HOME   »  大正時代~第二次世界大戦~連合国占領期   »  キスカ戦記を読む  »  艦隊乗艦員の手記によるキスカ島守備隊撤退作戦……『キスカ戦記』を読む8

艦隊乗艦員の手記によるキスカ島守備隊撤退作戦……『キスカ戦記』を読む8

前回はキスカ島守備隊の兵士たちの手記を中心に紹介したが、今回は守備隊撤収のためにキスカ湾に突入した艦隊乗艦員の手記を紹介することにしよう。

ベーリング海での作戦行路

第1回目は、「6月25日、キスカは霧」という艦隊気象長の天気予報を信頼して、6月22日に全艦隊が北千島にある幌筵(ほろむしろ)を出撃したのだが、幌筵からキスカ島までは直線距離で1500kmも離れている。
気象衛星など最新機器を用いた今日の天気予報でも、数日先の天気などはあまり当てにならないものだが、レーダーも使わずにそんなに遠い場所の天気予報となればなおさらのことである。しかしながら、この作戦が成功するかどうかは艦隊がキスカ島の近くに到達した時点で、この島が霧で覆われていることが重要であった。
したがって、艦隊出撃の決断のきっかけとなる天気予報を出す艦隊気象長の責任は極めて重大であった。

『キスカ戦記』に艦隊気象長・竹永一雄氏の手記が出ているので紹介しよう。まず第1回目の出撃の場面である。

「…艦隊はキスカのはるか南方海上の霧の中で、私の予報した霧がキスカにかかるのを待っていた。
 ところが目標の25日はおろか、その後もキスカは毎日晴れ上がり、霧ひとつかからない。実は、この作戦のため、あらかじめ二隻の潜水艦と五隻の気象観測船をキスカ周辺に配置して霧の観測をやらせていたが、報告のため電波を出させていたのが命とりになって全部撃沈されてしまうという致命的な打撃を受け、あの広大な北太平洋で、観測所は私の乗艦とキスカ基地だけしか無くなってしまった。これでは予報は当たる方が不思議なくらいである。現在と違って、北方に関する気象の資料に乏しく、レーダーなど勿体ないのであるから推して知るべしである。
私は一日に四回、かじかんだ手で、艦の動揺に悩まされながら天気図を書いていたが、霧がでるかでないか全く見当がつかない。しまいには、艦内神社に神頼みをしたり、鉛筆を立てて占って見たり、正に苦悩の果てのノイローゼ気味であった。」(『キスカ戦記』p.389)

この時は1週間以上待っても霧はかからず、前々回の記事で書いた通り、燃料不足のために北千島に引き返したのだが、竹永大尉は「上司からはドヤされるし、兵学校出の士官連中からはサンザン殴られるしで生きた心地はなかった。なんどか海に飛び込んで死のうと思ったが…死にきれなかった苦い思い出は今も忘れない。」と書いている。竹永大尉の記している通り、観測所がたった2箇所だけで、1500kmも遠方地点の3日後の天気を予測するというのはそもそも無理な話である。

しかしながら、撤収作戦が再度実施されることとなり、二度目も竹永大尉の天気予報に基づき、7月25日に全艦隊が出撃したのである。竹永氏は再び艦内で苦悩する。

「ところが、なんたること、はじめに予想していた低気圧は一日早くキスカを通り過ぎてしまった。それからは、また霧が発生しない。みんなイライラして私を責めたてるが、私だってどうしようもない。またまた、燃料が心配されるところまで追いこまれた。私も今度こそは真剣に自殺の方法をあれこれ考えていた。
 ドタン場の29日、待望の低気圧がアリューシャンに出てきたではないか!私は大声を上げて参謀長の許へ飛んで行って、
『霧が出ます!』
と報告した。
 全艦隊がキスカに接近すると、予想通りのすごい霧である。それこそ、ウドン粉の中に顔を突っ込んだようで、一寸先も見えないのだ。
そして一時間半後に世紀の撤収作戦は成功した。私は一時に気が緩んでぐったりしていた。」(同上書 p.390)

