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無人のキスカ島に上陸した米軍に多くの死傷者が出た事情……『キスカ戦記』を読む9

昭和18年7月29日、濃霧の中でキスカ島守備隊の撤収作戦が敢行され、艦隊は守備隊5183名全員を収容後キスカ湾を全速で離脱し、その後も深い霧に包まれて無事に空襲圏外に無事に脱出して、7月31日から8月1日にかけて北千島の幌筵(ほろむしろ)に全艦無事に帰投している。

米軍上陸前に投下された伝単

一方、米軍はキスカ島守備隊が撤退したことを把握していなかった。
前回記事にも書いたが、7月27日の夜に米艦隊が、レーダーの誤反応を日本艦隊と見間違え、濃霧の中で36センチ砲弾118発、20センチ砲弾487発を撃ちまくり、弾薬補給のためアダック島に戻っていたのである。日本軍はそのことを知らなかったのだが、たまたま7月29日のキスカ島に深い霧が出てキスカ守備隊全員撤収を成し遂げた。補給を終えた米艦隊は7月30日にはキスカ島に戻って島の封鎖を再開し、その後2週間にわたり無人となった島に艦砲射撃を繰り返している。もちろん爆撃機や戦闘機による空襲も続けられていた。上の画像は、日本軍の戦意を喪失させるために米軍機から大量に撒かれたビラである。

キスカ島に向かう前にアダック島に碇泊している米艦隊
キスカ島に向かう前にアダック島に碇泊している米艦隊】

米軍はキスカ島上陸とする作戦に向けて着々と準備を進め、予定通り8月15日に100隻余りの艦艇を動員し、34426名の兵士を送り込んで島の西海岸に上陸を果たしているのだが、その動員した兵力が、直近までキスカ島に残っていた守備隊兵力の6倍をはるかに上回る規模であったとは驚きだ。

キスカ島上陸

上の画像は米軍のキスカ島上陸時のものだが、兵士の表情がどことなく不安げで闘志があまり感じられないのは私だけだろうか。

ドナルドキーン自伝

日本文学・日本文化研究で名高いドナルドキーン氏は、米軍より日本語通訳のために必要だとして、無人のキスカ島に渡ったメンバーの一人である。中公文庫の『ドナルドキーン自伝』にはキスカ島上陸時のことがこう記されている。

「8月、アメリカ軍はキスカ島を攻撃した。これも日本軍が占領していた島だった。数週間にもわたって、写真分析班は日本の部隊が動いている形跡は何もないと言い続けていた。彼らの判断では、日本軍はすでに島を離れていた。しかし偵察機の操縦士たちは、現在も高射砲の攻撃を受けていると主張した。操縦士の言葉が信用され、作戦は予定通り進められた。上陸直前になって、ケーリーと私は真っ先に上陸するように命じられた。日本兵が事実残っているかどうか確認するためだった。これは決死隊の任務に等しかった。幸運なことに、操縦士は間違っていた。島には、1人の日本兵もいなかった。私たちは、地下の司令部を見つけた。テーブルのまわりに置かれた座布団は、アメリカ国旗で作られていた。黒板には英語で『おまえたちは、ルーズヴェルトの馬鹿げた命令に踊らされている』と書いてあった。
 私たちに続いて、アメリカの部隊が上陸した。戦うべき相手がいなくて、誰もがほっとした。しかし数日後、別の衝撃が私たちを襲った。海軍の通訳の中でも一番無能な男が、標識を見つけたといって私の所へ持ってきた。『もちろん大体の意味は分かるが、幾つか不確かなところがあるのでね』というのだった。
標識の文字は、この上なく明快だった。――ペスト患者収容所。ペストの血清を送るように要請する電文が、急遽サンフランシスコへ向けて打たれた。それからの数日間というもの、私たちはペストの証拠である斑点が現れていないか不安な面持ちで身体を眺めまわしたものだった。その後何年もたってから、キスカに駐屯していた日本軍軍医の妻が明らかにしたところによれば、彼女の夫はアメリカ軍が見つけることを予期して、その標識を書いた。つまり、冗談だったのだ。しかし、誰も笑わなかった。」(『ドナルドキーン自伝』Ⅰ-9)

キスカ指令室の落書き

ドナルドキーン氏がキスカ島で見た、日本軍の落書きと思しき写真がAlaska’s Digital Archivesに残されている。URLを紹介しておく。
http://vilda.alaska.edu/cdm/singleitem/collection/cdmg21/id/10290/rec/51

