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洛北の紅葉の名所を訪ねて~~実相院から圓通寺へ

ここ数年、紅葉の季節になると古い寺や神社を訪ねたくなる。
いつもなら人や車の多い場所を避ける主義なのだが、学生時代に何度か訪れた思い出の場所を急に訪ねたくなって、近隣の寺社とともに巡る旅程を立てて、先日京都市の岩倉から修学院の古刹などを訪ねてきた。

最初に訪ねたのは岩倉にある実相院(075-781-5464)である。
この寺の障壁画が気に入って、高校時代から大学時代にかけて何度か訪れた寺なのだが、当時の観光客はわずかであった記憶がある。
ところが近年この寺が紅葉で有名になったことからか、開門前から40人近くの列が出来ていたのには驚いた。

門前の駐車場が満車だったので、洛陽病院さわらび寮の向かいにあるコインパーキングに車を入れて、もう一度寺に向かう。(門前の駐車場から東に進んで一筋めを左折し、さらに一筋めを右折すればコインパーキングがある)

実相院

寺伝によるとこの寺は、寛喜元年(1229)に静基(じょうき)僧正を開基とし、紫野(むらさきの:京都市北区)に創建され、いちど五條辻小川(京都御所北西部)に移転したが、応仁の乱(1467~1477)が激しくなってから、現在の岩倉の地に移転したのだという。

室町時代末期までに多くの伽藍が戦火で焼失したが、江戸時代初期に足利義昭の孫・義尊(ぎそん)がこの寺に入り、その母(三位の局)が第百七代・後陽成天皇に仕えて道晃(どうこう)法親王(聖護院門跡)を設けたことから天皇家との関係が深まり、第百八代・後水尾天皇や東福門院*たちがしばしばこの寺を御幸に訪れることとなり、皇室などの援助を受けて再建されたという。
*東福門院:徳川秀忠(江戸幕府第2代将軍)の娘・徳川和子で後水尾天皇の中宮。

実相院の屋根

現在の本堂(実相院客殿:国登録文化財)は、享保5年(1720)に、東山天皇中宮・承秋門院の大宮御所の建物を賜ったものだそうだが、建物が歪んでいるためだろう、主要な柱のほとんどが何本かの丸太で傾かないように支えられていた。私の記憶では、40年ほど前にはこのような丸太は存在しなかったがと思うのだが、こんな応急手当のような補強で大丈夫なのかと心配になってくる。

実相院 こころのお庭

実相院の庭園は2つあって、上の画像は東側にある枯山水式庭園の『こころのお庭』。
平成25~26年にかけて「造園植治」の小川勝章氏監修により、市民参加でこの庭が造られたのだそうだが、枯山水庭園を作庭することよりも、客殿の歪みを修復する方が優先順位が高いような気がする。

実相院庭園

客殿の西側には池泉回遊式の庭がある。例年なら11月の22日頃は紅葉の見頃を期待して良い日だと思うのだが、暖かい日が多いせいか、今年の紅葉は例年よりやや遅れており、色づきも今一歩だった。

客殿の内部は写真撮影禁止の為紹介できないのだが、各部屋に狩野永敬はじめ狩野派の見事な襖絵が描かれている。高校時代に初めてこの寺を訪れた時は、各部屋の中に入って襖絵を間近にしてじっくり観賞することが出来、書院で後水尾天皇の「忍」と書かれた掛軸も公開されていたのだが、今では中に入れない部屋が多くなっているし、襖絵も以前より随分公開点数が減っている。観光客が増えて、セキュリティ上やむを得ないのであろうか。

石座神社

実相院の門を出て左に100mほど進むと、石座(いわくら)神社がある。この神社は、もとは「大雲寺」の鎮守社であったというが、この「大雲寺」とはどのような寺であったのか。

大雲寺

上の画像は安永9年(1780)に刊行された『都名所図会 巻之六』に描かれている大雲寺の境内で、右下に門と建物が描かれているのが実相院で、右に描かれている神社が今の石座神社である。これを見ると「大雲寺」は実相院より随分大きな寺であり、観光地として有名であったことがわかるのだが、今はそのような大きな寺は見当たらない。
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7/km_01_524.html

