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蒲生氏郷が生んだ日野商人の豊かさ

前回の記事で、馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)の春の例祭で八百年以上の歴史ある日野祭のことを書いた。
この祭りで引き出される曳山や神輿が豪華絢爛で、これらは日野商人達の財力によって贅の限りをつくして作られたものだという。
またこの神社の拝殿は日野商人中井源左衛門が享和三年(1803)に寄進したものであり、本殿も「氏子」の寄進により建造されたとある。

また日野町松尾ある正明寺(しょうみょうじ)に行くと、略縁起には江戸時代に「日野商人達の篤き帰依」により、寺が栄えたことが記されている。

清水町街並み
【清水町町並み】

日野町には他にも数多くの価値ある文化財が残されていて、古い町並みを歩けば大きな邸宅がいくつも残されていてこの地域がかつては相当豊かであったことがわかるのだが、この町の豊かさをもたらした「日野商人」はどのような活動をして富を蓄積していったのか。

日野商人像
【日野商人像(日野小学校)】

「日野商人」とは、近江商人の中で日野地方出身の商人を言うのだが、「近江商人」は近江(滋賀県)に本拠地をおいて近江国外に進出して活動した商人をいい、Wikipediaには大丸、高島屋、伊藤忠、住友財閥、日清紡、トヨタ、武田薬品などわが国の一流企業で近江商人にルーツがある企業が多いことが記されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%95%86%E4%BA%BA

「近江商人」についてもう少し調べていくと、出身地によって取扱商品も違えば活躍した時期も地域も異なるようだ。日野商人は他地域の近江商人と比べると、小型店舗で多数の店を出店したところに特徴があるという。

近江商人分布
【『三方よしを世界に広める会』サイトより】

『三方よしを世界に広める会』のサイトに「近江商人」の歴史がわかりやすくまとめられている。
「近江を本拠地として地元の特産品を中心に全国各地へ行商に出かけ活躍した商人を近江商人といいます。近江商人の起源は、鎌倉・南北朝時代にまでさかのぼるといわれていますが、戦国時代の終わり、近江を治めた織田信長による安土城下の「楽市楽座」をはじめとする商業基盤の整備が、のちの近江商人の繁栄に大きく貢献したといわれています。
楽市楽座は、城下町での商業誘致を進めるために自由営業を許可した制度で、蒲生氏郷ら近江の戦国大名たちは、信長にならって自分たちの城下町にも楽市楽座を開設しました。
信長は他にも、通行税を徴収していた関所を撤廃するなど、商人にとって恩恵のある政策を進めました。これら信長の経済政策は後の豊臣秀吉にも受け継がれ、近江の国の商業はこの時代に飛躍的に発展します

そして江戸中期になると商業で力を持ちはじめた近江を幕府が天領として直接治める事になります。幕府の直轄下に置かれた商人たちは「葵」の紋の入った通行手形で日本各地の関所を優位に通行できるようになり、各藩の御用商人としてあるいは幕府の御用商人として全国を股にかけ大躍進を遂げていったのです。近江商人は、地域ごとに活躍した時期や取扱商品等その特性が異なるため、出身地によって高島商人・八幡商人・日野商人・湖東商人とに大きく分けられます。」
http://www.sanpoyoshi.net/profile.html

蒲生氏郷
【蒲生氏郷】

この解説に登場する戦国大名の蒲生氏郷は、日野に生まれて日野城主となり、天正十二年(1584)に伊勢国松ヶ島に転封されたのだが、本能寺の変のあった天正十年(1582)の十二月に、十二ヶ条の掟を日野城下に出している。
昭和八年に出版された『伊勢松坂城及び其の城下町』という本に、その掟の全文が紹介されていて、その第一条が「当町為楽売楽買上者諸座諸役一切不可有之事」とあるように日野において楽市楽座の制度が敷かれ、その6年後に氏郷が、転封先の松坂においても同様な掟を出したことが記されている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208513/27

蒲生氏郷は、今までの独占販売権、非課税権などの特権を持つ商工業者を排除して自由な取引市場をつくり、新興商工業者を育成して経済の活性化を図ろうとしたのだが、日野商人がいかに氏郷に感謝していたかは、馬見岡綿向神社の絵馬堂に行けばわかる。

馬見岡綿向神社 絵馬

前回の記事でも紹介したが、上の画像は文化九年(1812)に日野商人の中井源左衛門・正治右衛門が馬見岡綿向神社に寄進した絵馬で、蒲生氏郷公が生まれたお祝いとして殊に盛大に行われた祭礼の行列を描いたものである。

また、昭和十三年に出版された『土地及び聚落史上の諸問題』という書物には、蒲生氏郷が転封されても、その後を追った日野商人が少なくなかったことが記されている。
「それにしても日野商人はなお蒲生氏との旧縁を辿ってその進路を新にした。まず、先に秀吉の定書に、日野町民の松ヶ島移住を黙許した如く、彼らは松ヶ島に日野町の一街区を拓いて之に従い、のち氏郷奥州に転封せらるるや、また日野町民の相従うもの少々ではなく、かつまた絶えず町民は彼地に往返していた。かくしてこの両地への往返は、自然に彼等をしてその沿道に物資の供給店舗の開設等に関し、慧眼なる観察を怠らざらしめ、後年に至り彼等の勢力を扶持する地盤となった。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1281193/195

