ずや将来に禍根を残すことになるであろう。

奈良市が、他府県の歴史風土や景観や文化財を破壊することに加担することがあってはならないと思うのだが、建設反対に賛同する人数がまだまだ少なすぎることに不安を覚える。奈良市に圧力をかけるためにはもっと多くの賛同者が必要だと考えるが、ネットなどで、少しずつでも反対の輪が広がってほしいと願っている。
http://save-joruriji.org/downloads/

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【ご参考】このブログでこんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

素晴らしい紅葉の国宝寺院・一乗寺から日本海へ
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柴山漁港の競りを見学のあと出石神社、宗鏡寺の紅葉を楽しむ
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出石散策の後、紅葉の美しい国宝・太山寺へ
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三方五湖観光後昼食は「淡水」の鰻。続けて紅葉名所・鶏足寺を訪ねて~若狭カニ旅行3
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Comment
木津川♪
こんばんは。いつもお世話になっております。
とてもわくわくしながら拝読致しました。木津川から163号線で伊賀上野へ抜けるドライブコースが好きなので。

独特な雰囲気のある地域ですね。
山あいなのに、海とか蟹とか、不思議だな~と思っておりました。訪れて驚きましたよー。素晴らしいものばかりで。
しばやん様の解説を見ながら、改めて訪問したくなりました。
奈良市は重要な史跡を有しながら時々意味不明な事を計画する気がします。あまりにも多数ありすぎて麻痺しているのかしら。私も反対です。

それにしても、今年の紅葉はなかなか気難しいですね。


Re: 木津川♪
つねまるさん、こんばんは。コメントありがとうございます。とてもうれしいです。

浄瑠璃寺と岩船寺は高校の遠足で行きましたが、もう一度行きたいと思っていたので今回の紅葉の季節に旅程に入れました。
今回の記事に書いた寺社は初めての所ばかりでしたが、行って良かったです。こんな田舎にと言っては失礼ですが、素晴らしいものが残っています。このままの姿で末永く残して欲しいと願っています。

奈良市がいくら「文化財愛護」という言葉を唱えても、他府県の文化財を台なしにしてしまえば、奈良市の文化財行政の信用を抜本的に失うことになるでしょう。ネットで「反対」の声が大きくなれば、いい方向に行くと信じています。

実は先週末も紅葉を見に行きましたが、今年の色づきは良くないですね。気温が高すぎるのかもしれませんね。





浄瑠璃寺南に奈良市ゴミ焼却場を建設する現計画を撤回するよう求めます
浄瑠璃寺南の僅か380メートル南の地に、奈良市がゴミ焼却場(クリーンセンター)を建築する計画があることをこの記事で紹介させていただきました。浄瑠璃寺は京都府木津川市にあり、奈良県との境界線のすぐ近くにあります。
浄瑠璃寺のある木津川市の当尾の里には多くの国宝や重要文化財が存在する場所であり、こんな場所に奈良市のゴミ焼却場が建設されることは、この地域の文化的価値を大きく損なうことになると、強く反対します。

ようやく奈良市の仲川市長が計画の撤回の考えがあることを表明されましたが、クリーンセンター建設に反対する署名はまだまだ少なく、楽観することはできません。

読者の中で、ゴミ焼却場の建設反対に賛同される方がおられましたら、是非、次のURLから反対の署名に協力していただきたくことを、強く要望します。

https://www.change.org/p/%E4%BB%B2%E5%B7%9D%E3%81%92%E3%82%93%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%E9%95%B7-%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%92%83%E5%AF%BA%E5%8D%97%E3%81%AB%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%E3%82%B4%E3%83%9F%E7%84%BC%E5%8D%B4%E5%A0%B4-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%82%92%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E3%81%99%E3%82%8B%E7%8F%BE%E8%A8%88%E7%94%BB%E3%82%92%E6%92%A4%E5%9B%9E%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99

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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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