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新緑の書写山・円教寺と、その「奥の院」と呼ばれる弥勒寺に残された神仏習合の世界

姫路城を楽しんだ後、西国三十三ヶ所の第二十七番札所である円教寺に向かう。

この寺は標高371mの書写山(しょしゃざん)の山上にあり車で行くことは出来ないので、カーナビの目的地を書写山ロープウェイ(079-266-2006)にセットする。姫路城の大手門前駐車場から15分程度で山麓駅のパーキングに到着する。

円教寺境内

書写山ロープウェイは、毎日8時30分以降、毎時0分、15分、30分、45分に出発するが、団体客がある時などはたまに増発される。
山上駅の近くにある「慈悲の鐘」から本坊寺務所の近くまでバスも出ているが、ここから摩尼殿までは歩きやすい道が1km程度続いているので、小鳥の囀りを楽しみながら歩いて参詣することを勧めたい。

円教寺 仁王門

山上駅から600mほど進むと仁王門(兵庫県文化財)がある。門の入口の扁額には「志ょしゃ寺」と書かれているが、この寺の創建当時はこの寺を「書写寺」と称していたそうだ。

性空上人像

ここで、この寺の歴史を簡単に振り返っておこう。
九州での修行を終えた性空(しょうくう)上人が、康保3年(966)年に新たな修行の地を求めて書写山に入山し、山内の西の谷に草庵を結んだとされている。
その後、上人の名声が都まで届くようになり、寛和2年(986)には花山法皇が参詣されて、法皇より「圓教寺」の寺号を受け、勅願寺の待遇を与えられたという。
そして永延元年(987)には講堂が完成し、比叡山から名だたる高僧を招いて盛大な落慶法要が営まれ、その後も数々の堂塔が整えられて、承安4年(1174)には後白河法皇が参籠するなど圓教寺は「西の比叡山」と呼ばれて栄えていくのだが、元弘元年(1331)3月の落雷による火災で大講堂、常行堂、五重塔などを焼失してしまう。
その後再建されたのだが、戦国時代に入り羽柴秀吉がこの書写山を軍事拠点としたことから、多くの僧が僧坊を追われ、この時期に多くの寺宝が持ち去られたという。

円教寺 湯屋橋

ロープウェイ山上駅から12分程度歩くと「湯屋橋」という石橋がある。そこにある案内板にこう解説されている。

「…本多忠政は元和3年(1617)に池田光政転封のあと姫路城主となり、元和6年(1620)書写山に参詣してその荒廃に驚き、一門・家臣・城下で寄進を募り復興に尽力し、湯屋橋もこの時再興された。書写山の荒廃は天正6年(1578)三木城の別所長治離反に対し羽柴秀吉が当地に要害を構え布陣したことによる
 湯屋橋の名はこの辺りに湯屋(沐浴所)があったことにちなむ…」

かくして江戸時代に入って円教寺は以前の荘厳さを取り戻し、西国三十三ヶ所の第二十七番札所として賑わうようになるのだが、明治維新後に神仏分離令が出され、大幅に寺の収入が失われたために多くの僧侶が寺を去ったという。しかしながら、寺の建物や仏像等、多くの文化財が護られて今日に残されているようだ。

円教寺 摩尼殿

湯屋橋を渡ると崖の上に摩尼殿(まにでん:国登録有形文化財)が聳え立つ。
摩尼殿の号は承安4年(1174)に参詣した後白河法皇によるもので、「摩尼」とは梵語で「如意」を意味するのだそうだ。法皇は摩尼殿の御本尊が如意輪観音なのでそう名付けたのであろう。
この御本尊は秀吉の播磨制圧の際に、他の寺宝とともに近江の長浜に持ち去られたのだが、天正8年(1580)に、長浜より如意輪観音像だけが戻されたと記録されているそうだ。

