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キリスト教国を相手に開国したわが国がキリスト教を禁止し続けた矛盾

江戸時代の末期に、わが国は米国からの要求をきっかけに西洋諸国に門戸を開くようになり、通商条約が結ばれたことで各国の外交使節と共に多くの宣教師が来日している。

大浦天主堂
【大浦天主堂】

横浜には1862年に聖心教会(その後移転し、現在の山手教会)が建てられ、1865年には長崎に大浦天主堂が建てられたのだが、二百数十年にわたり『隠れキリシタン』として代々人目を忍んで信仰を守り続けていた浦上村の村民たちが、大浦天主堂を訪ねてキリスト教を信仰していること表明したという記録がある。彼等はのちに江戸幕府の指令により、多数捕縛されて激しい拷問を受けたという。

その後江戸幕府が崩壊して、明治新政府はこの浦上の『隠れキリシタン』たちとどう向き合ったのか。

五榜の掲示
五榜の掲示

明治政府は五箇条の御誓文が出された翌日(慶応4年[1868]3月15日)に、全国各地の高札場に『五榜の掲示』と呼ばれる高札を掲示し、その第三札にはこう記されていた。

切支丹邪宗門の儀は堅く御制禁たり。若し不審なるものこれ有れば、その筋の役所へ申し出づべし。御褒美下さるべき事。」

普通に読めば、キリスト教は邪悪な宗教であると明治政府が断定したような文章なのだが、この第三札が欧米各国から激しく非難されることになる。いうまでもなくそれらの国々はいずれの国もキリスト教を奉じており、国教を邪教扱いされて外国人が激怒したことは当然であろう。

『国立国会図書館デジタルコレクション』に大正11年に出版された『近世日本基督教史』(山本秀煌著)が公開されていて、その第5章に、各国からの厳しい批判を明治政府が如何に切り抜けたかが記されている。面白いので紹介しておこう。

五榜の掲示 第三札
五榜の掲示 第三札(変更後)】

「苦心惨憺・鳩首協議の末、漸(ようや)くにして一つの名案を按出せり。即ち切支丹と邪宗門とを引き分かち、告示中切支丹邪宗門と記せしは切支丹を邪宗門なりと言う意義に非ず、切支丹または邪宗門という意味なりとの曲解的、頓智的の弁解をなしてこの難関を切り抜けたり。…
かくて、高札は…書き改めて掲示せられたり。
一 切支丹宗門之は是迄御制禁之通固く可相守事。
一 邪宗門之儀は固く禁止之事。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963367/359

明治政府は、「キリスト教は邪教であるという意味で書いたのではなく、キリスト教あるいは邪宗門はという意味で記したものだ」と苦しい言い訳をしてこの難局を乗り越えたのだが、かといって明治政府がキリスト教を禁止する方針を変えたわけではなかった。

また、『五榜の掲示』第三札のなかで、キリスト教徒らしき人物を見つけたら役所に密告することを奨励している部分が削除された点も重要な変更部分なのだが、その代りに明治政府は、宣教師のもとに潜入して内部情報を収集する目的で「異宗徒掛諜者」を長崎、大阪、東京、横浜、函館に送り込んでいる。その中には浄土真宗の僧侶が少なからずいたようだが、キリスト教の広がりを早期に阻止することは本願寺にとっても望ましいことであり、恐らく本願寺は、危険な仕事に協力することで明治政府に貸しを作る目的があったのだと思われる。

前回の『越前護法一揆』の記事で書いた石丸八郎という人物も浄土真宗の寺の出身者で、この頃に新政府より長崎の「異宗徒掛諜者」に任命された一人なのだが、実は西本願寺も以前から同様な活動をしていて、1868年に「破邪顕正出国掛」として彼を長崎に送り込んで地域の探索・工作活動を行なわせていたという。

しかしながら、いくら内部情報を収集したところで、キリスト教が広がっていく勢いを止めることはできなかったようだ。大日向純夫氏の『明治新政府とキリスト教』という論文によると、1871年時点で長崎周辺の天主教(カトリック)信者はすでに千人を超えていて、全国では万を超えていたというから、開国以後キリスト教は着実に信者を増やしていたのである。
https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8566/1/80704_45.pdf

ところが明治新政府は、当初は天皇陛下による祭政一致の旧態に戻ろうと考えていたため、仏教に対してもキリスト教に対しても厳しいものとならざるを得なかった。仏教に対しては、廃仏毀釈を推し進めたことをこのブログで何度も書いてきたので繰り返さないが、キリスト教に対してはどうであったかが気になって長崎・浦上の隠れキリシタンについて調べてみると、明治政府は想像した以上に厳しい処分を下しているのに驚いてしまった。

