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わが国はどういう経緯で朝鮮半島を統治することになったのか

前回の記事で、第二次大戦後に韓国が、朝鮮半島に残したわが国の資産を没収したうえで巨額の賠償金を得ることを可能にするためには、わが国の統治がよほど酷かったという歴史を描いて交渉するしかなかったということを書いた。韓国は、戦勝国が描いた「日本だけが悪かったとする歴史」に飛び付いたのだが、わが国を貶める目的で描かれた歴史叙述の殆んどは虚偽であり、鵜呑みすべきでないことは言うまでもない。
では実際の歴史はどうであったのかを振り返ることにしたい。

韓国では明治43年(1910)からはじまる日本の朝鮮総督府時代のことを「日帝三十六年」と呼び、「韓国が有史以来、独立を失ったのは、後にも先にも日帝三十六年の時代だけで、それ以前はずっと独立・主権国家である」とよく主張するのだが、真実の歴史は李氏朝鮮は中国(清国)の属国にすぎず、独立国と呼べるものではなかった

日清戦争 宣戦の詔書

以前このブログで日清戦争のことを書いたのでこの経緯については省略するが、この戦いの目的は、わが国が朝鮮を独立国として清国に認めさせるための戦いであったことは、両国の宣戦詔勅を読めば明らかである。
それぞれのポイントとなる部分の原文と現代語訳が次のURLに出ている。
https://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/3719328.html

【日本の宣戦布告文】
「朝鮮ハ帝国カ其ノ始ニ啓誘シテ列国ノ伍伴ニ就カシメタル独立ノ一国タリ 而シテ清国ハ毎ニ自ラ朝鮮ヲ以テ属邦ト称シ陰ニ陽ニ其ノ内政ニ干渉シ其ノ内乱アルニ於テ口ヲ属邦ノ拯難ニ籍キ兵ヲ朝鮮ニ出シタリ
(朝鮮は日本が誘って列国の地位に就いた独立国である。にも拘わらず清は朝鮮を属国として内政干渉し、内乱を鎮めるとの口実で朝鮮に出兵している)
【清国の宣戦布告文】
朝鮮ハ我大清ノ藩屏タルコト二百余年、歳ニ職貢ヲ修メルハ中外共ニ知ル所タリ近ク十数年、該国時ニ内乱多ク朝廷ハ小ヲ宇ムヲ懐ト為シ、畳次兵ヲ派シテ前往勘定セシメ竝ニ員ヲ派シテ該国都城ニ駐紮セシメテ時ニ随ツテ保護セリ
(朝鮮は我々大清の属藩たること二百年あまり、年々朝貢をしていると内外に知れ渡って十数年。内乱が多いので、兵を派兵して平定し、また都城に駐屯させて保護している)

下関条約第1条

この戦争でわが国が勝利し、終戦後に両国間で結ばれた下関条約の第一条にはこう記されている。
「第一條 清國ハ朝鮮國ノ完全無缼ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ清國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ
https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84

そもそも李氏朝鮮という国は、1392年に李成桂が高麗王位を簒奪して高麗王と称したことからはじまるのだが、すぐに明(みん)に使節を送ってその臣下となり、朝鮮の国号と王位を下賜されている。要するに国家成立した当初から、中国の属国であったというのが歴史の真実なのである。

では中国は李氏朝鮮という国とどのように接していたのだろうか。黄文雄氏の著書にはこう解説されている。

朝鮮の朝貢使節が北京詣でをする際は、諸侯の礼さえ受けられない粗末な待遇だった。そもそも中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国であった。朝鮮国王の言動が中国皇帝の逆鱗に触れたときは厳しく処罰され、貨幣鋳造権停止の処分を受けたこともある。
 天朝の朝貢秩序は、ただ単に正朔(せいさく)を奉じて冊封を受けるだけの『虚礼』ではない。属国、冊封国は、宗主国へ定期的に朝貢使節を送り、回賜(返礼)を頂かなければならなかった。これは朝貢貿易と呼ばれるもので、現在韓国では、『進貢よりも回賜の方が多かった。中国との宗属関係は形式的なもので、実質的には貿易の実益を狙った経済活動だった。政治的な隷属関係ではない』とするのが通説だが、それは事実と異なる。最近の研究によれば、清朝宮廷からの回賜は、進貢のわずか十分の一だったことが明らかになっている。朝鮮は中国に搾取される一方の最貧国であった。」(『日本植民地の真実』p.166)