しかしながらここまで霧が深いと、前方に何があるか、味方の艦艇がどこにいるかも分からなくなって、船の航行が極めて危険なものとなる。

駆逐艦「響」
【駆逐艦 「響」】

『キスカ戦記』に駆逐艦響(ひびき)に乗船していた海軍水兵長・石井仁行氏の手記にはこう記されている。

「…28日は、是が非でも突撃してくれることを願う次第なり。夜に入って視界は益々悪くなってきた。一寸先も見えぬとはこんなことをいうのだろう。
 突如、旗艦より『触傷を受く!』との電話あり、刻々詳報伝えられる。大要は左(以下)の如し、
 触突(追突)艦、計四隻。うち三隻触傷を受く。三隻中、一隻は微傷にて作戦参加可能。他の二隻は、目下浸水しつつあるも戦闘航海に支障なし、出し得る最大速力12ノット*。
 速力12ノットではキスカ島突入はとてもおぼつかない。突入を目前にして警戒隊の二隻に損傷を蒙りたるは実に残念である。明日の突入は如何になるにや。
 28日。『突撃しばらく見合わせ』の信号来たる。
 霧中航行中、触傷艦発生の突発事故を招きたるは、思うに神霊の教導を暗示するようである。このまま引き返したら、水雷戦隊の名誉は勿論、帝国海軍の面目玉にかかわるは歴然たり。陛下の艦を損傷せしめてなんでおめおめ帰れよう。」(同上書 p.391-392)
ノット:1時間に1海里(1.852km)進む速さ。12ノットは時速22.2km。

海防艦国後
【海防艦 「国後」】

この時に損傷を受けたのは実際には五艦あり、海防艦国後(くなしり)の艦首が先頭を進んでいたはずの巡洋艦部隊の阿武隈(あぶくま)の左横腹に衝突し、それを見ていた木曽は辛うじて阿武隈との衝突を免れたものの、後方を進んでいた第二十一駆逐隊の若葉、初霜が操艦間に合わず衝突したところに後続の長波が激突してしまった。損害の大きかった若葉と初霜は艦隊から離脱を余儀なくされ、幌筵(ほろむしろ)島に帰されてしまったという。

キスカ富士と霧
【キスカ富士 (晴天時)】

しかし、霧の中の航海で心配なのは艦船同士の衝突だけではない。敵との遭遇もありうる。
また島の周囲には多くの岩礁が散在しており、これにぶつかる危険もあった。
接岸航行のためには海図上の的確な位置を知る必要があったが、十一時三十分ごろ霧が流れて、一分程度キスカ富士の姿が見えたという。そのおかげで、艦隊の位置が確認できコースに乗ることが出来たのだそうだ。

そして、最後の燃料補給が行なわれた。もう突入するしかない。
そして夜間訓練中に放送が入る。再び駆逐艦響に乗船していた石井水兵長の手記を引用する。

「…『訓練止め。夜戦に備え!』が令さる。続いて『明日、キスカに突入』と伝う。通信士の太く澄んだ声が、伝声管を響かせた。通信士は、
『最近における敵の情勢。天気の良い日は毎日大型、小型八機編成でキスカを銃攻撃しあり。一日の延機数八十機。敵艦艇動静、甲巡三隻、駆逐艦五隻乃至(ないし)六隻にてキスカ島近海を哨戒、砲撃す。天候霧雨にて突撃に絶好の機会なり、終り』
 この声を聞き終わった時の嬉しさ、天にも昇る思いだ。
 わが水雷戦隊は一路キスカに向かい航行を開始す。正に天佑神助とやいわん、濃霧は視界を遮り、本作戦成功疑いなしの予感、果たして的中するや否や。当直までの一刻を、明日の突入に備え休むべく居住区へ降りて行く。どすんどすんと外舷に打ち寄せる波の音が激しくなってきた。艦は高速でぐんぐん突っ込んで行きつつあり。
 明くれば二十九日。〇一・〇〇総員配置に就き本作戦における最後の訓練をなす。…
〇九・〇〇、…刻々キスカに近づきつつあり、幸いにして、いまだ敵哨戒機に発見されておらぬ模様。艦首方向零度。左回りしつつ湾口に近づきつつあり。
 …
『一三・〇〇湾口突入、一三・三〇入港予定』と艦橋伝声管は報じ来る。余すところ二時間あまり。乗員各々配置に就き、いずれも白鉢巻も勇ましい戦闘服装なり。
 刻一刻、緊張の時は刻む。私も短刀を懐中に闘魂を新たにす。敵機の通信電波を待ち受くるも、基地発信電波のみにて、敵の発信電波なし。敵哨戒機果たして何処にありや。わが水雷戦隊の突入を感知せざるは敵の油断もさる事ながら、実に天佑神助というの外なし。
 一三・〇〇、遂に突入!湾口突入。視界良好になりし模様なるも、艦全体不気味な沈黙を守っておる。
 突如!旗艦より『左三十度方向に敵艦発見!』と報じ来る。一秒、二秒――― 二分、三分以後敵情に関しなんら報ずるところなし。
 遂に海戦か!私は佐藤兵長と顔を見合わせた。他の面々も決意の色濃くありありと現われるも、互いに快心の笑を浮かべるのみにて語らず。わが水雷戦隊はなおも堂々の進撃を続行す。続いてまた『左五十度方向に敵艦』と船橋伝声管は叫ぶ。
 しばらくして、敵艦と報じたるは、島の誤りなりと伝えてきた。されど、一同黙して語らず、一時たりとも油断は許されず。錨地まであと二十分、艦は黙々と進む。