このように少なからずの日野商人たちは、蒲生氏郷が伊勢松ヶ島に転封されるとその地に移住したり商圏を広げ、さらにて天正十八年(1590)に陸奥国会津に転封されると、氏郷に相従ったと記されている。氏郷の人望の高さもあるのだろうが、彼の経済政策が日野商人たちに強く支持されたことがポイントだと思う。氏郷の国替えが結果として日野商人の商圏を拡大することに繋がり、利益を蓄積していったということなのだろう。日野町の豊かさは蒲生氏郷を抜きには語れないのだ。

日野まちなか観光マップ

日野町には日野商人の旧宅がいくつか公開されているので紹介したい。
日野町中心部の地図は日野観光協会が制作した『日野まちなか散策まっぷ』を確認願いたい。
http://www.hino-kanko.jp/html/map.html

馬見岡綿向神社から歩いて3分程度のところに近江日野商人ふるさと館(蒲生郡日野町大字西大路1264 ☎0748-52-0008)がある。
この屋敷は静岡県富士宮市で酒造業を営んだ日野商人・山中正吉の旧邸で、平成27年に日野町の有形文化財に指定されている。敷地面積は1300㎡とかなり広い邸宅だ。

一見、建物は質素に見えるのだが、内部の調度品が素晴らしく建築資材も簡単に手に入らないものを数多く用いているという。

近江日野商人ふるさと館 台所

上の画像は台所とオチと呼ばれる3畳の間だが、カマドは黒タイル貼りで火鉢は切り株を磨いたもののようだ。

近江日野商人ふるさと館 新座敷

上の画像は昭和になって増築された新座敷。
新座敷の東側には広大な庭園があり、仁正寺藩*主拝領の梅古木や、近江の石工小松嘉兵衛作の燈篭などが据えられている。寺の庭園を見ているような気分になる。
*仁正寺藩(にしょうじはん):近江国蒲生郡仁正寺(現在の滋賀県蒲生郡日野町)に存在した藩。元和6年(1620)に成立し、初代藩主は市橋長政。

本宅の座敷で、月に一度ランチを食べるイベントが開かれているようだ。入館料込み千円で手作りの伝統料理を戴けるのは随分魅力的だが、同館のHPにイベントの案内が出ている。
http://www.hinofurusatokan.jp/category/%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E5%91%8A%E7%9F%A5/

近江日野商人ふるさと館 洋間棟

この邸宅の洋室もまた素晴らしい。このまま映画のロケに使えそうな雰囲気の部屋である。

近江日野商人館 入口

昼食の後、車で近江日野商人館 (蒲生郡日野町大窪1011 ☎0748-52-0007)に向かう。
この建物は日野商人山中兵右衛門の旧宅で、初代兵右衛門は親戚から日野椀二駄を借りて行商に出たのち、御殿場をはじめ各地に支店を持つ大商人になったという。

近江日野商人館 内部

中に入るとすぐに日野椀日野合薬に関する展示があった。
400年ほど前の日野の特産物は漆器の「日野椀」が知られていて、日野商人により全国に販売されていたようだ。300年ほど前からは薬が作られるようになり「萬病感応丸」などの日野の薬が日野商人によって全国の商店や宿屋などの取次販売店に卸されたのだそうだ。
当時の薬の販売方法は、置き薬商法が一般的だったのだが、日野商人は、今日でいうところのフランチャイズ方式を先取りして販売網の拡大をはかったという。
展示物の解説には、この日野合薬の利益により、日野商人が成長し、庶民が潤ったと記されていた。近江商人の町で豪華な曳山があるのは、日野町だけなのだそうだ。

近江日野商人館 座敷と庭

近江日野商人館のパンフレットに初代山中兵右衛門が文化2年(1805)に記した家訓の一部が紹介されている。

・社会奉仕の実践を
 ・小口のお得意ほど大切に
 ・一攫千金を狙うな
 ・偽装をするな
 ・薄利多売の商いを
  など」

初代山中兵右衛門の言っていることは現代の企業においてもそのまま通用するものばかりなのだが、この家訓の精神を忘れてしまって信用を失って凋落した企業がここ数年間で少なくないように思う。
ひと昔前は大手企業が新聞やテレビの広告を用いて、実物以上の商品イメージを消費者に広めて拡販する手法が行なわれていたのだが、若者が新聞を読まなくなってその手法が通用しなくなっている。今ではSNSなどで会社や製品の良い話も悪い話もすぐに拡がってしまうようになっており、経営者はマスコミを用いたイメージ戦略が通用しなくなってきている。
大量生産・大量販売で大きく稼ぐことよりも、良いものをリーゾナブルな価格で提供することで時間をかけて消費者の評価を高めていくことの方が重要な時代に変わりつつあるように思うのだが、つまるところ近江商人の精神に戻ることが企業経営者に求められるようになってきたのだ。
ネット社会では、良いものを作って都会の消費者から評判を勝ち取れば、地方の中小企業にも十分チャンスがある。逆に、宣伝にコストをかけて大量に売りさばく方法で稼ぐことは、次第に難しくなっていくのではないだろうか。

