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キスカ守備隊員の手記による奇跡の完全無血撤退作戦成功……『キスカ戦記』を読む7

前回の記事で、キスカ島守備隊の兵士たちは7月11日から14日まで4回もキスカ湾に集結して撤収部隊の到着を待ったのだが、一度もその艦影を見ないままに作戦の一時中止が伝えられ、艦隊は燃料補給の為に反転して北千島に帰っていったことを書いた。
撤収部隊がキスカ島に接近していながらキスカ湾への突入を断念したのは、途中で霧が晴れたために空襲に遭う危険性が高まったことがその理由だが、もし霧が深かったとしても、霧を見通すことが可能なレーダーを装備していた米艦艇がキスカ島の哨戒にあたっていたので、砲撃戦となり大きな犠牲が出る可能性があった。

キスカ島には、撤退作戦の一時中止が伝えられた時点で三週間以上も補給が行なわれておらず、守備隊に残された食糧や弾薬はかなり乏しくなっていた。
そのうえ陸軍では、米軍のキスカ島上陸後に食糧を利用されないようにと、米などを土中に投棄する作戦命令が出ていたらしく、そのために食糧を台無しにしてしまった部隊があったようだ。

キスカ戦記

『キスカ戦記』の中から、陸軍曹長の田中繁広氏の手記を紹介しよう。

「…一時(撤退)作戦の中止が伝えられ、防空壕に隠した糧秣を引っ張り出して、天日に乾かして食糧を確保するなど『投棄せよ』との作命〈作戦命令〉が、日ならずして『確保せよ』と変わる有様。幸いわが中隊は、防空壕に米一俵を隠しておいたので助かったが、或る中隊は、作命どおり、糧秣を水溜りに投棄したので回収できず、その日から食料に困った。これも、かつてノモンハンの戦場を体験したわが中隊の歴戦者が、あの戦場で一粒の米もなく、乾パンと水だけで過ごした数十日の苦しみが忘れられず、命令に反して採った処置が幸いだった訳。」(『キスカ戦記』p.363)

その後もキスカ島には食糧の補給が行なわれず、わずかの食糧を更に2週間以上も食いつないだことになるのだが、7月22日になってキスカ守備隊の兵士たちに待ちに待った朗報が入る。

次に海軍水兵長の河西要氏の手記を紹介しよう。

7月22日朝食後、総員集合がかかり、27日から第2回目のケ号作戦*が開始されると伝えられた。今後は、どんなに状態が悪い場合でも作戦は決行するとの艦隊の決意だと聞き、本当に嬉しかった。だが、入港予定日などは何も分からない。無線封止だろうから連絡のあるはずもなく、われわれは27日から海岸に出て待機することになった。とはいえ、前回の失敗のことを思うと私にはどういうものか、帰れる希望は湧かなかった。この島に、結局は取り残される可能性の方が、遥かに多いように思えるのだった
 命より名こそ惜しけれ武士(もののふ)の
  道に乞うべき道しなければ
 どうせ長からぬ命、良い死に場所を得ていることに、感謝の念すら湧いて来るのだ。
 案の定、27日、味方は来なかった。28日は入港するかもしれぬというので、特に身ごしらえを念入りにして指揮所に行ったが、敵艦の砲撃を食ったり、夜間爆撃など、さんざんやられ、がっかりしてガランとした兵舎に戻るしかなかった。『敵はこの作戦を知っているのではあるまいか?』皆が心配顔でそう言った。」(同上書 P.358)
*ケ号作戦:キスカ守備隊撤収作戦

アリューシャン列島

河西氏は27日の夜に起こったことについて何も書いていないのだが、この日の出来事は重要なことなので補足しておこう。再び陸軍曹長・田中氏の手記の文章を引用するが、田中氏が26日と記録しているのは、キスカ島は日付変更線に近いためか、日本側の記録と1日のずれが生じているようだ。

