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『近衛上奏文』という重要文書がなぜ戦後の歴史叙述の中で無視されてきたのか

前回の記事で柴田秀利氏の『戦後マスコミ回遊記』という本を紹介した。
この本には、第一次近衛内閣の時にわが国が日中戦争に巻き込まれ、さらに本格的な臨戦態勢が打ち出されて全体主義的統一国家へと変貌していったのだが、それを推進したのは近衛が集めたブレーン・グループで、その一部は尾崎秀実のようにソ連・コミンテルンに繋がっていて、彼らはわが国を敗戦に導くことによって一挙に共産主義革命を実現する考えであったという三田村武夫氏の分析が紹介されている。

昭和20年(1945)に2発の原子爆弾が落されて、わが国はポツダム宣言を受諾することとなり、8月15日に終戦詔勅が出されたのだが、8月9日から対日参戦していたソ連は終戦後もわが国への侵攻を続け、千島列島や南樺太を占領した。
しかし、ソ連はわが国の領土の一部を占領しただけで満足したわけではなく、それから後も国内の協力分子を動かして、わが国を共産陣営に取り込むための工作活動を継続したのである。

柴田氏の著書にはこう書かれている。
「…三田村論文によると、この敗戦によって32年テーゼにあった、いわゆる二段革命論の第一段階であるブルジョア民主革命は完全に完遂されたことになった。すなわち天皇、軍、官僚、財閥の力が崩れ去った。そしてすでに第二段階の直接革命に突入する段階に来たという。その第一目標が三大新聞の一つを手に入れて、それを公的な党の宣伝機関として活用すること。それと併行して交通、通信、エネルギーの三大機関を止めれば、国家は一瞬にして真っ暗闇の麻痺状態となる。そこで一挙に暴力革命に突入する準備は万端整っていたというのである。」(『戦後マスコミ回遊記』 p.41)

Wikipediaによると、敗戦直後のわが国には勤労者はいても労働者は一人も存在しなかった。法律も存在しなかったにもかかわらず、昭和20年12月の時点で509組合38万人が組織され翌年に12,000組合368万人、組織率は41.5%へ膨張していたという。
終戦後からわずか数ヶ月で、わが国に共産主義思想がこれほど急速に国民の間で拡がっていたことは驚くべきことなのだが、「敗戦革命」を夢見た連中は、戦時中は戦争の長期化をはかってわが国を疲弊させ、戦後は労使の対立を煽って一気に共産主義革命に持ち込もうと考えていたと考える方が自然なのである。

三大新聞社のうち、第一に連中から狙われたのは柴田秀利氏が在籍していた読売新聞社だ。

第1次読売争議

終戦の日から1ヶ月も経過していない昭和20年9月13日に、読売新聞社中堅幹部45名が正力松太郎社長へ社内民主化に関する意見書を提出し、翌月には全従業員大会を開催し、「社内機構の民主化」「従業員の人格尊重と待遇改善」などを求めた要求事項を書面で提出したが、正力松太郎社長は要求を拒否し5名を解雇している。
この結果を受けて従業員側は闘争宣言を発し、闘争委員会を結成。紙面の編集と印刷部門は闘争委員会の管理下となり、また正力松太郎社長がA級戦犯となって退社を余儀なくされ、労使のとの間で経営協議会を設置することで妥結した

しかし、昭和21年(1946)になって東西の冷戦がはじまり、GHQの方針に変化が起こる。
6月4日の新聞記事にGHQがプレスコード違反と警告したことが発端となり、GHQの支援を取り付けた馬場社長は6月に共産党員6名に退社命令を出し、労組は抗議ストに突入して新聞発行はストップされ争議が長期化したのだが、10月には労組の幹部37名が自主退社してようやく争議が終結している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E5%A3%B2%E6%96%B0%E8%81%9E

昭和21年食糧デモ
【昭和21年5月 食糧デモ】

かくして読売新聞社は経営側の勝利となったが、この時期は全国各地で労働運動が高揚し、昭和21年(1946)には国鉄労働組合が50万名、全逓信従業員組合が40万名、その他民間の組合は70万名に達して賃上げを要求し、新聞、放送、国鉄、炭鉱、電気産業で相次いで労働争議が発生した。

