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中国の史料では後期倭寇は中国人が中心だが、奴隷売買に関与はあったか~~倭寇3

以前このブログで、「400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと」という記事を書いた。この記事は、ブラジルの日系人のための新聞である「ニッケイ新聞」に連載された記事の紹介から書き起こしている。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-116.html

天正少年遣欧使節

その記事とは16世紀の中頃から1600年頃までの間の50年間に大量の日本人が南米に奴隷として渡ったことを当時の記録などを引用しながら書かれた記事なのだが、この時期は南米ばかりではなく、ヨーロッパやインドにも大量の日本人が奴隷として存在していた記録が残されている。インドのゴアにはポルトガル人よりも日本人の奴隷の方が数倍多かったという記録があるそうだし、1582年(天正10年)ローマに派遣された有名な少年使節団の四人も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕したという記録も残されている。

その記事を書いてから、日本及び海外の日本奴隷に関する当時の国内外の史料を調べて、「秀吉は何故伴天連追放令を出したのか」というテーマで3回に分けて書いた。布教の妨げになるとの理由からイエズス会の要請を受けてポルトガル国王が何度も「日本人奴隷取引禁止令」を出している事実からしても、この時期に奴隷として売られた日本人は半端な数ではなかったはずだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-132.html
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-133.html
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-134.html

しかし、奴隷は日本人だけではなく中国人も朝鮮人もかなりいた。
どうしても理解できなかったのは、これだけの奴隷を誰が何のために集め、どうやって運んだかという点であった。ポルトガル商人が、ポルトガルの船だけでそれを実行できたのであろうかと疑問を持っていた。当時の船は帆船であり、船が進みたい方向に進める季節は限られている。日本から西に向かう季節は冬、西から日本に向かうには夏しかあり得ないのだ。

倭寇の回数

前々回の記事で田中健夫氏による「倭寇の回数」のグラフを紹介したが、これをもう一度見てみよう。16世紀に於いて倭寇の活動が活発であった時期と、日本人・中国人・朝鮮人奴隷が世界に送られた時期とがほぼ一致するのだ。倭寇はポルトガルへの奴隷の供給を行うことに関わっていたのではないだろうか。

そのように考えれば、倭寇があれだけ長い期間にわたって金品の略奪のみならず、なぜ人攫いを何度も繰返したのかという疑問も氷解するのだ。

ネットで「倭寇」と「奴隷」をキーワードに検索を試みると、「倭寇」が「奴隷」の送り込みに関与した可能性を感じさせるいくつかの記述にヒットする。戦前に書かれた興味深い表題の論文もあったのだが、その内容までは紹介されていなかったので、ここでは当時の記録が紹介されているサイトを紹介しておこう。

明の人物で鄭舜功という人物が、日本にも滞在して自らの功績とともに日明間の密貿易の実態などを詳しく書いた『日本一鑑』という書物があり、次のサイトでその翻訳文が詳しい注記と原文とともに紹介されている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku/ikkan1.html

「嘉靖21年(1542年)、寧波知府の曹誥は密貿易船が海寇を招いているとして、これと取引したり密航する者を大々的に捕縛したが、寧波の有力者たちが手を回して彼らを救いだしてしまった。曹誥は『今日もまた通番(外国との交易)を説く、明日もまた通番を説く。これはもう血が流れ地方を満たすまで止まらないだろう』と言った。

 翌年(1543年)、トウリョウらが福建沿海を荒らしまわった。浙江海域の海賊もまた発生した。海道副使・張一厚は許一・許二らが密貿易を行うために地方に海賊の害を及ぼしていると考え、兵を率いてこれを捕らえようとした。許一・許二らはこれを撃退して気を大きくし、ポルトガル人たちと双嶼港に拠点を構えた。

 その部下である王直は、乙巳歳(24年=1545年)に日本に行って交易し、はじめて博多の助才門ら三人を誘い、双嶼に連れて来て交易を行った。翌年もまた日本に行き、その地との結びつきを強めるようになった。直隷・浙江の倭寇の害がここに始まることとなるのである。」

倭寇ルート

詳しい内容は上記のサイトで確認願うこととして、この時期に中国沿岸部の民家を襲撃している倭寇のメンバーで名前が挙がっている人物はほとんどが中国人である。
また、ポルトガル人たちと拠点を構えたという「双嶼港」は、倭寇の地図で種子島の西にある中国沿岸部の「舟山列島」にある港である。

王直像

王直」は、日本に初めて鉄砲が伝わった際に、船でポルトガル人を種子島に導いた中国人だが、この男が「倭寇」の中心人物であった。

この『日本一鑑』という書物に著者の鄭舜功が、倭寇に連れ去られた明人たちが奴隷として酷使・売買されて施設が九州の高洲(現在の鹿児島県鹿屋市)という場所にあり、そこを訪れると明人の被虜者が二、三百人集められていたという記録があるらしいのだが、このサイトにはこの部分(窮河話海巻之四)の原文と翻訳が割愛されていたのは残念だ。そのかわり、このサイトの管理人は、別のページでこの部分のあらすじなどをまとめておられる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku/fengc1.html