大雲寺

石座神社の東に、とても寺院とは思えない建物があるのだが、これが現在の大雲寺である。
大雲寺の歴史を調べると、創建は天禄2年(971)と古く、開山した人物は紫式部の曽祖父にあたる日野中納言藤原文範であったと伝えられ、四十九の僧院からなる比叡山西麓最大の天台寺院で、園城寺(三井寺)寺門派の一大拠点であったという。
たびたび兵火に見舞われて焼失を繰り返し、江戸時代に入り寛永年間に後水尾天皇の後援を得て、実相院門跡義尊(ぎそん)により本堂が再建されたのだが、昭和60年(1985)に火災で焼失してしまい、建て替えられたのがこの建物である。

昭和50年頃に訪れた時は、現在地よりもっと西に本堂があって、壁がかなり傷んでいてボロボロの状態で庭も荒れていたのだが、国宝に指定されている梵鐘があることを知って驚いたことを覚えている。

大雲寺の公式HPの年表には、平成10年に「現住職 昭和60年に散逸した寺宝178点全てを大雲寺に取り戻す」と書いてあるのだが、この記述には疑問がある。
http://daiunji.net/category1/entry1.html
そもそも大雲寺の最大の宝物であったはずの国宝の梵鐘が、一時行方不明となった後、現在は滋賀県守山市にある佐川美術館の所有となっている。どういう経緯で鐘が発見されて佐川美術館に移ったか、その経緯は明らかに出来ない事情がありそうだ。
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/outline/collection.html

しかし、なぜ実相院よりも歴史が古く、江戸時代には観光地としても有名であった大寺院が、こんなに落ちぶれてしまったのか。理由はこの寺の歴史を紐解くと見えてくる。

先ほどの『名所図会』画像をダブルクリックしていただくと絵が大きくなるのでわかりやすいが、画像の左に「不動曝」と書かれた滝のようなものと、その右上に「智弁水」と書かれた建物が描かれており、この2つは現在もそのまま残されている。

大雲寺 不動の滝

上の画像が不動の滝(妙見の滝)であるが、かつてこの場所は、寺で加持祈祷を行なった人々の「垢離場(こりば)」で、瀧に打たれることによって心の病に効果があるとされた。

大雲寺 閼伽井

また、次の画像が滝の近くにある閼伽井堂で、この水は「観音水」または「智弁水」と呼ばれて、心の病、眼の病に霊験があるとして平安時代から信仰されてきた水で、後三条天皇第三皇女佳子内親王が「もののけ」に憑かれた際に、この泉を飲んで平癒したことから、以降精神病等の治療や保養のために多くの人々が滞在するようになり、周辺の茶屋が宿泊所の業務を行なうようになったという。
『名所図会』をよく見ると大雲寺の本堂や鐘楼に向かう石段の周囲に「こもりや」と書かれた建物がいくつか描かれているが、それがその宿泊施設(茶屋)である。

このようにして江戸時代には岩倉の地は精神の病を治す場所として確固たる地位を占めるに至ったのだが、明治の時代になって加持祈祷をしたり滝水に打たせたり霊泉を飲ませることで病気を治療する行為が否定されることとなり、京都府は公立の精神病院である癲狂院(てんきょういん)を設立し、再三にわたり岩倉での茶屋禁止令を出している。
明治17年(1884)に岩倉村の有力者により岩倉癲狂院(てんきょういん)が開設され、その後「岩倉精神病院」「岩倉病院」と名を変え、終戦直前の昭和20年に陸軍に接収されていったん幕を閉じたのだが、昭和27(1952)年、岩倉で精神病患者の保養所を営んでいた経営者が新たに岩倉病院を設立して今日に至っているという。

