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ペリー来航の45年前のわが国でロシアとの交易を開始する準備がなされていた

前回の記事でロシアの全権使節であるニコライ・レザノフがわが国に通商を求めてきたことに対し、わが国は半年間待たせた上で拒絶回答をして以降、蝦夷地にロシア船が出没して乱暴狼藉を働く事件が相次いだことを書いた。

休明光記

その後江戸幕府内で、ロシアと通商を開始すべきではないかとする意見が出てきたという。
当時箱館奉行、松前奉行として蝦夷地経営の最高官僚であった羽太正養(はぶとまさやす)が記録した『休明光記』に詳しく叙述されているようだ。

渡辺京二氏の『黒船前夜』に、こう解説されている。

「…『休明光記遺稿』のうちに『魯西亜(ロシア)人乱妨に付、江戸において御評議の事』という文書があり、それには清国との貿易を停止し、かわりにロシアと通商を開くべしとする意見があったことを長々と紹介している。清との貿易を停止する根拠は、長崎の唐船貿易は商人の私商売であって、清は一度も正式な使節を派遣したことがない。交易でわが国の棹銅(さおどう)を得て銭を鋳造しているのに、そのような大切な交易を商人任せにしているのは日本をあなどっている証拠だ。しかも日本は貴重な銅を輸出ししながら得るものは薬種ぐらいにすぎない。また近年不礼不法を働く輩も多いというのである。
 それに反してロシアは、二度にわたって使節を派遣して信義を尽くしている。それに報いて国交を開き、国境を定めて交易のことを議すべきである。ロシアのような世に聞こえた強国が折角信義を尽くして交易を乞うているのに、わざわざ恥辱を与えて戦端を開けば費用は莫大なものになる。しかるに彼の望みを容れてやれば、かの国も多年の宿望を果たし恥辱も雪がれて、わずかな島々など喜んで返却するだろう。…
…以上のように論じて『然るにおいては、万々一外の蛮国より日本を伺ふ事ありといえども、世界第一の強国たる魯西亜と交わりを結びたるにおいては、諸国よりまた猥(みだ)りに手を出すべからざるべし。返えす返えすも交易の道を開き給う方こそ然るべし』と結ぶ。何とこのとき幕府内では、日露同盟による安全保障論が公然と唱えられていたのだ。」(『黒船前夜』p.271-272)

杉田玄白
杉田玄白

この時期にロシアと通商すべきとする意見は幕府内だけでなく民間にも存在したという。文化4年(1807)に杉田玄白は『野叟独語』を著して、国法をまげてもロシアとの通商を開くべきことを主張したのだそうだ。

もちろん幕府がこの説を採用することはなかったのだが、もし採用したとしたらどうなっていただろうか。渡辺氏は前掲書でこう述べておられる。

黒船前夜

もしこのときロシアと国交を開始していれば、あとには当然欧米列強が続いただろう。さすれば、…幕府は後年の攘夷論などに煩わさされることなく、主体性を堅持したまま欧米諸国に門戸を開くことになったのである。列強の砲艦外交はまだ始まっていない。すなわち日本はこのとき、幕府主導の開国というひとつの近代化の可能性を喪ったのだった。」(同上書p.272)

江戸幕府は、国是としていた「鎖国」を守るためにロシア船は打払うべしと命じたのだが、そもそも「鎖国」はまずキリスト教を宣教して国を割った後にわが国を占領しようとしたスペイン・ポルトガルの意図を封じるため、キリスト教を禁教したうえで海外貿易を長崎の出島に限定したものである。ところがロシアがはわが国に接近した目的は布教とは関係なく、また侵略を企んでいるわけでもなく、ほとんど交易が目的の全てと言ってもよかった。
にもかかわらず、二度にわたり礼を尽くして使節を送り込んだロシアを、江戸幕府は拒絶したのである。

幕閣はロシア船を打払えと指令したのだが、そもそも広い蝦夷地のどこに現われるかもわからないロシア船を追い払うために、どれだけの兵士と大砲と軍艦が必要で、どれだけの費用がかかるかを検討したのだろうか。ロシア船の乱暴狼藉のあと津軽、南部、秋田、庄内の藩兵3千が配置されているが、そんなわずかの人数ですべてのロシア船を打払えるはずがないではないか。

レザノフ来航絵巻 ロシア使節
レザノフ来航絵巻】

後に箱館奉行となった河尻春之と荒尾成章は、文化5年(1808)2月に老中の諮問を受けて意見書を提出しているのだが、この内容は注目するに値する。渡辺氏の前掲書にこう解説されている。