朝鮮外交をめぐる交渉も李朝朝廷ではなく清国を通して行われていた。朝鮮の国事人事までも、清政府が決めるのである。たとえば李朝政府がメルレンドルフを外務協弁(補佐官)から解任するときには、清末の最高実力者であった李鴻章の承認を得て行った。その後任に海関総税務司を兼任していたアメリカ人ヘンリー・メリルを送ったのも李鴻章である。
 1885(明治18)年、イギリスが朝鮮半島の巨文島を占領したときも、李朝にではなく、イギリス駐在清国大使の曽紀沢に通告を行った。そして曽は、李朝政府に連絡することもなく占領を了承している。国土の変更ですら清国大使の裁量次第だったのである。」(同上書 p.168-169)

袁世凱
袁世凱

当時の属国状態の象徴的事件は、清国から派遣されていた袁世凱(えんせいがい)による大院君の逮捕と朝鮮支配である。袁世凱は清国内では一介の武弁(武官)にすぎなかったが、朝鮮では国王も服従するような強大な権限があった。
 袁世凱支配下の漢城(ソウル)はじつに悲惨であった。清兵3千人が市民を掠奪、暴行し、両班(ヤンパン)の家にも侵入して女性を凌辱する。女性たちは強引に酒席で妓生(キーセン)にされ、乱暴狼藉される。李朝の高官でさえ、清国の領事や軍人から殴る蹴るの暴行を受け、何も言えず泣き寝入りしていた
。朝鮮はあくまでも事大(属国)に徹し、なす術がなかったのである。」(同上書 p.170)

このように李氏朝鮮は、以前は清国の属国というよりも西洋の植民地統治に近かったのだが、わが国が日清戦争に勝利することによって、五百十余年ぶりに明・清の束縛を脱して晴れて独立国家となったのである。

ジョルジュ・ビゴーによる風刺画
【ジョルジュ・ビゴーによる風刺画】

自国を守れるだけの力量や気概があれば良かったのだろうが、当時の李氏朝鮮は非常に貧しい国であり、兵力も乏しく、清国やロシアが攻め入ったら簡単に滅ぼされていたことは確実であったし、実際にロシアは朝鮮半島の領有を明らかに狙っていた。
朝鮮半島南端から対馬まではわずか50kmの距離しかなく、もし朝鮮半島がロシアに占領されたならば、いずれロシアがわが国の生存を脅かす存在になることを怖れて、わが国は朝鮮が近代国家に改革され、自立した国家となることを熱望していた
のである。

日清戦争を機に朝鮮半島における清国の影響を排除することに成功したわが国は、朝鮮の近代化改革(『甲午改革』)を推進しようとしたのだが、当時の李氏朝鮮という国がどれほど前近代的な国であったかは、わが国が提案した近代化策の一部を読むだけでなんとなくわかる。

1. 今後は清暦を廃止し、開国紀年を用いる
2. 貴賤門閥に拘らず人材を登用する
3. 人身売買の禁止
4. 貴賤の別なく寡婦の再婚を許す
5. 平民にも軍国機務処に意見を提出することを許し、卓見の持主は官吏に採用する。
6. 官吏の不正利得を罰する
7. 司法権限によらぬ捕縛や刑罰の禁止
8. 駅人・俳優・皮工など賤民身分の廃止
9. 拷問の廃止
10. 租税の金納化 …

