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潜水艦によるキスカ島守備隊撤収が途中で中止された理由…『キスカ戦記』を読む5

前回の記事で書いた通り5月20日にキスカ守備隊の撤退が決定し、翌日に陸海軍中央協定で、キスカ島の撤収につき次のように定められたという。

鳴神(キスカ)島守備隊は成るべく速やかに主として潜水艦に依り逐次撤収に努む。尚海霧の状況、敵情等を見極めたる上状況により輸送船、駆逐艦を併用することあり。」
そしてこの撤収作戦は「ケ号」作戦と名付けられたという。

幌筵島

キスカ戦記』の解説にはこう記されている。文中の幌筵(ほろむしろ)とは、千島列島の最北端の占守島の南にある島の名で、占守島と幌筵島の間の海峡を幌筵海峡と呼ぶ。片岡湾はその海峡の占守島側にある。

幌筵海峡・片岡湾

「…連合艦隊司令長官は、アッツ玉砕の日、5月29日ケ号作戦の発動を令すると共に、第十九潜水隊と伊一五五潜を北方部隊に追加した。かくて北方部隊の残存及び増加潜水艦十三隻がケ号作戦の任を負ってこの困難な作戦に従事することとなった。
 …
 元海軍少佐、坂本金美氏の著書『日本潜水艦戦史』によると『5月30日、北方部隊指揮官はケ号作戦実施要領を発令した…
一、 潜水艦は幌筵片岡湾とキスカ島間を往復し人員輸送に任ず。…特令なければ陸海軍指揮官は左の人員を予定の乗艦地に待機せしむるものとす
 旗艦型(伊9、伊7) 100名
 伊 35型      80名
 伊169型      60名
 伊 2型       40名
(陸海軍半数)
二、 キスカ島における乗艦は夜間迅速に行う。敵出現の場合は砲撃、煙幕展張等により、敵の妨害を排除するほか、潜水艦は作業を中止して極力攻撃に努むるものとす。…』」(『キスカ戦記』p.303-304)

伊号第9潜水艦
【伊号第9潜水艦】

Wikipediaには潜水艦の艦艇類別のデータが詳しく紹介されている。例えば伊号第9潜水艦は全長113.7mで、幅は9.55m、竣工時定員は100名とかなり大型である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8F%B7%E7%AC%AC%E4%B9%9D%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6

これらの13隻の潜水艦を何度も往復させて6000人のキスカ島守備隊を撤収させようという作戦なのだが、アッツ島陥落以降は再び米軍によるキスカ島空襲の激しさが増している。

五警主計長の小林亨氏の日記にはこう記されている。文中の熱田はアッツ、鳴神はキスカのことである。

「5月31日半晴。熱田島の戦況は緊急輸送隊の失敗により我に利あらざる状況成り。『陸軍と協同、ケ号作戦を実施すべし』との連合艦隊命令は、何を意味するかは知らざれども、鳴神島の運命も近くほぼ熱田と同じこととならん。鳴神島と運命を共にせんと覚悟して来るものなれば全力を尽くさんものと思う。
6月1日快晴。…熱田島の攻撃一段落と鳴神近の飛行場完成のためか、敵機の空爆は〈再開され〉その激しさを増してきた。…熱田の先例にか、鳴神の将士の意気は消沈せり。
6月2日快晴。明け方から敵機の乱舞にまかしている。本日の損害は、南高地の七粍機銃一破壊死傷十数名をだした
6月4日霧天にして雲高50米(m)足らず。…伊2潜予定通り入港。糧食、酒保物品、郵便物等若干を揚陸。紘の百日目の写真を送り来る。…帰還を予定せず、手紙類すべて焼却す〈この日伊2潜は人員42、遺骨13、その他を収容していった〉。
6月16日いつもながらの晴天。海上は霧一面に立ちこめおるに陸上には夏の陽かんかんと照る。伊9潜は多分敵哨戒機にやられたらしい。伊24潜はアッツ島付近にてやられたことならん。伊156潜は日中入港。郵便物揚陸せり。

6月22日霧天…、昨夕伊7潜は七夕湾沖にて敵哨戒艇と交戦、司令、艦長、航海長、先任主計長等戦死。…かくの如く本島に対する輸送根絶の現状況においては食い延ばしをやるほかなし。」(同上書 p.305-306)

敵軍に作戦が洩れないように『ケ号作戦』の意味は一般の兵士達には知らされておらず、小林亨氏の日記には、自身が『ケ号作戦』の意味を知ったのは6月29日と、随分あとのことである。