日野まちかど感応館 外観

近江日野商人館から日野まちかど感応館(蒲生郡日野町村井1284 ☎0748-52-6577)に向かう。
萬病感応丸」の大きな看板のある建物がこの建物の目印で、日野商人を発展に導いた日野合薬の創始者が正野玄三である。玄三はそれまでは日野椀や茶などの行商で収入を得ていたが、18歳の時に京都の名医の診療で母の病気が治ったことから医師を志し、医師になったのちは、医薬に恵まれない山間僻地や日野商人の長旅用の道中薬として感応丸を作り、それが評判になったという。この建物は、江戸時代末期に建てられた正野薬店の店舗である。

日野まちかど感応館内部

内部には薬業に関する資料の展示があるほか、喫茶コーナーも設けられている。

西田礼三郎邸

さらに東に進むと古い街並みが残されているところがある。
上の画像は、新町街並の中心にある西田礼三邸。残念ながら内部公開はされていないが、案内板によると江戸時代の大庄屋の家で、西田家は関ヶ原の戦い直前に徳川家康公に日野鉄砲三百挺を献上したとの記録があるそうだ。日野鉄砲は近江日野商人館でも展示があったが、日野町は当時、鉄砲の一大生産地でもあったようである。

西田礼三邸の土塀の中央に窓のようなものがあるが、これは「桟敷窓」といい、日野祭の時はこの窓ごしに、曳山の行列を観賞するのだそうだ。西田邸に限らず日野町の古い屋敷には、たいてい「桟敷窓」が設けられている。

信楽院本堂

もう少し東に進んで右に折れると、蒲生家の菩提寺であった信楽院(しんぎょういん:蒲生郡日野町村井1500 ☎0748-52-0170)がある。たまたま檀家総出で落慶法要の準備をしておられたので御本尊に手を合わせて帰っただけだが、本堂の天井に描かれている「雲竜図」は一見の価値がある。この絵を描いたのは日野出身の高田敬輔(けいほ)で狩野派の絵師なのだそうだ。次のURLにその豪快な「雲竜図」を見ることが出来る。
https://blogs.yahoo.co.jp/pipo_satoshi/33400796.html

信楽院は、以前は日野城内にあったのだが、蒲生氏郷が天正十二年(1584)に転封したのちこの寺は一時荒廃し、蒲生氏旧臣の尽力により、慶長七年(1602)にこの地に再興されたのだそうだ。

日野の人々はよほど蒲生氏が好きなようだ。蒲生氏郷は転封された後元禄四年(1595)に病死し、その5年後の慶長五年(1600)には、かつて蒲生氏の居城であった日野城は廃城とされ、慶長十一年(1606)には破却されている。
にもかかわらず慶長七年(1602)には蒲生氏の菩提寺は再興され、さらに元和6年(1620)に仁正寺藩が成立して藩主が市橋家となり、その七代目市橋長昭が藩主であった文化九年(1812)には日野商人の中井源左衛門・正治右衛門が、蒲生氏郷公が生まれたお祝いとして殊に盛大に行われた祭礼の行列を描いた特大の絵馬を馬見岡綿向神社に寄進しているのである。日野の人々にとっては、藩主が蒲生家から市橋家に代わって約200年の時が過ぎても、蒲生氏郷は英雄的存在であったようなのだ。

信楽院から日野城址の地図

信楽院まで来ると、蒲生氏の居城であった日野城(中野城)阯まであと1kmだ。信楽院からの行き方は上の地図を参考にしていただきたい。
地図の右下は日野川ダムのダム湖である。湖畔に駐車場があり、そこから林の中に入れば日野城の石垣の一部が残されている。

日野城の石垣

この城は天文三年(1534)に蒲生氏郷の祖父である蒲生定秀(さだひで)が築城した平城(ひらじろ)で、定秀・賢秀(かたひで)・氏郷の三代が50年にわたって在城した。また、この城は本能寺の変(1582)のおり、織田信長の妻子が身を寄せた城としても知られている

江戸時代後期に編纂された『仁正寺由緒記』によると、日野城の規模は東西八丁、南北6丁で、城内には本丸、二の丸、馬場、上・下屋敷、矢倉などが配され、築城には三年の歳月がかかったという。

仁正寺藩邸跡

日野城が慶長十一年(1606)に破却されたのち、城址の北側の一角に仁正寺藩邸が設けられのだが、藩邸の建物の大半は大正六年に京都相国寺の塔頭・林光院に移築され今は石碑が建っているだけだ。

日野川ダム湖

残念なことに、昭和二十八年(1953)から日野川ダム建設が開始されて、日野城の遺構の大半が失われてしまっている。今は、わずかに残された石垣が、往事の名残をとどめているのみである。

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平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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