このような提案が207項目もあったというのだが、この国はその後も内紛が続いて改革はうまく行かなかった。また日清戦争勝利後の三国干渉でわが国がロシアに譲歩したことが韓廷内の対立を一層深刻化させることとなり、朝鮮は貴重な時期に独立を忘れて大院君派*と閔妃派**との内部の暗闘に明け暮れることになるのである。
*大院君(たいいんくん):李氏朝鮮で、直系でない国王の実父に与えられる称号。ここでは26代高宗の父・興宣大院君を指す。李朝末期の朝鮮王朝の実権を握り、激しい排外、攘夷策をとった。
**閔妃(びんひ): 26代高宗の王妃。閔氏一族を登用し守旧事大 (親清) の政策をとり,政権を義父大院君や親日開化派と争った。


閔妃
閔妃

ロシアは閔妃と結託して親日内閣を倒し、親露派で朝鮮を支配しようと画策するに至る。明治28年(1895)にロシアは親日派一掃のため、日本人教官に訓練された二大隊(「訓練隊」)の解散と武器の押収を命じたのだが、この動きに訓練隊の将兵は激昂し、日韓の有志と共に王宮に入り、閔妃を殺害して権力を奪還したという。(乙未[いつび]の変)
通説では、日本人が閔妃を暗殺したとされているのだが、ロシア側の記録でも、韓国側の複数の記録でも朝鮮人の禹範善が暗殺したことが記述されているし、禹自身も自供している事実をなぜ無視するのであろうか。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20101116/1289860727

当時の朝鮮では異常な事件がその後も相次いでいる。
閔妃暗殺事件の翌月には、親露派は王宮を襲撃して国王をロシア公使官に奪い去ろうとしたのだがこの時は親衛隊によって阻まれた。

露館播遷
【露館播遷】

しかしながら翌1896年には、ロシアは武力を背景に国王を奪い取ってしまったのである。中村粲(あきら)氏の『大東亜戦争への道』にはこう解説されている。

「…1月、騒乱鎮圧で首都の警備が手薄になった虚に乗じて、ロシア公使ウェーバーは公使館防衛の名目でロシア水兵百名を引き入れ、親露派と謀って国王を王宮から奪取してロシア公使官に移した(2月11日)。この事件を国王の『露館播遷(ろかんはせん)』と言うが、背後には米国の後援もあった。
 政局は一変して、金弘集・魚允中らは惨殺され、多くの親日派は日本に亡命した。この時殺害された大臣たちは、四肢を切り裂かれ肉を食われるなどの異常な光景が現出したとF・A・マッケンジー『朝鮮の悲劇』は記している。
 国王はロシア公使官より詔勅を下し、親日派の逮捕を命じ、断髪令その他の改革事項の撤廃を宣言したため、朝鮮の混乱は極に達した。この異常な変乱で日本人三十余名が殺害され、十余万円の財産が被害を受け、わが国の勢力は失墜した。国王と共に朝鮮政府もロシア公使官内に入り、朝鮮政局は完全にロシアの掌握する所となった。
 ロシアは兵力を以て親露内閣を保護し、二人の顧問によって財政と軍事を掌握した。二十人のロシア士官で韓国軍隊を訓練し、武器弾薬はウラジオストックより輸入した。更にロシア語学校を創設し、咸鏡道の鉱山採掘権を獲得するなど、着々と勢力を扶植した。このようにして国王が露館にあった1年間、ロシアは朝鮮に対する保護政治の実を挙げた。またロシアの利得獲得は他の列強を刺戟し、国王の露館滞在中、朝鮮は多くの利権を列強に譲渡する結果になった。
 朝鮮国王と政府がロシア公使官の中に遁入してしまった結果、朝鮮の政策はロシア公使官に於いて決定されるという奇観を呈し、朝鮮政局の前途は甚だ憂慮すべき状況となった。
」(『大東亜戦争への道』p.71~72)

わが国はこれ以上のロシアの南下を阻止するため、結局ロシアと協商して、明治30年(1897)2月に国王は1年ぶりにロシア公使官から王宮に戻ったのだが、ロシアはわが国との約定を無視して、朝鮮と密約を結び、ロシア人の軍事教官を韓廷に送り込んだり鴨緑江の伐採特許を獲得したりしている。そのような状況下の9月に、朝鮮国王は皇帝と称し、国号を大韓と改め、形式は独立国の体裁を整えたものの、実質はロシアの属国であった。

