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前期倭寇は元寇の復讐だったのか~~倭寇1

中学や高校時代に日本史の室町時代の授業で「倭寇」を学んだ。その時はなぜ、日本人がこの時期に急に海賊行為を始め、その活動が大規模になったのかが良くわからなかった。

対馬や壱岐の歴史を振り返ると、平安時代の寛仁三年(1019)に「刀伊の入寇」という事件がある。この事件を調べると市販の山川の日本史教科書では「とつぜん刀伊(女真人)が、対馬・壱岐・筑前をおそった。…これは大宰府とその周辺の土豪の力によってしりぞけられたものの、平安になれた朝廷や貴族に大きな衝撃をあたえた。」と簡単に書かれている。

刀伊の入寇

しかし「刀伊の入寇」を調べてみると、この戦いもかなり壮絶な戦いであったようだ。詳しいことは平安時代の藤原実資の『小右記』という日記や三善為康の『朝野群戴』という文書に書かれているそうだが、Wikipediaの記事にはこう纏められている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%80%E4%BC%8A%E3%81%AE%E5%85%A5%E5%AF%87

「刀伊は賊船約50隻(約3000人)の船団を組んで突如として対馬に来襲し、島の各地で殺人や放火を繰り返した。この時、国司の対馬守遠晴は島からの脱出に成功し大宰府に逃れている。
賊徒は続いて、壱岐を襲撃。老人・子供を殺害し、壮年の男女を船にさらい、人家を焼いて牛馬家畜を食い荒らした。賊徒来襲の急報を聞いた、国司の壱岐守藤原理忠は、ただちに147人の兵を率いて賊徒の征伐に向かうが、3000人という大集団には敵わず玉砕してしまう。
理忠の軍を打ち破った賊徒は次に壱岐嶋分寺を 焼こうとした。これに対し、嶋分寺側は、常覚(島内の寺の総括責任者)の指揮の元、僧侶や地元住民たちが抵抗、応戦した。そして賊徒を三度まで撃退するが、その後も続いた賊徒の猛攻に耐えきれず、常覚は一人で島を脱出し、事の次第を大宰府に報告へと向かった。その後寺に残った僧侶たちは全滅してしまい嶋分寺は陥落した。この時、嶋分寺は全焼している。
その後、筑前国怡土の郡に襲来、4月8日から12日にかけて現在の博多周辺まで侵入し、周辺地域を荒らし回った。これに対し、大宰権帥藤原隆家は九州の豪族や武士を率いて撃退した。たまたま風波が厳しく、博多近辺で留まったために用意を整えた日本軍の狙い撃ちに遭い、逃亡したと記されている。」とここでも風が吹いているのが面白い。

被害は、記録されただけでも殺害された者365名、拉致された者1,289名、牛馬380匹、家屋45棟以上。女子供の被害が目立ち、壱岐島では残りとどまった住民が35名に過ぎなかったという。

彼らは「牛馬を切っては食い、また犬を屠殺してむさぼり食らう」と記録され、また「人を食う」 との証言も見られるという。斬り込み隊、盾を持った弓部隊らが10-20組も繰り出してあっというまに拉致・虐殺・放火・掠奪をやってのけ、牛馬を盗み、切り殺して食うなどしては次の場所へと逃げてゆく、という熟練ぶりであった。逃げるのに邪魔になった病人や子供は簀巻きにして海に投げ入れたという記録も残されているそうだ。

彼らの正体は満州を中心に分布する女真族だとされているが、9月には高麗が拉致した対馬・壱岐の島民270人を日本に送り届けてきたので高麗政府として関与してきた可能性は少ないと考えられている。

上掲のWikipediaの記事が正しいとすると、彼らの乱暴狼藉ぶりは、以前私のブログで紹介した、文永の役で記録されている元・高麗軍の乱暴狼藉ぶりとかなり似ているように思える。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-34.html

以前文永の役の記事で書いた通り、日蓮宗の宗祖である日蓮は「高祖遺文録」の中で、元蒙古連合軍のために、対馬では百姓ら男は殺されたり生け捕りにされ、女は一箇所に集めて掌に穴をあけられ革ひもを通して船に結いつけられたり生け捕りにされて、一人も助からなかったと書いている。また『高麗史』には日本で拉致した少年少女200人を高麗国王に献上したことも書かれている。

刀伊の入寇」にせよ「文永の役」にせよ、野蛮とも思える乱暴狼藉を働いたのは相手国の軍隊の方だ。何故室町時代に入って日本人が朝鮮半島に行って収奪を繰り返すような事をしたのか長い間腑に落ちなかったのだ。

元寇の記事を書いている時に、読者の方から「初期の倭寇元寇の復讐であった」とのコメントを頂いた。この説については初耳であったのでちょっとこの説を調べてみた。

刀伊の入寇」の時とは違い、「文永の役」は高麗の正規軍であり、当然のことながら高麗は拉致された日本人を送り返しては来なかった。無能な政府は、蒙古調伏の祈祷をした寺社に恩賞を与えても拉致家族の奪還には動かない。では対馬や壱岐や松浦などで家族を拉致された人々は泣き寝入りだったのかという問題がある。