このサイトでは「明人の被虜者」と書かれているのだが、日本人奴隷がこの収容所にいた可能性はないのだろうか。相沢洋氏の「倭寇と奴隷貿易」という論文には、南九州では鎌倉時代から人身売買が行われていた記録があることが指摘されており、この高洲の奴隷収容所も大隅の戦国大名であった肝付氏が経営に関与していただろうと書かれているそうだ。

日本人奴隷については、九州でポルトガルに売却されていたことを以前私のブログに書いた。当時は火薬の原料となる硝石を手に入れるために、切支丹大名などが日本人捕虜をポルトガル人に売却していたのだ。
ルイス・フロイスの『日本史』には「薩摩軍が豊後で捕虜にした人々の一部は、肥後の国に連行されて売却され…売られた人々の数はおびただしかった」と記述されている。日本の南蛮貿易拠点は島原半島の口の津にあり、そこに人々が連行されていったのだ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-134.html

倭寇船

しかし、それほど多いとは思えないポルトガル船に乗せるためにわざわざ肥後国に行かなくとも、倭寇はかなりの船を所有していた。日本から西に進めば中国の沿岸部にはポルトガル人の拠点がいくつもあったのだ。
奴隷をマカオやゴアなどに運んだのは、倭寇の勢力が関与した可能性は小さくないと私は考えている。

次に、倭寇を構成していたのはどういうメンバーであったのか。
前回にも書いたが、『明史』には14世紀後半から、明に抵抗する勢力が日本に亡命し、倭寇に関与していったことが明記されている。
さらに『明史』を読み進むと、「後期倭寇」と呼ばれる16世紀の「倭寇」も、中国人が中心であったことが良くわかる。彼らは日本人の着物や旗しるし*を真似て、いかにも日本人の勢力であるかのごとく偽装して活動していたのだ。今も昔も中国人のやることはよく似ている。
*旗しるし:天照皇太神・春日大明神・八幡大菩薩などが用いられた

「…大悪党の汪直・徐海・陳東・麻葉のごとき輩は、日頃から倭人の中にくいこみ、国内ではかってにふるまうわけにはいかないので、すべて海上の島に逃れて奸計の采配をふるった。…外海に出たこれらの大盗賊は、やがて倭人の着物や旗しるしをまねて用い、船団をいくつかに分けて本土に侵攻して掠奪し、一人残らず大いに懐を肥やした。…」(講談社学術文庫『倭国伝』p.420)

「これらの賊軍のあらましは、真の倭人は十人のうち三人で、残りの七人は倭人に寝返った中国人だった。倭人はいざ戦いとなると、捕虜の中国人を先陣に駆り立てた。軍法が厳しかったので、賊軍の兵士たちは死にもの狂いで戦った。ところが官軍の方はもともと臆病者ぞろいだったから、戦えば必ずなだれをうって逃げるという始末だった。」(同上書p.422)

『明史』を普通に読むと、倭寇のリーダーが中国人であることは明らかであり、「倭人」は必ずしも「日本人」と言う意味ではなさそうだということに気がつく。日本海から朝鮮半島、中国沿岸部で海賊行為を行っていたメンバーを総称して「倭人」と呼んでいるなどの諸説がある。

中国の当時の記録で采九徳が記した『倭変事略』には「この四十賊を観みるに亦た能く題詠する者あり。則ち乱を倡える者はあに真倭の党なりや。厥の後、徐海・王直・毛烈ら並べて皆華人なり。信ず可し」とあり、倭寇のメンバーはすべて中国人だと書かれている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku/kaisi.html

倭寇掠奪

前回の「高麗史」においても同様なのだが、倭寇に関して、中国の正史である「明史」や当時の記録において、明の国民にとって不利な出来事や恥ずべき事実が数多く記録されているのだが、こういう書き方をする場合には嘘があるはずがないのだ。しかしながら、前回の記事で紹介したとおり、わが国の多くの教科書では倭寇は日本人が中心メンバーであったと思わせるような表現になっているのは非常に残念なことである。

この時代に限らず、わが国の歴史記述は他国の反応を配慮してか史実が歪められ、真実をありのままに綴ることが自主規制されているかのような文章が散見されるのだ。
どの国にもその国にとって都合の良い歴史と都合の悪い歴史があるのだろうが、お互いその片方を知るだけでは、成熟した二国間関係の構築は難しいと思う。

歴史をどう書くか、どう教えるかは、その国の外交スタンスまで影響を与えるものとの認識が必要で、相手国の立場と自国の立場と第三国の立場から史実を検証し、真実を追求する姿勢を崩すべきではない。相手国が主張する歴史を鵜呑みにしては、わが国の外交的立場を弱めてしまうばかりだ。もっとわが国の政治家が歴史に詳しければ、尖閣や竹島や、北朝鮮問題などに対する対応が、今とは随分異なったものになるのではないだろうか。
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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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