大発動艇

 一三・三〇、予定通り投錨を完了す!既に大発艇は、キスカ島守備の勇士たちを乗せ、堂々と整列するわが水雷戦隊の各艦目ざして驀進し来たる。
 視界は良好となり、各艦の収容作業一目瞭然に映し出され、いささか気がかりなり。しかし、霧は空低く垂れこめ、敵機も余程の超低空飛行せぬ限り発見される恐れなし。
 わが乗艦響(ひびき)より見れば、眼下に停止せる大発には、陸軍守備隊員が鈴なりに乗っている。あっと見る間に、一斉に銃を海中に投じて艦によじ登ってくる。一刻を争う時である、急がねばならないのである。
 大発の処分は、最後に残った勇士がツルハシを振って穴をあけ海没せしめた。全員乗艦完了。大発の沈没を見守りつつキスカに訣別した。
 一五・〇〇旗艦を先頭に、わが水雷戦隊は堂々と進発を開始す。ああ、この厳然たる偉容を目のあたり見るとき、帝国海軍の一員として、国防の第一線に活躍できる身の幸福を誰か思わぬ者があろう。」(同上書 p.392-393)


かくして、陸軍2410名、海軍2773名、合計で5183名を収容した艦隊は全速力でキスカ島を離れ、7月31日から8月1日にかけて幌筵に帰投、キスカ守備隊員たちは、当時わが国の国土であった北千島の土を踏むことができたのであった。

キスカ島から潜水艦で司令部のある幌筵に渡り、第五艦隊司令長官にキスカ島守備隊の撤収を進言した藤井一美陸軍少佐は、巡洋艦木曽に乗艦して、この撤退作戦が大成功に終わったのを見て感激し、涙したという。

pic19430529n.jpg

藤井氏はこの作戦について、『キスカ戦記』で次のように纏めておられる。
「こうして、天佑ともいうべき海霧の状況、敵封鎖艦隊の引揚、指揮官の名察、陸海軍の協同など、この作戦が成功した要因をあげることができるが、私は、最後の原因としてアッツ島玉砕勇士英霊の加護があったことを信ぜざるを得ない。
 キスカ島周辺における米艦隊の包囲解除という驚くべき錯誤は、7月29日であり、この日にわが艦隊が突入を決行し作戦は成功した。奇しくもこの日は5月29日というアッツ島守備隊玉砕2カ月後の命日である

 また、キスカ突入の前夜、敵艦隊のレーダーに写り、その弾薬と燃料の消費を強いたのも、山崎部隊の霊魂が創り出した、幻の日本艦隊であったように思われてならないのである。
 兵家の言に『戦場の実相に処し、正しい判断を誤らず常に自らの必勝を信じて一致団結、精魂を傾けるところに戦勝の道は開け、神仏の加護もある』とあるが、このことをつくづく知った次第である。」(同上書 p.405)