7月26日、七夕湾南方海上にあって(22:30ごろ)一大海戦があり、てっきりわれわれを収容に来てくれたわが海軍と、米艦隊との遭遇戦と思い、翌27日、何らかの情報があるかと本部に問い合わしても、戦況全く不明とか、『ああ、わが艦隊も全滅せしか』とガッカリして海岸に行って見れば、浜辺に打ち上げられた残骸は全て米軍の物ばかりで、わが軍の物らしきは一品も見当たらぬ、どうやらこの海戦は勝戦らしいが、なんの連絡もないのは不思議と思うのも当然。ところが、米艦隊の同士討ちで、大損害を出した末アダックの基地に引きあげたとか。原因は濃霧の夜間、米監視船が、自軍の主力艦隊を、てっきり日本艦隊と思い込み発砲したのが事の起こり。わが方にとっては全く『天佑』そのもの、…」(同上書 P.363)

田中氏の手記にある、「米艦隊の同士討ち」というのはあとで判明したことで、27日の夜に何が起こったかはキスカ守備隊や収容艦隊のメンバーには知りようがなかった。
ちなみにキスカ島からアダック島の基地までは約400kmも離れている。敵の主要艦艇が補給のために基地に向かったのであれば、すぐにはキスカ島に戻れないことは言うまでもない。

陸軍少佐の藤井一美氏が、後に米軍の戦史を調べてこの日の出来事をこう解説しておられる。
「7月27日の夜10時過ぎ、キスカ島の将兵は、南西海上で盛んな砲声の轟き、はげしい光芒のひらめくのを見た。…
アメリカ軍の戦史を見ると、電波探知機の誤探による砲撃とあるが、いずれにしても、夜間霧中、レーダーは日本艦隊を補足したものと思い込み、これに猛攻撃を加え、多くの弾薬と燃料を消費してしまった。この補給のため、28日から29日にかけて米艦隊は包囲を解かざるを得ない破目となった。今にして想えば、その限られた四十数時間の隙に、わが収容艦隊は、そんなこととは露知らず、キスカ島鳴神(キスカ)湾に突入したのである。なんという偶然のもたらした成功の一因だろうか。」(同上書 P.404)

キンケイド提督
【キンケイド提督】

Wikipediaに米海軍の動きが纏められている。該当部分を引用させていただく。先ほど記したとおり、アメリカの日付は日本と1日のズレがある。

「7月26日、濃霧の中ミシシッピーのレーダーが15海里の地点にエコーを捕捉した。アイダホ、ウィチタ、ポートランドの艦隊各艦からも同様の報告を得たキンケイド中将は直ちにレーダー射撃を開始させ、約40分後に反応は消失。しかし、不思議なことに重巡サンフランシスコと艦隊の全駆逐艦のレーダーにはこの戦いの最初から最後まで全く反応がなかった。これは現在ではレーダーの虚像による誤反応を日本艦隊と見間違えたという説が一般的であり、勿論日本軍にも全く損害は出ておらず、一方的にアメリカ軍が無駄弾をばら撒いただけであった。この際アメリカ軍が消費した砲弾は36センチ砲弾118発、20センチ砲弾487発に上ると言われている。…7月28日(ケ号作戦実行日)*、敵艦隊を撃滅したと確信したキンケイド中将は弾薬補給のため一時、艦隊を後退させる。この時、キンケイドはキスカ島に張り付けてあった哨戒用の駆逐艦まで率いて後退してしまった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%AB%E5%B3%B6%E6%92%A4%E9%80%80%E4%BD%9C%E6%88%A6
*7月28日(ケ号作戦実行日):日本側の日付は7月29日