伊7
【伊号第7潜水艦】

小林亨氏の日記に記されている伊7潜(伊号第7潜水艦)が、のちにキスカ島守備隊の運命を変える作戦変更に繋がったので、少しこの潜水艦の動きを追っておこう。

伊7潜は5月27日にキスカ湾に入港し、銃弾や糧食を揚陸した後、航空隊員を中心に60名と遺骨28柱を収容して6月1日に幌筵に帰投した。
そして6月4日に幌筵を出発し、9日にキスカ湾に入港。銃弾や糧食を揚陸した後、収容能力一杯の101名を載せて13日に幌筵に帰投している。
そして6月15日に幌筵を出発し、20日にキスカ島七夕湾に入港する予定であったのだが、濃霧のためその日は入港が出来ず、翌日も霧はかかっていたものの入港に差支えないと判断し、浮上して七夕湾に向って航行して湾に入る直前に、霧で見えざる敵艦から猛砲撃を受け、司令塔に命中して艦長以下7名が即死してしまった。
伊7潜は敵の砲音、瞬時ひらめく閃光をたよりに砲戦をもって10分余反撃したことにより、敵艦は去ったものの司令塔の8割が粉砕されてしまった
という。
キスカ島でできる限りの修理を受け、潜航は出来ないが水上航行は出来る程度まで回復したので、艦長亡きあとの艦長職務を執行していた関口大尉は、この半身不随の艦を操って敵封鎖陣を突破し、横須賀に回航することを決意したという。

キスカ島地図

キスカ戦記』の陸軍大尉佐賀廉太郎氏の手記にこの潜水艦のことが書かれているので引用する。

「22日夜、20:00、決然として(伊7潜)は七夕湾を出港して行った。
 ああ、だが何たる悲運、出航後間もない21:15またもや敵哨戒艦と遭遇、満身創痍の身になお3度にわたる攻撃を受けながらも果敢に応戦しつつ七夕湾に反転帰投を図った。初回砲撃によって艦橋、司令塔に数弾を受け死傷続出するなか、最大戦速をもって航走、2千米(メートル)に接近してきた敵の第二次砲撃にもかかわらず、敵に多数の命中弾を与えながら、自らも各部に連続被弾、火炎、浸水、艦体傾斜の死相を呈した。
 敵は執拗にも後方4千米より砲撃を開始しつつ至近距離に迫り砲弾を集中した。
 交戦半刻、敵は去ったが、艦は最悪の事態となった。この時まで先任将校関口大尉、機関長、航海士松田少尉以下80名が戦死
。…」(同上書 p.314)
生存者は43名で、五警水警隊により救出され、伊7潜は復旧の望みはなく、味方の手によって爆破沈没させられたという。

キスカ島の兵士たちは潜水艦が何度もキスカ島に到着しては、傷病兵らを収容して帰投していったことは知っていたが、これをキスカ島守備隊の撤退作戦の一部と理解されずに、足手纏いとなるメンバーを潜水艦で優先的に帰還させ、精鋭だけを残そうとしているととらえ、玉砕準備の一環であると考えた兵士が多かったようだ。確かに逐次撤退の場合は、最後に精鋭部隊を残すしかないので、そう捉えられても仕方がないだろう。

海軍軍医大尉の小林新一郎氏は、この作戦は全員が撤収するために行われている作戦の一部ではないかと考えながらも、複雑な胸の内をこう書き記している。

「…しかし、撤収作戦の一部と玉砕準備の人員整理とどう違うのか。作戦が順調に続けられて全員を撤収し終えて初めて撤収作戦と言える。途中でそれが不可能となり、あるいは中止し、あるいは完了する前に敵の上陸を見るならば、それはやはり玉砕前の人員整理にすぎない。どう考えようと結果は同じではないか。何故ならば、潜水艦によって総員6千名の撤収を完了するということは、それに要する日数からいっても、敵の作戦のテンポから考えても到底できない相談であったからである
…現在敵と交戦中の部隊が敵の目をくらまして、全員一斉に引き上げるというのは不可能である…撤退を援護する殿(しんがり)部隊がどうしても必要であることは戦術の常識である。少なくとも五~六〇〇名位の部隊が残らなくてはなるまい。…殿部隊はキスカの土となる運命を覚悟しなければならないであろう…
キスカ島に最初に足を入れたわれわれ舞三特は、キスカ戦の最後を飾って花と散る運命を担わなくてはならぬと心の奥深く観念
して、私と最後まで運命を共にする最小限度の医務隊員の人選をあれこれ考えていた。」(同上書 p.308~309)
と、小林新一郎氏はキスカ島に最後まで残って米軍と戦う運命を覚悟していたのである。

潜水艦による撤収が試みられた作戦を第一期撤収作戦と呼ぶが、この作戦を総括すると、往路で弾薬125トン、糧食100トンの守備隊への輸送に成功し、復路で主に傷病兵や航空隊員、設営隊員等約800名を撤収したのであるが、貴重な潜水艦3隻(伊9、伊24、伊7)を失ってしまったのである。
小林新一郎氏の記している通り、潜水艦による逐次撤退は効率が悪くて日数がかかりすぎる。こんなペースでは、米軍の上陸前にキスカ島に多くの兵士を残して、アッツ島と同様の事態となりかねない。

