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白山信仰の聖地を訪ねて加賀禅定道を行く

石川県白山市と岐阜県大野郡白川村にまたがる白山は、古くから山そのものを御神体とする山岳信仰の対象であったが、養老元年(717)に修験者の泰澄(たいちょう)が、白山の主峰・御前峰(ごぜんがみね)に登頂し、翌年に社を築いて白山妙利大権現を奉祀したのち、白山は遥拝の対象から修験の聖地へと変わっていく。

三馬場と禅定道

修行の起点から禅頂(山頂)に登るまでの山道を禅定道(ぜんじょうどう)と言い、修行の起点となる場所を馬場(ばんば)と呼ぶのだそうだが、平安時代になると、加賀・越前・美濃の3国に禅定道が設けられ、加賀国白山寺白山本宮を加賀馬場、越前国霊応山平泉寺を越前馬場、美濃国白山中宮長滝寺を美濃馬場としたという。

白山修験は熊野修験に次いで修験道の世界で大きな勢力となっていたが、南北朝時代に高師直が南朝の拠点であった吉野山を攻めて以降は、吉野熊野三山の入峯者が杜絶して白山修験がさらに勢力を伸ばし、全国的に白山信仰が広まっていったという。

加賀国白山寺白山本宮は加賀国一宮とされ、比叡山延暦寺の末寺として勢力を拡大するも、戦国時代に一向宗門徒によって焼き討ちにされるなどして教団勢力は衰えていったが、前田利家がこれを再興させ、以降加賀藩歴代藩主が保護したという。
越後国霊応山平泉寺のも比叡山延暦寺の末寺として勢力を拡大し、最盛期には8千人の僧兵を擁したと伝えられているが、天正2年(1574)に一向一揆の焼打ちにより全山焼失してしまった。そののち顕海によって復興が進められるも、盛時には及ばなかったという。

しかしながら、明治に入ると全国の修験道の聖地において仏教色が排除され、白山も例外ではなかったようだ。Wikipediaにはこう記されている。
明治維新による神仏分離・廃仏毀釈によって、修験道に基づく白山権現は廃社となった。三馬場のうち、白山寺白山本宮は廃寺となり、白山比咩神社に強制的に改組された。霊応山平泉寺も同様に廃寺となり平泉寺白山神社に強制的に改組された。白山中宮長滝寺は廃寺は免れたものの、長瀧白山神社と天台宗の長瀧寺に強制的に分離された。
山頂や登山道の各地に置かれていた仏像は、このとき引き下ろされて廃棄される運命にあった
。…」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%B1%E4%BF%A1%E4%BB%B0

一昨年の旅行では美濃馬場であった長瀧白山神社と長瀧寺を訪ねたのだが、今年は白山信仰の歴史と文化を訪ねて加賀禅定道から越前禅定道に抜ける旅行を計画して、先日観光してきた。今回は加賀禅定道の観光地をいくつかレポートすることにしたい。

吹田の自宅を7時過ぎに出て4時間程度で石川県白山市鶴来(つるぎ)に到着して、早目の昼食をとった。白山市鶴来は「平成の大合併」の前は鶴来町と呼ばれ、加賀平野を流れる最大の河川である手取川が造った扇状地の扇央部にあたる地域で、古い町屋が続いてなかなか風情のある町並みである。

食事をすませて、最初の訪問地である金剱宮(きんけんぐう:白山市鶴来日詰町巳118-5  ☎076-272-0131)に向かう。金剱宮は旧鶴来町の守護神で、近年は金運アップのパワースポットとして注目を浴びているという。

金剣宮1

金剱宮の案内板にはこの神社の歴史についてこう記されていた。
鶴来町の古地名は剱(つるぎ)と記し、社名また古く剱宮、剱神社と唱えた。このことは地名と社名が一致した好個の事例である。近世に至って専ら金剱宮と奉称した。
 中世以降白山七社の一に数えられ、内、白山本宮・三宮・岩本と共に本宮四社と称した。
 神仏習合時代本社は隆盛を極め、宝物殿、拝殿、講堂、宝蔵、三重塔、鐘楼、荒御前、糺宮、大行事乙剱(白山荘厳講記録)等、所謂七堂伽藍雲表に聳え、神官社僧多く剱白山の神碑と衆従と号して勢力を有した。
…」

金剱宮は神仏習合の時代に隆盛を極めて、寿永2年(1183)に木曽義仲が倶利伽羅谷合戦の大勝を奉謝して鞍置馬20頭を寄進したことや、文治2年(1186)に源義経が奥州に落ち延びる途中にこの神社に参拝したことが記録に残されているようだ。

