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後南朝の皇子にまつわる川上村の悲しい歴史と土倉庄三郎

松尾芭蕉の門弟の支考が吉野を詠んだ句に、
「歌書よりも軍書に悲し吉野山」
という作品があるのだそうだが、句中の「軍書」は『太平記』のことで、「軍書に悲し」とは、南北朝時代に吉野山で多くの若武者達が戦いに敗れて死去したことを意味しているという。
『太平記』が記しているのは2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任した貞治6年(1368)までだそうだが、吉野の悲しい歴史がそれで終わったわけではない。

教科書には何も書かれていないのだが、明徳3年(1392)に南北朝が合一されて平和が訪れたわけではなく、南朝の皇統の子孫は反幕勢力に担がれて、南北朝の争いは応仁の乱(1467)に至るまで何度も続いたというのが真実である。南北朝合一後に、南朝の再建を図った皇統の子孫や遺臣による南朝復興運動とそれによって樹立された政権、皇室のことを「後南朝」という

前回の記事で書いた土倉庄三郎の住んでいた吉野郡川上村には、若くして命を奪われた後南朝の皇子の悲しい歴史が残されている。庄三郎の座右の銘である「守不移(移らないことを守る、他所へは移らない)」は、このような川上村の歴史と決して無関係ではないのだろう。

最初に後醍醐天皇の時代から後南朝の歴史を簡単に振り返っておこう。

後醍醐天皇

元弘3年(1333)に後醍醐天皇は鎌倉幕府を打倒したのち、天皇親政の理想のもとに、翌年に年号を建武と改めて、公武両政治を折衷したような政治を目指そうとした(建武の新政)のだが、討幕に協力した御家人たちは所領の増加や地位の向上を望んでいたものの充分に叶えられたわけではなく、新政に対する不満が次第に高まっていった。

建武2年(1335)に北条高時の子である時之が関東で起こした乱(中先代の乱)の鎮圧のために鎌倉に向かった足利尊氏は、これを機会に武家政治の再興をはかろうとして新政府に反旗をひるがえした。朝廷は尊氏追討のために新田義貞を遣わしたが、尊氏は新田軍を破り、翌延元元年(1336)に京都に攻めのぼったのである。

これに対して、奥州から北畠顕家らが尊氏を追撃して九州に追いやったのだが、尊氏は九州の兵力を纏めて東上し、湊川で楠木正成を破り、ふたたび入京して持明院統の光明天皇をたて、建武式目を定めて、京都に幕府を開いている。

後醍醐天皇は京都を脱出して吉野山に逃れ、政権は吉野と京都に分立することとなった。吉野におかれた朝廷を南朝、京都の朝廷を北朝と呼び、後醍醐天皇の建武の新政はわずか3年で崩壊してしまった。

吉水神社南朝皇居

後醍醐天皇に味方することは、足利幕府の怒りを買って平和な吉野が戦乱に巻き込まれることを怖れる声もあったようだが、太平記巻十八によると吉水院の住職であった宗信法印が蔵王堂に300人余りを集めて説得し、後醍醐天皇を迎え入れたという。上の画像は吉水神社(旧・吉水院)書院(国重文)の中の後醍醐天皇の玉座と伝えられている間である。

しかしながら後醍醐天皇は、延元4年(1339)に夏風邪をこじらせて病床につかれ、肺炎を併発されて看病の甲斐なく8月16日についに崩御されてしまう。

玉骨(ぎょっこつ)はたとえ南山(なんざん)の苔に埋もるとも、魂魄(こんぱく)は常に北闕(ほっけつ)の天を望まむと思ふ

という天皇の遺言が残されている。玉骨は天皇の肉体、魂魄は天皇の魂を、南山は吉野山、北闕は京都をさしている。後醍醐天皇は、この地に留まりながらもいつかは京都に帰るという思いをずっと抱いておられたのである。

南北朝系図

後醍醐天皇の崩御のあと、南朝の有力武将が次々と戦死し、貞和4年(1348)には四條畷の戦いで楠木正成の子、楠木正行、正時兄弟が足利方の高師直の軍勢に討ち取られている。
さらに高師直は吉野にも軍勢を進めたため、南朝の後村上天皇は賀名生(あのお:奈良県五條市)へ逃れた。高師直の軍勢は吉野行宮に火を放ったが、風に煽られ蔵王堂はじめ多くの寺院宝塔が焼け、灰燼に帰したという。

かくして北朝方が圧倒的優位に立ったのだが、今度は足利直義と高師直との対立が表面化し、観応年間には観応の擾乱とよばれる幕府の内紛が起きている。
政争に敗れた直義は南朝に帰順し、山名時氏など守護の一部も南朝に属して戦い、京都争奪戦が繰り広げられて南朝は息を吹き返すことになる。