キスカ島から幌筵島へ参謀が派遣されて一挙撤収の要望が伝えられたが、当初は大本営や第5艦隊司令部は水上艦艇による撤収は、もし敵と遭遇すれば大被害が避けられないことから消極的であったという。しかし、相次いで潜水艦を失った事から作戦が変更されることとなり、新しい作戦部長に中沢佑(たすく)中将が就任した。

中沢佑
【中沢佑中将】

キスカ戦記』の解説を引用する。
「ここで目を転じて、当時の軍司令部第一部長の中沢中将の回想を、中沢佑刊行会編『海軍中将中沢佑』に見ると、
『大本営は私が作戦部長に就任前キスカ守備隊を撤退することに方針を決め、連合艦隊は5月29日、潜水艦を以て漸次守備兵力を北千島に転進することを発令した。〈中沢中将の作戦部長就任は6月15日
しかしその作戦においては、我が兵力の損失(潜水艦3隻を失う)多きにも拘らず撤収兵力僅か830名にすぎなかった。
そこで私は、第5艦隊参謀長として年余にわたり、北東方面海域に作戦した体験に基づき、この際天象(霧)を利用して断固水上艦隊を以て一挙に撤収を策すべきことを主張し、部下に命じて連合艦隊司令部と連絡し、第5艦隊兵力を以て敢行することとなった』と記されている。
一方、公刊戦史によれば、中沢中将が作戦部長に就任した頃は、既に連合艦隊と第5艦隊の間には具体的な計画が進行検討中であった。察するに古賀連合艦隊司令長官の最も希望した水上艦艇による一挙撤収作戦は、中沢軍司令部作戦部長就任により万難を排しても実施することが決定的になったものと言えよう。
だが、…連合艦隊参謀長福留中将から中沢軍司令部作戦部長に宛てた書簡は、『一回限りですぞ』と申し入れている感が強い。まこと、失敗を許されない伸るか反るかの大作戦であった。」(同上書 p.317)

作戦は変更されたものの、キスカ島周辺の海には米国艦隊が警戒任務に当たっており、空からの攻撃も警戒しなければならない
中沢中将らの作戦は、この地方特有の濃霧に紛れてキスカ湾に突入し、素早く守備隊を収容したあとに直ちに北千島に向かうというものであるが、確かに当時の戦闘機・爆撃機の性能からして、霧が深ければ敵から空襲を受けるリスクはかなり低かった。とはいえ、伊7潜水艦の場合は、霧がかかっていて見えない敵艦からの砲撃を受けて大破した事例がある。このことは、敵艦がレーダーを装備していたことを意味するのだが、当時のわが国の巡洋艦、駆逐艦クラスでレーダーを装備している艦はほとんどなく、もっぱら肉眼と双眼鏡による見張り能力に頼っていたのである。しかし濃霧の中では肉眼に頼って敵艦を探すどころか、岩礁や船との衝突を避けて航行することも困難だ。

軽巡洋艦阿武隈の艦橋見張り所
【軽巡洋艦阿武隈の艦橋見張り所】

そのことを考えると、潜水艦よりはるかに大きい水上艦艇を連ねて一気にこの計画をやり遂げるためには、視界がゼロに近い濃霧がキスカ島に発生することと、日本艦隊にレーダーがどうしても必要だったのである。

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「満州某重大事件」の真相を追う~~その1
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なぜわが国が中国との戦争に巻き込まれたのか…興亜院政務部の極秘資料を読む
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南京を脱出し多くの中国兵士を見捨てた蒋介石・唐生智は何を狙っていたのか
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太平洋戦線あまりにも広すぎる
こうやって見ると、何で「太平洋戦線」が膨大化しかのかに思える。当時の「視点」から言えば、「イケイケドンドン」
なのか。はたまた「目的」がある。
ペリュリュー島での戦いをあつかった「漫画」を見たが
こんな南海の島々で戦闘で亡くなられた方々がお気の毒に思える。それが「共産革命」と何らかの関連があって
結局は「旧日本軍」を絶滅させ、それ以上に「新生日本は共産国家」という名目の元に戦ったのならば、これらをどのように見ればいいのか、大本営が愚かなのか、それともそれほどの総力戦だったのか。
Re: 太平洋戦線あまりにも広すぎる
荒木さん、コメントありがとうございます。

このブログで何度かかきましたが、大本営の中枢には、わが国を疲弊させて敗戦に導き、敗戦後に「共産革命」に導くことを考えていた人物が少なからずいました。
尾崎秀実の手記などを読むと、わが国が「南進論」を決定した背景にはコミンテルンによる敗戦革命工作が見え隠れしますが、アリューシャン列島まで戦線を拡大したことについても、その延長線上にあるのかもしれませんね。
ただし、一般の兵士たちは、共産革命の為に戦ったのではなく、国を守る名目で、上官の命令の元に動いたのだと思います。
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Author:しばやん
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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