しかしながら、金剱宮は中世を通じて白山本宮(現・白山比咩神社)と勢力を張り合い、享禄4年(1531)に起こった一向一揆の内部分裂(享禄の錯乱)のときに金剱宮は焼き払われたはずだし、明治初期の神仏分離・廃仏毀釈で仏教に関わる多くの施設が失われたはずなのだが、案内看板には一言も触れられておらず、多くの神社と同様にキレイごとだけが記されている。

金剣宮2

金剱宮社殿の背後には、県天然記念物に指定されているウラジロカシの林がある。ウラジロカシはかつて手取川峡谷をはじめ県内に広く分布していたのだそうだが、今ではほとんど見ることができなくなってしまったという。

金剱宮から2kmほど南に行くと、加賀禅定道の起点である白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ:白山市三宮町二105-1 ☎076-272-0680)がある。

この神社も奈良時代に修験者の泰澄が開いたと伝わっているが、その後天台宗系の神仏習合が行なわれ白山寺(しらやまでら)と白山宮(しらやまぐう)が併存し、比叡山延暦寺の権威を背景に勢力を拡大していき、最盛期には本殿・拝殿のほか、講堂・法華常行堂・新十一面堂・五重塔など40を超える堂塔が並んでいたという。

しかしながら加賀国では浄土真宗や日蓮宗が急速に拡がり、また文明12年(1480)の大火によって40余りの堂塔伽藍がことごとく焼失してしまい、さらに天文23年(1554)には白山が噴火して白山信仰は凋落していくのだが、正親町天皇が白山宮再興を期待する綸旨を下し、文禄5年(1596)に前田利家が現在地に白山本宮を再興させて、以後加賀藩の歴代藩主が当社を祈祷所として保護したという。

白山ひめ神社宝物館

鳥居を潜るとすぐ右に在る宝物館には、鎌倉時代の木造狛犬(国重文)や、『白山縁起』『三宮古記』『神皇正統記』(いずれも国重文)や藩主・前田家ゆかりの品々が展示されていて結構見ごたえがあった。

宝物館から表参道を歩くと推定樹齢800年といわれている大きなケヤキの木がある。この木は白山市の天然記念物に指定されていて、根元の周りは12m、樹高は42mもあるのだそうだ。

白山ひめ神社

神門を抜けると立派な外拝殿が見えてくる。その後ろには幣拝殿、本殿までが一直線に並んでいる。

明治時代初期までは裏参道に本地堂や長吏(ちょうり)*屋敷が立ち並び、白山寺の中心をなす景観があったのだそうだが、神仏分離政策によって撤去されて、今は社だけが残されている。本地堂は、白山市木津町の白山社社殿として移築されて今も残っているのだそうだ。
*長吏:神仏習合の時代は白山本宮は白山寺という寺院と一体になっており、その全体を統括する最高の位を長吏と呼んだ。

森田平次肖像

石川県は、15世紀の一向一揆以来浄土真宗が強くて、露骨な廃仏毀釈を進めることはできなかったようだが、白山信仰施設の神仏分離に対しては、門徒農民は抵抗しないと見極めて、徹底的に行われたという。石川県の神仏分離の采配を振るったのは、平田神道の理論を奉じていた森田平次という役人だそうだが、次のURLに白山本宮の仏教施設の破却が詳しく解説されている。
http://japan21.info/hakusann.html

維新直前までの白山本宮は、加賀馬場の本拠としての白山寺が中心であった。社殿のほかに白山護摩堂と呼はれた本地堂が本殿の北にあり、それを囲んで地蔵堂・長吏屋敷・大居間などが威容を誇っていた。参道手洗水の上には露座の地蔵尊が安置されてもいた。明治二年(1869)、まず本地党が石川郡林中村へ売られ、十一面観音はじめ諸仏像や仏画類は金沢の真言寺院波着寺などへ移された。地蔵堂は破壊、長吏屋敷も地元の農民に解き売りされ、跡は水田となる。そのはかの仏像・仏画・経典や鐘楼・梵鐘・鰐口など、仏教臭をとどめるものはすべて惜しげもなく破却されてしまったのである。」

鳥越城跡案内図

白山比咩神社をあとにして、鳥越城跡に向かう。鳥越城は織田信長による加賀一向一揆討滅に抵抗するために手取谷一向宗の組織である「山内衆」の指導者鈴木出羽守によって築城されたそうだが、天正8年(1580)に織田方の柴田勝家軍によって落城し、「山内衆」の鈴木一族は滅ぼされ、その後この城は逆に織田軍による一揆掃討の拠点となったという。

しかし、翌天正9年(1581)に上杉景勝軍が越中に侵攻すると、山内一揆勢が呼応して鳥越城を奪い返しているのだが、天正10年(1582)に織田方の佐久間盛政による反撃で再びこの城は陥落してしまう。そしてその後も一揆勢は抵抗を続けたのだが、徹底的に掃討されて、最後まで抵抗した数百人が磔に処せられたという。加賀の一向一揆は教科書などでイメージしていたよりかは、はるかに激しい戦いであったようだ。