浦上4番崩れ

Wikipediaの解説によると、
「(慶応4年閏4月17日)太政官達が示され、捕縛された信徒の流罪が示された。5月20日木戸孝允が長崎を訪れて処分を協議し、信徒の中心人物114名を津和野、萩、福山へ移送することを決定した。以降明治3年まで続々と長崎の信徒たちは捕縛されて流罪に処された。彼らは流刑先で多くの拷問・私刑を加えられ続けたが、それは水責め、雪責め、氷責め、火責め、飢餓拷問、箱詰め、磔、親の前でその子供を拷問するなどその過酷さと陰惨さ・残虐さは旧幕時代以上であった。浦上地区の管理藩である福岡藩にキリシタンは移送され、収容所となった源光院では亡くなったキリシタンの亡霊がさまよっているともいわれた」とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E5%9B%9B%E7%95%AA%E5%B4%A9%E3%82%8C

長崎で捕縛されたキリスト教信者を流罪にするという風説が流れた時点で、明治政府は欧米諸国から強硬な抗議を受けている。

この点について、明治政府が大阪本願寺にて外国公使と談判した様子が『近世日本基督教史』に記されている。

パークス

「(英国公使)パークスは、宗教と道徳とは宇内共通のものにして、文明諸国はいずれも皆信仰の自由を承認せざるはなし。然るに今日本においては無辜の民を罰する法律を作り、真理を遮断するの関門を設けるとは何事ぞ。…日本政府は速やかに今回捕縛したる教民を赦免し、耶蘇教の禁を解くべしと強請したり。これに対して大隈大八郎は、わが国には数百年来養いきたりし習慣ありて事情耶蘇教を公許する能わず。…わが国には古来より切支丹禁制の法律有、わが国の法律を以てわが国の人民を処分するに決して外国の干渉を受くべき理由なしと撥ねつけたり。…パークス怒りて他国の好意を一笑の下に排斥せんとす。日本前途知るべきなりと憤慨し、激論数刻、午前10時より開始されたる談判はその進むに従って弁難攻撃ますます激しく、昼飯も喫せずして夕刻に達し、遂に何等まとまりたる事無く、喧嘩別れとなれりとぞ。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963367/361

しかしながら、明治政府は列藩の意見を徴集した結果、長崎で捕縛されたキリスト教徒の流罪処分が断行されることとなる。新政府にとっては、祭政一致の国家を実現するためには、キリスト教に対する信仰を根絶させねばならず、いくら説得しても棄教しない者は厳刑に処すしかないとの考えであった。

そこで英国公使パークスは、米・独・仏・蘭の4か国公使とともに、信徒処分に関する抗議書を明治政府に提出している。そして明治政府は、明治2年(1869)12月に5ヶ国公使を集めて再び談判している。
この会議における各国の発言内容が『近世日本基督教史』に詳しく紹介されているが、要するに各国公使は浦上村信徒の流罪を中止すべきであるとし、政府はキリスト教を許可すれば神道を基礎とする政府を維持することが出来なくなると論じて、議論は平行線であった。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963367/365

冒頭で英国公使パークスがこう述べている。
キリスト教は我が国民の宗門でこれあり候。思うに何様なる儀が英国に知らるる時は面白からぬ結果を生じ、最も非友誼的の所為と見なさるべし。もし、これら人民中の幾人かが曲事をなせしならば、これを罰せられて可なり。されどその刑罰を家族と数千人の上に及ぼすは、吾人の正義より見たる見解に反する事と存ず。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963367/366

キリスト教徒にとっては、キリスト教を奉じているということだけで流罪に処せられることは極めて不愉快なことであり、野蛮な行為にしか見えなかっただろう。

岩倉具視

談判の席で岩倉具視はこう述べたという。
「政府が日本において切支丹宗を禁ずるは、これに反対する故にあらず。これより大なる困難の起こるを予知すればなり。たとえば百人の中一人にても切支丹宗を信ぜば人々の心一致せずして分れ分れとなるべし。以前は切支丹宗に対する法律頗る峻厳なりしが、今は前よりも三四等も軽くなりぬ。しかしながら我らはこれを信ずることを一般に許可する能わず。…彼らが天皇陛下の宗門に従い、政府の権威に服せばこれを罰すべき理由なし。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963367/368