そこで、「倭寇元寇の復讐であったのではないか」と言う説が出てくる。対馬や壱岐や松浦の人々が立ちあがっても何の不思議もないではないか、というのは確かに説得力がある。そういうことがなければ、日本人の私兵が急に他国を侵略するようなことは考えにくい。

対馬観光協会のHPを見ると、明確に倭寇元寇の復讐だと書かれている。
http://www.tsushima-net.org/tourism/history_03.php
このHPをしばらく引用する。

元寇では、日本は『神風』により侵略を免れたと言われますが、対馬・壱岐は全島にわたって甚大な被害を受けました。元寇への復讐の意味もあり、倭寇が盛ん に朝鮮半島・中国大陸で略奪・人さらいを行うようになっていきます。高麗は倭寇の被害が原因のひとつとなって滅亡、倭寇討伐で名をあげた李成桂が李氏朝鮮 を建国します。」

またWikipediaにはもっと詳しく書かれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%AF%87

倭寇2

「前期倭寇が活動していたのは14世紀、日本の時代区分では南北朝時代から室町時代初期、朝鮮では高麗から朝鮮王朝の初期にあたる。日本では北朝を奉じて室町幕府を開いた足利氏と、吉野へ逃れた南朝が全国規模で争っており、中央の統制がゆるく倭寇も活動し易かった。前期倭寇は日本人が中心で、元寇に際して元軍とその支配下にあった高麗軍によって住民を虐殺された対馬・壱岐・松浦・五島列島などの住民が中心であり、『三島倭寇』と総称された。
朝鮮半島や中国沿岸に対する海賊行為は、元寇に対する地方の私軍による復讐の意味合い、および、再度の侵攻への予防という側面もあったと考えられ る。また、これらの地域では元寇による被害で労働力不足に陥り農業生産力が低下したために、これを補完する(奪還する)目的があったとも考えられている。」
と、元寇の復讐であると推定している書き方だ。推定の根拠としては、「朝鮮半島で当時唯一稲作が盛んに行われていた南部沿岸地方を中心に襲撃し、食糧や人間を強奪しており、さらには連れ去られた家族を取戻した事例もあり、実際に家族に再会した記録もある。」というのだが、その記録の文献が記載されていないのは残念だ。

結局、倭寇が元弘の復讐だと言う説を裏付ける日本側の史料がなにかあるのかどうかはよくわからなかった。

倭寇図会

しかし、清や李氏朝鮮には倭寇は元寇の復讐であると記載されている書物があると言う。つぎのURLによると、「朝鮮半島や中国沿岸に対する海賊行為は、元寇に対する被害地方の復讐行為と考えられる。清の徐継畭の「瀛環志略」や李氏朝鮮の安鼎福の「東史綱目」には倭寇の発生原因は、日本人による元寇への報復であったという記述がある。」と記されている。
http://blogs.yahoo.co.jp/teisitu/51336005.html

この部分の説明は先程のWikipediaでは「応永の外寇以前の形態は単なる局地的な奪還・復讐戦であり、これを倭寇と分類せず、それ以降を倭寇と考える説もある。清の徐継畭の『瀛環志略』や李氏朝鮮の安鼎福の『東史綱目』には、倭寇の原因は日本に対する侵略行為を行った高麗人(朝鮮人)への報復である」とは書かれているが、この文脈では、元寇に対する復讐とは読み辛く、応永26年(1419)「応永の外寇」に対する復讐とも読める曖昧な表現だ。
「瀛環志略」「東史綱目」にどういう文章が書かれているか紹介されていればこの点がはっきりするのだが、ネットではいろいろ検索してもこの2つの書物の該当部分の文章は見当たらなかった。

刀伊の入寇や元寇の残忍さと、倭寇の残忍さのイメージが長い間重ならなかったのだが、前期倭寇の初期に於いて日本人が関与した理由は元寇に対する復讐であったという説はわかりやすく、その可能性を感じる。明確に書かれている当時の書物のテキストが分かれば、是非読んでみたいものである。

倭寇の回数

しかし田中健夫氏の倭寇の回数のグラフを見ると、倭寇の回数が急増するのは14世紀の後半からだ。これは元寇のあった13世紀後半とは、年数が離れ過ぎてはいないだろうか。私は『明史』日本伝に次の様に記述されているこの部分をもっと注目して良いと思うのだ。
「明が興り、太祖高皇帝(朱元璋)が即位し、方国珍・張士誠らがあい継いで誅せられると、地方の有力者で明に服さぬ者たちが日本に亡命し、日本の島民を寄せ集めて、しばしば山東の海岸地帯の州県に侵入した。」(講談社学術文庫『倭国伝』p.394)

中国の正史にこのように明記されている記述を、なぜ歴史家は無視するのだろうかと不思議に思う。『明史』の記述の正しさは、上記グラフで1368年頃から倭寇の回数が急増しているのをみれば明らかである。

倭寇ルート

倭寇の構成は、それから時代を経るにつれて日本人主体から、中国人、高麗人主体に移っていくと多くの本に書かれているのだが、なぜこの特定時期に回数が増えた背景については、『明史』を読んではじめて納得した。
しかし教科書では、途中から倭寇の主体が日本人ではなくなって行くことがはっきり書かれておらず、そのために多くの人が、この時期の日本人が朝鮮半島で海賊行為を繰り返していたかのような印象を持ってしまうのは残念なことだと思う。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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