2・1ゼネスト

そして昭和22年(1947)の2月1日には大幅な賃上げを要求する大規模なストライキが計画されたのだがGHQの介入があって中止され、以降日本共産党は再び暴力革命路線に転換することとなるのである。

話を『戦後マスコミ回遊記』に戻そう。

前回の記事で、著者の柴田氏が駆け出し記者の頃(昭和16年頃か)に、近衛首相が「議政壇上で『なぜにかかる全体主義的な非民主的国家統一、独裁体制を作るのか』と政党代表に詰問され、追いつめられたとき、一国の、しかも非常時を背負う総理大臣が、『実は私にも、どうしてこうなったか、全く何もわからぬままに来てしまったのです…』といって絶句し、白いハンカチで眼を拭って、泣き出してしまった」(『戦後マスコミ回遊記 p.39)ところを見たと記されていることを紹介した。
公衆の面前で泣くような人物が非常時におけるリーダーであったことはわが国にとっては悲劇であったが、近衛という人物は左翼思想に共感を持っていたものの、共産主義革命の為にわが国を戦争に巻き込もうとする意志までは持ち合わせていなかったと私は考えている。

近衛文麿

そして終戦の6ヶ月前の昭和20年(1945)2月14日に、近衛は自らの責任を痛感してか、次のような上奏文を昭和天皇に捧呈している。この上奏文が戦後の歴史書やマスコミなどで紹介されることは皆無に近いのだが、このような第一級史料を隠そうとするのは何故なのであろうか。
今回はポイントとなる部分だけの紹介となるが、全文はWikipediaにあるので、是非一度は先入観なしに読んで頂きたいと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E6%96%87

まず、近衛は「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」と述べ、これからもっとも憂うべきことは「敗戦よりも敗戦に伴うて起こることあるべき共産革命に御座候」と書き、世界の情勢についてこう記している。

「つらつら思うに我が国内外の情勢は今や共産革命に向って急速度に進行しつつありと存候。即ち国外に於てはソ連の異常なる進出に御座候。我が国民はソ連の意図は的確に把握し居らず、かの一九三五年人民戦線戦術即ち二段階革命戦術の採用以来、殊に最近コミンテルン解散以来、赤化の危険を軽視する傾向顕著なるが、これは皮相且安易なる見方と存候。ソ連は究極に於て世界赤化政策を捨てざるは最近欧州諸国に対する露骨なる策動により明瞭となりつつある次第に御座候。」

少し補足すると、スターリンは1943年の6月にコミンテルンの解散を決定しているのだが、その理由は、従来の資本主義諸国の中にソ連共産党がコミンテルンを通じて共産主義革命を起こすように仕組んでいると警戒していた原因を除去する必要があると判断したものと考えられる。しかしながらソ連は世界共産化の政策を放棄したわけではなく、近衛はユーゴやポーランド、ルーマニアなどの欧州の事例を挙げて、その事はわが国においても同様だと説いている。

野坂参三

「現に延安にはモスコーより来れる岡野*を中心に日本解放連盟組織せられ朝鮮独立同盟、朝鮮義勇軍、台湾先鋒隊等と連絡、日本に呼びかけ居り候。かくの如き形勢より押して考うるに、ソ連はやがて日本の内政に干渉し来る危険十分ありと存ぜられ候(即ち共産党公認、ドゴール政府、バドリオ政府に要求せし如く共産主義者の入閣、治安維持法、及防共協定の廃止等々)翻て国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件日々具備せられゆく観有之候。即生活の窮乏、労働者発言度の増大、英米に対する敵愾心の昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、之に便乗する所謂新官僚の運動、及之を背後より操りつつある左翼分子の暗躍等に御座候。右の内特に憂慮すべきは軍部内一味の革新運動に有之候。
*岡野: 当時中国の延安で活動していた野坂参三(変名・岡野進)。後に日本共産党議長。(上画像)