「まず驚かされるのは、文化3年度、4年度の暴行を謝罪するならば交易を許して良いとしていることだ。もし今年願い出てくれば来年回答し、再来年より交易を開始するという日程まで考えている。当時日本の当事者はフヴォストフ*の書簡によって、彼らの蝦夷地襲撃が交易許可を望んでのことだと正確に理解していた。従って、今年来るか来年来るかわからないが、近いうち必ずロシア側から接触してくるはずだと考えて、対策を練っていたのである。…
 会談に当たっては先方の『不束(ふつつか)』を咎めるとともに、『此方にて不行届の義は取繕いなく申し達し、理非明白に仕り、手前勝手これなき義と、彼方にても服する様したき儀に存じ奉り候』というのだから、長崎でのレザーノフの扱いについても、こちらの落ち度を認める用意があったのだ。このように和睦を旨としても、来たるべき日露会談では手切れも含めて曲折が予想されるから、それなりの備えを怠ってはならない。河尻と荒尾は千石ほどの軍艦を10隻建造し、エトロフより先の島々、さらにはカムチャッカまで派遣せよと提案する。…」(同上書 p.274-275)
*フヴォストフレザノフの部下ニコライ・フヴォストフで、1806年に樺太の松前藩の番所、1807年に択捉港ほか各所を襲撃した。(文化露寇)

レザノフ来航絵巻
レザノフ来航絵巻】

この意見書を読んで老中は「和議交易の方のみ重じているが、わが国の武威をいかにして示すのか」と質したので、ふたたび河尻と荒尾は意見書を上申した。

「交易については、長崎でお諭しになった国法はそむいてはならぬことではあるけれども、ロシアの辺境と松前付属の土地との間の交易となれば別問題なのではないか。国同士ではなく辺境同士の交易という『軽き事』として許可あってしかるべきであると両人は主張する。…また…武威については、狼藉を働かずわびてくるとなれば、畢竟お備えが万全だから神妙な態度で出てくるわけで、武威はそれで立っているのではなかろうか。」(同上書 p.275-276)と述べた上で、このような『軽き事』を幕府が許可しないがために蝦夷地全域を警衛せざるをえなくなったのだが、たとえ2万3万を動員しても、この広い蝦夷地を護ることは難しいと説く。

続いて、河尻と荒尾の意見書のポイントとなる部分が引用されている。
民命を申し候えば、警衛の人数、事により候ては、生きて帰り候もの少々に至り候べし。矢玉に当たり、風波に没し、または水上に傷を被る等々、番手死亡仕り候もの幾件あるべきや。その国々の民、課役人夫に疲れ、辛労を受け、その責めにたえずして、家を離れ妻子を捨て、路頭に斃れ候もの、宿次助郷(しゅくつぎすけごう)に至るまで困窮致し候わば、際限もこれなく、難渋の内には不慮の変を引出し申すべき程も計り難し。」(同上書 p.276)

前回の記事で、文化4年(1807)に北辺の守りのために派遣された津軽藩士が、寒さと栄養不足から大量に病死したことを書いたが、そんな犠牲を強いるようなことを繰り返しては、いずれ幕府に反抗する動きがでてきてもおかしくないだろう。

そして、「この時に当たり、精々その理を尽くさずして御処置ござ候て、後々に至り後悔候義も候ては、あいすまざる事にござるべく候。その時、天の責め誰人に当たり申すべきや。天職の御方ここにおいて至極御大切の御場合にござ候あいだ」、位も処もわきまえず死罪に当たることではあるが、黙視しがたく申し述べたとある。

この、命がけで書かれた意見書が老中たちを動かし、乱暴狼藉を繰り返していたフヴォストフに対する返事が準備されたという。渡辺京二氏はこう解説している。

渡辺京二
【渡辺京二】

「両人の上書を読んだ老中たちは『ともかくもその時に応じよろしく取り計らうべし』と答え、同時に再来が予想されるフヴォストフに与える返事が作成された。…『いよいよご無事を祝し申し候。然らば御手紙の通りにては、通商の願いかない申さず候』と書き出された返事は、狼藉を働いた上に、いうことをきかねばまた船を沢山出して乱暴するというような国とは通商できない。いくさをする用意はこちらにもある。本当に交易したいのなら、悪心のない証拠として日本人を全部返した上で願い出よ。来年6月カラフト島にて会談しよう。この上狼藉するなら交易どころではないぞと述べる。…

もしこの時ロシアが船を派遣して日本側と接触していたら、交渉次第では日露の通商関係が成立していた公算が高い。しかしフヴォストフらはオホーツクの獄につながれ、通商を願い出るロシア船の訪れはなく、幕府の返書はロシア側には渡らなかった。蝦夷地襲撃があとを絶ったとなれば、交易に応じてやろうという気遣いもいらなくなる道理だ。ただロシア船の接近を厳戒する気分だけは残る。…」(同上書p.277~278)