軽巡洋艦 阿武隈
【軽巡洋艦 阿武隈】

次に、再び河西海軍水兵長の手記を紹介しよう。

「29日、朝食をしていると、先任下士官が外で、『オーイ』と皆を呼んでいる。また早朝から爆撃かと外へ飛びだしたが、外は静かで、珍しく晴れた朝だ。先任下士官の指さす南高地の上空を見ると、今まで見たこともない雲が、渦巻きのようになっているではありませんか。ほかには一点の雲もないというのに。
『今日は艦(ふね)が入るぞ!』
 その雲を見ながら山崎兵曹が言った。私も、その不思議な雲を見た瞬間、そんな気持ちになっていた。
 九時頃までに二回対空戦闘があったが、十時二十分頃には、五、六米(メートル)先は何も見えなくなっていた。そして、十一時頃、撤退作戦行動開始が下令された。
 松が崎防備所からは、
『敵駆逐艦らしい音源あるも、霧のため近接せぬ模様』
『敵駆逐艦の音源次第に遠ざかり○○粁(キロメートル)』
『聞こえなくなった』
と情報が伝えられてくる。と、追っかけるように、
『松が崎○○度方向、○万○千、三隻以上らしい感度あり』
 の報告。いよいよ来たぞ!待ちに待った胸が躍る。
各見張所に視界状況を問い合わすと、
『霧深く、海上視界百米(メートル)内外』
 との答えだ。そして十二時頃、
『○○度○○粁、真っすぐキスカ湾に向かってくる。感度よりして五隻なること確実なり。』と、続いて、
『さらに二隻以上の感度あり』
 と言ってきた。味方であることは間違いない。だが、この濃霧をおかして入港できるだろうか?そうした私の危惧をはねのけるように司令は下令した。
『南高地!ラジオピーコン電波送れ!』
 私は夢中で送話器をとるとそれを伝えた。電波を送れば、艦隊は、電波の誘導で、真っ直ぐ入って来れるのだ。
『一番艦五千(米) 』と報告があったと思ったら、
『海面の霧は次第に薄らぎつつあり、視界千二百』
 と見張所からの吉報が入る。その時、今度は電探*から『○○度○○粁、感度あり』との報告。しまった、敵機かと思った丁度その時、海上に轟く二発の砲声を聞いたのである。『ああ、駄目だ。またしても裏切られた』そう思って私はがっかりした。
 一分か二分の重苦しい沈黙があたりを包んだ。と、今度は松が崎見張所の電話のベルが鳴る。電話口にでると
『一番艦見ゆ!阿武隈らしい』続いて、
『二番、三番艦見ゆ。一番艦入港。大発艇は艦に向かい発進しました!』

 と歓喜一杯の声が飛び込んできた。

大発動艇
【大発動艇(略して大発、大発艇という)】

 司令の命令が飛ぶ。伝える私の声も思わず熱気が入る。
『各砲台、機銃隊に残っている者も、兵器破壊!終わり次第速やかに海岸に集結せよ!』
 伝達し終わって湾内を見ると、一番艦、二番艦はすでに入港し、三、四、五、六番艦は向島と松が崎の間に進入しつつある。
 又も、電探からの電話が鳴る。
『○○度○○粁、哨戒機らしい!』との急報だ。
 各隊は皆撤収のため海岸に集合しているが、電探だけは、敵機の感度があったので、まだ陣地で任務を遂行しているのだ!
 今、敵機が出現したら、第五艦隊の主力がそっくり壊滅させられ、大発に満載されて湾内を走っている引き揚げ部隊も、海岸に待機している丸腰の各隊将兵も一挙にやられてしまう。危機感で背筋が凍るようであり、反対に頭の中は火のように熱くなった。