このように近衛はわが国で共産革命が達成する条件が日々整いつつあると指摘し、特に憂慮すべきは「軍部内の一味の革新運動」だと述べている。

「少壮軍人の多数は我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにありと存じ候。職業軍人の大部分は中流以下の家庭出身者にして、其の多くは共産的主張を受け入れ易き境遇にあり、又彼等は軍隊教育に於て国体観念だけは徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は国体と共産主義の両立論を以て彼等を引きずらんとしつつあるものに御座候

抑々(そもそも)満洲事変、支那事変を起し、之を拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは是等軍部内の意識的計画なりしこと今や明瞭なりと存候。…

是等軍部内一味の革新論の狙いは必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部新官僚及民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図を包蔵し居り、無智単純なる軍人之に踊らされたりと見て大過なしと存候。

此事は過去十年間軍部、官僚、右翼、左翼の多方面に亘り交友を有せし不肖が最近静かに反省して到達したる結論にして此結論の鏡にかけて過去十年間の動きを照らし見る時、そこに思い当る節々頗る多きを感ずる次第に御座候

不肖は此間二度まで組閣の大命を拝したるが国内の相克摩擦を避けんが為出来るだけ是等革新論者の主張を容れて挙国一体の実を挙げんと焦慮せるの結果、彼等の主張の背後に潜める意図を十分看取する能わざりしは、全く不明の致す所にして何とも申訳無之深く責任を感ずる次第に御座候。」

226事件2

このように近衛は日中戦争を拡大させてわが国を第二次世界大戦に導いたのは軍部内の革新勢力であり、彼等が意識的に共産革命まで引き摺り込もうとしたと述べ、二度にわたる組閣の大命を拝しながら、彼等の意図を見破れなかった自分が迂闊であったことを昭和天皇に詫びているのである。

「昨今戦局の危急を告ぐると共に一億玉砕を叫ぶ声次第に勢を加えつつありと存候。かかる主張をなす者は所謂右翼者流なるも背後より之を煽動しつつあるは、之によりて国内を混乱に陥れ遂に革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居り候。
一方に於て徹底的に米英撃滅を唱うる反面、親ソ的空気は次第に濃厚になりつつある様に御座候。軍部の一部はいかなる犠牲を払いてもソ連と手を握るべしとさえ論ずるものもあり、又延安との提携を考え居る者もありとの事に御座候。以上の如く、国の内外を通じ共産革命に進むべき、あらゆる好条件が日一日と成長しつつあり、今後戦局益々不利ともならば、この形勢は急速に進展致すべくと存候。」

戦後のわが国の歴史叙述では軍国主義者が暴走して戦争に突き進んでいったと記されるところだが、近衛は共産分子が革命を成就するために国民を煽動していると書き、軍部に於いてはソ連や中国共産党と提携すべきである論じる者がいると述べている。戦後のわが国で拡げられた歴史叙述はとはほとんど真逆のことを記しているのだ。
この点については、これまでこのブログで終戦工作や対ソ交渉を立案した大本営参謀が共産主義者であったことや内閣の中心メンバーにもソ連に繋がる者がいたことなどを書いてきたとおりで、近衛の記述を裏付ける史料が多数存在していることを知るべきである。

近衛はさらに、敗戦必至の戦争をこれ以上継続することは共産党を利することになるだけであり、一日も早く終戦の方途を講ずべきであるのだが、最大の障碍は軍部内の革新勢力であり、彼等を一掃しなければならないと説いている。

そして最後に、「此の一味を一掃し、軍部の建て直しを実行することは、共産革命より日本を救う前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく存奉候。」と結んでいるのだ。

柴田氏の『戦後マスコミ回遊記』では近衛上奏文についてこう評している。

それは余りにも遅すぎた。指摘通り、投げられたサイの目は、誰の目にもすでに敗戦、破局をハッキリと明示していた。泣いても、訴えても、今さらどうしようもない時点だった。それにしても、コミンテルンの二段革命論にはまり込み、この国がまさに革命の巌頭に立たされていることに気づいただけでも、この告白的上奏文の持つ史的意義は大きかった。だまされ、利用され続けてきた、かつての青年マルキストなればこその覚醒だったと言える。遺憾ながら、このような元総理の上奏文が出たなどということは、当時ではだれ一人知る者とてなかった。(ただ軍部だけはこれを察知し、この上奏文に関係した者として、後の首相吉田茂氏を憲兵隊に留置し、告白させようとしたが、吉田氏は頑として口を開かなかった。筆者は岩淵辰雄さんだった。)
 それは戦後、近衛が巣鴨入りをいさぎよしとせず、服毒自殺したあと、ちょうど三田村論文*を知ったあとだったと思うが、初めて公表され、識者に衝撃を与えた。」(『戦後マスコミ回遊記』p.44-45)
*三田村論文:三田村武夫著『大東亜戦争とスターリンの謀略~戦争と共産主義』