キスカ戦記』には、撤収する前に上陸後の米軍を攪乱する目的で、軍服を着せた人形を高射砲の砲座にくくりつけたり、食卓上に食事を準備しているように見せかけたり、洗濯物を大っぴらに風にはためかせたり、地雷やダイナマイトを仕掛けたり様々な仕掛けをしたことが書かれていたが、「ペスト収容所」というのも日本軍が考えた仕掛けの一つなのだろう。

ドナルドキーン氏は何も書いていないのだが、米軍のキスカ島上陸時に少なからずの被害が出ている。Wikipediaによると戦死者122名、行方不明191名、駆逐艦1隻大破と、無人島に上陸したにしては結構大きな被害である。
駆逐艦の大破は触雷によるものだそうだが、戦死者が多かったのは別の理由である。なぜ無人の島に上陸した米軍にこれだけの戦死者が出たのか。
この間の事情は、Wikipediaの解説がわかりやすい。

戦艦ペンシルバニア
【戦艦ペンシルバニア】

当時アメリカ軍は前例(アッツ島での玉砕)により、『撤退作戦の失敗が重なれば日本軍は直に徹底抗戦に出るだろう』と考えていたことに加え、撤退作戦前日にレーダーの誤認を日本軍の艦艇と勘違いし砲撃し、撃退したと思い込んでいた。その後、弾薬補給のため一日だけ警備ががら空きになっていた日に、(アメリカ軍の事情はもちろん知る由もない)日本海軍が救出作戦を行っていたため、アメリカ軍としては『前日に日本軍艦を砲撃し、撃退した』ので、次の日もノコノコと日本軍が救出作戦を試みるなど、予想が出来なかったのである。もちろん弾薬補給の後、アメリカ軍は翌日には海上封鎖を再開していた。
アメリカ軍は勿論日本軍が撤退したとは知らなかったため、通常通り艦砲射撃を行い、上陸作戦を行った。そのため上陸後、周囲を警戒するが、『いるはずの日本軍』が一向に攻撃を仕掛けてこないので兵士たちは疑心暗鬼に陥ってしまった。『いつ不意を付かれて襲われるか分からない』と更に兵士達の緊張状態が高まった結果、動く物を無差別に日本軍兵士と勘違いし同士討ちが起きたのである。アメリカ軍は前述の通り日本軍の撤退を知らなかったため、同士討ちが起きても仕方ない状況だったと言える。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8%E4%BD%9C%E6%88%A6

キスカ島の日本軍は犠牲者を出さずに米軍に多大な損害を与えたことになるのだが、戦後のわが国では、このような戦勝国アメリカにとって都合の悪い史実はあまり知らされてこなかったし、また、日本軍の兵士たちが、人間的に温かみのある存在であったことについても描かれることはほとんどなかったと言って良い。

キスカ島に残された米空軍勇士の墓

キスカ島に上陸した米軍の兵士が、日本軍がたてた米軍のパイロットの墓を発見してカメラに収めている。上の画像は米国ではネットで多くの人が紹介しているようで、ネット検索で容易に見つけることができる。
墓標にはこう記されているのが読める。
“Sleeping here, a brave air-hero who lost youth and happiness for his Mother land. July 25 - Nippon Army.”
http://greatestgeneration.tumblr.com/post/43684663217/a-grave-marker-on-kiska-island-in-the-aleutians#.WCb6v9XfOUk

この墓は昭和18年の7月にたてられたものだが、同年の3月にも米軍兵士の墓をたてた記録が『キスカ戦記』に出ているので紹介しておこう。

昭和18年3月17日にキスカ島松が崎高角砲台の1番砲が被弾し23名の死傷者が出た。それから毎日のように対空戦闘が続き、3月31日に撃った弾が敵機5機のうち1機に命中し、キスカ湾上空で空中分解をはじめて回りながら海中に墜ち、敵機搭乗員の1人は黒焦げになってすぐ近くの谷間に落ちていたという。

松が崎砲台長・海軍大尉の三輪勇之進氏の手記にはこう書かれている。
「一番砲の戦友が死んだ時、砲台員は『敵の奴ら落ちて来てみろ、ただでは捨てておかんぞ』という言葉を繰り返した。私も敵を捕らえて一寸刻みに斬り殺したいと何度思ったかわからない。だが、黒焦げになって落ちてきた敵飛行機搭乗員の死体は誰が言い出すともなく土の中に葬られた。そして木の十字架をたて『アメリカ飛行士の墓、昭和18年3月31日戦死』という墓標が建てられた。鬼畜のような敵アメリカ人、戦友の命を奪った敵の端くれ、その死体を葬るよりほかに鬱憤の晴らし方を知らぬ部下の気持ちが私にはよく判った。それは武士道というものをも超えている。私も私の部下もこの自分自身の気持ちを持て余しながらどうすることもできないのだ。」(『キスカ戦記』p.238)