アレクサンドル1世
【アレクサンドル1世】

フヴォストフらがオホーツクの獄に繋がれたのは、ロシア皇帝アレクサンドル1世の許可もなく日本国に対して乱暴狼藉を働いたことに皇帝が不快感を示したことが理由だったようだが、1808年に全軍に撤退命令が出されていたために、幕府が用意した手紙はロシアに手渡されずに終わってしまったのである。

おそらくロシアはフヴォストフがわが国で乱暴狼藉を働いてしまったために、わが国との交易が実現する希望がなくなったと考えたのであろう。レザノフは次いでカリフォルニアに向かったのだが、現在のアメリカ合衆国の南西部は、当時ヌエバ・エスパーニャ(ノビスパン)といってスペイン帝国の副王領地であった。レザノフは北米西海岸を全面的にロシアに併合し、本国から即座に大量の移民を送ろうと考えていたのだが、彼が病死したためにロシア皇帝はスペインとの条約に調印せず、ロシア領アラスカを立て直すというレザノフの改革は頓挫してしまう。

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【ヌエバ・エスパーニャ】

前回の記事で1799年にロシア領アラスカが成立したことを書いたが、その領土維持のためには多くのロシア人を送り込まねばならなかった。しかし、アラスカは極北の地ゆえ食糧不足のために、ロシア人や先住民族が飢餓に苦しんでいたという。
このアラスカを立て直すためには近隣国から大量の食糧を調達することが喫緊の課題であり、そのためにロシアはわが国に対して礼を尽くして接近してきたのだが、ロシアはわが国のみならずヌエバ・エスパーニャとも交渉をまとめることが出来ず、困窮したアラスカは1867年にアメリカへ720万ドルで売却されることとなった。

アラスカゴールドラッシュ
【アラスカ ゴールドラッシュ】

ところが1880年代の後半以降にアラスカで金鉱が相次いで発見されてゴールドラッシュがはじまり、1968年には油田が発見されている。ロシアは148万㎢のアラスカを1㎢あたり5ドル以下の価格で売却したのだが、随分安く売ってしまったことをあとで後悔したのではないだろうか。

話をわが国がフヴォストフに手渡そうとした手紙の話に戻そう。
もしこの手紙がロシアに渡っていれば両国の交易が開始され、江戸幕府にとってもロシアにとってもプラスになっていたことは確実だ。
江戸幕府は、列強諸国の砲艦外交によって不平等条約を押し付けられることもなく、渡辺氏の表現を借りれば「幕府主導の開国」を実現し、日露関係を基軸にして近代を迎えていた可能性を感じるのである。
またロシアはアラスカを手放さなくて済んだだけでなく金鉱を発見し、さらにヌエバ・エスパーニャに手を伸ばしてその植民地化を図ろうとしたことであろう。そして、もしロシアが北アメリカ大陸の西側に勢力を伸ばしていれば、アメリカは西進することは困難であり、わが国にペリー艦隊を派遣することはなかったと考えられる。

いつの時代においてもどこの国においても同じだと思うが、外交というものは初期の対応が極めて重要で、とりあえず現状維持を優先して問題を先送りするような姿勢を続けては、後々で問題解決を困難にさせるばかりではないか。
文化3~4年(1806~7)のロシアのフヴォストフらによる文化露寇の後で、命がけで老中たちを説得して開国を迫った河尻春之と荒尾成章のように、権力者や諸外国に対し堂々と正論を主張できる官僚や政治家が、今のわが国にいて欲しいものだと思う。

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Comment
なるほど!
こんにちは。いつもお世話になっております。
なるほど。しばやん様の解説、とてもわかりやすかったです。初めは小さな綻びも後々に巨大な裂け目となるとはよく言いますが、日露両国にとっては本当に岐路となっていたのですね。
津軽藩士の斜里での話を調べる中で、広い北海道を警備する無理になぜ気がつかないのか、また、それをもっと言えないのかがとても疑問でした。一藩に負わせるにはあまりに大きな負担です。
幕府の中に記事のような意見があったことも念頭に入れて、また北海道の歴史を調べてみたいです。
ありがとうございました。
Re: なるほど!
つねまるさん、コメントありがとうございます。

ずっと前に渡辺京二さんの『黒船前夜』を買っていたのですが、長い間読まないまま本棚に眠っていました。ロシアのことを書き出してから、急にこの本のことを思い出してレザノフの長崎来航あたりから読み始めたのですが、私も何度も『なるほど!』と相槌をうちました。江戸幕府にも優秀な官吏がいたのですね。

こちらはなかなか北海道に行く機会がないのですが、会社を離れたら是非行きたいと思っています。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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