円教寺 摩尼殿 構造

この摩尼殿は舞台造りの素晴らしい木造建築物で、旧堂が大正10年(1921)12月に焼失したあと再建に着手され、昭和8年(1933)に落慶している。

案内板には「設計は近代日本を代表する建築家の一人である武田五一が設計し、大工棟梁家の伊藤平左衛門が請負った。」とあるが、このような木造建築を造る伝統技術が今もしっかり承継されているのだろうか。こんなに太い木材を用いて釘を一本も使わずに建てられたことはすごいことだと思う。

円教寺 摩尼殿内部

上の画像は摩尼殿の内部を撮ったものだが、この建物が昭和時代に再建されたものとはとても思えなかった。

円教寺 摩尼殿新緑 2

円教寺は兵庫県の紅葉の名所として有名な場所だが、新緑の摩尼殿もなかなか美しい。

円教寺 三つの堂

摩尼殿から三之堂(みつのどう:大講堂、食堂、常行堂がコの字状に並んでいる)に向かう。摩尼殿から歩いて5分くらいで到着する。

円教寺 大講堂

上の画像は北側にある大講堂(国重文)で、下層は永享12年(1440)に、上層は寛正3年(1462年)に建造され[、文明年間(1469~1487)に全体が整備されたという。内陣には釈迦三尊像(国重文)が安置されている。

円教寺 常行堂

上の画像は南側にある常行堂(国重文)で、寺伝によれば元弘年間(1331~1334年)に建立され、永享8年(1436)の焼失後、享徳2年(1453)に再建されたという。本尊は阿弥陀如来(国重文)で、僧侶が常行三昧をするための道場であったという。舞台は、大講堂の釈迦三尊像に舞楽を奉納するために設けられたのだそうだ。

円教寺 食堂 常行堂

西側にあるのが食堂(じきどう:国重文)で、承安四年(1174)に創建されたものである。わが国の近世以前の仏堂建築でこのように長大かつ総二階の建物は他に例がないという。この建物は映画『ラスト・サムライ』で渡辺謙演じる勝元の住居という設定でロケが行われた場所なので、見覚えのある方が多いのではないだろうか。

この食堂の2階は宝物館になっていて、食堂本尊の僧形文殊菩薩像ほか五大明王像、薬師如来像等の仏像や、弁慶の机、姫路城の瓦などの貴重な文化財が多数展示されている。

円教寺 旧大日堂仏像群

その中で「旧大日堂仏像群」という16体の破損仏が目にとまったので紹介したい。
この破損仏については、こう解説されていた。
「制作年代 10~11世紀
 所有者  姫路市夢前(ゆめさき)町糸田自治会
 姫路市夢前町糸田地区の大日堂に安置されていたもの。大日堂は廃仏毀釈を免れるため、糸田村の所有とすることで、周辺の諸仏も守ることができ、現存に至った
 しかし昭和30年代に大日堂は維持困難となり、仏像群は公民館に移され建物は取り壊された。さらにその公民館も平成12年老朽化に伴い処分が決定した。その際、旧夢前町教育委員会、兵庫県立歴史博物館、早稲田大学により調査後、同町内法界寺に安置されることとなったが、横たえた状態であった。
 そして平成18年、ようやく早稲田大学櫻庭祐介氏のご尽力により、保存修復により個々自立できようになり、祈りの対象としての姿を取り戻した。そして一時、円教寺に奉安することとなったのである。
 歴史をくぐり抜けてきた仏像群を皆さまの目にふれる形で展示することができ幸いである。」

せっかく廃仏毀釈による破壊を免れたのに、保存環境が悪かったために朽ち果てて原型を留めていないことは残念なことである。
木造仏は加工しやすい利点はあるが、傷むのが早いことを知らねばならない。