明治以降の大雲寺はその存立基盤を失って衰退し、国宝の鐘と寺の所有地の大半を失って、昭和60年までに本堂が存在した場所には、北山病院の施設が建てられている。

岩倉地図

大雲寺近辺の散策を終えて次の目的地に向かう。大雲寺から200m程度歩けば、明治の元勲である岩倉具視が幕末時に一時移り住んだ「岩倉具視幽棲旧宅(国史跡)」がある。

岩倉具視旧宅表門

安政7年(1860)3月の桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された後江戸幕府内で公武合体派が盛り返し、4月には四老中連署で皇妹・和宮の将軍・徳川家茂への降嫁を希望する書簡が京都所司代より九条尚忠に提出されている。この問題について岩倉具視は孝明天皇に『和宮御降嫁に関する上申書』を提出し、朝廷権力の高揚のための好機として公武合体を推進しようとしたのだが、そのことが尊王攘夷派を刺戟したため弾劾を受け、文久2年(1862)に失脚、辞官落飾のうえこの場所に蟄居・謹慎したという。

岩倉具視旧宅の紅葉

入口の紅葉が美しかったので思わずカメラを向けた。この紅葉の周囲の生け垣に沿って石段を登って行くと茅葺の主屋がある。

岩倉具視旧宅

岩倉具視はこの茅葺の家で約3年半過ごしたそうだが、残念ながら主屋の中には入れなかった。主屋の障子のガラス板には古い手延べガラスが使用され、庭には松の古木が枝を拡げて、歴史の重みを感じさせる。
岩倉具視の遺品や明治維新の史料は、レンガ造りの対岳文庫(国登録)の中に収蔵展示されている。

コインパーキングに戻り、次の目的地である圓通寺(075-781-1875)に向かう。

『都名所図会』の後編として天明7年(1787)に刊行された『拾遺都名所図会』にこの寺の図絵が掲載されている。
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyotosyui/page7/km_01_482f.html

圓通寺

この寺は庭園が有名で、『拾遺都名所図会』の本文に「東の方より比叡の山を庭中へ採、奇景真妙にして」と記されているとおり、比叡山の美しい姿を庭園の景観の中に取りこんでいるのが素晴らしい。

圓通寺門

この寺は寛永16年(1639)に後水尾天皇が造営された幡枝離宮を前身とし、延宝6年(1678)に霊元天皇の乳母であった圓光院文英尼が開基となって寺に改め、皇室の勅願所になったという。

圓通寺庭園

圓通寺庭園は国の名勝に指定されていて、広さは400坪もあるそうだが、低い生垣に囲まれて、地面は美しい苔で覆われて、杉木立の間から雄大な比叡山を望むことが出来る。
もし、この庭園より東側にマンションや住宅が建てば、この素晴らしい景観が台なしになってしまうところなのだが、そうならないために圓通寺の住職をはじめ多くの方が尽力されたようだ。

平成19年に制定された『京都市眺望景観創生条例』の第2条には第1項にはこう書かれている。
京都の優れた眺望景観は,先人から受け継いだ京都市民にとってかけがえのない財産であるのみならず,国民にとって貴重な公共の財産であることにかんがみ,現在及び将来の市民及び国民がその恵沢を享受できるよう,市民の総意の下に,その創生が図られなければならない。」
http://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000056/56449/tyoubou_jourei.pdf
また次のURLに、この条例に基づいて眺望景観が保全されることとなった地域が出ていて、その中に圓通寺の名前がある。
http://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000123687.html

わが国では、良好な景観や環境を守る事は二の次で、建築基準法や都市計画に違反しない限りどんな建物を建てることができる状態が長らく続いてきた。そのために長い年月をかけて形成された伝統と風格と調和のある街並みが台なしにされることが少なからずあったのだが、1990年代からようやく国土交通省も公共工事における景観に対する配慮を行なうようになり、平成16年に(2004)に景観法が全面施行されて、ようやく歴史的景観を守るための環境が整備されたと言える。

圓通寺庭園2

圓通寺のある岩倉は京都市の中心部から遠く、以前は田んぼや畑が多かった地域であったがゆえに長い間借景が守られてきたのだが、近年宅地開発が岩倉・上高野・修学院地区にも進んできて、圓通寺のすぐ近くにも住宅が建ちだしたことに住職が強い危機感を持たれたことは間違いないだろう。
京都市からすれば、圓通寺は比叡山の麓から3km以上離れているため、この庭園の景観を守るためには相当広い地域における規制が必要になってしまう。京都市との交渉は容易ではなかったと推測している。