明治政府は多神教である日本神道に天皇を中心に据えて国を治めようとしたわけだが、キリスト教徒は神社や天皇に敬意を示すことが無いので認めるわけにはいかないという。
明治政府が広めようとした神道はいわば一神教のようなもので、異質なものを極力排除しようとした。岩倉らはそのために、国是であるキリスト教の禁教を守ろうとしたのだが、この考え方は神仏分離・廃仏毀釈にもつながるものである。

近世日本基督教史

『近世日本基督教史』を読み進むと、明治初期の思想潮流の変化をこのように表現している。
「地の東西を論せず、時の古今を問わず、世界何の邦に於いても其の中には進歩・保守両主義の相対峙するありて、政治に、宗教に、文学に、その他百般の事物の上に互いに軋轢消長するを見る。我国維新前後の政界はその衝突の最も甚(はなはだ)しき時代なりき。所謂(いわゆる)進歩主義者は尊王討幕・開国外交・旧物の破壊、百事の改革を標榜して勇往邁進せんとし、保守主義の人々は尊王攘夷・旧物の保存、百時復古の旗幟を押し立ててこれに対抗し、反目睨争互いに消長する所ありしが、この両主義は宗教問題に関してゆくりなくも、期せずして、一時合致の行動をとりぬ。…神祇官の設置、排仏毀釈、基督教禁制これなり。されど吾人はその合致は一時的なりと言う。何となれば既に其の根本主義において世界的となり、人道的となりうべき要素を備えたる進歩党は、到底偏狭なる尊王、頑迷なる愛国をもって満足すべからざればなり。…果たして彼らは宗教問題において、就中(なかんずく)基督教に対する態度に於いて意見を異にし衝突し始めたり。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963367/356

維新政府の中の進歩派も保守派も当初はキリスト教禁教であったのだが、浦上の信者を流罪に処すことで諸外国が一斉に抗議するに及び、進歩派の態度が変化していったという。

「彼らは思えらく、浦上信者は天主教なり。これに関係ある宣教師は仏蘭西人なり。而して新政府の最も親交ある英米は新教国なり。たとえ旧教徒たる浦上信徒を迫害するも英米諸国の賛成するところなるべし、よし賛成せざるまでも傍観の態度に出べしと。然るに、意外にも、英米公使が率先して厳しき抗議を申込みしのみならず、その言明するところにも首肯すべき点多かりしかば、宗教問題は容易ならざる難件なるを認め、…外国と交通する以上は耶蘇教と雖も之を容れざるべからずとの急進の説をさえ懐くもの起こるに至りぬ。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963367/407

浦上の隠れキリシタンの宣教師は旧教(カトリック)なので、政府と親交のあった新教(プロテスタント)国の英米は傍観の態度に出ると考えていたのだが、英米は浦上教徒の処分に強く抗議したばかりではなく、主張する内容も進歩派にとっては納得できるものであったことから、英米両国に対する信頼度が高まるとともに、キリスト教に対する態度が次第に寛大になっていったという。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963367/427

岩倉使節団

ところで、政府は明治4年(1871)11月に、右大臣岩倉具視を全権大使とし、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、山口尚芳を副使とする遣外使節団を米欧に派遣し、相手国の元首に国書を捧呈し、海外文明の情況を視察させている。
この時期に欧米に使節団を送り込んだ理由は、江戸時代の安政期に欧米15か国と結んだ通商条約の協議改定期限が半年後に到来するので、その予備交渉を行ない、併せて政府首脳が外国の諸法制・諸機構についての知見を深めるねらいがあったとされる。

岩倉使節一行は同年12月4日にサンフランシスコに入り、翌年1月21日に米大統領に接見し、国務卿フィシュと条約改正について談判を開始したのだが、その席で国務卿はこう述べたという。
「『日本が治外法権を撤去せんことを望まるるは固より正当のことなり。されど我が合衆国民をして貴国の治下に立たしむるに先んじ、貴国の法律制度を調査せざるべからず。聞く貴国は基督教を禁ぜりと。果たして然らば此れは由々しき大事なり』とて、進んで宗教制度及び基督教禁制高札に関して質す所ありしかば、大使は之に答え『我国数百年の仕来(しきたり)に従い、切支丹禁制の高札は未だ撤去せざるも、此の数年来は禁制を施行したることなく、今や高札は死法にして宗教上の信仰は自由なり』と言いしに、デロング公使は傍らよりこれを遮り最近神戸にありし市川栄之助夫妻捕縛事件を挙げて大使の答えを難じ、条約改正に先んじて高札撤去を断行せざるべからずの理由を詳論せり。大使らは…切支丹禁制の条約改正に大妨害たるを覚り、高札撤去に黙諾を与えしものの如し。明治5年4月大久保・伊藤両副使が米国より中途帰朝して、我が政府の廟議を求めたる個條中に(次の)言あるを以て知るべし。
一 日本の法律中に外教の明禁なしと雖も、尚高札にその禁令を掲示するを以て外人は一概に自由親交を妨ぐるの野蛮国と見做し、対等の権を許すことを甘んぜず。故に此の高札の禁令を除く事』とあり、而して廟議は之に対して異論なかりしが如し。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963367/429