こんな具合に南北朝の争いは50年以上に及んだのだが、明徳3年(1392)には楠木正勝が敗れ河内千早城が陥落するなど南朝を支持する武士団が潰走して、南朝は吉野周辺や一部地方に追い込まれ、北朝方優位は決定的なものとなった。
第三代将軍足利義満は、明徳の乱で勝利したのち、南朝との本格的交渉を開始し和睦を成立させ、南朝の後亀山天皇は京都へ還幸して北朝の後小松天皇に譲位し、以後皇位を交代で承継することで和約し、三種の神器を差し出して明徳3年(1392)に南北朝が統一されたことはどこの教科書にも書かれているのだが、その後北朝の後小松天皇は南朝の後亀山天皇との約束を一切守らなかった。
南北朝統一後は、大覚寺統(北朝)と持明院統(南朝)が交互に天皇の位につく(両統迭立[りょうとうてつりつ])という約束であったのに、後亀山殿は皇太子すら立てることもできなかったし、南朝は国衙領を支配しても良いという約束も守られなかった
という。

北朝が南朝との約束を反故にして皇位を独占したために、それからも南北朝の対立は続いたのである。
山深い吉野の地にはその後も南朝の皇子を援けてきた歴史があり、そのことを村人は「誇り」としてきたのだが、このような史実を学ぶ機会は今までほとんどなかったと言って良い。そしてその歴史の舞台となるのが、前回の記事で紹介した土倉庄三郎の住んでいた吉野郡川上村なのである。

樹喜王 土倉庄三郎

先日開催された『土倉庄三郎翁没後100年記念式典』で基調講演をされた田中淳夫氏の著書に、後南朝の歴史と川上村との関係がよく解る記述があるので引用させていただく。

「しかし、後小松天皇は皇太子に弟(後の称光天皇)を立てた。そのため1410年、後亀山殿は隠棲していた嵯峨野から密かに吉野に戻る挙に出た。その後の彼の血統を後南朝と呼び、二朝並立が繰り返されたのである。
後南朝は、時の政権に不満を持つ勢力に担がれることで、一定の勢力を保ち続けた。1443年9月に、北朝の後花園天皇の内裏を襲撃し、三種の神器のうち神璽(しんじ:勾玉[まがたま])を奪取する『金闕(きんけつ)の変』を起こす。同年、後亀山殿の曾孫(そうそん)の尊義王が亡くなり、その子、尊秀王*(自天王)と忠義王が皇胤(こういん)を継いだ。彼らは川上郷に分散して居を構えた。
とろが赤松家の旧臣が神璽の奪還をめざして川上郷に潜入した。当時赤松家は断絶していたが、旧臣たちは神璽の奪還で武功を上げ再興を果たそうとしたのだ。
1457年(長禄元)12月2日の大雪の夜、彼らは18歳の尊秀王と12歳の忠義王が滞在していた御所を8人で襲い、2人を惨殺して首を取り、神璽を奪った
。(この経緯は赤松側の資料による。川上村の伝承では、忠義王は病没したとある。)
川上郷の民は、彼らを追跡し、雪に阻まれて脱出が遅れていた旧臣たちを格闘の上に倒し神璽と皇子の首を取り戻す。そして村人は尊秀王の首を金剛寺に葬ったという。
この事件を『長禄の変』と呼ぶが、追跡に関わった郷民が『筋目(すじめ)』と呼ばれる血筋となる。土倉家は、とくに少ない一番筋の系譜だったという。
なお取り戻した神璽は、東吉野の小川にある皇子の母の在所に隠したが、翌年三月末に赤松側が再び乱入して奪い取られてしまった。
奉じていた皇子が二人とも亡くなり神器も奪われた川上郷では、この年以降、皇子の鎧や兜、長刀、太刀など遺品を祀る朝拝式を執り行い続ける。それは555年の時を超えて、今も続く。近年まで朝拝式に参加できるのは、筋目だけであった。」(『樹喜王 土倉庄三郎』p.209-210)
*尊秀王(たかひでおう):地元では「自天王(じてんのう)」と呼ばれる。後世の系図によれば父は空因といわれ、空因の父は小倉宮(後亀山天皇の子)という説もあれば後聖院宮(後亀山天皇の弟の子)という説があるが、皇胤であることを疑う研究者もいる。

尊秀王系図

森林王・土倉庄三郎の先祖は『長禄の変』で赤松家の旧臣から、尊秀王の首と神璽を取り戻したメンバーのうちの一人で、代々「筋目」とされて村人から敬われてきたのである。そして川上村では、この地で若くして亡くなられた尊秀王の遺品を祀り、今も毎年2月5日に金剛寺で朝拝式が行われ、この儀式が長禄2年(1458)から558回も絶えることなく続けられているというのはすごいことである。

尊秀王遺品

この「尊秀王の遺品」は国の重要文化財に指定されており、川上村のホームページに写真付きで紹介されている。
朝拝組が代々厳重に保管してきたことによりほとんど傷んでいないようである。
普段は拝観することができないが、朝拝式の日にだけ一般に公開されるのだという。
http://www.vill.kawakami.nara.jp/n/j-03/j-03-1ran-101.htm

https://www.youtube.com/watch?v=rI4eCY8ts1E
「吉野杉と水源地の村【かわかみ】チャンネル」という動画サイトに、「後南朝・明治近代林業 川上村の歴史第3回」に朝拝式が少しだけだが紹介されている。「南朝を復活させたい」としながら夭折した皇子たちを鎮魂する厳粛な儀式であり、観光客向けのお祭りにはなって欲しくないと思う。