鳥越城址

城址は鳥越城山の頂上付近にあるが、有難いことに本丸のすぐ近くまで車で行くことができ、駐車場もある。城址は国の史跡に指定されていて、櫓門と城門が復元されているが入場料は不要で、自由に散策することが出来る。上の画像は復元された本丸門と桝形門である。

一向一揆歴史館

鳥越城址から鳥越一向一揆歴史館(白山市出合町甲26番地 ☎076-254-8020)に向かう。ここでは白山麓における一向一揆の歴史を解説する映像が上映されているほか、鳥越城址、二曲城址からの出土品などの展示がなされている。

手取峡谷 黄門橋

ここからすぐ近くに手取峡谷がある。最初に、白山消防署(☎076-255-8119)の横にある駐車場に車を停めて、黄門橋から峡谷を眺める。かなり雨が降った後なので手取川の水は黄濁していたのはやむを得ない。

さらに3kmほど南に進み、吉野郵便局(☎076-255-5033)の手前を右折すると不老橋があり、そこからの眺めも有名で良く紹介されているのだが、ここまで来たら綿ヶ滝が見たくなる。
不老橋を渡ったのち左折して県道178号線を進むと、「手取峡谷(綿ヶ滝いこいの森)」の案内標識があり、そこを左折すると綿ヶ滝の駐車場がある。

手取峡谷 綿ヶ滝

車を停めて滝に進む階段をしばらく下りていくと迫力満点の綿ヶ滝が見えてくる。川の水がエメラルドグリーンである時に、もう一度この滝を見たいものである。

道の駅瀬女(せな)で、とちの実ソフトクリームを食べて休憩をとったのち、近くの手取湖に向かう。

手取湖

手取湖は石川県最大の河川である手取川にダムを建設することによって形成された人造湖である。手取川ダムは北陸地方最大のロックフィルダムで、手取川の治水と金沢市・加賀・能登地方への利水、および出力25万キロワットに達する水力発電を目的とする多目的ダムであるが、このダムの建設にともない、尾口村・白峰村の330戸・322世帯が水没してしまったという。
ダム建設で水没予定地に入っていた白峰村桑島にあった石川県下最大級の民家である杉原家は、白山市白峰にある白山ろく民俗資料館に移築されたのち石川県指定有形文化財となっているが、ほかにも価値ある建物が少なからずあったのかも知れない。

夕刻になったので、初日の観光を切り上げて宿泊先のホテル八鵬に向かう。

ホテル八夕食鵬

上の画像はホテルの夕食だが、ニジマスやイワナや堅豆腐、油揚げなどを炭火で焼く炉端焼きやニジマスの刺身など白山の自然あふれる料理はどの品も旨かった。
古い建物ではあったが、食事だけでなく、純重曹泉(ナトリウム・炭酸水素塩水)の温泉も素晴らしく、何よりもスタッフの方がフレンドリーで笑顔がすてきで、長旅の疲れが吹き飛んだ。

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【ご参考】
今年も郡上八幡踊りが始まりましたが、2年前に郡上八幡からから美濃馬場の白山長滝神社から白川郷、荘川桜、岐阜城などを巡ってきました。良かったら覗いてみてください。

郡上八幡の歴史と文化と古い街並みを楽しんで
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-334.html

郡上一揆と白山信仰のゆかりの地を訪ね、白川郷の合掌造りの民宿で泊まる
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-335.html

湖底に沈んだ「飛騨の白川郷」と呼ばれた合掌造り集落の話
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-336.html

「さくら道」を走って、織田信長が天下布武を宣言した岐阜に向かう
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-337.html

日吉神社、大垣城、南宮大社から関ヶ原古戦場に向かう
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-338.html


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Comment
白山
こんにちは。いつもお世話になっております。
しばやん様の旅はとても興味あるテーマばかりで、とても参考になりますね。
熊野古道のようなものなのでしょうか。それよりも険しそうな気がしますが、初めて知りました。面白いです。
水が濁っていても、大雨で綿ヶ滝の迫力が増したのでは?

ただいま、野迫川村で温泉とあまご三昧ですが、イワナもいいですね。
Re: 白山
こんにちは。こちらこそいつもお世話になっております。

野迫川温泉ですか。行ったことないですが、つねまるさんがどの神社や寺を訪ねるか興味津々です。

私も最近は、観光バスが絶対来ない様な観光客の少ない田舎ばかりを巡っていますが、私には田舎の方が食べるものがおいしいし、癒される場所が多くて好きです。

綿ヶ滝は、名前に似合わず随分迫力のある滝だと思いましたが、雨の影響もあったのでしょうね。

イワナは骨ごと頂きましたが、新鮮な川魚は美味しいものですね。また食べたくなりました。
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Author:しばやん
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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