無名戦士の墓

以前このブログで、南京陥落に際して日本軍の死者だけでなく中国兵の死者の墓標を立てたことを写真付きで紹介した。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-245.html

日本兵は、仲間を何人も殺してきた憎むべき敵の兵士の亡骸を丁重に葬ってきたことについて、もっと広く知られて良いと思うのだが、戦後の長きにわたりわが国では、日本軍人のいい話が、マスコミや教材などで封印され、軍人は悪い存在だとして貶められてきた。しかしながら、憎き敵兵の墓標を立てて仲間と共に弔う軍人が「邪悪な存在」であろうはずがないではないか。

このブログで何度か書いてきたが、いつの時代もどこの国でも、勝者は勝者にとって都合の悪い史実を封印し、勝者にとって都合の良いように歴史を書き替えるものである。
そして戦後のわが国でマスコミや教育機関を通じて広められてきた歴史叙述は、所詮は第二次大戦の戦勝国にとって都合の良いように描かれたものであると言って良い。

中国軍が、わが国を戦争に引きずり込むために大量日本人居留民を虐殺した話や、都市空襲や原爆投下、シベリア抑留など戦争犯罪の重さはむしろ戦勝国側にあると思うのだが、多くの戦争犯罪に手を染めた彼らが「戦勝国にとって都合の良い歴史」を描くためには、日本に勝利することに大義があったというストーリーにするしかなく、そのためには日本軍はよほど邪悪な存在でなければそれが成り立たないことは、少し考えれば誰でもわかる。

「戦勝国にとって都合の良い歴史」を広めようとする側にとっては、日本の軍人のなかに国民の英雄が何人も存在したり、兵士が肯定的に描かれることは拙いことであり、そのために、戦前は教科書で英雄とされた乃木希助や東郷平八郎が、最近の標準的な教科書では名前すら記載されなくなってしまっている。司馬遼太郎が、小説の中で史実を無視して乃木希助を「愚将」と貶めて描いたのも、同様な理由で、何らかの圧力があったのではないかとも思う。

しかしながら、終戦後70年以上が経過し、戦勝国間の関係が大きく変化してきた。アメリカは財政的な理由からアジア太平洋地域に対する軍事関与を控えようとする動きがあり、一方で東アジアにおける中国の強引な海洋進出を警戒する動きもある。
中国にとってはわが国の国民の大多数がいつまでも『自虐史観』に洗脳されている状態が好都合なのだろうが、アメリカはその逆を考えることになるだろう。「戦勝国にとって都合の良い歴史」は、次第に一枚岩ではなくなっていくことになる。
ここ数年来、東京裁判史観を否定する書籍がわが国で相次いで出版されているのだが、それもその動きの一部であるのかもしれない。

最近の近現代史出版物

また、最近の歴史研究の動きは、近い将来に東京裁判史観を覆す可能性を秘めている。
第二次大戦前後にアメリカ国内に多数いたソ連のスパイやエージェントがモスクワの諜報本部と交わした極秘通信をアメリカ陸軍省特殊情報部が傍受していて、1946年以降に解読に成功した文書を『ヴェノナ文書』と呼ぶが、近年この研究が進んで、日米の政権や軍部の中枢部にソ連のスパイやエージェントが多数暗躍していたことが明らかとなり、日米戦争を惹き起こしたのはソ連のスパイたちであったという視点に立って、アメリカでは近現代史の見直しが進んでいるという。

このような研究成果が今後どの程度わが国に紹介されるかどうかはわからないが、いずれ「日本の軍国主義者が世界征服を狙って大東亜戦争を引き起こした」とする東京裁判史観は否定され、近現代史は全面的に見直される流れが強まることになるのだろう。

キスカ戦記

随分脱線してしまったが、キスカ島の話に戻そう。
京都にいる友人の紹介により奇跡のキスカ撤退作戦を経験された中村さんという方から体験談を拝聴する機会があり、その際に貴重な『キスカ戦記』という本を預かって、兵士たちの手記を読みながらここまで連載を続けてきた。

25mm機銃と兵士

私にとってはこれだけ多くの兵士たちの手記を読むのは初めての経験であったが、読み進んでいくと彼らの苦悩が痛いほど伝わってきて何度も涙がにじんだ。
ひと昔前なら、私自身もマスコミの垂れ流す歴史観に洗脳されていたので、戦争原因を作った日本軍兵士の手記などに見向きもしなかったと思うのだが、今回キスカ守備隊兵士たちの手記を読んで、その男らしさに感動し、最前線で身命を賭して戦われたことに感謝したい気持ちになった。