金剛寺本堂

この朝拝式が執り行われる金剛寺に3年前の5月に訪れた。無人の寺のようだが、境内は驚くほど綺麗に掃き清められていた。それが伝統の持つ力なのだろう。上の画像が金剛寺の本堂で、本尊に平安時代の様式の地蔵菩薩立像が祀られているという。

自天親王神社

本堂の右後方に自天親王神社があり、後南朝最後の尊秀王(自天王)とその弟の忠義王を祀っている。また本堂の左後方には忠義王の陵墓があり、境内には推定樹齢800年といわれているケヤキの大木がある。

朝拝式2

残念な事だが、川上村も過疎化・高齢化が進み、「筋目」だけで朝拝式を行う事が難しくなったために、9年前から「筋目」以外の参加も認め、川上村高原にある福源寺でも行われていた朝拝式を金剛寺一箇所に絞った上で、無形民俗文化財の指定を受けて保護されるようになったのだそうだ。次のURLに朝拝式の画像が数多く紹介されているが、かなり高齢者が多いことが誰でもわかる。100年以上前には、このメンバーの中に裃姿の土倉庄三郎がいて、もっと若い世代が数多くいたことだろう。
http://www5f.biglobe.ne.jp/syake-assi/newpage1241.html

前回の記事で記したが、庄三郎は生涯故郷の川上村を離れなかった。その理由は、林業で潤っていたこともあるのだろうが、「筋目」の中でも「一番筋」とされる血筋の家に生まれたことが大きかったのではないだろうか。

親から伝統を受け継いできた者が、もし子供や孫にそれを引き継ぐことが出来なければ、自分の代々の先祖の期待を裏切り深く悲しませてしまうことになる…。当たり前のことではあるが、「伝統を守る」ということは、地域の人々が代々大切にしてきたものを守り、その価値を減じることなく次の世代に繋ぐということを何世代にもわたって続けて行かなければできないことである。
川上村に限らず、わが国の多くの地方で文化財が守られ、地方の価値ある伝統文化が、過去何百年にも亘って承継されてきているのは、おそらく、先祖を大切にする日本人の宗教観・価値観と無関係ではないのだろう。

固有の文化や伝統を培い代々継承してきた地域は、川上村に限らず全国各地にあるのだが、グローバル化が急速に進んで地域経済が衰退したために、多くの地域でその文化や伝統を繋いできた仕組みが崩れてきている。

地域の文化や伝統は、これまではその地域経済の豊かさによって支えられてきたのだが、安価な海外製品や安価な原料を用いた代替品との競合を余儀なくされ、それまで地元の近くに数多くあった働く場所が都会資本の大企業に席巻されて多くは廃業し、あとを継ぐべき世代が収入を得るために都会に定住したまま戻ってこない。この流れを放置したままでは、素晴らしい地方の文化や伝統をどうやって後世に残すことができるのだろうか。

私には、地方に旅行しては地元の産品を買って、拙い文章でその地方の歴史などを書いて少しでも読者に伝えようと努力することしかできないのだが、少しでも地方を訪れる人が増え、ネットなどで地元の産品を産直や地元の業者から買う人が増えて、それぞれの地方の人々が次第に潤うようになってほしいと思う。

かつては豊かであり、素晴らしい伝統や文化を育んできた地方が、田舎の魅力とパワーを失わずに輝いていて欲しいし、その地域の伝統がこれからも末永く承継されていくことを祈りたい。

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【ご参考】
このブログでこんな記事を書いてきました。良かったら覗いて見てください。

祇園祭の「祇園」とは
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-14.html

戦国時代の祇園祭を見た宣教師の記録を読む
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-25.html

天神祭と大阪天満宮とあまり知られていないお寺のこと
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-18.html


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Comment
筋目
こんばんは。いつもお世話になっております。
後南朝についてもしばやん様に教えて戴いたのでした。

土倉翁が川上村から離れなかったのは、しばやん様のご指摘の一番筋であることが大きかったのでしょうね。
強烈な自負を感じますもの。

朝拝式は、お祭りではないこと。これだけは忘れてはいけないですね。
金剛寺への道を調べて、恐れおののいてまだお参り出来ておりません。動画を見て、葛藤しております。
Re: 筋目
こんばんは。こちらこそいつもお世話になっております。

後南朝は闇の歴史にされてしまって、教科書などでは完全に無視されてしまっているのですが、当時の記録が数多く残されていますので、作り話ではありません。

そうですね、以前金剛寺に行きたいと書いておられましたね。土倉翁の銅像に行かれるのなら、そんなに遠くはないので、是非立ち寄ってみてください。但し、道はかなり狭いので、運転には注意してくださいね。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了して、今ではアクセスができなくなっています。BLOGariの記事URLにリンクを貼ってある記事がもしあれば、左サイドバーの「カテゴリ」の一番下にある「BLOGari記事のURL読み替え」で対照していだければありがたいです。

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