 向井副長は、口をぎゅっと引き締めたまま一言も発されない。と、またも電話が鳴る。
『電探より、八○度○○粁、少し遠ざかりました』
 との報告。それに続いて、戦闘指揮所の外に立って見張りをしていた佐藤兵曹が、
『一番艦出港します。二番艦も出港しはじめました!』と叫ぶ。それでも副長はまだ黙っている。
 収容艦隊はどんどん出ていってしまう。私たちや電探員たちは、このまま、ここに取り残されてしまうのではないか!? ふと不安になり気が落ち着かない。そして、
『電探より。九○度○○粁』と報告が入ると、それを待ちうけていたように副長は凛然と命令した。
『電信員引き上げ!』
 私がその命令を伝達し終わるや否や、小隊長が、
『戦闘指揮所爆破用意!』
と下令。火縄に点火した私たちは、小銃片手に駆け上がった。松が崎や、向島の山々には霧がかかっているが、海面はすっきりと晴れている。今まで穴倉のような戦闘指揮所の中で、電話と取り組んでばかりいた私は、この光景を夢ではないかと思いながらまじまじと見た。
最後の大発艇が私たちを待っていてくれた。電探の人たちも来ていた。私たちが、この島を最後に離れたのである。小銃を持っている者は海に投げよとの命令があり、身を守るただ一つの兵器も海中に投げ棄てた。ああ、もうキスカの島ともお別れかと思うと、長い間の苦闘のあとが懐かしく思い出された。」(同上書 p.358-360)
*電探:「電波探信儀」の略。レーダーのこと。

キスカ島の少年電探員
【キスカ守備隊の少年電探員】

少し補足しておこう。
河西氏が海上に轟く二発の砲声を聞いて、『ああ、駄目だ。またしても裏切られた』と書いている場面があるが、この砲声は、一番艦の阿武隈がキスカ湾の入り口近くにある小キスカ島を敵艦と誤認し、魚雷を発射したものであったという。このことは、この日の霧がよほど深かったことを意味しているのだが、ここで不思議なことが起こる。

キスカ島地図

再び陸軍曹長・田中氏の文章を引用したい。
「…さては、敵襲かと思いきや、これはわが艦隊が発射せる魚雷という。濃霧の中、隠密航海を続けている撤収艦隊が、小キスカ島を敵艦と見誤って発射せるもの。ところが、この魚雷の爆発のおかげならんか、今まで濃霧に覆われていたキスカ湾に奇跡的現象が起こった。爆発の直後、霧が何ものかに吸いとられるように天空に向かって移動を始め、ポッカリとドーナツ型にキスカ湾のみ晴れ上がったから、なんとも不思議。そこへ、わが水雷部隊が続々と入港してきたのだ。思わず万才を叫びそうになる。…」(同上書 p.363-364)

制空権も制海権も米軍にとられていた状況下で、たまたま敵の主要艦が補給の為にアダック島に向かっているタイミングに、キスカ島周辺に米機が飛べないほどの濃い霧が出て、撤収艦隊がキスカ湾に突入を決意する。ところが、濃霧であったはずのキスカ湾の視界が急に開けていって、水雷部隊のキスカ湾入港が無事に完了したというのだ。もし霧が深ければ、座礁や衝突の危険があったのだが無事に湾内に入ることができ、待ち構えていたキスカ島守備隊員5200名を、大発のピストン輸送によりわずか55分という短時間で収容し、全速力でキスカ湾を離脱したという。

キスカ守備隊および撤収艦隊にとってはまさに「天佑神助」というしかないような偶然が相次いで起こり、かくしてキスカ守備隊は敵軍に気付かれることなく、奇跡的に無傷で北千島に戻ることが出来たのである。

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Comment
ぺんで
感動的ですね。
「電信員引き上げ!」の号令がかかり、奇跡ともいわれた
キスカの全員撤退の瞬間に、この手記の筆者が確かに居たんだと思うと、涙が出てきます。
艦隊突入に何度か失敗したのは知っていましたが、
その間の兵隊さん達の気持ちや苦労はこんなだったのか、と、昔に思いをはせながら記事を読ませて頂きました。

Re: ぺんで
ぺんでさん、コメントありがとうございます。

私もこの手記を読んで感動し、涙がでてきました。

長い引用になりましたが、臨場感溢れるこの文章を削ることはできません。
体験した人にしか書けない文章には重みがありますね。


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Author:しばやん
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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