「アッツ島の戦い」について少し補足すると、アッツ島守備隊の兵力は2650人とキスカ島の半分以下にすぎなかった。日本軍は、米軍が最初に上陸するのはアメリカ本土に近いキスカ島であろうと考えていたので、キスカ島に多くの守備隊を置いたのだが、米軍は防備不全なアッツ島に11000人の兵を送り込んで2、3日で奪取したのち、キスカ島を孤立させて攻略する作戦に出た。

北海守備第2地区隊長 山崎保代
【部隊長 山崎保代】

米軍がアッツ島に上陸を開始したのは5月12日のことだが、アッツ島の守備隊は必死の抵抗を続け米軍を手こずらせた。しかしながら、28日には守備隊のほとんどの兵が失われ陣地は壊滅し、翌29日に山崎部隊長以下残存兵300名が最後の突撃を行ない玉砕したのである。
しかし、アッツ島の守備隊は勇敢に戦った。圧倒的な兵力差がありながら、18日間戦い抜き、米軍には戦死者が600人、戦傷者が1200人出たという。

藤井氏の文章の「キスカ突入の前夜、敵艦隊のレーダーに写り、その弾薬と燃料の消費を強いたのも、山崎部隊の霊魂が創り出した、幻の日本艦隊」というくだりは、前回の記事で書いた7月27日の夜の出来事を指している。この日に米艦隊が、レーダーの誤反応を日本艦隊と見間違え、濃霧の中で36センチ砲弾118発、20センチ砲弾487発を撃ちまくり、弾薬補給の為に400kmも離れたアダック島の基地に戻って行ったことを指している。確かに、日本軍に対する異常なまでの恐怖心がなければ、米軍がこんな無駄な弾薬の使い方はしないのではないかと私は思う。

「アッツの英霊のご加護」という言葉は、藤井氏だけが書いているのではない。『キスカ戦記』を読むと、何人かが同様のことを書いておられる。

例えば海軍上等兵曹の森勇氏は
アッツ島で玉砕された方々のご守護によって内地の土を踏むことができた私らは、心から玉砕された方々のご冥福をお祈りせずにはおれません。」(同上書 p.379)

また海軍上等主計兵の伊藤正俊氏は
「幌筵へ帰投航海の途中、アッツ島沖合を通過するとき島のほうから『万歳』の声が聞こえ、アッツ島の英霊がわれわれを守ってくれたと艦内の話題になったが、奇しくも撤退成功の日、7月29日は、アッツ島玉砕の2ヶ月目の命日であった」(同上書 p.382)
とあるので、多くの兵士が藤井氏と同様な思いを懐いていたようなのだ。

アッツ島沖合で英霊たちが『万歳』と叫ぶことはなかったと思うのだが、多くの兵士がそう感じたほど、不思議なくらいに幸運な偶然が重なったことは事実なのである。

「歴史にイフは禁物」という言葉に逆らって恐縮だが、もしアッツの守備隊が米軍の当初の目論見通り2~3日で米軍に敗北を喫していたとしたら、その後はどのような展開になっていたかを考えてみたい。その場合は、おそらく米軍のキスカ島上陸はもっと早く実行に移されて、キスカ守備隊の多くは生きて帰ることが難しかったと思うのだ。

アッツ島玉砕のあと、米軍は2ヶ月以上もキスカ島への空襲や艦砲射撃を執拗に繰り返し、キスカ守備隊が撤退した後も2週間にわたって無人の島の爆撃・砲撃を続けたのだが、このことは、アッツ島の守備隊が米軍との兵力差をものともせず、18日間を戦いぬいて玉砕したことと無関係ではないだろう。
米軍は、アッツ島の守備隊に対して何度も降伏を勧告したのだが、彼らはそれに応じることなく、最後まで戦いを挑んできたことに驚き、そして死をも恐れずに戦う日本兵に怖れを抱いたのだと思う。だから7月27日には濃霧の中で「幻の日本艦隊」に対し大量の弾薬を費消して、肝腎な時にアダック島の基地に補給に戻ることを余儀なくされたとは言えないか。