庭園を観賞しながら、住職の解説がテープで流されていたが、この場所を選んで離宮を造営した後水尾天皇はその後修学院離宮も造っておられる。美しい場所を選ばれた後水尾天皇のセンスも素晴らしいと思うのだが、この景観を後世に残すために粘り強く交渉し、苦労された住職にもエールを送りたい。

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【ご参考】このブログでこんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-173.html

東京遷都のあとの京都の衰退にどうやって歯止めをかけたか
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討幕の密勅、大政奉還から王政復古の大号令までの歴史を振り返る
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「桜田門外の変」と、井伊直弼の死が長い間隠蔽された事情
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幕末の動乱期にわが国が独立を維持できた背景を考える~~GHQが封印した歴史 3
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幕末の孝明天皇暗殺説を追う
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Comment
景観
こんばんは。いつもお世話になっております。
しばやん様は素晴らしい環境でお育ちになったのですね。
四季折々の風情や貴重な文化財産に触れながら育つなんて、ほんとに贅沢ですね。

私は大学から関西へ参りましたので、羨ましい限りです。

実相院の紅葉、私は有名になってから訪れたのですが、丸太に支えられる建物に心が痛みました。もう、倒れてもいいと思ってるのかなー?と思いつつ拝観致しました。

圓通寺のご住職様に、エールです。
私もこちら、大好きです。
きょうびの歴史的な価値のあるものの保存、特に景観や地域全体の保存には、少なからずの法律知識が必要なのだと実感しております。

寺社と病院については、他の場所を調べたことがありますが、少し言いにくいですね。

しばやん様の訪問先が解説と共にいつも素敵なので、食い入るように拝読しております。ありがとうございます。
Re: 景観
つねまるさん、コメントありがとうございます。いつも読んで頂いてとても励みになります。

学生時代に自転車で京都の古い寺や神社を少しばかり巡りましたが、社会人になってからは仕事に追われていたのと、子供がお寺や神社に行っても喜ばないので、公園や遊園地のようなところばかり行っていました。好きな所に行けるようになったのは、子供が巣立ってからのことで、比較的最近のことです。

実相院の建物の歪みを支える丸太がつけられたのはいつからなのでしょうか。いかにも素人臭い補強で、丸太の角度がバラバラです。こんなやり方で地震が来ても大丈夫なのかと心配になってきます。

それにしても、今年の紅葉は色づきが良くないですね。もっといい写真が撮りたかったのですが、ちょっと残念でした。10月が暖か過ぎたからなのかもしれませんね。
借景庭園
しばやん様 こんばんは

圓通寺!
私はこのお庭を、画家の井上直久先生の「借景庭園」のモデルとなったお庭、としてしか知りませんでした。

これ程のご苦労があって守られている景色とは。
お陰様で、絵のタイトルに込められたお気持ち、少しは理解出来たような気がします。

関東郊外育ちの私には、京都や奈良の景観は、永遠に在って当然のものと感じてしまいますが、
この遺産を守り継いで下さる方々に改めて感謝して、お庭や建物を拝見させて頂きたいと思います。

写真ですらこんなに綺麗なのだから、実物はさぞかし‥。
いつかは実際に訪ねてみたいものです!

実相院の本堂は大変そうですね。どうか倒壊前に、修繕されてほしいです。

Re: 借景庭園
かめいとさん、こんばんは。コメント頂き、ありがとうございます。とても励みになります。

古い文化財を守るために当時者の努力だけでは守れないものがあります。前回の浄瑠璃寺の記事で少し書きましたが、その周囲を含めた歴史的風土が守られていないと、文化財の価値を大きく失うことがあり得るのですが、その周囲の景観を守るためには、土地の所有者に理解していただいた上で、私権を制限するしかありません。
圓通寺は、たまたま京都の中心部から遠くて不便であったので宅地開発が遅れて来たことが、結果として「借景」を長い間守ることになりました。しかし、近年は圓通寺のすぐ近くまで住宅が建っており、もし庭の東側にマンションでも建てられたらこの庭が台なしになるところでした。

今年の紅葉は今一歩でしたが、例年はもっと美しいでしょう。
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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了することが決定しています。BLOGariの旧メインブログの「しばやんの日々」はその日以降はアクセスができなくなりますことをご承知おき下さい。

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