イザベラ・バード

この時期に朝鮮半島を旅行したイザベラ・バードは『朝鮮紀行』でロシアが支配した時代を、親日派が組閣した時代と比較してこう記している。
「ロシア公使館に遷幸〈せんこう〉して以来国王が享受した自由は朝鮮にとっては益とならず、最近の政策は、総じて進歩と正義をめざしていた日本の支配下で取られた政策とは、対照的に好ましくない。
 昔ながらの悪弊が毎日のように露見し、大臣その他の寵臣が臆面もなく職位を売る。国王の寵臣のひとりが公に告発されたときには、正式の訴追要求がなされたのに、その寵臣はなんと学務省副大臣になっている! 1895年10月8日[乙未事変]の反逆的将校や、武力で成立した内閣の支配からも、心づよくはあっても非人道的なところの多かった王妃の助言からも、また日本の支配力からも解放され、さし迫った身の危険もなくなると、国王はその王朝の伝統のうち最悪な部分を復活させ、チェック機関があるにもかかわらずふたたび勅命は法となり、国王の意思は絶対となった
 …人が理由もなく投獄され、最下層民の何人かが大臣になった。金玉均を暗殺した犯人が式部官に任命され、悪事をつづけてきて有罪の宣告を受けた者が法務大臣になった。官職をこっそり売買したり、国庫に入るべき金を途中で着服したり、貧乏な親戚や友人を「箔づけ」して官舎に住まわせるためにほんの数日間だけしかるべき官職に就けたり、高官が少しでも非難されたらすぐに辞任するという習慣がはびこったりした結果、国政はつねに混沌とした状態にあった。善意の人ではありながらも優柔不断な国王は、絶対的存在であるのに統治の観念がなく、その人柄につけこむさもしい寵臣のおもちゃであり、貪欲な寄生虫にたかられ、しかもときには外国の策士の道具となっている。そして常設しておくべき機関を壊すことによって政府の機能を麻痺させ、私欲に駆られた官僚の提案する、金に糸目をつけない計画を承認することによって、経済財政改革を一過的で困難なものにしている。こんなめちゃくちゃな政治のやり方は、ロシア公使館にのがれて自由を得るまでの国王には決して見られなかったものである。」(同上書p.538-539)

竜岩浦

このようなロシアのやり方が韓国民の反発を招くようになり、ロシア勢力は一旦韓国から引き揚げて南下政策の矛先を満州に向けたのだが、1903年になると再び対韓侵略の意図をもって動き出した。ロシアは森林保護を名目に鴨緑江河口の竜岩浦を軍事占領し、わが国の抗議を無視して軍事要塞の建設を開始したのである。

ロシアと我が国の交渉は決裂して1904年に日露戦争が始まったのだが、この戦争については以前このブログで記したので、本記事末尾にリンクした参考記事を読んで頂ければ幸いである。今回は、日露戦争に関連して日韓関係で補足すべき点について記しておきたい。

中村粲氏の前掲書を再び引用させていただく。
(1904年)2月、我国が対露開戦劈頭(へきとう)に戦勝するや、韓国は俄(にわか)に態度を親露から親日に一変させ、ここに日韓議定書が結ばれた
 右議定書は(1)韓国は施政改善に関して日本の忠告を容れること、(2)韓国の危機に際して日本は軍事上必要の地点を収容できる――等を骨子とした。これは日韓関係を一変し、明確に保護化への第一歩を印した点で頗(すこぶ)る重要な意義を有した。
 かくして併合への歴史的過程は日露開戦を契機として始まり、戦争と共に進行していった。韓国の不安定な政情が日露戦争を誘発し、その戦争が韓国併合を促進するという、何とも因果な歴史的運命にこの国は飲まれて行ったのである。
 …
 もしこの議定書がなければ、我国は朝鮮半島から満州へ軍を進めることはできず、対露戦争の遂行は不可能だったであろう。日露戦争は日本ではなく、ロシアの勝利に終わっていたに違いない。…日韓議定書が日本による保護化への道を開いたことは事実であるが、それが同時に韓国をロシアの永久支配から救い出す結果にもなったのであると――。歴史を深く見つめるならば、韓国の本当の悲劇は、この国が漸く日露開戦するに及んで親日に転じた事実の中にあることが分かるのではあるまいか。」(同上書 p.121)

