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教皇謁見を果たしスペインに戻ると、国外退去を命じられた~~慶長遣欧使節3

1615年8月22日、遣欧使節一行はスペインのマドリードを出発してローマに向かった。

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この直前の8月1日付でスペイン国王フェリペ3世(画像)は、ローマ駐在大使フランシスコ・デ・カストロ伯爵に対し、支倉常長以下使節一行がローマ滞在中に援助をするように命じた書簡を送っている。

「…日本における奥州の王の大使が当地に参り、今その地(ローマ)へ渡航しようとしております。その重大な目的については、彼が諸君らに直接告げるでしょう。当地で協議した用件(交渉事)は、われらの主のために非常に有益であった。朕の名において彼(支倉)を助け、彼が諸君に求めることはすべて朕が非常によく奉仕したように、貴下も同様に彼らのために最も都合の良い方法で援助するように命じます。…」(「伊達政宗の密使」p.164所収)

この書簡の中で国王は支倉常長を「誠実で尊敬できる人物であり、人柄も賞賛を受けるに値し」と絶賛しているのだ。

しかしながら、同時に国王は駐ローマ・スペイン大使に宛てた書簡で次のようにも書いている。

「(ソテロや支倉が)貴下に、当地(スペイン)で拒否したことを許可するよう教皇パウロ5世に嘆願することを依頼し、もし教皇がこれを許可することがあれば、大変な不都合が生じる。いまその請願の各項目に対する(わが国の)返答を送付するので、もしこれらの諸項について教皇に請願するようなことがあったら、これを妨害せよ。これは日本におけるキリスト教の事情(迫害のこと)に鑑み、またこの施設が日本皇帝でなく奥州王の命令によって渡来したものであり、重要とは認め難いからである。」(同上書p.178-179所収)

したがって、ローマ駐在スペイン大使は使節の側面的な支援はしても、使節の使命達成のために力を尽くすことはなかったのだ。

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使節一行は1615年10月12日にイタリアのジェノバ港に到着し、翌日に共和国大統領に謁見している。そして10月25日についにローマに到着した。

使節一行はフランシスコ修道会のサンタ・マリア・アラチェーリ修道院で宿泊し、支倉とソテロはローマに到着後直ちにモンテ・カバルロのクィリナーレ宮殿にて、非公式にローマ教皇パウロ5世に謁見したという。

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この時の謁見の様子について、マドリードからこの使節に同行したローマ人歴史家のアマーティ博士の記録が残されている。

支倉常長は「…教皇の足許にひれ伏し、使節に多くの栄誉を授けられたこと、そして奥州王の名代として教皇聖下に服従と忠誠の誓いを無事にできるように導いてくれた神に対してお礼を申し上げ…」 ローマ教皇は、「使節の願いが完全に叶えられるように援助するよう努力しなければならない」と表明したものの、支倉らの要求に対しては即答を避けたとのことである。

10月29日に遠来の使節一行を歓迎する入市式で、軽騎兵を先頭に各国の大使や貴族らが着飾って行進する中で使節一行は各人が刀や脇差を帯刀して行進した記録が残されている。

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そして、11月3日に教皇宮のクレメンス広間の右にある部屋で、使節は正式にローマ教皇聖下に謁見することになる。

そこには教皇聖下のほか、枢機卿、大司教、司教、各国の大使らが着座しており、支倉常長は日本語で言上したのち、日本語及びラテン語で書かれた伊達政宗の親書を教皇に奉呈した。

この親書で政宗は、教皇に対し、ソテロと支倉は自分の名代として、教皇聖下に服従と忠誠を誓うために
① フランシスコ会所属の宣教師の派遣要請
② 大司教区の高位聖職者の任命
③ メキシコとの直接通商交易開始を実現するための仲介
④ 政宗および領国が教皇の最高権力の下に入ること
などを請願した。

上記の請願の回答については、同年の12月27日と翌年の1月2日になされるのだが、聞き入れられたのは宣教師数名の派遣のみであった。伊達政宗の領国内に司教区を設置することは拒否され、通商交易の開始の請願については教皇としては関与することは望まず、スペイン教皇特使に命じて、スペイン国王に依頼したいとの返事であった。
また4番目の請願については、教皇は次のように述べたという記録が大泉氏の著書に出ている。

「聖霊の御恵みによって貴殿(政宗)が生まれ変わり、イエズス・キリストを頭と仰ぎ、その境界に属することにより、ローマ教皇座より御子キリストにおいて最も愛する諸王に与える、恩恵及び厚遇を貴殿に与え、貴殿並びに貴殿の領国を私の聖ペトロの保護のもとに置きましょう。」(同上書p.183-184所収)
つまり、政宗が洗礼の秘跡を受けてキリスト教の信者にならずして、政宗とその領国をローマ教会の配下に置くことは認められないということだ。前々回の記事で紹介したとおり、政宗は親書の中で、「私はキリシタンになりたいと思うに至ったのですが、今のところ、どうしてもそうすることのできないような、差し障りになる事情があるため、まだ、そうするまでに至っておりません。」と書いていた点を突かれたのだ。