近衛は、終戦直前になってようやく、日中戦争も太平洋戦争もソ連の利益のために仕掛けられたことに気が付いたのだが、戦後のわが国ではこの文書を闇に葬ろうとする勢力がわが国の中枢に存在し、軍国主義・ファシズムこそが第二次世界大戦の原因だとする歴史観が広められたのである。

この『近衛上奏文』が戦後のわが国で広く知られていたならば、わが国を敗戦に導いて共産主義革命を起こそうとした内外の勢力の存在が明らかとなり、戦後のわが国で常識となった「自虐史観」は通用しなかったに違いない。
そうなっては困る勢力が、戦後の長きにわたり『近衛上奏文』の存在を隠蔽し、マスコミや教育機関だけでなく外圧まで利用して「ソ連や中国など共産勢力にとって都合の良い歴史観」をわが国民に定着させてきたのだが、嘘で固められた歴史観は、いずれ真実を知った国民によって葬り去られる日が来るであろう。
戦争の原因が一方的にわが国にあるとする偏頗な歴史叙述が、全面的に書きかえられるのはいつのことなのか。

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【ご参考】このブログでこんな記事を書いてきました。よかったら覗いてみてください。

尾崎秀実の手記を読めば、第二次世界大戦の真相が見えてくる
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-280.html

ゾルゲ、尾崎らが一斉検挙に至った経緯について
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-281.html

尾崎・ゾルゲらの一斉検挙とその後
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-282.html

昭和初期以降、わが国の軍部が左傾化した背景を考える
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-410.html

ロシア革命後、ソ連はいかにして共産主義を全世界に拡散させたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-411.html

日本共産党が軍を工作するために制作したパンフレットなどを読む
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-412.html


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Comment
近衛の孫の細川護煕が、首相就任後、先の戦争が侵略戦争だったと発言したのは、なぜでしょうか?近衛上奏文を知らなかった?出身校の上智大学で洗脳された?自分を首相にしてくれた勢力へのリップサービス?
Re: タイトルなし
年金生活者さん、コメントありがとうございます。

細川護熙氏に聞かないと本当のところはわかりませんが、Wikipediaで調べると、上智大法学部を卒業後朝日新聞社に入っています。昭和44年に同社を退社し、衆議院に無所属で立候補し落選しますが、最初に立候補を勧めたのは日本社会党の松前重義だとのことです。
いつ頃洗脳されたかどうかはわかりませんが、自虐史観的な歴史認識の持主だと考えられます。
ありがとうございます
いつも貴ブログを拝読するのを楽しみにしております。
前回記事と今回の近衛上奏文についての記事を拝読して打ちのめされました。
これほど現代史を明瞭に解析した文献は初めてです。
よろしければ一般読者にも拡散したいのですがご許可いただけますでしょうか。

読売新聞と朝日毎日新聞の立ち位置の違いも一挙に理解できました。

近衛氏は日本人の大多数と同様の優しさから由来する何となく左翼シンパだったのでしょう。小生もごく最近の民主党政権以前まで左翼に脅威は抱いていなかったものです。細川氏は近衛上奏文のことは何も知らないのでしょう。今でも何となく親中、何となく反原発、何となく反自民党でやっているので。
Re: ありがとうございます
ネコ太郎さん、コメントありがとうございます。

私も若い頃は、左翼的な思想に染まった時期がありましたが、洗脳を解くのに随分時間がかかりました。
少しでも、多くの方に読んでいただきたいと思いながら記事を書いています。

拡散の件、もちろんOKです。とてもありがたいです。
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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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