韓国政府は、日韓議定書を結ぶ1ヶ月前の1月21日に、日露交戦の折には戦時局外中立をすると宣言したばかりであったのだが、2月9日の仁川沖海戦で日本の艦隊が露艦ヴァリャーグとコレーエツおよび露船スンガリーを攻撃してこれを爆沈させると、韓国は親日に一変して、2月23日に日韓議定書を締結したのである。
そして半年後の8月22日に第一次日韓協約を締結して韓国は日本政府の推薦する財政と外交の顧問を受け容れることに同意した。

目賀田種太郎
目賀田種太郎

わが国が財政顧問として朝鮮半島に派遣したのは、大蔵省主税局長を長年務めた目賀田種太郎だが、彼は紊乱した朝鮮の財政整理に力を尽くし、最初に通貨の改革を行ったという。

中村粲氏は前掲書でカナダの新聞記者F.A.マッケンジーの文章を紹介しておられる。
「朝鮮では貨幣の濫鋳(らんちゅう)が甚だしく、朝鮮の貨幣は世界の悪貨のうちでも最たるもので、良貨、良い偽造貨、悪い偽造貨、粗悪すぎて暗いところでしか通用しない偽造貨の4つに分類できるとさえ言われていた。目賀田は貨幣濫鋳の弊を除くため竜山と仁川の典圜局(てんえんきょく:造幣局)を閉鎖し、我が第一銀行京城支店をして韓国政府の国庫事務を取扱わせ、同行が朝鮮で発行する銀行券を無制限に通用させるなど、非常な決意と苦心で貨幣整理を断行し、世界最悪と言われた朝鮮の通貨を健全な基盤に置くのに成功した。目賀田の改革は一時的には混乱を伴ったにせよ、長い目で見て朝鮮の国家に益をもたらしたことは認められて然るべきであろう(F.A.マッケンジー『朝鮮の悲劇』)。」(同上書p.122)

では、アメリカやイギリスの首脳はわが国の朝鮮半島の保護国化をどう評価していたのだろうか。
「(米国)ルーズベルト大統領は日本の韓国保護国化に何の干渉もしなかった。それは『韓国は自分を守るために一撃すら与えることが出来なかったから』(ヘイ国務長官宛短信)なのである。英外相ランズダウンもまた『韓国は日本に近きことと、一人で立ちゆく能力なきが故に、日本の監理と保護の下に入らねばならぬ』と書いたが、韓国問題についての世界の共通認識の所在が、これでほぼ推察できるのではあるまいか。」(同上書p.122~123)

英米にすればロシアの南下は阻止したいところだが、貧しく気概のない国に自ら関与しては膨大な時間と労力と資金を無駄に費やしてしまうことになるばかりとなる。日本がこの国を近代国家に変革するために尽力してくれるのならば、ロシアの南下を防ぐことに役立つだろうと静観するのがベストの選択であったのだろう。

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【ご参考】このブログで北清事変から日露戦争の時代についてこんな記事を書いてきました。良かったら覗いてみてください。

義和団の暴徒に囲まれ孤立した公使館区域の人々が如何にして生き延びたのか
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北清事変で北京制圧の後に本性を露わにした「文明国」の軍隊
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義和団による暴動を、満州占領のチャンスととらえたロシア
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-325.html

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若いころはあまり歴史に興味を覚えなかったのですが、50歳のころに勝者が叙述する歴史が必ずしも真実ではないことに気が付き、調べているうちに日本史全般に興味が広がっていきました。

平成21年にBLOGariというブログサービスでブログを始めましたが、容量に限界がありバックアップもとれないので、しばらく新しい記事を掲載しながら、過去の主要な記事を当初の作成日にあわせて、4か月ほどかけてこちらのブログに手作業で移し替え、平成26年の1月に正式にこのブログに一本化しました。
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