そう考えていくと、「奇跡」と言われたキスカ島の全軍完全撤退を成功させたのは、アッツ島守備隊の勇気ある戦いがその重要な要因の一つであるという見方ができるわけで、そのことをキスカの兵士たちの多くが感じて、「アッツ島の英霊」のおかげで自分たちは内地の土を踏むことが出来たと感謝したということなのだろう。

**************************************************************
ブログパーツ

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
    ↓ ↓         


にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



【ご参考】紅葉の季節にこんな旅行はいかがですか

浄瑠璃寺から岩船寺へ~~秋深まる当尾の里の名刹と石仏を訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-421.html

海住山寺から神童寺、蟹満寺を訪ねて
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-422.html

洛北の紅葉の名所を訪ねて~~実相院から圓通寺へ
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-423.html

妙満寺、圓光寺、金福寺の秋を楽しんで
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-424.html

古き日光の祈りの風景を求めて~~日光観光その1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-352.html

紅葉し始めた日光の輪王寺と東照宮を歩く~~日光観光その2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-353.html

日光二荒山神社から国宝・大猷院へ~~日光観光その3
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-354.html

日光の秋を求めて憾満ヶ淵から田母沢御用邸へ~~~日光観光その4
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-355.html





関連記事
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
FC2カウンター 
アクセス累計
最近の記事プルダウン
全記事表示リンク
ブログ内検索
『しばやんの日々』のブログ内の記事をキーワードで検索できます。検索された全てのブログ記事と、記事の最初の文章が表示されます。
プロフィール

しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
従来のメインのブログでは読者の皆様から、数多くの有益なコメントを頂きましたが、コメントまでは移しきれなかったことをご容赦願います。

またBLOGariは平成29年の1月31日付けでブログサービスが終了することが決定しています。BLOGariの旧メインブログの「しばやんの日々」はその日以降はアクセスができなくなりますことをご承知おき下さい。

***********************
Facebook、twitterなどで記事を拡散していただいたり、リンクしていただくことは大歓迎ですが、このブログ記事のURLとブログ名は明記していただくようよろしくお願い致します。

コメント、トラックバック共に歓迎しますが、記事内容とあまり関係ない内容を論拠を示さないまま一方的に自説を唱えたり、どこかの掲示板などの文章をまるまる引用しているだけのコメントは削除させていただくことがあります。

また、お叱りや反論もお受けしますが、論拠を示さないで一方的に批難するだけのものや、汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメントなど、不適切と思われるものぱ管理人の権限で削除させて頂く場合がありますので、予めご了承ください。
***********************

リンク
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
新しいカテゴリに移すなど、カテゴリを時々見直すことがありますので、記事をリンクされる方は、個別記事のURL(末尾が"/blog-entry-***.html")をご利用ください。
年別アーカイブ一覧
RSS登録er
タグクラウド

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
日本語→英語自動翻訳【星条旗】
このページを英訳したい人は この下のEnglishの部分をクリックすれば ある程度の英語の文章になるようです。
ブログランキング
下の応援ボタンをクリックして頂くと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
おきてがみ blogram
ブログランキングならblogram
文字を大きく・小さく
    月間人気記事ランキング
    個別記事への直接アクセス数の今月1日からの合計値です。毎月末にリセットされます。このブログのアクセスのうち6割以上は検索サイト経由、約2割は何らかのリンクを辿って、過去の記事のURLに直接アクセス頂いています。
    51位以降のランキングは、リンク集の「『しばやんの日々』今月の人気ページランキング (全)」をクリックしてください。
    人気ブログランキング 日本史
    「人気ブログランキング」に参加しているブログの1週間の応援ボタンのクリック件数を集計し、日本史部門でランキングを表示したもの。
    ブログ村ランキング 日本史
    にほんブログ村に参加しているブログの、1週間の応援ボタンのクリック件数を集計し、日本史部門でランキングを表示したもの。
    ツイッタータイムラン
    逆アクセスランキング
    24時間の逆アクセスランキングです。表題の「アクセス解析研究所」をクリックすると、詳細な解析結果が分かります。
    ブロとも申請フォーム
    おすすめ商品
    旅館・ホテル