戦争となって最前線に派兵された兵士たちが、充分な闘志もなく、簡単に戦いに敗れてしまっていたとしたら、戦後のわが国はどうなっていただろうか。ドイツや朝鮮半島と同様に戦後日本列島は戦勝国に分断され、今も白人に支配されている国に成り下がっていてもおかしくなかったのではないか。

北清事変連合軍兵士

以前このブログで、義和団事変のあと英仏露独などの連合軍に統治された北京では、日本軍が統治した地域以外はいたるところで連合軍兵士による略奪や強姦が起こったことを書いた。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-324.html
わが国が第二次大戦敗戦後にこの時の北京のような修羅場にならなかったのは、日本軍兵士が勇敢に戦ったことと無関係だとは思えないのだ。

マスコミなどが垂れ流してきた「日本軍人を邪悪な存在」とする従来のイメージを一旦リセットして、このシリーズで紹介した『キスカ戦記』の兵士たちの手記を多くの人に読んで頂きたいと思う。軍国主義臭のない、愛国心溢れる昔の日本人兵士たちの生の声が、なぜわが国のマスコミなどでほとんど伝えられてこなかったかについても考えて欲しい。

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【ご参考】ソ連のスパイやエージェントはわが国の政府や軍部の中枢にも根を張っていたことは、多くの史料で確認できますが、戦後のわが国では、「戦勝国にとって都合の悪い史実や史料」などは長い間封印されてきました。

興味のある方はこのブログの「戦争と共産主義」カテゴリーの記事をいくつか覗いてみてください。

昭和初期以降、わが国の軍部が左傾化した背景を考える
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-410.html

ロシア革命後、ソ連はいかにして共産主義を全世界に拡散させたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-411.html

日本共産党が軍を工作するために制作したパンフレットなどを読む
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-412.html

わが国はいかにして第二次世界大戦に巻き込まれたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-447.html

『近衛上奏文』という重要文書がなぜ戦後の歴史叙述の中で無視されてきたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-448.html

スターリンの罠にかかって第二次大戦に突入したことをわが国から教えられた米国の反応
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-449.html

日本共産党が在日朝鮮人と連携し武装闘争に走った時代を忘れるな
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-450.html


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Comment
ありがとうございます
いつも楽しみに拝読しております

私も今回の記事、涙無くしては読めませんでした。
ご健在のドナルドキーン氏が、米軍サイドから
証言して下さっているのもありがたいことです。
極限の状態で、理性・知性を失わなかった、
まさに奇跡の軍の記録です。
終戦記念日には、慰霊の想いだけでなく、
その勇敢さに感謝の想いも込めてお祈りしたいです。
Re: ありがとうございます
かめいとさん、嬉しいコメントをいただきありがとうございます。
とても励みになります。
はじめは3回くらいの連載のつもりで書き始めましたが、兵士達の手記を読んでいるうちに何度か目がしらが熱くなり、なんとか読者の皆さんに少しでも伝えたいと思って、書いているうちに長い連載になりました。
最後まで読んでいただきとても嬉しいです。
このような史実が多くの人びとに広まることを祈っています。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
Re: お疲れ様でした
一○○人さん、コメント頂きありがとうございます。

「キスカ戦記」を購入されたのですね。読者の方にそこまで関心を持っていただいてとてもうれしいです。

実は私もキスカ島奇跡の撤退を経験した中村さんから預かった本を汚してしまってはいけないので、この本をネットで買いました。ご指摘の犬の話は書こうかなとも思ったのですが、原稿が長くなりすぎるので割愛した経緯にあります。
鳥居の写真は、米軍が撮影したものも見つけましたが、これも割愛しました。

連載を続けている間読者数があまり伸びなかったので、もっと連載回数を減らそうかとも思いましたが、読んでいるうちに何度か涙が出てきて、自分が感激したことだけはなんとか書きとどめようとして、書きたい内容とあまり関連しない内容の手記のいくつかを読み飛ばしながら、予定していた回数の連載をなんとか終えました。

読み飛ばした部分に重要なことが書かれていたかも知れませんが、私の力不足の故にご期待に沿えなかった点については申し訳なかったです。




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しばやん

Author:しばやん
京都のお寺に生まれ育ち、大学の経済学部を卒業してからは普通の会社に入りました。
若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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