円教寺 開山堂

食堂から2分ほど歩くと、奥の院があり開山堂(国重文)、護法堂(国重文)、護法堂拝殿(国重文)がある

円教寺 開山堂 左甚五郎 力士彫刻

開山堂の軒下の四隅に、屋根の重みを顔をしかめて支えている力士の像がある。これは、江戸時代の名工・左甚五郎の作と伝えられているのだが、なぜか北西の隅には像がない。

円教寺 護法堂

開山堂の右にある護法堂は、乙天(不動明王)、若天(毘沙門天)の二人の童子を祀る神社で、永禄2年(1559)に再建されたものだが、円教寺ではこのように神仏習合の景観が今も残されているのだ。

以前このブログで、播磨の朝光寺や浄土寺や鶴林寺に神仏習合の風景が残されていることを記したことがある。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-357.html

江戸時代最後の大老が姫路藩の酒井忠績だったこともあって、播磨では明治新政府の政策に非協力的だったのかもしれないが、「旧大日堂仏像群」を見てもわかるように播磨の諸寺に対して新政府から「廃仏毀釈」を迫る圧力があったことは確実で、次のURLでは加古郡では27ヶ寺が廃寺に追い込まれたことが記されている。
http://blog.goo.ne.jp/hirokazu0630/c/df3e9d585cb4f9aa400a37aff1bd8f83/4


圓教寺 3つの堂 播磨名所巡覧図会

文化元年(1803)に出版された、『播州名所巡覧図会』五巻にその頃の円教寺の三つの堂と奥の院が描かれた図がある。この絵を見ると、今の円教寺は文化年代の伽藍配置とほとんど変わっていないことが見てとれる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563457/35

円教寺がこれらの堂宇や仏像などを廃仏毀釈で破壊される危険から護ることに、様々な苦労があったと考えるのだが、その点に関しての当時の記録はネットでいろいろ検索しても見つけることができなかった。

円教寺 鐘楼

開山堂の近くには他にも鐘楼(国重文)、金剛堂(国重文)、十妙院(国重文)があり、ロープウェイ山上駅から摩尼殿に向かう途中には壽量院(国重文)があり、書写山全体が文化財の宝庫なのである。
壽量院では4月から11月の間、書写塗りの食器で精進料理をいただけるのだそうだが、3日前までに5人以上の予約が必要だという。
『食べログ』のコメントを読むと、精進料理は5400円のコースと10800円のコースの2つがあり、季節によって特別料理のそば御膳(3500円)が準備されるという。一度でいいからこういう場所で食事をしたいものである。
http://tabelog.com/hyogo/A2805/A280501/28023379/dtlrvwlst/6290858/

書写山を下りて、書写山・円教寺の奥の院と言われている弥勒寺(079-335-0330)に向かう。ケーブルの山麓駅から約10kmで、20分ぐらいで到着した。

弥勒寺

弥勒寺は、円教寺を開山した性空上人が長保2年(1000)に隠棲の地として草庵を営まれたのが始まりとされ、花山法皇が上人の徳を慕い長保4年(1002)に行幸され、勅命により播磨国司巨智延昌(こちのえんしょう)に諸堂を建てさせて、以後弥勒寺と呼ばれるようになったと伝えられている。

弥勒寺 本堂

本堂(国重文)は天授6年(1380)に赤松義則(よしのり)が建立したもので、本尊の弥勒仏(国重文)は長保元年(999)に安鎮が制作したと伝えられているのだが、普段は公開されていないので仏像を参拝することはできなかった。次のURLに本堂内部のレポートがあるが、予約すれば案内していただけたのかもしれない。
http://blogs.yahoo.co.jp/teravist/32993620.html

弥勒寺 開山堂

開山堂には性空上人の尊像が安置されていて、その厨子は県の重要有形文化財に指定されている。またその横には、鎌倉時代に制作された性空上人の供養塔がある。

弥勒寺 護法堂

また、円教寺と同様に護法堂があり、乙天(不動明王)、若天(毘沙門天)の二人の童子を祀る神社がある。風雨にさらされて傷まないように覆い屋で守られていたが、いずれも姫路市文化財に指定されている。