使節一行はローマに75日間滞在したが、期待した成果をほとんど得ることなく1616年1月7日にローマを去り再びスペインに向かったが、ようやくスペインに戻るとインディアス顧問会議から国外退去の勧告を受けている。

1616年7月5日付の交易裁判所から国王宛の書簡に次のようなものがある。
「…奥州王の大使が、(アンダルシア管区の)聖フランシスコ修道会のロレート修道院に居座ってしまっていた知らせを受けた。直ちに、当市に滞在していたフライ・ルイス・ソテロに対し、私、裁判長が奥州王の大使が留まることに不都合があると警告した。」(同上書p.201所収)

しかし、帰国を迫られたソテロと支倉は、政宗との密約を何も果たさずに仙台には帰れないと考え、国王陛下からの書状なしでは乗船できないとして、この修道院に約一年間留まったのだ。

1617年6月13日、インディアス顧問会議は支倉に対して強制的な国外退去を命じたが、支倉の執念によりその3日後にソテロが選任したフランシスコ会修道士8名を派遣することに合意し、政宗の「申合条々」(協約案)に関しては、一行がフィリピンに着いたときにソテロに返書を渡す確約をとった。これ以上スペインに留まっても意味がないことを悟った一行は、7月4日にセビリャから帰国の途に就いたのである。

翌年6月に使節はフィリピンに到着しここで約2年滞在し、滞在中にスペイン国王から政宗に宛てた返書を受け取ったのだが、この返書は儀礼的なもので、政宗が要望した点について具体的な回答はなかったという。

1620年8月26日、使節一行はマニラを離れ7年ぶりに長崎に向かうのだが、ソテロはフィリピンにとどまらざるを得なかった。ガルシア・セラノ・マニラ大司教がソテロの日本帰還を認めなかったためだ。

ソテロが日本に帰れなかったのは、イエズス会の宣教師ジェロニモ・アンジェリスが1617年11月28日付のイエズス会総長に宛てたソテロ批判の書簡が大きく影響したという。そこにはこう書いてあった。

「ソテロ師は使節に己の欲することを言わせたのであり、すべては天を騙したのである。何となれば、政宗は決して使節を教皇とスペインに派遣することを夢見たのではなく、彼が望んだのは船をメキシコに遣わすことだったからである。…ソテロがこの使節により求めていたのは日本の大司教座と大司教(のポスト)を得ることであった。しかし、彼にとって、事はうまく運ばず、彼らの代理人たちを(ヨーロッパへ)派遣したことにより彼の計略は露見した。彼が二度と日本に戻らぬことをデウスが嘉し給わんことを。なぜなら、もし彼が(再び)来たならば、我らを大いに不快にさせ、我らが常に訴訟を携えねばならなくなるからである…」(同上書p.212-213所収)

ところで、ソテロを批難する記録の多くはイエズス会によるものである。
ソテロはフランシスコ会の宣教師だが、使節に関し多くの書簡をスペイン国王やローマ教皇宛てに送ったアンジェリスやインディアス顧問会議の中心メンバーはイエズス会であった。 当時、フランシスコ会とイエズス会が対立関係にあったことをある程度割り引いて考える必要があるのだが、そもそもソテロという人物は信頼に足る人物であったのだろうか。

ソテロは日本語もラテン語もスペイン語も使いこなすことができたのだが、使節の日本人にソテロの翻訳が正しいかどうかを的確に判断する能力のある人物がいなければ、ソテロにすれば、二枚舌や三枚舌を使って政宗やスペインを騙してうまく立ち回ることが容易だったという見方もできるだろう。

しかし、もし彼がイエズス会が描いたような詐欺師のような人物だとすれば、1622年に命の危険を冒してフィリピンを脱出し、長崎に密入国したことをどう解釈すればよいのだろうか。

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  【支倉常長像:ボルゲーゼ宮】
ルイスソテロと支倉常長
  【ソテロと支倉常長:キリナーレ宮】
また日本人の中で最初に西洋で油絵の肖像画を描かれたのは、ローマで描かれた支倉常長で、この絵はボルゲーゼ宮という17世紀の代表的な宮殿に飾られているのだ。さらにソテロと支倉常長が談笑しているところを描いたフレスコ画は、当時の法王の居城で今は大統領官邸であるキリナーレ宮に描かれている。支倉やソテロという人物に敬意なくしてこのような絵が格式の高い宮殿で制作されるだろうかとも思えるし、ひょっとすると国王や法王は二人を評価していたが、日本におけるフランシスコ会の勢力拡大を阻もうとするイエズス会の妨害により、話が進まなかった可能性も考えられるのだ。

つまるところ「慶長の遣欧使節」はソテロという人物をどう見るか、イエズス会の記録をどう読むかで、評価が全く異なることになってしまう。

次回は、その後江戸幕府はどう動き伊達政宗はどう対応したか、ソテロや支倉常長はその後どうなったかなどを書くことにしたい。(つづく)
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