岩倉使節は米国から欧州に向かっているが、そこでもわが国のキリスト教徒迫害が問題とされたようだ。副使の伊藤博文は日本政府に宛てて次のような文章を残しているという。
吾人は行く所として切支丹追放者と信教自由との為に外国人民の強訴に接せざるはなし。思うにこの際前者については速やかにこれを解放し、後者に関しては幾分自由寛大の意向を表明せずんば、到底外国臣民の友誼的譲与を期待すべからず
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/963367/430

キリスト教国からすれば、わが国がキリスト教禁教を国是とし、キリスト教徒であることを理由に捕縛し流罪に処すことはとんでもないことなのだが、そんな国がキリスト教国相手に条約改正を交渉するなどは論外だという意識であったと思われる。
もし条約改正がなされたとしたら、キリスト教国の同胞が我が国で罪を犯した場合に、非キリスト教国であるわが国が作った法律で裁かれることになる。キリスト教を信じているというだけで一族全員が流罪にされるような国が作る法制度をそもそも信用して良いのかということになるだろう。その疑念を覆すには、わが国がキリスト教を解禁して欧米諸国並みに法律が整備されることがどうしても必要であった。

しかしながら、明治6年(1873)にキリスト教禁止が解かれ、その後国内法が整備されてからも不平等条約の改正交渉は続き、条約改正が実現したのは明治44年(1911)のことである。
これだけ交渉が長引いたのは、明治政府の初期の宗教政策でキリスト教徒を流罪にして欧米諸国を激怒させ、その時に彼らが抱いたわが国のマイナスイメージを払拭させるのに随分時間がかかったと理解すればよいのだろうか。

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【ご参考】
このブログで、条約改正に関連してこんな記事を書いてきました。よかったら覗いてみてください。

英商人に阿片を持込まれ、コレラ流行時に港で外国船の検疫を拒否された明治日本
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-303.html

英国船が沈没して白人が助かり、日本人乗客は全員溺死したノルマントン号事件
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-304.html

条約改正が成功する寸前で大隈重信の脚を引っ張ったのは誰か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-305.html

陸奥宗光が条約改正を一部実現させた経緯について
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-306.html



関連記事
Comment
浦上の隠れキリシタン
こんばんは。いつもお世話になっております。
お盆の間はしばやん様もご実家のお手伝いやお孫ちゃんと遊ぶのにご多忙だったのではないでしょうか。
私はのんびりとしておりました。

浦上の隠れキリシタンの件ですが。

私事ながら今、但馬の生野の変を調べている最中でして。
(養父神社の別当寺から脱線です。)

その主将に担がれた公卿・澤宣嘉が、九州鎮撫総督として長崎に着任後、浦上のキリシタンの説得にあたったものの「中心人物の処刑と一般信徒の流罪」を新政府に提出、浦上四番崩れを引き起こす事となったとか。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/澤宣嘉)

澤は条約改正に携わり始めた時に急逝しますが、その後の日本の動向をしばやん様の記事で学ぶことができました。ありがとうございました。

隠れキリシタンについては、オラショの内容と共に現地へ行って調べたいことが山盛りで困ってしまいます。

Re: 浦上の隠れキリシタン
つねまるさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

澤宣嘉という人物のことは知りませんでした。生野の変とも関係がある人物なのですね。情報ありがとうございます。

秋に日本海方面に行くときに、生野義挙の由来の地を巡るのも良いかもしれませんね。

つねまるさんは長崎に行くのですか。私も行こうと思えば行けないこともないのですが、遠いのでつい近場を優先してしまいます。会社をリタイアしたら、九州や東北・北海道などいろいろ巡りたいです。

実はあすから休みをいただいていて、久しぶりに家族全員が集合しますが、孫3人と遊ぶのは結構大変ですよ。
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Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

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