規模は小さいものの、このように多くの文化財を保有する古刹であるのだが、普段は拝観が出来ない様なので、ほかには観光客は誰もいなかった。
東大寺や清水寺のように観光客の多い寺社は収入面では問題ないのだろうが、地方には多くの文化財を持ちながら観光客がほとんど来ない寺社が少なくない。
もちろん寺社には観光収入以外に宗教活動に伴う収入があるのだが、その肝腎な部分の収入が先細りになっているケースが少なくないのが問題である。

高度成長期以降、地方で働く場が失われて若い世代が都心に移住したまま故郷に戻らないために、地方の多くは過疎化・高齢化が進行するばかりで、それまで地方の寺社を支え、間接的に文化財を支えてきた檀家や氏子のほとんどが年金生活者と化してしまっている。

このような状態をいつまでも続けば、いずれは地方の文化財を護ることが難しくなり、地方の伝統文化や地域の魅力が失われていくばかりではないか。そのことは長い目で見れば、わが国全体の観光価値を低下させることにもつながるのだと思う。

以前このブログで記したが、国や地方の文化財指定があっても、修理に必要な費用の何割かは自らが工面しなければならない。しかも文化財の価値を減じることのないように、昔と同様の建築工法で修理しなければならず、そのために結構な資金を用意する必要があるのだ。

今の文化財保護法では地方の文化財は守れない。この法律では、大手建設業者やセキュリティサービス業者は潤っても、寺社は逆に富を吸い取られることになりはしないか。

文化財を守るために一番大切な事は、これらの文化財を代々大切に守ってきた人々が、地元で普通の暮らしができる環境を整えることではないのか。
若い世代が地元に残って生活が出来ない地方に未来はなく、地方の経済を活性化させて若い人が戻って来る経済施策こそが、地域の文化財を守り、地域の伝統文化を後世に繋いでいくために必要なことなのだと思う。

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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。
よかったら、覗いてみてください。

聖徳太子の時代に建てられた寺院がなぜ兵庫県にあるのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-286.html

播磨の古刹を訪ねて~~~聖徳太子ゆかりの斑鳩寺と随願寺
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-287.html

播磨の国宝寺院の神仏習合の景観を楽しんで~~朝光寺・浄土寺
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-357.html

但馬安国寺の紅葉と柏原八幡神社の神仏習合の風景などを訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-289.html

日本百名城の一つである小諸城址から龍岡城跡、新海三社神社を訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-401.html



関連記事
Comment
素晴らしいですね
こんばんは。いつもお世話になっております。
書写山、しばやんさまの解説と画像で拝見すると素晴らしさが増しますね。

一昨年3月に訪問した際は、破損仏は食堂二階の床の上に置かれておりましたが、今は展示ブースに納められているのですね。安心しました。
ちょうど護法堂が修復工事中で解体されておりまして。開山堂と鳥居&狛犬の光景、見たかったなぁ。

力士さん、困ったような顔をしたこの子が一番かわいかったので私も写真におさめました。うふふ。

三之堂は圧巻ですが、薬師堂等の風情も素晴らしいなぁと思います。

弥勒寺、気になります。播磨の史跡巡りの際に参りたいと存じます。ありがとうございました。

Re: 素晴らしいですね
つねまるさん、いつもありがとうございます。

以前から円教寺に行きたいと思っていながらようやく念願が叶いましたが、もし一昨年に訪問していたら修復工事中だったのですね。ちょっとラッキーな気分になりました。

円教寺はすごくいいところですね。今度は秋の紅葉時期に訪れたいです。そのときに精進料理もチャレンジしたいところです。

弥勒寺は、予約して本堂の中に入って平安仏を観賞したいところです。思った以上に小さな寺でしたが、歴史を存分に感じさせてくれる場所です。
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京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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